たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

電力の地産地消 <電力事業 参入の自治体増>を読みながら

2018-04-20 | 原子力・エネルギー・地球環境

180420 電力の地産地消 <電力事業 参入の自治体増>を読みながら

 

あることに集中していると、別のことが見えなくなる、そういたことがよくあります。今日は交通事故の告訴案件や借地問題、土地売買をめぐる紛争、傷害事件の弁護事案、などなどを頭を切り換えながらやっていくのですが、なかなかスイッチの入り換えがうまくいきません。あることに没頭しすぎると、なにか抜け落ちるのでしょうかね。あるいは神経パルスが固くなって、柔軟性を失うのでしょうかね。

 

地産地消という長く普及してきた言葉、さまざまな意味合いをもつ含蓄のあるものと思うのですが、他方で、その一面だけとらえると見えない落とし穴に入るかもしれません。

 

今朝の毎日記事<電力事業参入の自治体増 大企業と連携も 住民サービスの向上狙う>は、なんとなくわかったような気がしつつ、どうもはっきりしないとタイトルを見て感じてしまいました。

 

とりあえず記事内容を見てみましょう。

 

<自治体が大手のエネルギー企業と組んで、電力事業に参画するケースが広がっている。電気の販売や運営管理などのノウハウを提供してもらい、安定した事業基盤を築きながら、住民サービスの向上や地場産業の育成を進める狙いがある。>

 

自治体の電力事業への参画ということ自体、自治体サービスとしてどのような意味があるのか、ある種の想定をしつつ、それが大手のエネルギー企業と共同することの意義はどこになるのかが気になります。

 

その方向性が、<安定した事業基盤>とか、<住民サービスの向上や地場産業の育成>となると余計イメージが生まれてきません。

 

記事は<奈良県生駒市が昨年7月に設立した新電力「いこま市民パワー」には、大阪ガスが34%出資した。>件をとりあげています。共同出資ということですね。

 

その事業内容は<販売する電気の大半を大ガスが供給することで、調達価格が安定するのが利点だ。電気の需給管理も大ガスが担う。市の施設のほか、今年に入って南都銀行の店舗にも電気を送っている。>ということは、生駒市が大手需要者として、大ガスからの安定かつ少々廉価に手電力提供を受けるということのようです。市の施設を中心にさらに銀行など他の民間部門にも供給しようと言うことでしょうか。

 

その収益を見込み、その使い道について<収益は市民サービスの充実に使う方針で>というのは当然でしょうね。ただ、<今年2月に第1弾としてストレッチ講座を開いた。市の担当者は「収益の活用法は、市民が参加する会合で話し合って決めたい」と話す。>ということになると、収益の使い方まで十分検討せずに、共同出資事業を開始したということでしょうか。それ自治体経営として大丈夫とつい思ってしまいます。

 

大ガスがいま関電と電力事業部門で激しい競争をしているようですが(実際は地域を問わず、様々な主体間で競争が行われているようですね)、生駒市はどのような収支計算や市の将来計画を打ち出して、この事業を始めたのでしょうか、市民の賛同をどのような形で得たのか、気になります。

 

他方で、<三重県松阪市も東邦ガスと組み、昨年11月に新電力を設立した。>というのは、主体的な取り組みというふうに評価できる部分があります。<市のごみ処理施設で発電する電気を供給し、エネルギーの「地産地消」を目指す。>こういった再生可能エネルギー、あるいはそれに準ずるような電力供給、それも市が発電者であることから、それ自体は地産地消の一つのあり方と評価することは可能ではないかと思うのです。<電気の販売や調達など主な業務を東邦ガスが引き受け、安定した運営体制を構築した。>と民間企業の経営能力を借りるというのも一つの有効な選択とみてよいかと思います。

 

その次に紹介されている<山梨県は東京電力エナジーパートナーと共同で県内企業向けの割安な電気料金メニュー「やまなしパワー」を2016年度から手掛け、企業誘致や地場産業の育成を進めている。>も、生駒市とあまり変わらない、印象ですね。

 

どうも自治体側に、きちんとした電力供給構造の将来に対する考え方が定まっていないというか、検討もしていない印象を受けてしまいます。政府がベース電力とか云々しても、一向に将来を見通せない中、本来は地産地消の担い手、主体である自治体こそ、自分で考えることではないかと思うのです。

 

安定した少し割安の電力が供給されるからといって、飛びついていいのでしょうか。大量の電力の供給を受けて、それを地域振興に役立つ事業に、低廉で?小口供給するといった発想なのでしょうか、そんなことでよろしいのでしょうか。

 

地域全体の電力供給のあり方を本気で考える時代にきていませんか。山間部の森林地帯では、遠くから送電線をつないで送電ロスも多いのに、現在の電力供給のシステムでよろしいのでしょうか。森林を有効利用してバイオエネルギー・バイオ発電で、地域全体の共同供給システムを確立するといった発想はなかなか生まれませんが、それこそ地産地消ではないでしょうか。

 

日本の川は滝だと言われた山間部の急流は小規模水力発電としても活用できるように思うのですが、そのような活用は一部には行われていても、有機的な連携がなされているようには思えません。

 

太陽光発電や風力発電は増えてきたようですが、環境影響も無視できない状態です。それは立地への配慮が十分考慮されていないからではないでしょうか。

 

それにしても、大規模事業体からの電力供給だけに頼る地産地消では、本来の地産地消とはいえないように思うのですが、いかがなものでしょう。

 

そろそろ一時間となります。今日はこれにておしまい。また明日。


散骨と墓守と人と地球 <樹木葬 隠岐の波間に散骨島 墓守不要で自然葬人気>を読みながら

2018-04-20 | 人の生と死、生き方

180420 散骨と墓守と人と地球 <樹木葬 隠岐の波間に散骨島 墓守不要で自然葬人気>を読みながら

 

グレートラバースで、深田久弥の日本百名山、一筆書きを遂行する田中陽希さん、今日も15年に達成した一コマ(15分編集で4回、60分)に登場しました。

 

驚いたことに、彼は普段の仕事場、群馬・水上町でこれまでの内部疲労蓄積でダウンして5日間でしたか病院で安静療養したのですね。強靱な体力も、腸内細菌などの協力で忍耐強い支えがあってこそ、維持できたのですね。高熱でベッドに横たわる彼に、医師は内臓が疲労困憊して消化できない状態にあることを説明して点滴などによる安静療養を勧めたわけです。

 

そうでしょうね、私なんかはとてもそんな体力はありませんが、熱帯林を何日も歩いたり、北極圏を旅していると、内臓や心肺機能に異常を感じたことが何度もありました。私の場合は陽希さんのような無理がきかないので、それを持続するようなことはしません。それでも昔、修道院で助けてもらったときはたしか3日間ほとんどベッドに横たわっていた記憶です。よほど疲れていたのですね。ちょうど浅間山荘事件の頃です。

 

陽希さんの面白いというか、素直な自然体にも魅力を感じます。これまでも神社参拝や山頂に祠があると参拝するのですが、最初はとても粗雑で拝礼の適当さ、しかも柏手が形だけ、音も出ない程でした。でも彼はアドベンチャーが神髄です。外国でのアドベンチャーではそういった参拝もないでしょう。地元神を祭ることは、日本では、とりわけ登山する場合は自然に身につけてきたのでしょうけど、教わったことがないようです。

 

武尊神社(日本武尊が当地での統治活動を行ったとの伝承を受けたものでしょうか)は彼の地元、ようやくかなりいたについた感じになってきました。でも、彼らしい、独自の拝礼ですね。それでいいと思うのです。気持ちが込められていれば。千利休も作法は厳しく指導したようでもあり、自由にすることをすすめたようでもあり、それが芸の本道ではないかと思うのです。

 

道元は清掃、食事、排泄などあらゆることにその作法というか、細々とあり方を定めたようですが、それは仏道の本質を享受するための一つの道であって、すべてではないと思うのです。良寛さんは道元を尊崇していましたが、決してその作法を自分では試みず、その面では自由奔放に生き、和歌の世界や人と接する中で神髄を吐露したのではないでしょうか。

 

と久しぶりに前置きが饒舌となりましたが、本題に入ります。

 

昨夕の記事<樹木葬 隠岐の波間に散骨島 墓守不要で自然葬人気 風評懸念、条例で規制もでは、

<永代供養をうたう納骨堂が都心部に相次いで建設されるなど、弔い方が多様化する中、遺灰を自然にまく散骨や桜などの木の近くに遺骨を埋める「樹木葬」も注目を集めている。「自然の中で眠りたい」と考える人が増えているほか、将来の墓守の心配がないとの理由で人気を集めているという。一方、風評被害の懸念からこうした自然葬を条例で規制する動きも全国で相次いでいる。>

 

墓守というか、墓の管理が大変という、一つの側面がかなり重荷を感じる人が全国で声を上げるようになった印象ですね。

 

おそらく90年代に入る前は、そのような声も上げることができなかったと思います。

 

90年代初頭でしたか、80年代後半でしたか、記事で紹介されている<1991年、東京都のNPO法人「葬送の自由をすすめる会」が神奈川県沖の相模灘で本格的に始めた>数人の創始者の一人として私も仲間入りしました。

 

この運動は、当初、東京都の水源、奥多摩の森を守ろう(実際の全国の森も含めて)、他方で、火葬後の踵骨が産廃処分され、また首都圏では墓地開発で自然破壊が起きているなどの問題などを解決するために立ち上がったのです。

 

記事は<当初は墓地埋葬法に抵触するとの見方もあった。 しかし、当時の厚生省が「法の対象外で禁じるものではない」との見解を公表。>と書いていますが、少し誤解を招く表現です。

 

私はこの問題に法的対処するメンバーの一人として、厚労省(当時は厚生省)、法務省刑事局との折衝を行いましたが、墓地埋葬法に抵触すると言った理解は、私たちの解釈論を理解して、まったくありませんでした。むしろ法務省刑事局との折衝に私たちは注力を注いだのです。墓地埋葬法を丁寧に読めば一目瞭然です。この点はこの分野の権威、大正大学の藤井正雄氏とも協議かを開催し、藤井は浄土宗信徒として、温厚に対応していただき、当方の解釈を理解していただいたと思います。この方とはその後もシンポで議論したことがありますが、立派な紳士ですね。

 

ともかく刑事局が最初の自然葬実施を大々的に報道されたとき、「葬送のための祭祀」で「節度を持って行う」かぎり、「合法」と明言したことで、ある種決着がつきました。それを刑事局との折衝の中で、事前にその言質を得ていたのです。

 

四半世紀も前のことですから、多少記憶はいい加減ですが、でも当時の折衝場面はわずかながら記憶しています。

 

それからもいろいろありました。ただ、宗教界からの反発や抗議は一切なかった記憶です。

それがよかったか悪かったか、その後に様々な問題が起こってきましたが、藤井氏が懸念していたこともあったように思います。

 

たとえば、記事が取り上げた<農業が盛んな北海道長沼町は2005年、条例で墓地以外での埋葬を禁じた。町内の川で業者の散骨計画が持ち上がり、農業用水の汚染を危惧した町民の反対運動がきっかけだった。>もその一つ。

 

私も現地に飛んでいきました。私が関与していた上記会とは何の関係もなかったですが、自然葬の将来に影響があると考えたからです。そのやり方はある面で稚拙でした。しかも調べると、周辺ではヘルマン・ヘッセを慕う農村作りをする運動体がすてきな村づくりをしているそのそばでした。ヘッセは自由な思想の持ち主と思いますが、その具体のあり方には繊細で緻密な自然環境との調和を目指しているように思えます。残念ながら長沼町の例は、そのような理解に乏しいと思わざるを得ませんでした。事業者とお会いして考えを伺ったのですが、必ずしも経済目的でなく、私たちの考えにも通ずるところがありましたが、周辺の人たちへの理解を得る努力や手法に疑問がありました。

 

その後も多様な問題が起こりました。農地で散骨を肥料とするような伊豆大島事件もその一つでしょうか。

 

記事が取り上げている樹木葬は、あくまで墓地埋葬法上の墓地として経営許可を得て行うもので、それが本来の意味で樹木葬といえるのかは疑問がありますが、私は多様なあり方があってよいと考えますので、墓地埋葬法に則る選択肢の一つかと思うのです。

 

ただ、それは墓地問題が抱えている多様な事項に対処できているかというと、疑問が残ります。

 

前後が逆になりましたが、隠岐の島の、散骨島葬送、これは一つのあり方かなと思っています。

 

<島根県の隠岐諸島に「散骨島」と呼ばれる小さな無人島がある。大山隠岐国立公園内にあるカズラ島(海士(あま)町)。東京の葬祭業者が設立した運営会社が2008年、地権者から島を買い取って事業を始めた。

 対岸から船で渡り、小山を登ると木々に囲まれた平地の散骨場があり、遺族は粉にした遺骨を土の上にまく。基本料金は約26万円で、後の管理費などはかからない。環境保護に配慮し、島への立ち入りは原則5月と9月だけで、この時期以外は対岸に設けた慰霊所から拝むことができる。>

 

でもなぜ隠岐の島か、となると、むろん地元出身者ならいいかという問題もありますが、遺骨についての考え方の見直し、供養のあり方、島の自然環境に対する意識のあり方など、島に関係する人、その他さまざまな関係者との協議がどのようになされてきたかは気になるところです。

 

私はこれまで最初の海での散骨(灰が正解)、その後山や海での散灰に携わった経験がありますが、それぞれ亡くなった方との触れ合いを強く感じることができました。知っている人はもちろん、知らない人も。人と地球生命体との一体感みたいなものを感じさせてくれたように思うのです。葬送の自由をすすめる会の創設者、安田睦彦氏は著作『墓は心の中に』のなかで、私のそういった思いを引用してくれています。

 

そして般若心経からいって、有るものも無い、無いものも有る、意識すらも有るようで無い、そういう私たち人間のあり方を、この散灰をとおして、心の中で深く感じることができたような気がします。

 

それは葬送のあり方に一つの様式をのみ認めるのではなく、せいぜい有ると思われる心と対面して選択することではないかと思うのです。墓守や墓の管理は、残念ながらもう少し次元の異なる問題では無いかと思うのです。むろんさまざまな検討する課題の一つではありますが。