韓国人が書いた 韓国が「反日国家」である本当の理由
彩図社
崔 碩栄
http://www.amazon.co.jp/%E9%9F%93%E5%9B%BD%E4%BA%BA%E3%81%8C%E6%9B%B8%E3%81%84%E3%81%9F-%E9%9F%93%E5%9B%BD%E3%81%8C%E3%80%8C%E5%8F%8D%E6%97%A5%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E3%80%8D%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%8B%E6%9C%AC%E5%BD%93%E3%81%AE%E7%90%86%E7%94%B1-%E5%B4%94-%E7%A2%A9%E6%A0%84/dp/4883928888
この本を読んだ。
だが。
韓国への理解が深まったとか、さらに韓国が嫌いになったとか、そういうことは特に無い。
この本はだな。
ベテランの韓国ウォッチャーなら
「薄々そんなことだろうと思っていたよ俺は…」
ということが韓国人自身により書かれているということが特徴である。
我輩個人としては2005年ごろノムヒョンがとつぜん反日キチガイに転向したごろから韓国ウォッチャーになったのだが、その頃以降の引用事実はすべて韓国ウォッチャーにとって
「そういえばそんなことあったな」
ということばかりだった。
概してこの本は韓国ウォッチャー入門書とも言ってよい。
ベテランの韓国ウォッチャーを自負する同志諸君らには特にオススメはしない。
逆にこの本を読んで衝撃の事実だと感じ取るような人がいるとすれば、ぜひ読んでほしいところでもある。
そもそもなんで韓国人は反日キチガイなのか?
この本は、教育、政治、民族性、それら多くの要因をもってそれを語っている。
我輩がここで書くより現物を読んだほうが良い。
わたしの見解としては
「韓国人は良心が狂っているから反日キチガイなのだ」
となる。
この見解はこの本を読む前も読んだ後も変化はない。
この本はそのような言葉を用いては書いていない。
だが大きく外れてもいない。
むしろ反日キチガイができあがる過程を順を追って説明してすらいる。
いま韓国人は「我々は反日ではない」と自らのことを語る。
これは正しいのか?
それを信じる愚かな日本人がよくいるが、それは韓国人の意図することをはき違えて聞いているだけにすぎない。
韓国人は今、「反日」という言葉に対して「わざわざ悪意を日本人に向けること」というニュアンスで解釈する。
だからその道徳的な居心地の悪さから韓国人は「我々は反日ではない」と語る。
だが実態はそうではない。
韓国人は今、「日本に嫌がらせをすることが道徳的に正しいことだ」というニュアンスで反日行為に手を染める。
そこに「反日」という言葉のニュアンスに潜む悪意を韓国人自身は感じない。
たとえば、ヤツらは韓国に来た日本人旅行者からぼったくり不当な利益を得たとして、またはレストランで変なものを食わせたとしても、その行為は
「我々の祖先がされたことを考えればこれくらいはむしろ当然のことだ。むしろ我が民族のために日本人にやりかえしてやった俺様はヒーローだろ?」
といって自らそれを道徳的な行動だったと自慢する。
我輩が先に
「韓国人は良心が狂っている」
といったのはそういう意味だ。
こんなヤツらが日本の隣にいるのだ。
この本の最後の一節にかくある。
> 韓国の反日システムの構造を知ってもらうことで嫌悪感を捨て、韓国人と「対話」する方法を考えるきっかけとしてもらえれば幸いだ。
唯一この結論だけは我輩は賛成しかねる。
ヤツらはいかに狂っていて、ヤツらはいかに本質的に嫌悪感を抱くような人間性で、ヤツらはいかに警戒しながら対話しなければならないかを、この本は実例を交えてよく書けているとすら思う。
この本を読み終えてヘルシングのアンデルセン神父のセリフを思いだした。
「暴力を振るっても良いのは異教徒と化け物共だけです」
性善説的なことを言うならば、考えかたのまったく異なる異教徒とはいえ人間であるから暴力を振るっても良いはずはない。
しかしだな。
どっかの国のヤツらのように、我々への害意のかたまりである良心の狂ったヤツら。
こんなヤツらと対峙したとき、我輩はそれでも性善説的なことを言えるだろうか?
我輩にはその自信がない。
あなたなら何と答えるか?
それに自信を持って答えられるとしたら、あなたはまだ韓国人の害意と狂った良心に気がついていないだけではないかとわたしは危惧する。