物事には始まりがあれば、終わりもある。
水の流れには、上流と下流がある。
20年ほど前に、びわ湖の水草対策で有効活用を考えた。
滋賀工業会(当時)と共同で取り組んだプロジェクトだ。
その時に痛感したのは、マーケッティングの大切さだった。
いくら水草から肥料や飼料を作っても、化学肥料の価格にはかなわなかった。
そこで付加価値をつけようと、化粧品や保湿剤にも挑戦した。
試作品はできたけれども、商品にはならなかった。
今もまだ、水草問題が顕在化しており、滋賀県は年間一億円のお金を使って水草を刈っている。
お金が水のように消えていく仕組みだ。
邪魔なら刈ればいい、というのは上流の論理だ。
なぜ水草が生えてはいけないのか、を問うのは下流の発想だ。
これには時間もかかるし、向こう受けしない。
病気になれば直せばいい。
これも上流の論理だろう。
本当は、病気にならない仕組みを整えるのが大切なのだろうが、市場経済からは嫌われる。
武器商人は、戦争をいつも望んでいる。
今の世界情勢を見ると、考えさせられることが多い。
特に3.11の地震から、見方が大きく変わった。
原発が悪者になってしまった。
温暖化対策もどこかに飛んで行ってしまった。
価値観を吹き飛ばすだけのエネルギーが、地球から湧きでたのだろう。
一票の格差にしても、インフレ誘導にしても、薬漬けにしても、私には人間のおごりのように思われてならない。
おそらく一時的には効果があるのだろう。
しかし、10年後には、また同じことを繰り返している気がする。
経済にしろ、国際情勢にしろ、自然環境にしろ、いま劇的に変わろうとしている。
これを変えている最大の要因は、ソーシャルネットワークの拡大だ。
これこそ下流からの逆襲だと思う。
山に登ろうと思うならば、麓の道を一歩ずつたどるしかないではないか。
いきなり頂上には立てないのだ。
下流から上流へ向かうにはエネルギーが必要である。
普通は、太陽のエネルギーがそれを担っている。
今、それが狂い始めている。
人間の手で調整してやらないといけないのかもしれない。
一人一人は小さくても、多く集まれば山に道をつけることができる。
太陽のエネルギーから生まれた穀物を原資とした人間が、力や声を合わせて社会や地球や子孫にとって最も望ましいことは何か、を今こそ考えるべき時のような気がする。
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