たまに考えてしまう事。
1.選手の為と、黙って解るまで見続けている。
2.時間効率を考え、全てコーチが指示する。
正解なんて無いと思います。
でも、あえて言うなら1に近いと思います。
人間にとって意味もわからずやらされる行動は拷問に近いということ。
逆に意味さえ自分の中で見出していれば、私たち人間はかなり過酷な状況にも耐えられるということです。
少年野球では特に「やらされている練習」が多いとおもいませんか?
「走れ」とだけ言われて、いやいやながらランニングする子供たち、「声を出せ」と言われても何のために声を出すのかわからず、言われたときだけしか声を出さない選手たち。
もう高学年なんだから、ランニングの意味や、声を出す意味も分かるはずだと大人が思っているだけで、本人たちは意味も分からず、ただなんとなくやっているだけなのかもしれません。
「ピッチャーは下半身が大切なんだ。足腰が強くなれば、下が安定してコントロールがよくなる。
おまえはもともと肩が強いんだから、下半身が鍛えられたら凄いピッチャーになれるぜ。
だからおまえにはランニングが必要なんだ」のように、大人が分かりやすく話して聞かせればきっと分かるはずです。
同じ練習をするにしても、「やらされている練習」と「意味の分かっている練習」とでは断然差がでてきます。
もちろん意味が感じられないまま、意味がわからないまま頑張ることも出来ないことはないのです。
しかしながらその努力は多くの場合続きません。
しっかりとした意味を見出すことによって、自然とやる気が出ることが大事だと私は思います。