朝、ひとしきりH氏としゃべりながら、ふと彼の横顔を見ると、束になって鼻毛が出ていた。今日は職場のメンバーとお出かけだというのに、これは一大事。
「おとーさん、鼻毛。バカボンのパパみたいやで」と教えてあげる。
洗面所におもむき、日常的にめったに見ないような真剣な顔で、指で鼻を上げながら抜いている。私は彼の後を追い、洗面所でその姿を一部始終拝見した。これは、夫婦だからこそ見られる貴重な映像?なのである。
それにしても、本人はこれ以上はないくらい真面目で真剣なのに、端で見ていると笑いが止まらないくらい可笑しい「鼻毛を抜く」という行為に、すっかり魅了される。鼻毛に取り憑かれた私は、さっそくPCで検索してみた。こういうとき、本当にPCはその威力を存分に発揮してくれる。
「Wikipedia」の「鼻毛」の項目は、よく研究されており非常に充実していた。文学作品からマンガまで、医学的見地から地理的知識まで、よくぞ集めた!と褒めてつかわせたい。
たとえば『鼻毛のエピソード』集にある、こんな話。
* 夏目漱石は、鼻毛を抜いて原稿用紙に植え込む癖があった。この鼻毛の生えた書き損じの原稿は、漱石の弟子の一人である内田百間が保管していたが、第二次世界大戦中に空襲で焼失してしまったため現存しないという(第三随筆集『無絃琴』所収「漱石遺毛」)。
さすがは文豪夏目漱石、できるな百鬼園先生である。夏目印鼻毛植毛の原稿用紙か・・・見たいような、見たくないような代物ではあるんだけど。
* 加賀藩三代目当主の前田利常は、加賀百万石を徳川幕府によるお取り潰しから護るために、自分に謀反の疑いがかけられた時、わざと鼻毛を伸ばしてバカ殿を装った。
白塗りしなくても、チョンマゲを高々と結わなくても、お侍リアルタイムの時代には、鼻毛を伸ばすだけで「バカ殿」ビジュアルになる、という民族学的知識を得た本日の収穫。
* 「トリビアの泉」で女に甘い様を指す「鼻毛」な主人公が登場する漫画として、『いちご100%』が紹介された。『ボボボーボ・ボーボボ』を差し置いてラブコメである『いちご100%』が「鼻毛漫画」として紹介されたために、掲載誌「週刊少年ジャンプ」読者の間では衝撃が走った。
たとえ『いちご100%』を知らずとも「『ボボボーボ・ボーボボ』を差し置いて」という箇所が笑いを誘う。
* 日本人の姓の中には、「鼻毛」という苗字が存在する。
シンプルに可笑しい。やはり出席を取るときなど「ハナゲさん」と呼ばれるのだろうか?「びもうさん」とか、あるいはもっと難解な読みなのか? その辺も気になるところである。
* 夢野久作の随筆『鼻の表現』には、「鼻毛が長い」「鼻毛をよむ」「鼻毛を勘定する」など、鼻毛のほか、鼻という部位を使った慣用句をユーモラスに綴っている。
* 夢野久作『超人鬚野博士』の「惜しい鼻柱」には、鬚野博士がバレンチノ似の若い色男医学士・羽振とのユーモラスな鼻毛論争の末、鼻柱を引っ剥がす。
夢野久作さんも、どうしてなかなかやるではないの! 「鼻毛」をキーワードにすると、ぞろぞろと私好みの人達が連なって出て来るのも楽しい。
* 赤塚不二夫のギャグ漫画『天才バカボン』のバカボンのパパは、鼻の下に鼻毛とも髭ともつかぬ放射線状の毛をたくわえている。これを巡って、昔からあれは髭であるか鼻毛であるかの論争が絶えない――が、じつは原作の漫画に、表紙で本人がはっきりと「これは鼻毛ではなくヒゲですのだ」と明言している回がある。
ごめんなさい、長い事、誤解しておりました、バカボンのパパさん。そうだったのですか、ヒゲでございましたか。
* つげ義春の短編漫画作品『チーコ』では、同居している漫画家の青年と水商売に勤めている女性のカップルが文鳥を飼うエピソードが綴られているが、その中で文鳥がキスしてきた女性の鼻毛を嘴でむしり取り、青年が「女にも鼻毛が生えている」と驚愕するシーンがある。
驚愕!?って・・・そりゃオンナだって人間ですから、鼻毛ぐらい生えてますって(笑) でないと不便でしょうがないでしょ。空気の浄化装置なんだもん。
ところで「鼻毛の表現」っていうのもあることを、今回初めて知った。「鼻の下を伸ばす」くらいしか知らなかったので、とても新鮮である。
「鼻毛」は、文字通りの意味である「鼻の穴の毛」以外にも、女にうつつをぬかすこと、あるいは間抜けをあらわす言葉としても用いられている。
「鼻毛が長い」 女の色香に迷っているさま。
「鼻毛を伸ばす、鼻毛が伸びる」 女に甘く、でれでれしている様。「鼻の下を伸ばす」に近いか。
「鼻毛を読む」、「鼻毛を数える」 女が自分に溺れている男のだらしない様を見抜いて、思うままにもてあそぶこと。
前のふたつはなんてことないけど、最後の「鼻毛を読む」「鼻毛を数える」はオンナの身として、かなりリアルに迫るものがあり、どきどきする。あ、いえいえ、私は決して「思うままにもてあそぶ」なんてこと、してませんって!
「おとーさん、鼻毛。バカボンのパパみたいやで」と教えてあげる。
洗面所におもむき、日常的にめったに見ないような真剣な顔で、指で鼻を上げながら抜いている。私は彼の後を追い、洗面所でその姿を一部始終拝見した。これは、夫婦だからこそ見られる貴重な映像?なのである。
それにしても、本人はこれ以上はないくらい真面目で真剣なのに、端で見ていると笑いが止まらないくらい可笑しい「鼻毛を抜く」という行為に、すっかり魅了される。鼻毛に取り憑かれた私は、さっそくPCで検索してみた。こういうとき、本当にPCはその威力を存分に発揮してくれる。
「Wikipedia」の「鼻毛」の項目は、よく研究されており非常に充実していた。文学作品からマンガまで、医学的見地から地理的知識まで、よくぞ集めた!と褒めてつかわせたい。
たとえば『鼻毛のエピソード』集にある、こんな話。
* 夏目漱石は、鼻毛を抜いて原稿用紙に植え込む癖があった。この鼻毛の生えた書き損じの原稿は、漱石の弟子の一人である内田百間が保管していたが、第二次世界大戦中に空襲で焼失してしまったため現存しないという(第三随筆集『無絃琴』所収「漱石遺毛」)。
さすがは文豪夏目漱石、できるな百鬼園先生である。夏目印鼻毛植毛の原稿用紙か・・・見たいような、見たくないような代物ではあるんだけど。
* 加賀藩三代目当主の前田利常は、加賀百万石を徳川幕府によるお取り潰しから護るために、自分に謀反の疑いがかけられた時、わざと鼻毛を伸ばしてバカ殿を装った。
白塗りしなくても、チョンマゲを高々と結わなくても、お侍リアルタイムの時代には、鼻毛を伸ばすだけで「バカ殿」ビジュアルになる、という民族学的知識を得た本日の収穫。
* 「トリビアの泉」で女に甘い様を指す「鼻毛」な主人公が登場する漫画として、『いちご100%』が紹介された。『ボボボーボ・ボーボボ』を差し置いてラブコメである『いちご100%』が「鼻毛漫画」として紹介されたために、掲載誌「週刊少年ジャンプ」読者の間では衝撃が走った。
たとえ『いちご100%』を知らずとも「『ボボボーボ・ボーボボ』を差し置いて」という箇所が笑いを誘う。
* 日本人の姓の中には、「鼻毛」という苗字が存在する。
シンプルに可笑しい。やはり出席を取るときなど「ハナゲさん」と呼ばれるのだろうか?「びもうさん」とか、あるいはもっと難解な読みなのか? その辺も気になるところである。
* 夢野久作の随筆『鼻の表現』には、「鼻毛が長い」「鼻毛をよむ」「鼻毛を勘定する」など、鼻毛のほか、鼻という部位を使った慣用句をユーモラスに綴っている。
* 夢野久作『超人鬚野博士』の「惜しい鼻柱」には、鬚野博士がバレンチノ似の若い色男医学士・羽振とのユーモラスな鼻毛論争の末、鼻柱を引っ剥がす。
夢野久作さんも、どうしてなかなかやるではないの! 「鼻毛」をキーワードにすると、ぞろぞろと私好みの人達が連なって出て来るのも楽しい。
* 赤塚不二夫のギャグ漫画『天才バカボン』のバカボンのパパは、鼻の下に鼻毛とも髭ともつかぬ放射線状の毛をたくわえている。これを巡って、昔からあれは髭であるか鼻毛であるかの論争が絶えない――が、じつは原作の漫画に、表紙で本人がはっきりと「これは鼻毛ではなくヒゲですのだ」と明言している回がある。
ごめんなさい、長い事、誤解しておりました、バカボンのパパさん。そうだったのですか、ヒゲでございましたか。
* つげ義春の短編漫画作品『チーコ』では、同居している漫画家の青年と水商売に勤めている女性のカップルが文鳥を飼うエピソードが綴られているが、その中で文鳥がキスしてきた女性の鼻毛を嘴でむしり取り、青年が「女にも鼻毛が生えている」と驚愕するシーンがある。
驚愕!?って・・・そりゃオンナだって人間ですから、鼻毛ぐらい生えてますって(笑) でないと不便でしょうがないでしょ。空気の浄化装置なんだもん。
ところで「鼻毛の表現」っていうのもあることを、今回初めて知った。「鼻の下を伸ばす」くらいしか知らなかったので、とても新鮮である。
「鼻毛」は、文字通りの意味である「鼻の穴の毛」以外にも、女にうつつをぬかすこと、あるいは間抜けをあらわす言葉としても用いられている。
「鼻毛が長い」 女の色香に迷っているさま。
「鼻毛を伸ばす、鼻毛が伸びる」 女に甘く、でれでれしている様。「鼻の下を伸ばす」に近いか。
「鼻毛を読む」、「鼻毛を数える」 女が自分に溺れている男のだらしない様を見抜いて、思うままにもてあそぶこと。
前のふたつはなんてことないけど、最後の「鼻毛を読む」「鼻毛を数える」はオンナの身として、かなりリアルに迫るものがあり、どきどきする。あ、いえいえ、私は決して「思うままにもてあそぶ」なんてこと、してませんって!
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