180422 セクハラと日米比較 <財務次官のセクハラ騒動>と<映画 Confirmation>などを考えてみる
「立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花」なんてことばは最近口にすることもなくなった、聞くこともなくなったように思います。
今日、あまりに鮮やかで大きな淡いピンク色を目の前に晒されたので、つい牡丹の花を買ってしまいました。それで急にこの言葉を思い出したわけです。こんな言葉を品位なく場所も考えずに女性に告げたら、これもセクハラになりうるかもしれません。
それにしても財務事務次官の女性記者と交わした内容のお粗末さは前代未聞ですね。それを擁護するというか、時代錯誤の発言を繰り返す麻生大臣、セクハラ被害対応のイロハもわきまえない財務省官僚(弁護士の位置づけに対する大きな誤解も)、それに加えて記者が所属するテレ朝の対応も輪をかける様なお粗末さ(これがマスコミと官僚との位置関係かともつい納得する自分も問題ありでしょうね)と言い出すときりがないので、あえてこの話題から避けてきました。それでも毎日ウェブ情報だと内閣支持率が下がっても30%というのですから、わが国民の見識はとつい天に唾するようなことを言い出しそうになります。わたしもその国民の一人ですからね。
毎日ウェブ情報<松尾貴史のちょっと違和感告発の行方 「女性活躍」何のこと?>では、17日付け原稿ということで、少しズレた内容となっていますが、それは松尾氏のせいではないので、理解しておかないといけません。
ただ、松尾氏の基本的な考え方は、国民の多くも賛同するものではないでしょうか。松尾氏が指摘する「告発の行方」・・・たしか映画「告発の行方」も、レイプ被害に遭った女性(ジョディ・フォスターがこの作品で一躍有名になった程いい演技でした)は訴えるも裁判の行方は怪しい状況になりましたね。今回の事件はどうなるのでしょう。
裁判にはならないように思うのですが。少なくとも福田氏は墓穴を掘るようなこととして、弁護士に止められるでしょう。ではセクハラを受けた記者はどうするでしょう。ここまできたのだからといって裁判に訴える可能性は低いと思うのです。週刊誌に情報を提供した時点で、裁判を選ばないという意思は決まっているような感じですね。
他にも女性記者がセクハラ被害にあっていたようです。ここはわが国でも“#MeToo”というやり方が効果的な選択ではないかと思うのです。あのアメリカですら、ようやく大勢の女優が共同して立ち上がったことで、ハリウッドの大物映画プロデューサーを追い詰めることができたのですからね。一人ひとりの権利意識が高い、女性の意識も高いと言われ、セクハラ騒動なんて過去の問題のように言われることもあるアメリカですら、このような現実なのですから、わが国はもっと広範に深刻な状態で悩んでいる女性が多いと思います。
それを容認する社会慣行も問題なんでしょう。それは男女を問わずということでしょうね。
ちょっと違った視点で考えると、映画“Confirmation”を取り上げたいと思います。この映画はとても刺激的で感動させられる内容で、セクハラ発言がどのような場面で誰によって行われるかわからないという実態と、極めて理性的で合理的な訴えをしても容易に認められにくい構造を十分に納得させられる実際に起こった事件を踏まえたストーリーとなっています。
16年製作で、91年にあったアメリカ最高裁判事候補者に指名されたクレアランス・トーマス黒人判事に対する上院の公聴会審理において、その元部下でオクラホマ大法学部教授であったアニタ・ヒルさんが、たしか10年以上前だったかと思いますが(事件自体が過去のものという面と、長く耐えてきたという面とを感じさせます)、上司であったトーマス氏からセクハラを受けたと告発し、その審理での発言や裏事情がプロットとなっています。
ヒルさんが当初、トーマス判事に反対する民主党側からのアプローチに対して、消極的でした。自分が受けたセクハラのひどさ(それは公聴会で冷静かつ緻密に述べられ、驚くべき内容です)を告発することで、自分の現在の職場を失う危険などから、けっして口外しないと友人にも話していたのです。しかし、加害者のトーマス氏が最高裁判事になることの問題性を理解し、あえて告発に踏み切るのです。
しかし、公聴会では、ヒアリングする上院議員はたしかすべて男性だったように思うのですが、それはともかく、トーマス判事の黒人差別論といった問題のすり替え議論や政略議論で、ヒルさんの話を誠実かつ適正に対応するものではなくなりました。
結局、トーマス判事が指名され、最高裁判事となりました。落胆して自分の研究室に戻ったヒルさんでしたが、多くの支援や励ましのレターが届いていました。ヒルさんの勇気に感動したり、励まされた全国の女性からでした。
最高裁判事となるような黒人判事が、部下の女性研究者にしきりにセクハラ発言を繰り返す姿は、財務次官の女性記者に対する発言とは状況も内容も異なりますが、権力を握る人がいかに奢るものか、また、女性に対する狭量さ、蔑視感など、さまざまな共通する土台を感じさせるものでした。
このヒルさん役のケリー・ワシントンさん、とてもすてきな黒人教授役でセクハラ被害者の役を見事に演じていました。どこかで見たことがあるなと思ったら、映画『愛する人』(原題: Mother and Child)で、子供が生まれない夫婦の妻役で、妊娠中の女性との間でその胎児を養子にする(アメリカでは一般的なのでしょうかね、日本では特別養子縁組に近い)約束をしたのですが、途中で夫に反対されたため離婚し、さらにその女性からも生まれた赤子を見て約束を反故にされ、不幸のどん底に投げ込まれるのです。その瞬間、別に赤子を産んだ母親が亡くなり、父親が不明で、その子を養子にすることができたのです。その喜怒哀楽の表現が若い感情的な女性としてなかなかのものでした。
ということで脱線しましたが、今日はこれにておしまい。また明日。