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たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

うんち・おしっこ活用!? <災害時に困ること、トイレはどこかの不安>と<排便はゴミ>という考えを問い直してみる

2018-04-05 | 人の生と死、生き方

180405 うんち・おしっこ活用!? <災害時に困ること、トイレはどこかの不安>と<排便はゴミ>という考えを問い直してみる

 

今日の午後、予約のあった相談案件がキャンセルになり、のんびりとしていたら、友人から電話がかかってきました。あの、うんこ論の彼だったのです。彼の話を1時間余りおつきあいしました。わたしも物好きなのだと自分でおもってしまいます。とはいえ彼の考え方や体験的な取り組みはユニークで面白いのです。出版する話だったのですが、まだ停滞しているようです。

 

彼の話に触発されて、今日のお題は見出しのような変わり種になりました。江戸時代(それ以前もあったと思いますが)から戦後ある時期まで長く使われてきた糞尿の歴史、その内実はよくわかりません。私が小さい頃、少し町を離れて田んぼに行けば、肥溜めがどこにでもあり、落ちないように簡易な屋根みたいなものもあったように記憶しています。

 

とりあえずいくつかのウェブサイトで情報を入手して、簡潔に整理してみようかと思います。

 

まずはお医者さんの話から。

排泄の科学食べた後は・・・排泄のしくみ

これは札幌医科大学医学部生理学第一講座教授富瀬規継氏から聞き取った内容ですので、正確な医学的知見に基づく内容かと思われます。

 

<小便と大便について・・・おしっこは細胞から出されたゴミを水に溶かして捨てるもので起源は血液であるのに対し、うんちはからだの中に入らなかったものが外に出たものなのです。>と一般向けに優しい言葉で解説されています。

 

ところで、人の体は、血液内にある人間に役に立つモノとそうでないモノ(こういう区別は正確な引用ではありませんが)とを選別する機能を腎臓に委ねているとのことです。

 

ですから腎臓はよく言われるように大変な活動を日々刻々とやっているわけですね。数字で表すと次のようです。

<腎臓に入ってくる血液の量は、一分間に約1・3になります。心臓が送り出す血液量は1分間に約5ですから、かなりの血液が腎臓に流れ込んでいます。そのうち、糸球体で濾過される原尿は左右の腎臓を合わせて1分間に125mlで、腎臓に入ってくる血液量の約10%です。これだけの量の原尿が作られないと血液からゴミを除去することができないのです。1分間に125mlですから、一日に換算すると180程度になります。>

 

原尿をすべて排泄すると一変で水不足になりますね。そこで強力な水分回収システムが働くのだそうです。

<原尿から水分を回収するというしくみ>です。<このときの水分の回収率は約99%と非常に高率ですので、実際の尿量は一日で15〜1・8ℓ程度になります。>結局、ほとんどの水分が体内に残るわけですね。

 

ところで、このおしっことして排泄されるのは、ゴミや細胞の残骸などと書かれていますが、実は<実は無菌状態で清潔なのです。>これは医学的にはずいぶん前に確立していたようですが、どうも合併浄化槽や公共下水道の普及が宣伝される中で、汚いモノといった意識が知らぬ間に意識化されたように思うのです。

 

では、うんちはどうでしょう。そのできあがり具合は次のような解説を参照ください。

<うんちの原型は、小腸の中で栄養素を十分に吸収し終わったころにできています。・・・この段階では水分はたっぷりと含まれていますが、これは、栄養素は水に溶けている方が効率よく小腸で吸収できるからです。

・・・大腸では、からだの水分を保持するために水分を回収し、うんちはだんだん固形化していきます。とはいっても、標準的なうんちの状態での水分含有率は約75%で、意外と水分量は多いのです。・・・うんちの固形成分のうち大部分を占めているのは、小腸で吸収されなかった食べ物の残りですが、その中でも重要なのは食物繊維です。代表的な食物繊維としては、セルロースがあります。・・・セルロースは栄養素としてからだに取り入れることができず、からだの外にうんちとして出て行くのです。・・・余分な脂肪分や毒性物質を絡めとってうんちと一緒に排泄したり、腸の古くなった細胞の死骸、つまり腸粘膜の垢をふき取る効果もあると考えられています。さらに、食物繊維は腸内にいる腸内細菌の栄養分になることもわかっています。>

 

ではうんちは有害なモノなのでしょうか。

ここでウィキペディアの<>の知恵を借りたいと思います。

 

<人糞を肥料として用いたことが確認される最初の例は、鎌倉時代の日本とも言われる[4]。これ以降、都市部の人糞を農家が回収するシステムが生まれ、日本の都市は世界的にみて、清潔なものとなったと言う。>

 

そして<肥料として用いる人糞は、そのまま使うと作物が根腐れするため、たいていは肥溜めに溜めて発酵させて利用する。>そうなんですね。そのまま食する?ことはできないでしょうけど、肥料としては有効利用の歴史は長いですね。

 

また薬効もあるようです。

<古来、糞は中医薬や漢方薬のための生薬として利用されてきた。例えば、明代中国で李時珍が編纂した『本草綱目』の巻52「人部」には、「人糞」「虫糞茶」「黄龍湯(zh:黃龍湯)」「糞清」「人中黄」などといった、糞を原料とする中医薬が記されている。>ま、私にはわからない話ですが。

 

その他の活用はウィキペディアに当たっていただければと思います。

 

ただ、大便の保存法に問題ありそうですが、それがうまくいけば、活用方法も生まれるかもしれません。

 

ところで、おしっこの方、無菌で清潔と言われていますが、飲めそうですね。いや、戦時中の話とかでは、実際、水不足の中で飲んだということはよく聞きますね。

 

さらに前向きな話がありました。

尿を飲む健康法① 汚くないのか本当に効くのか>では、

まず汚くないことについて、前述の医師より平易に書かれています。

<尿は腎臓で作られますが、まずは肝臓で毒を取り去られた血液が腎臓に入り、そこで強力なフィルターでろ過されます。ここでろ過されるのは余分な水分、塩分とその時点では余分と見なされた成分です。 ろ過されたもの(原尿)は綺麗な液体になっています。そして、ろ過された液体からは再び必要な成分が吸収され、最終的に残った液体は膀胱へと流れていき、おしっことして出されます。けっして毒物が排泄されているのではなく、無菌状態の液体です。>内容は同じですが、わかりやすいですね。

 

病気の治療効果までいうわけですから<中身の有効成分は>と解説されています。

まず尿素が効果があるようです。

<尿の主成分である「尿素」には抗菌性、抗ウイルス効果に極めて優れており、細菌による膀胱炎や腎炎などの炎症にも、また、エイズ、狂犬病、ポリオ、結核などの感染症にも尿素による改善がみられます。

昔から傷口にはおしっこをかければ良い、などと言われますが、天然の抗菌、抗ウイルス作用があるので、けっして迷信ではないのです。

尿素は薬を作るのにも利用されています。良く知られているのは保湿クリームです。

オイルと違って、皮膚の保湿能力そのものを高めます。>

 

酵素も効果があるとか。

<また、尿に含まれる「ウロキナーゼ」という酵素も薬に使われています。ウロキナーゼは血栓を溶かす酵素で、心臓病の薬として役立っています。>

 

抗がん作用まであるとか

<尿には癌を治すために免疫力を高める栄養素、酵素、ホルモン、抗菌物質なども多数含まれていますし、以下のような抗癌作用のある物質も発見されています。>

以下は省略します。

 

ともかく小便・大便、いずれも捨ててなるモノかと思ってしまいます。以上に書かれている医療効果的な内容は私にはわかりません。ただ、おしっこは無菌で清潔なもの、うんちは肥料効果が高いことは、間違いないでしょうね。

 

さて最後になりましたが、災害時にまずは命を守ることが第一ですが、次は避難先でのトイレの心配です。そんなとき排泄に苦労しないですむといいのですが、その前提として小便・大便に対する意識を改めることも必要かなとふと思って書いてみました。まだ解決策があるわけではありませんが、将来だれかの新たな発案を期待したいと思うのです。

 

これで一時間弱となりました。ま、今後の勉強の一里塚でしょうか。本日はおしまい。また明日。

 

 


生きることと挑戦 <田中陽希のグレートトラバース>を見ながら

2018-04-05 | 人間力

180405 生きることと挑戦 <田中陽希のグレートトラバース>を見ながら

 

今朝のビッグニュースは大谷翔平氏の二試合連続ホームランですね。二刀流をMBLで早くも着実に実績を積み上げていますね。オープン戦は少し大丈夫かなと思うほど、ピッチャーでは打たれ、打者では凡打の連続でした。フォームも、バランスが変でしか。それでも小宮山氏の解説は太鼓判を押していたので、そんなものかと思っていましたら、開幕するとそのとおりでした。

 

ピッチングフォームはニュースでしか見ていませんが、その差があまりわかりませんでした。バッティングは、イチローが振り子打法をやめたのと似た感じで、足の上げ幅を押させて安定させてボールの軌道を最後まで見る感じに変えましたね。そういう順応性、適応性はこれまでの経験で身につけた彼自身の潜在能力でしょうか。大リーグを含むアメリカマスコミも絶賛ですね。今後も期待したいですね。松井や松坂が短期間の活躍に終わったのと違って、彼はまだ若いですし、あの朗らかで人なつっこさは、きっと人気を呼ぶでしょう。ホームランボールを渡してくれた子供にサイン入りバットを渡す姿も様になっています。

 

そういう太陽のような、人気絶頂の世界で活躍する大谷選手と違って、一人黙々と地道に歩き、走り、パドリング、バイキングする、つまり人間の基本的な能力だけを使って目標を立て、目標に向かって邁進する姿も魅了されます。

 

NHKがなんども再放送している田中陽希氏のグレートトラバースは、地味ですがとても素晴らしい内容です。静かなブームを呼んでいるのでしょう。私が最初に見たのは2度目の再放送の津軽海峡を渡る場面でしたか。昔、カヤックで津軽海峡を渡った経験から、三角波があり大型外国船舶が頻繁に航行している中を横断するのは大変だと思いましたが、なんなく渡りきりました。

 

そのとき初めて彼が、深田久弥があげた日本百名山を南から北まで一筆書きで、人力だけで踏破したことを知ったのです。すごい若者だなと、それ以降着目して見ています。大谷選手をはじめ、あらゆるアスリートは大なり小なり脚光を浴びる世界で活躍し、経済的にも多くの報酬を得たり、あるいは支援を得たりしています。しかし、彼は、誰にも注目されず、地味にひたすら自動車が頻繁に走行する道路の路側帯を、あるいは昼間、あるいは真夜中でも歩き、走り続けるのです。むろん百名山を踏破すること自体、大変な偉業ですが、それは報償を受けるわけでもなく、歓声もありません。

 

こういう若者がわが国に育っていること自体、誇らしいことだと思います。ただ、SNSのおかげもあり、彼の業績は少しずつ知られるようになり、NHKも頻繁に再放送を繰り返しています。私だけでなく、多くの声なきファンが増えているのでしょう。

 

それはこの偉業自体もありますが、田中氏の人間的魅力もあるように思います。いまNHKBS3で毎朝、6時から15分ずつ、4コマ、1時間、15年に実施した百名山一筆書きの要約版を放映しています。わたしは途中の大山に行くコースから見るようになって、今日は四国石鎚山(これは見落としました)・剣山から紀伊半島大峰山まででした。

 

彼の魅力の一つは、強靱な体力を遺憾なく発揮する姿です。グレートアドベンチャーで鍛えた?夜間でも歩き続けたり、仮眠2時間程度で再び歩き走り続ける体力です。と同時に、旅ですれ違った人たちとのひとときも大切にする姿勢、旅の作法です。石鎚山から剣山に向かう途中で、道路そばでなにかを採取しようとしてる夫婦を認め、それがタラの芽採取とわかると話の花を咲かせるのです。そして今度は自ら、旅のプランを無視してタラの芽探しをして大量の収穫を得る縄文人的能力でしょうか。

 

目標地を探して地図を見ているかと思いきや、有名なとんかつ屋があると知ると、時間的にはきついのに、その店が開いている時間に間に合うように、体力の限りを尽くして、無理な走行を続け、ようやく間に合って、好きなとんかつをほおばる姿は、人間味あふれます。

 

ここでお遍路道のよさも味合うのです。彼の歩くようなところでは宿も滅多にない、あっても予約がないと宿泊できなかったのでしょう。泊まるところがないというと、トンカツ屋さんが空き屋があるといって、それを使わせるのです。お遍路さんのために接待がその地では当たり前とも言うのです。

 

私自身、カナダ北方、ブリティッシュ・コロンビア州からユーコン準州に抜ける山道を一人ドライブで1000km走り通したことがあります。それは途中に宿がなく、最後は白夜のような空の下ので車の中で仮眠して、ホワイトホースまで車を走らせたことがあります。ユーコン準州にはアメリカンハイウェー(昔ゴールドラッシュ時代に多くの開拓者が数珠をなしたともいわれています)までは一度も車と出会うことがありませんでした。

 

まだ車なので、疲れも少なく、外は寒くても大丈夫でしたが、田中氏の場合は春とはいえ、四国山中の夜は寒さがきついでしょうから、暖かい布団で休ましてもらえてよかったと思います。

 

彼のグレートトラバースは、単に百名山の踏破という自然との素晴らしい対峙だけでなく、人とのふれあい、そのときの彼の笑顔や優しさ、それがすてきなのです。

 

大山に向かう途中でしたか、どこかの保育園の園長さんが突然、彼の前に出てきて、子供たちが話を聞きたいと待っているというのです。彼の計画は日々具体的な行動スケジュールがあり、そこで時間を使えば、その日の目標地に到達するために、余分の力を必要とするでしょう。でも彼は喜んで、その招きを受けて、飛び入り的に小さな園児のために、自分のやっていることを地図を使ってわかりやすく説明するのです。

 

彼が使っているテントを広げると、園児がいっぱい入ってとても楽しそうにはしゃぐのです。そういうふれあいで、彼自身も元気をもらうのでしょう。園児もすごいことをやっている無名の人を身近に感じることができ、いい思い出となったでしょう。

 

たぶん彼のことを書き出すと、だらだらと続きそうなので、今日はこの辺でおしまいとしておきます。彼の人間的魅力は、私にはある種、空海が若い頃四国や、その他各地を渉猟しているときのすごさの一端を感じさせてくれます。むろん無限の体力がありそうな彼でも、60kmを超え75kmも続けて歩き走っていると、足などに異常を感じ、休むこともあります。そういうのを見ていると、空海さんはどうしたのだろうと、田中氏の姿を見ながら、空海さんのすごさの一端を彷彿させてくれるのも、私にはとてもうれしいことです。

 

そして彼は、日々、あるいは一定の年度をもって目標を掲げ、挑戦を続けているように思えます。いまは3百名山踏破を挑戦しているのでしょうか。あるいは新たなグレートレースにチーム参加するのでしょうか。その挑戦者としても弛まない強靱な精神は、人が生きる源ではないかと思わせてくれるのです。