闘え!文庫魂

空手を愛する熱い仲間たち
金沢文庫木元道場生におくるメッセージ

今井先輩交流試合お疲れさまでした

2006年08月26日 | 仲間たちへ

 センセーは今朝一般部の合宿に出かけました。この文章をセンセーの携帯でチェックしてもらってからの投稿になりますので、削除されるかもしれないのですが・・・。
 今井先輩、試合の結果報告ありがとうございました。1回戦で敗れたとのことですが、試合を見ることができなくて残念でした。私ごときでは試合を見ても技術的なことはどれほどわかるかは別として、試合はその場にいた者、もっと言えば戦ったご本人にしかわからないことがあるからです。今井先輩がどうして今試合に出ようと決めたか、その間どう生活し、何を考えたか、試合の内容はどうだったか、相手の突きや蹴りはどうだったのか、何が原因だったのか、そしてどれほど悔しかったのか・・・すべては今井先輩の血や肉となり、ご本人の為、後輩の為、仲間の為、そしてセンセーの力にもなります。
 5年間道場にいさせてもらい、センセーのそばで道場を見てきて、ここでこうして文章を書くとき、いつも考えていることがあります。試合のこと、合宿のこと、道場での出来事・・・そこで頑張っている人の裏側にそれをできずに今は他の事を頑張っている人の存在です。それは空手のことだけではなく、人生の出来事も含め、楽しいことのあった人、つらいことのあった人、すべてを同時に知ることができるのは私達です。私達の知る限り、本当にみごとなまでにそれぞれです。海でたとえるならしゃにむに進む船もあれば、ゆっくり進む船もあり、止まっている船もあり、修理中の船もありです。そしてずっと動き続けるものもなければ、止まっているだけのものもないのです。道場の様子を耳にして違う場所で踏ん張って、絶対にまた稽古に出るんだと思う時期は空手を続けていれば誰にでもありえることなのです。またこんな事情があるのにもかかわらず稽古にきているのかという人もいます。センセーや黒帯さん達はそうゆう体験をしたり、みたりしてここまできた人達なので動じたりはしませんが、じむちょーはただおろおろしてきました。でも何より動いているものの頑張りと動けないものの踏ん張りに支えられた5年間でした。みんな自分をあきらめていないからです。いろいろなことがありながらも空手を選んでくれているからです。ときに耳の痛いこともあるかもしれませんが絶対にもどってきてください。道場から目をそむけることができない立場にあるからこそ、私自身いち稽古生としてもときには背中を押され、ときには心苦しいときもありながらも何とか空手を続けることができているのだと実感しています。今井先輩の今回の試合出場は「やれるときはやる!」をまさに体現した挑戦だったのではないでしょうか?沢山の経験をまた文庫道場に持帰っていただけることでしょう。本当にお疲れ様でした。