180415 認知症高齢者との触れ合い(6) <ユマニチュード・5つのステップ>を考える
これまでユマニチュードの4つの柱について、見る、話す、触れる、立つと、順次私が学びながら、紹介してきました。むろんこれまでの説明はほんの入り口にたったくらいなんでしょう。でも私にとっては、認知症高齢者、いやそれ以外の人に対しても、人と人との触れ合いをするには、重要な気づきをさせてもらったと思っています。
今回はさらにもう一歩踏み込んでみたいと思います。
介護施設を訪ねると、階層によってエレベータや階段という仕切りがあって、利用者が自由に行き来できないように配慮されているところが多いと思います。他方で,一つのフロア内は、相当数の部屋があり、たいていは4人部屋とか2人部屋といった共同の部屋ですね。有料老人ホームでは個室型が多いと思いますが。
で部屋のドアは昼間たいてい開け放しているところが多いのではと思います。利用者の便宜というより介護スタッフの作業が容易という理由の方が優先されているように思うのは一方的な見方でしょうか。
個々人の独立性を確保する部屋が用意できることが望ましいと思うのですが、そうでなくてもドアくらいは閉めるのが望ましい(むろん利用者がそうしてほしいといえば別ですが)ように思うのです。
ここでイブ&ロゼットさんが指摘する「人間関係をつくるための5つのステップ」を取り上げたいと思います。
「ユマニチュードではすべてのケアを5つのステップで構成されるひとつの手順で行います。これは人間関係をつくるためのケアの手順です。」この手順を学び実践することを提唱しています。
しかもその効果はすごいのです。「この技術を用いれば、攻撃的な行動の90パーセント程度を減らすことを私たちは経験しています。」暴力的であったり、暴言があったりすることをほぼなくすことができるというのです。それ以上に、心穏やかに本来の人間性を回復して人と人との絆、触れ合いを築くことができることまで示唆しています。
ではその5つのステップとはなんでしょう。
「①出会いの準備・②ケアの準備・③知覚の連結・④感情の固定・⑤再会の約束」の5つを順次行っていくことです。
よく自分の家はお城と西欧人の世界では表現されることがありますね。だれも自分というアイデンティティを保ち、自分らしさを感じるには、自分のバリアを無視して勝手に入ってくる、自分に触れるといったことでは、無秩序状態に置かれることになるように思うのです。
そのような相手のお城をきっちりと受け止めて対応する必要があると言うことです。
それが第1のステップ「出会いの準備」です。
「病室には、家庭のドアにあるようなインターフォンはありません。しかし、ユマニチュードではインターフォンがあるかのように行動します。相手に、「人が来ましたよ」と知らせるためです。」
インターフォンの代わりにノックをするのです。そのノックの仕方にも作法があるのです。
「コンコンコンと3回ノックしたら3秒待ちます。またコンコンコンと叩き、3秒待ちます。そのあとに、もう1回「コン」と叩いて室内に入ります。これは相手の覚醒水準を徐々に高めるための技術です。
もちろん、途中で患者が応えたならば、その時点で入ります。反応がなかったときには3回ノック3秒待つ、3回ノック3秒待つ、ノック1回の手順を踏みます。」
その後も相手に自分の存在を気づいてもらうステップがありますが、省略します。
このノックは相手に自分の存在を気づいてもらうとともに、その反応を待ち対応するということなのです。
「ノックをすることによって、中にいる人に、「誰かが入ってくることを受け入れるか、受け入れないかを選択できる」ということを認識させます。」
ですから、今は会いたくないといった反応・対応があれば、それに応じる必要があるのです。相手の意識・反応をきちんと見極めて、あなたの気持ちを受け止めて対応しますよと、最初のコミュニケーションを交わすのです。
それは普通の人であれば、誰もがしていることではないでしょうか。
第2のステップ「ケアの準備」はどんなことでしょう。
これは結構難しいかもしれませんが、介護の気持ちを純粋に抱いていれば、案外容易かもしれません。
ここでは、「「あなたに会いにきた」ということだけを告げるものでなければいけません。」というのです。そのとき行う介護の作業の話をするのではないのです。そこがケアの準備ということです。
それは「「あなたのことがとても好きだ」という気持ちを行動で示したとき、私たちはとても気持ちよく、幸せに感じます。純粋な意図を持った、まったく無償の行動が非常に重要です。」というのです。時間に追われ、次々と待っている利用者のことを思い浮かべると、とてもそんな悠長なことを思えないと言われるかもしれませんね。介護の現場を知らない人の話だとも。でもその結果、無気力になったり、あるいは怒りっぽくなり、かえって介護作業がスムーズにいかないこともあるのではないかと思うのです。
このケアの準備がきちんとできれば、次はケアの内容の話となります。
その場合でも言葉を選ぶ必要があるというのです。「シャワーが嫌いな人に対して、「シャワーを浴びましょう」とすぐに言ったりしてはいけません。相手が嫌がる言葉を言わず、「よく眠れましたか」「会いに来ましたよ」とポジティブな言葉だけを使って話します。」
そして相手がそのケアを拒否したら、場合によってはその意思を尊重しその日のケアをあきらめるといのです。
その意味は大きいですね。「仮に拒否されたとします。3分経ってもケアをさせてもらえない場合は、無理強いはせず延期します。「では、今はやめておきましょう。また後で戻ってきますね」と言って再会を約束します。ケアをする人には、「ケアをあきらめる力」も必要なのです。ケアをあきらめることで、相手には「自分の意思を尊重してくれるいい人と出会った」という感情記憶が残ります。」
第3のステップ「知覚の連結」もむずかしそうですね。
「自分が伝えるメッセージに調和を持たせる技術です。「見る」「話す」「触れる」のすべてで「あなたのことを大切に思っています」と伝えます。」ここで、ユマニチュードの技術を重層的・包括的に活用して行うのです。
それは「心地よい状態を作り、その状態を維持するためには、ひとつの感覚からの情報だけでは駄目で、ふたつ以上の感覚から心地よいという情報を入れ続けていく必要があります。話すことと眼差し。あるいは触れることと眼差しなどです。この包括性が、ユマニチュードの実践においてとても重要です。」
第4のステップ「感情の固定」もぴんとこない言葉ですね。
どんなことを意味するのでしょう。それは「私が誰であるかはわからない。けれども前に会ったときの感情は覚えています。」それはわかります。私の母親はいまそれに近いのです。また、私が後見人をしている方もそうです。私はその方にユマニチュードを実施しているわけではありませんが、できるだけ笑顔を見せ、毎回生け花をもっていっています。それとできるだけこの方の気持ちを尊重するように話を聞こうとする態度を示しています。すると私の顔を見て誰かはわからなくても、●さんというと、笑顔を見せてくれるのです。
イブ&ロゼットは、もう少し具体的に述べています。「認知症が進むと、学習は主に感情記憶を通して行われるようになります。私が昨日ケアをした人に、「こんにちは」と言います。「私に会ったことありますか」と聞いても、「会ったことはない」と答えます。覚えていないのです。でも、ニッコリはしてくれます。または嫌な顔をします。私がその人に過去にいいことをしたか悪いことをしたかによって、そのときの反応が違います。」
そして攻撃的な人に対して、ロゼットさんがユマニチュードのケアをすると、今度はその人は優しい感情を誰に対してももち、攻撃的でなくなるというのです。
そうなるといいですね。その方にとっても幸せだと思うのです。
最後のステップ「再会の約束」はわかりますね。
たいていの人は、別れ際にまた会おうねとか、また来るね、とか常套文句のように言いますが、好きな人や家族であればより気持ちを込めますね。
ところが介護の現場では簡単ではないでしょうね。でも利用者にとっては、毎日何回か介護職員が来ても、いつ来たかも忘れていることが少なくないでしょう。トイレに連れて行ってもらったのもすぐ忘れたり、食事を介助してもらったのも忘れてしまったりということは結構あるでしょうね。
でも心からまた来ますねと再会の約束をすれば、誰でも気持ちがいいですね。ましてや心の絆を築く、人との触れ合いを楽しめるユマニチュードをしてもらった人であれば、そういう再会の約束は、忘れてしまうかもしれませんが、心のどこかにいい感情記憶として残るように私も思います。
今日の勉強でまた少し学んだ気がします。
今日はこれにておしまい。また明日。