教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

敗者は勝者の気持ちがわからない

2017-01-14 22:42:36 | 経済/経済/社会
一般に風説が流布されているものとして、
「勝者は敗者の気持ちがわからない」
というのがある。
これはほとんど寓話に近い。

それに対して当記事は
「敗者は勝者の気持ちがわからない」
ということを記したい。

それだけ見ると
「なんという驕り高ぶったblog主なのか」
という話になるが、そうではない。
ぜんぶ読んでもらえればわかってもらえるはずだ、たぶん。



なにはともあれ、事の発端は以下のような話をしたことからである。

奴「うちの下の子は地元のサッカークラブに入ってるんだけどさ、近ごろの子は恵まれてるよ」
俺「それはボランティアで監督してくれる人がいるとかって意味で?」
奴「それもあるけど、ボランティアで送り迎えしてくれる人がいて、経費はむしろボランティアが負担することもあるし、試合とかも段取りをちゃんとしてくれる人はいるし、(以下略)」
俺「俺はもっと低いところで恵まれてると思ったよ」
奴「というと?」
俺「俺はさ、学校にいっても暴力もない、家に帰ればTVゲームで遊べる、それだけで近ごろの子は恵まれてると思うよ」
奴「そりゃまたずいぶんレベルの低い話だな」
俺「それを言った俺自身もずいぶんレベルの低い話だと思うわ」



これを読んだら
「まあなんと不幸な少年時代を過ごしたのかしら…」
と同情的になる人はいるかもしれない。
だが当の本人の我輩は同情してほしいとは全く思っていないし、そこは本日の主題でもない。
ただ当時は飢えない程度に幸せであるとしか思っていなかったのはたしかだが(笑)。
まあそれはいいとして。

でだ。
そういう人がオトナになったらどうなるだろうか?

人に同情しないのだ。

「たかがその程度で不幸自慢とかワロスwww」
としか思わない同情心の不足したオトナに育つのだ。



かつてニンテンドーDSが大ブレイクしたときのことだ。
とある記事に次のようなのがあった。

「うちは貧困に苦しんでいて子供にゲームソフトを買ってあげることもできない。学校で友達の輪からはみ出してしまうんじゃないかと心配だ」

だいぶ要約しているが内容はそんな感じである。

これを見て我輩はどう思ったか?

「たかがその程度で不幸自慢とかワロスwww」

ほらさっき言ったとおりでしょ。

比較対象が我輩でなくてもいい。
どっか外国から、毎日の食べるものにも困るような赤貧の家庭の母親をだれか連れて来て、さっきの自称貧困層と対談させたらどう思うだろうか?

我輩と同じく
「たかがその程度で不幸自慢とかワロスwww」
というだろう。
つまりそういうことだ。



キリスト教では
「人は持たざる者のほうが人の気持ちを理解できるから天国に近い」
と教える。

これはある意味で真実であり、ある意味で間違いである。
自分より程度の軽い不幸に見舞われた人に対して同情心を失うのが持たざる者、または持たざる者だった者の特徴の1つかと思われる。

日本は子供にTVゲームを買ってあげられないことを心配する自称貧困層がいる程度に裕福になったのは実に良いことだ。
むしろ我輩が同情するようなヒャッハーな学校など日本にはないほうが良いのだから。