2017年9月18 月曜日 敬老の日
いや~今回の台風18号、どうも夜更けに最接近したようで、朝起きたら外はすでにきっちりと晴れわたっていましたな。

おまけに気温も上がったから、まるで夏が戻ってきたようで良いったら良い!
ただし南からの強風が残ってしまい、やはり本日も沖へは出れませなんだ・・・当たり前か。

しかたないのでこの無聊を晴らすため、久方ぶり富津は下洲あたりの海岸を、かわゆい末っ子と二人で散歩してきた次第。
嵐の後の海岸は何かと拾い物が期待出来るんですよね。
こういったコトはたぶん、日本全国で昔々から楽しみにされていたんじゃないですかね?

今回はアマモの固まりだのゴミが流れついているぐらいで大したものは無かったが・・・思いおこせば、今から10数年前の富津岬は凄かった。
色々なものが落ちていた、そして流れついていた。
くるみ
まだマリンスポーツの聖地なんて、謳われていたころです。
夏になるとジャンボプールからそのずっと先の展望台まで、あの海岸北側は、色とりどりの車とテントとタープで埋め尽くされていたころ。
カニの穴
たいていは常連派が「草刈り」なんかしてまで陣取りしていて、まっ同じ顔触れってやつなんでしょう。
でもあきらかにスポットというか、えらいメンツが突発的に集まったりもしていたな。
一度なんかはあの街宣車がずら~っと並んでて、普段なら異国の丘とかの軍歌を強烈に流しているのでしょうが、そのときは松田聖子を、なぜだか松田聖子の歌をどでかいスピーカーからボリュームMAXで流していました。

いや~、そのアンバランスさ加減に思わず「のけぞった」ことを今でも鮮明に思い出す。
その傍らでは東京のホストクラブの連中が、信じられんことに、このひたすら暑い真夏の日差しの下に出てきてようで・・・なんで分かったかと言うとここまで乗ってきた車(バン)のわきに、どでかくアドレスまで書いて宣伝してあったから。
それらの間をぬって、どう見ても小学生の男の子が四輪バギーに乗って走り回っていると。
アマモが
・・・夏の富津岬は色んな意味で、ひたすら凄かったぞ。自分は様子を見にくるだけだったけどさ。
こういうところに例えば嵐が来るとするじゃないですか。
いくら好きものでも普通は事前に天気予報を調べ、アウトドアな遊びなのだからと中止にするでしょう?
近くで見ると
でも悪天と分かっていても決行するグループが少なからずある。
で早朝週明けの岬に来るとですね、まぁ~色々なものがそのまま打ち捨てられていて
折り畳み式のレジャー・テーブルやバーベキューコンロ、炊きかけのお米が入った鍋とかごくたまにはタープ類なども。

思うに雨だの風だのに耐えきらず、遊び道具はそのままに撤収しちまうんだな。
今現在の富津岬は先端のみが解放されていてバーべキューすら禁止になったと聞き及ぶ。
そうだろうよ、粗大ごみがそのままなんて、行政だってほっとかないでしょうや。
でもね、そんな程度の悪いやつらが捨てて行ったモノを、この私がしこしこと拾い集めて再利用していたのだよ。
焼き網なんて買ったって幾らもしないけど、蒸かしたカニだのニシガイだのを乗せて、余熱をとるのにはかなり重宝するもの。
いや~そんな連中のおかげである意味潤っていたなんて・・・まともな話ではないよな~、お粗末。
あっ、なんだっけ? なんの話でしたっけ?
そうだそうだ、海っぺりを散歩の話でした
じゃ
最後にこの一枚の写真を!

この写真を見てどう思われるか?
汚いとか最悪だとか、こんな海岸は見たくないだとか?
もし「焚き木が豊富で羨ましい」と思ったあなた、いつか一緒に飲みましょう、ぶふっ!
野菜炒め
やるっつったら、やるからな・・・うふふ、近々楽しみなことです。
ビールの秋味も出て来たことだし、おき火で焼いたサンマを肴にやっちゃおぅかよ。
最近燃やしていないから、たまには
と思う空気頭なのでした。
それでは今夜はこの辺で、さらばさらば!
いや~今回の台風18号、どうも夜更けに最接近したようで、朝起きたら外はすでにきっちりと晴れわたっていましたな。

おまけに気温も上がったから、まるで夏が戻ってきたようで良いったら良い!
ただし南からの強風が残ってしまい、やはり本日も沖へは出れませなんだ・・・当たり前か。

しかたないのでこの無聊を晴らすため、久方ぶり富津は下洲あたりの海岸を、かわゆい末っ子と二人で散歩してきた次第。
嵐の後の海岸は何かと拾い物が期待出来るんですよね。
こういったコトはたぶん、日本全国で昔々から楽しみにされていたんじゃないですかね?

今回はアマモの固まりだのゴミが流れついているぐらいで大したものは無かったが・・・思いおこせば、今から10数年前の富津岬は凄かった。
色々なものが落ちていた、そして流れついていた。

まだマリンスポーツの聖地なんて、謳われていたころです。
夏になるとジャンボプールからそのずっと先の展望台まで、あの海岸北側は、色とりどりの車とテントとタープで埋め尽くされていたころ。

たいていは常連派が「草刈り」なんかしてまで陣取りしていて、まっ同じ顔触れってやつなんでしょう。
でもあきらかにスポットというか、えらいメンツが突発的に集まったりもしていたな。
一度なんかはあの街宣車がずら~っと並んでて、普段なら異国の丘とかの軍歌を強烈に流しているのでしょうが、そのときは松田聖子を、なぜだか松田聖子の歌をどでかいスピーカーからボリュームMAXで流していました。

いや~、そのアンバランスさ加減に思わず「のけぞった」ことを今でも鮮明に思い出す。
その傍らでは東京のホストクラブの連中が、信じられんことに、このひたすら暑い真夏の日差しの下に出てきてようで・・・なんで分かったかと言うとここまで乗ってきた車(バン)のわきに、どでかくアドレスまで書いて宣伝してあったから。
それらの間をぬって、どう見ても小学生の男の子が四輪バギーに乗って走り回っていると。

・・・夏の富津岬は色んな意味で、ひたすら凄かったぞ。自分は様子を見にくるだけだったけどさ。
こういうところに例えば嵐が来るとするじゃないですか。
いくら好きものでも普通は事前に天気予報を調べ、アウトドアな遊びなのだからと中止にするでしょう?

でも悪天と分かっていても決行するグループが少なからずある。
で早朝週明けの岬に来るとですね、まぁ~色々なものがそのまま打ち捨てられていて

折り畳み式のレジャー・テーブルやバーベキューコンロ、炊きかけのお米が入った鍋とかごくたまにはタープ類なども。

思うに雨だの風だのに耐えきらず、遊び道具はそのままに撤収しちまうんだな。
今現在の富津岬は先端のみが解放されていてバーべキューすら禁止になったと聞き及ぶ。
そうだろうよ、粗大ごみがそのままなんて、行政だってほっとかないでしょうや。
でもね、そんな程度の悪いやつらが捨てて行ったモノを、この私がしこしこと拾い集めて再利用していたのだよ。
焼き網なんて買ったって幾らもしないけど、蒸かしたカニだのニシガイだのを乗せて、余熱をとるのにはかなり重宝するもの。
いや~そんな連中のおかげである意味潤っていたなんて・・・まともな話ではないよな~、お粗末。
あっ、なんだっけ? なんの話でしたっけ?
そうだそうだ、海っぺりを散歩の話でした

じゃ


この写真を見てどう思われるか?
汚いとか最悪だとか、こんな海岸は見たくないだとか?
もし「焚き木が豊富で羨ましい」と思ったあなた、いつか一緒に飲みましょう、ぶふっ!

やるっつったら、やるからな・・・うふふ、近々楽しみなことです。
ビールの秋味も出て来たことだし、おき火で焼いたサンマを肴にやっちゃおぅかよ。
最近燃やしていないから、たまには

それでは今夜はこの辺で、さらばさらば!