数百万や数千万する時計があるが、なぜそんなに高いのか?
技術的観点からいえばどこかに上限があるはずだが?
……という質問が来たのでここで答えたい。
なぜこんなに高いのかという理由について、私は2つの理由があると考える。
その1。
量産効果的な理由。
その2。
行動経済学的な理由。
その3。
順番に説明していこう。
その1。
量産効果的な理由。
前にどこかの時計雑誌で以下のようなインタビューがあった。
回答者はたしかブレゲ(ベーシックモデルでも100万円とかの超高級時計メーカー)のエンジニア。
Q:
いちばんいい時計はどれか?
A:
valjoux 7750だ。
(スイス製の時計の中身で自動巻きクロノグラフ(ストップウォッチ機能つき)では最もたくさん作っている&最も安いもの)
ずっと作っていてノウハウがたまっているからうちのより品質がいいし、数が出ないうちの会社で作ればこの何倍もする値段になる。
これは非常によく真理をついているのではなかろうか。
時計は億円の桁になると限定1個。
数千万だと限定品ではなくても生産量は数十個とかでないかな。
しかし。
何個売れるかにかかわらず、その時計を設計するエンジニアの人件費など固定費に違いは出てこない。
ということは。
売れないものを買えば買うほど、1人あたりで考えれば、エンジニアの人件費を自分がよけいにたくさん負担しているということだ。
モノの良さは値段の平方根に比例すると私は思っている。
2倍良いものを得ようとすると、銭は4倍積まないと手に入らない。
ところがどっこい。
メーカーの営業に聞いたら絶対こんなことは言わない。
例えば……
パーペチュアルカレンダー(うるう年でも日付が狂わない機能)は100年に1回転しかしない歯車を積んでいて、とっても精巧にできているんです。高いのはそれなりに理由があるんですよ。
……とでも言うだろうね。
でもね。
構造の複雑さが仮に2倍になったとして、それでコストがどれだけ上がるんかい。
4倍になるのは許すが、3万が100万になるのは許さんよな。
で、第二の理由が出てくる。
その2。
行動経済学的な理由。
どれだったか忘れたが、前に読んだ行動経済学の本に以下のようなエピソードがあった。
Q:
安くてうまいワインを直販しているのだが全然売れない。
どうしたらいい?
A:
モノはそのままにして値段だけ上げる実験を市場で行った。
結果、値段を2倍にすることで、販売本数が増えた。
(単価が上がって儲けが増えたことよりも、販売本数も増えたことに注目)
たしか本では、理由をちゃんと説明せずに、行動経済学を使えばこんな成果があがりますとしか書いてなかったように記憶している。
ではなぜこうなるかをここで私の見解にて説明しよう。
そもそも伝統的な経済学では、人間はホモエコノミクスといって、常に(統計的には)最も合理的(≒経済的)な選択をするという前提で理論ができている。
これが間違いであることに初めて気が付いたのがノーベル経済学賞とったスティグリッツのおっさんで、消費者はメーカーの内部に隠れている事情も含めてすべての情報を知っているわけではないという観点から、ブランドにプレミアムがつくことを説明した。これを情報の非対称性という。
その後さらに行動経済学というのが発展して、人間はホモエコノミクスではなく動物であり、意思決定にあたり心理学的な側面から干渉を受けることが明らかになった。
で、さきのワイナリーでは消費者にはどう見えるかというとだ。
安くてうまいワインの直販
→ 聞いたこともないブランドだし、この値段だからどうせ大してうまくはないんだろ? べつにここで買わなくてもなぁ……。
そこそこ高い値段でうまいワインの直販
→ せっかくここまで来たんだし、この値段ならそこそこうまいんだろ? 他でて売ってなさそうだし買ってみるか……。
とまあ、こんなところではなかろうか。
実際、人間はモノの良し悪しの判断について、驚くほどマスコミその他の外的な影響に左右される。
だから電通にクソ高い広告費を払い、その費用を商品に上乗せして、本来あるべき価格より高い値段で買わせるのだ。
ワインを買うにしても、自分がうまいと思うワインを買うのではなく、賞をとったからこのワインはうまいに決まっているという理由で選ぶヤツが多数いるのをみなさんご存じだろう。
しかもそういうヤツらに限って「これ高いくせにたいしてうまくねえな。ハズレかよ」とは絶対言わない。
なぜなら、マスコミその他の外的な影響に判断を左右されてしまっているからだ。
さらに。
高級時計がその最たる例だ。
高級時計の価値は、その性能や構造の複雑さでは決まらない。
驚くべきことに、その時計の定価がどれだけ高いかで、その時計の価値が決まる。
トートロジー極まる話だが、細部に首をつっこまなければ、総論としてはこうとしか説明しようがない。
もし性能で決まるのなら、月差5秒の100円時計と日差5秒の100万円の機械式時計が併存するなんてありえない。
ホモエコノミクスから見れば、機械式時計のベーシックモデルは20円で売ってて当然となる。
もし複雑さで決まるのなら、3万円のセイコーファイブと100万円のブレゲのベーシックモデルに違いはでないはずなのだ。
しかも不思議なことに、むしろセイコーファイブのほうが品質がいいときた。
なお、もちろん細部には違いはある。
スイス製機械式時計も、30万円くらいまではどれ買ってもだいたいETAというメーカーのムーブメントを使ってて中身に違いがないところ、100万円出せばメーカーオリジナルのムーブメントでできているものを買えるとか。
まあいろいろ違いはあるにはあるが、それはすべてブランド戦略上の値段を釣り上げる営業的な理由のために使われているだけでしかない。
だいたいメーカーオリジナルのムーブメントを使ったというただそれだけの理由をもって、ETAの何倍もの価値を見出すのに無理があるのは、時計マニアの人間でさえ冷静に考えれば誰でもわかるはずだ。
ここまで読まれた方は、機械式時計に金を出すヤツはバカだという結論に見えるかもしれない。
ホモエコノミクスから見れば、バカである。
断定的に。
しかし無理矢やり何らかしら屁理屈をつけことはできる。
核戦争で電磁パルス攻撃を受けることを想定した場合には役に立つ。
核戦争でリアル北斗の拳状態になってボタン電池が入手困難になる世界を想定した場合にも役に立つ。
そのリスク回避のために買った人だけはホモエコノミクスから見てもバカではない。
ならば3万円出してセイコーファイブを買ってシェルターに保管すればいい。
では100万円もする時計とは何なのか?
時計は装飾品であり嗜好品である。
これに経済的に妥当な値段など無い。
機械式だから数万円する。
スイス製の機械式だから数10万円する。
機械式トゥールビヨンだから数100万円する。
機械式2軸トゥールビヨンだから数1000万円する。
……なんてことを説明できる経済学的な理屈など存在しない。
では、理論価格と実勢価格の巨大な差について、消費者は何に金を出しているのか?
その3。
芸術的な理由。
市場経済を否定する日教組所属の教員ならともかくとして、
ピカソの絵が紙と絵具の代金で販売されてしかるべきだと思う人はいないだろう。
つまり、トゥールビヨンは芸術だから高い。
数100万円の時計を見てみればいい。
文字板だけ見ていては高い理由はわからない。
中のメカを見てほしい。
どれも大変美しい。
そう思うはずだ。
なぜ美しいか?
それは、セイコーやETAのムーブメントは実用性を評価基準に作られるのに対し、
数100万円の時計は、見た目の美しさを評価基準にムーブメントを設計しているからだ。
中華トゥールビヨンで5万なんてのがかつてあった。
それも機能的にトゥールビヨンなだけで美しさはそこになかった。
5万ならまあ売れるだろうが、300万で売れるものではなかった。
日本人には、デッドコピーは作れても、同じくらい美しいムーブメントはいまだ作れていない。
セイコーの時計でスイス製と同じ最高価格帯のものがないのにはそこに理由がある。
その価値を見出す人が現れるほどのものを作れるようになるのに、あとどれだけ年月を要することだろう。
さきのvaljoux 7750にくらべて品質が悪いのに値段が高いクロノしか作れないブレゲだが、ムーブメントは比較にならないほど美しい。
値段が同じなら、たとえ品質が劣るといわれてもブレゲのクロノしか買うヤツはいないだろう。
しかし値段の差は10倍である。
ピカソが30秒で描いた落書きが100万ドル。
そこに価値を見出す人がいる。
1970年代に日本製の時計によって絶滅寸前まで追い詰められ、そこから芸術的価値に特化して再興を果たしたスイス時計。
そこにあなたはいくらまで価値を見出せるか。