180419 認知症高齢者との触れ合い(10) <ユマニチュード・人間関係の怖れ>を考える
今日でこのテーマの連載が10回目です。最初のときよりは少しわかってきたような気がしています。でもこれこそ実際にやってみないと理解できないことだと思います。そこにはいくつか壁があるように思うのです。まずはこのことを十分に理解できていないまま行うことですね。
他方で、自分の中にある人間関係に対する怖れといったものがあるように思えます。これは多かれ少なかれあると思うのです。トランプ大統領にはない?麻生財務大臣にはない?なんてことはありえないでしょうね。厚顔無恥や馬に念仏などといったことわざは、普通の人はそうでないことを示しているのでしょうね。別に前2者がことわざに当たる人という趣旨ではありませんけど。
ちょっとこの話から脱線します。昨夜NHKの歴史秘話ヒストリアで<イギリス侍 三浦按針の「友情」>を見たのですが、日本人がどうのというより、イギリス人もやはりなかなか捨てたものではないと思った次第です。
実は按針(本名ウィリアム・アダムス)のことは、横須賀時代、京急線で東京に通うのですが、途中、安針塚駅があり、三浦按針に多少興味を抱き、その周辺を時折、なにか足跡がないかと思いながら散策したことがあったのです。ところが彼は隣の逸見駅周辺に住んでいたというのですね。で、番組を見て不思議に思ったのが彼が家康に命じられて西洋式船を作るため造船所を伊豆の伊東につくったというくだりです。え、それおかしくないと思ったのです。
というのはどうみても伊東の港で、造船所を作るのに適しているところがあるかなと、何度か訪れているので、奇妙に思えたのです。他方で、逸見は、横須賀基地があるところですね。米軍の原子力空母や、自衛隊の海上自衛艦、潜水艦が豪華に並んでいます。たしか維新前、幕府から造船の依頼を受けた、フランス人技師・ヴェルニー氏が小栗忠順と探し求めて、この逸見がフランスの良港とそっくりということで決めたと言われていたと思うのです。
なぜ逸見に住んでいた按針がここを造船所に選ばなかったかなのです。彼は造船技師ではなかったからかなというのが一つの解答。ただ、浦賀をイギリス船の貿易港として選んだ眼力があるので、造船技術がなくても、逸見の入り組んだ海岸は最適地と考えるだけの能力があったかも。すると選ばなかったのは、その場所の風景に惚れてしまったからかと勝手な推測となりました。
それにしても、按針が日本に到達したのが1600年、そのときさまざまな当時の先端武器を家康に提供したというのです。しかも大砲はたしか2000mか3000mもの飛距離をもち、当時の日本製鉄砲や大砲とは比較にならないものだったとか。それを松尾山で優柔不断だった小早川陣に打ち込んだのはこの大砲だったとの見解も結構魅力的ですね。
ともかく最先端の技術を提供した按針はじめイギリスだったのですが、結局はオランダに取って代わられ、英語は250年間知られることもなく江戸時代が平穏無事?に過ぎたのですね。なにがよかったかわるかったか、わかりませんが、按針という人の潔さを少し感じました。たしか彼は一航海士だったと思います。その彼は天下の大将軍家康に対しても決して極端に怖れることもなく、卑下することもないのです。また、自分の技術を自慢にすることもなく、家康はじめ日本の文化に敬意を込めて自分を変えていったのではないかと思うのです。改めて興味を抱きたくなる人物です。
で、元に戻って、イブは日本、日本人について、次のように指摘しています。
「私がこれまで出会ってきた国の人たちの中で、日本人は最も人間関係を怖れています。」と。そうかもしれないなと少しわかるような気がします。
「それがために他者に出会うのがすごく難しい。ユマニチュードは、まさにそのような状態から脱け出す方法を示しています。だからこそ、日本人は即座に「これは解放の哲学だ」と理解するのです。」
人間関係を怖れる、それがさまざまな問題の本質にあるかもしれません。それを解放するのがユマニチュードなのかと改めて感じるのです。
「自分は愛情を、優しさを受け取るために人間として生まれてきた。ユマニチュードはそれを可能にしてくれるのだ」と思えるのです。その理解を、それぞれの人生において生かしてほしいと思います。」と
ここで終わらないのがイブさんらしいところで、イエスとノーについて、本質的な問題を語ってエビローグとしています。
「日本は「イエス」の国です。和を尊び、社会のコンセンサスを探求します。日本に来て、私は人間関係の優しさに驚き、嬉しく思いました。日本の人々は何時間も会議をし、他の人に対して声を荒らげることもなく、論争を避け、励ましの言葉をかけます。日本の人々の礼儀正しさは世界の模範であり、フランスにとっても夢であります。」と。
こう言われると、弁護士の会議などでは先輩後輩関係なく、学者顔負けの議論百出はいいとしても甲論乙駁もありで、なかなか大変ですから、私なんかはイブの見たのは一面かなと思ったり、いや確かにそういう面もあるかなと思うのです。だいたい議論は、江戸時代の百姓自体が議論付きだったことが古文書なんかで認められるように思うのです。ま、そんなことはたいした話ではないですね。
やはりイブさんの見解を誠実に伺うのがよいです。「伝統を守るという特質」をも指摘しています。
「たとえば、祖父は父に、そして父は息子にナイフの研ぎ方を伝えます。完壁に研ぐための石の濡らし方、刃の傾け方、力の入れ方、動きを教えます口学んだことをそのまま受け入れることにより技術は次の世代に伝達されます。完壁さを追求しながらも、基本的技術は変えずに覚えるがゆえに、正しい動作に達するのです。茶道はそのよい例だと思います。」
私も昔茶道を少し習いましたが、たいていの人は続かないのではと勝手に思っています。免状をとっても日常的にやられている方は少ないでしょう。それは他の伝統も同様かなと思うのです。柔術といわれた、柔道、合気道、空手などなども・・・・
かえってフランス人など外国の人が積極的にこの伝統技術、伝統芸を学ぼうとしているのではと感じることもあります。
フランスは、いいえの国だというのですね。そうなんだと思います。しかし、いまそれぞれの国民が他国民の文化を評価し、次第に変わりつつあるようにも思えます。
でもイブさんの「いいえ」に託したことばは大事かなと思うのです。長いですが、ほとんどを引用します。
まず彼は「私は人生において最も大事な言葉はです。」と断言するのです。
「私たちの子供たちに、自分が受け入れ難いことは決して受け入れない、と教える世界を。「お父さんなぜ?」「お母さんなぜ?」と聞かれたとき、「こういうものなのよ」と説得するのではなく、本当の説明をする世界を。
両親が十分賢く開かれた精神を持ち、子供が正しく親が間違っているときには、それを認める世界を。
友愛の精神で結ぼれた人々がお互いを信頼するがゆえに、「いいえ」という言葉が、本当の贈り物、真実の贈り物となる世界を。
それぞれの人が唯一無二の存在で、自分の考えを持ち、共通の価値観を通して他の人と結ぼれる世界を。」
そして最後に告げた言葉は大事にしたいです。
「あなたが私に対して「いいえ」と言う権利を持っていると私が知らなければ、あなたの言葉を信じることはできないでしょう。」とはすばらしい洞察力というか、言明ではないかと思うのです。
「あなたが私に「いいえ」と言えるのは、私を信頼しているからです。強制された「イエス」が恐怖から生まれるとしたら、尊重の「ノー」は自由から生まれます。」
この言葉をかみしめて、このタイトルの連載をとりあえず終了します。
また明日。