昨日の稽古に来ている方はご存知で、武士道さんの書込みがあったのでお伝えしますが、昨日の稽古中、沓澤先輩が足の指の間が裂けてしまうというアクシデントがありました。クラスの最後のさいごにセンセーの組手の相手をお願いした時で、やっと大きな怪我も治り、念願の黒帯を取られた後なのに・・・何より申し訳ないのは、とにかくこの時期に怪我をして申し訳ないと沓澤先輩が逆に謝ってくださることです。
「なるべくはやく治してまた道場にきます」と言ってくださいました。
じむちょーは以前一緒に飲み歩いていた空手の憧れの大先輩達に「俺達の関係は、ある意味ユリちゃんとの関係を勝るものがあるからなぁ」といわれちょっとだけ嫉妬したことがありますが、今ではその関係の深さと重さに脱帽です。黒帯さんというと現実味のないかたも多いとは思いますが、たとえ遠い道のりでもその先に素晴らしいものがあるからこそ今のその場所が魅力的なのです。なる為の道が険しいからこそ尊いのです。センセーの稽古は時にきつすぎると感じることもあるかもしれないけれど、「ここで優しくすることは、その人の先に来る困難の為にならない」という信念のもとからであり、どの人の可能性も信じてあきらめていない証拠なのです。それは沢山の先輩から受けた恩であり、それを自分の後輩に返したいために自分自身踏ん張っているのです。
今の自分じゃセンセーの稽古の助けになれないなどと思っているあなた、体調をこわしたり、困難や壁にぶち当たっているあなた、他のどこかで歯をくいしばっているあなた、自分を責めるのではなく、自分をあきらめず、いつかまた道場に汗流しにきてください。罪悪感をもつ為だけに空手はあるわけではないのです。空手とともに生きてその人生が少しずつでも磨かれていくことこそ大切なことなのです。誰が何と言おうと空手は自分にとって無くてなならないものだと思うことは簡単なようにみえて、もっとも難しいことかもしれません。まだまだ先は長いぞ、苦しいぞ、でもいいぞぉ~!だそうです。