たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

津波防災と学校責任 <大川小津波 2審判決 「組織の備え」こそ教訓>

2018-04-27 | 災害と事前・事後

180427 津波防災と学校責任 <大川小津波 2審判決 「組織の備え」こそ教訓>

 

今朝も田中陽希のグレートトラバースを見ながらジョギングもどきをやりました。陽希さんの頂上踏破を待ち受ける人が次第に増えてきているように思います。彼の勇気とか驚異的な精神力、肉体的な持続力などに魅せられた人たちでしょうか。彼に握手を求めたり、サインを求めたり、彼の勇姿を一瞥したいといった気持ちの人が遠くからでもやってくるみたいです。

 

それを見ていると、比叡山などの千日回峰行を遂行する行者を敬って近づく信奉者たちのような印象すらあります(少し大げさですが)。私が40年くらい前京都にいるとき、ちょうど酒井阿闍梨が遂行中で、一度拝顔したいと思ったこともありますが、やはりあえてそこまでの気持ちが起こらなかったですね。私の場合、そういう感覚になりにくい性格かもしれません。千日回峰行も、日本百名山一筆書きも、いずれもすごいと思いますし、大変なことをやっているとは思うのですが、その人と会ってみたいとか、、励まそうとか、いや励ましてもらおうとか、そういう感覚にはなれそうもないようです。

 

ただ、NHKの密着報道のおかげ(スタッフは大変でしょうけど)で、陽希さんの人並み外れた能力とともに、普通の若者の姿もあって、楽しく見ています。彼のガレ場での不安定な石の上をすばやく、どちらの足のどの部分に体重をどの程度かけ、その次にどのように体重移動するかを瞬間的に判断する鋭敏さは、やはり空海がなしえたことの一端をやっているようにも見えて、興味深くフォローしています。

 

私自身、若い頃、沢沿いの岩場をどんどん歩いたり、その後は沢登りをしたりして、岩には親しみを感じているものですから、彼のような動きは昔を懐かしむことで自己満足している部分もあるかもしれません。

 

さて本論に入る前に饒舌な関係のない話をしましたが、少々体調が悪いので、元気印の陽希さんの話を紹介していると、このブログもスタートできるかと思った次第です。

 

さて毎日朝刊は、かなりの分量を使って大川小学校津波被害の学校責任を認めた仙台高裁の判決とその関連情報を取り上げています。ちょっと体調が悪いので、簡潔に済まします。記事番号をつけて、その一部を紹介します。

 

1 <クローズアップ2018大川小津波 2審判決 「組織の備え」こそ教訓 浸水予想、誤り指摘

2 <東日本大震災大川小訴訟控訴審 原告全面勝訴 子どもたちの声届いた 学校防災見直しを、力込める遺族ら /宮城

 

記事1では、市側が予見不可能の根拠として、<大川小の周辺地域は市のハザードマップで津波浸水予想区域外だった>などをしゅちょうしていましたが、高裁は<「ハザードマップは結論として誤りで、独自に信頼性を検討することが要請されていた」とし、教職員らに高い安全確保義務を求めた。避難場所も、学校から「三角地帯」経由で約700メートルの距離にある高台「バットの森」が適当と判断すべきだったと指摘した。>

 

最近ハザードマップが全国各地で作成する動きが広がっていますが、残念ながらその正確性には疑問が少なくないものがあると思います。それは単純に標高差を基本にして作図しているため、水害発生地点の地点の標高とその浸水の広がりを標高差だけで機械的に算出して作図されているようなものがあるからです。それにそもそも水害発生地点の貯水量の推定にも現実の堆積物を考慮した検討がなされていないため、無用に過大な浸水被害を想定するものもあります。

 

他方で、津波被害といった場合の想定は、根拠のある津波高の予想を基に、具体的な海岸や内陸の地形などをもとにシミュレーションしないと、かなりずさんな想定になる危険もあります。

 

その意味で、市側が主張するハザードマップを頼りに津波浸水予想区域だったといった弁解は到底納得できるものではないでしょう。

 

では学校側がハザードマップを含め、素人であるのに独自の判断で津波防災計画を立てないといけないか、それは学校現場の教職が過重労働の状態にある中、現実離れしたことで、酷なことではないかとの批判もあります。

 

しかし、それは学校教職員個々が直接的に責任を負うと言うことまで高裁は述べていないのではないかと思います(判決文を読まないと正確には言えませんが)。

 

同記事では<安全確保義務は学校現場だけではなく、市教委にも課されていると判断。大川小が10年4月に避難場所を明確にしないままマニュアルを改定した後、是正・指導すべき義務を負っていたとも述べた。>ということは、むしろ教育委員会側に重い責任を課しているか、少なくとも学校管理者である校長・教頭レベルの責任ではないかと思うのです。

 

この点、<石巻市の代理人を務める松坂英明弁護士は「現場の教職員に対しハードルの高い安全確保義務を求めている。職員らに多大な義務を課すことは不可能なことを求めているに等しい」と話す。>と高裁判決を非難していますが、高裁の趣旨がほんとにそうか、的外れなものではないかと思っています。

 

ただ、教職員個々も、少なくとも事前防災は別にして、大地震の後長時間、津波が来るおそれをまったく考慮せず、多くの生徒を校庭に待機させていたことには、危険意識の欠如を感じるのです。

 

和歌山県でも南海トラフ大地震がいつ発生してもおかしくない状況にある中、相当程度の防災意識をもって、学校立地の場所を考慮し、その場合のハザードマップを独自に検討しておく必要があると思うのです。

 

記事2では<仙台高裁は2016年10月の1審判決に続き、学校側の過失を認め、津波による浸水の予見は「十分に可能」だとして、学校による事前の危機管理マニュアルの作成・改訂の重要性を強調した。>

 この判決について、<村井知事は「いつの時代も危険を予知して備えをしている。それを超える災害が発生する可能性をどこまで予見できるのか、人知を超えたものにどこまで対応できるのかをよく考えていかなければならない」と対応の難しさから精査の必要性を指摘した。>として、 不可能を強いるものとのとらえ方のように見えます。

 また、<学校側に地域の実情を踏まえた上で高い知見の習得と訓練を含めた高度な対応が求められた判決内容については「一定のルールの下、備えを決めて訓練などをするが、今回の津波に対しては、その次元に至らなかったということではないか」と分析。>ということで、ハードの巨大防潮堤の建設や巨大盛土の住宅地建設には熱心な知事の立場がよくわかる考え方を示しているようにみえます。

 

今日はこの辺でおしまい。また明日。