DALAI_KUMA

いかに楽しく人生を過ごすか、これが生きるうえで、もっとも大切なことです。ただし、人に迷惑をかけないこと。

船舶遭難に思う

2022-04-25 14:12:46 | 災害と環境問題
知床沖で遊覧船が沈没したというニュースが駆け巡っている。
とても悲しい話だ。
あってはならないことが、また起こった。

1987年4月に、私も同じような経験をした。
琵琶湖で調査に出かけた時のことだった。
当時は自前の調査船がなかったので、漁船をチャーターしていた。

彦根港を出港した時には穏やかだったが、昼過ぎに急に北西の風が強く吹き始めた。
船は大きな風波に翻弄され始めた。
ちょうど多景島と沖の白石の中間、琵琶湖のど真ん中だった。

すぐに調査を中止し、帰港を決めた。
次々と大きな波が来た。
突然、船首が割けた。

漁船はFRPでできている。
板になったところは強いが、貼り合わせたところは弱い。
そこが上下に割け、水が入ってきた。

船首が下へ傾き、前進もできなくなった。
私たちは、持ってきた調査器具を水中に投げ入れた。
少しでも軽くしたかったのだ。

幸運なことに、エンジンは無事だった。
船の隔壁があったおかげで、水はエンジンルームまで来なかったのだ。
そしてさらに幸運なことに、私たちは調査用の水中ポンプを持っていた。

たまった水をポンプで掻い出し、船首を上げた。
そこをブルーシートで囲んで、水が入らないようにした。
そして、ゆっくりと彦根港を目指した。

波よりも遅く、船を走らせた。
そうしないと水をかぶる。
水をかぶるとシートがはがれ、さらに水が入る。

頭の先から足先まで、全身がずぶぬれだった。
港に着いた時は、16時を回っていた。
普段なら1時間のところを、4時間もかかっていた。

大学の先生が1人、学生が2人、私と船頭、計5人は疲れ切っていた。
水温は12℃、本当に死ぬかと思った。
琵琶湖の恐ろしさを初めて感じた瞬間でもあった。

琵琶湖研究所に帰って、副所長に頼み込んだ。
死ぬところでした。
大きくて、安全な船を作ってください、と。

それから5年後、実験調査船「はっけん号」ができた。
この船に、当時考えつくあらゆる安全装置を組み込んだ。
双胴船にしたのもそのひとつだ。

2つの船体があれば、沈むことはない。
またどちらかのエンジンが作動するので、漂流もしない。
3層の隔壁も作った。

アルミ船なので、剝がれることもない。
波に対して安定している。
ただ、その後、琵琶湖には双胴船はない。

はっけん号が唯一の双胴船になってしまった。
単価が高いのと、作るのが面倒だからだ。
速い船は作るが、安全な船は作っていない。

2003年、はっけん号は、ヨット事故の救援に向かった。
今度は救助する番だった。
残念ながら琵琶湖には、沈んだ船を救助できる船は、はっけん号しかない。