ぶたころの愉快コレクション

近くの国営昭和記念公園の近況、アウトドア活動を中心に愉快を探していきたいと思います。

桜三昧(あるガイドボランティアの記憶) の巻

2014年04月06日 05時05分00秒 | 日記



昨日は記念公園を歩こうかなと思いましたが、液晶保護シール、レンズ保護フィルターが届いたのでグズグズしていたら出遅れました。







今日は国営昭和記念公園の第一期ガイドボランティアの同窓会です。

天気が悪ければ中止。

ガイドボランティアは身体障害者、高齢者のサポートを目的として生まれました。

第一期では公園の施設すべてをそういう方たちにどう楽しんでいただくかを積極的に探りました。

ディスクゴルフ、ボート、自転車、など目が不自由な方にも楽しんでいただくにはといろいろ工夫しやり方を考案したものです。

それが第二期、第三期と進むにつれ次第に方向が変わってきて、今は一般の方の案内になっています。

私は新しいことを考えていく情熱はあるのですが、(飽きっぽいとも言えますけど)マンネリ化した活動に興味は無く、第三期が講習を終えて実践に参加してきた頃辞めました。


何度かアップしていますが、同窓会と言うことで、その頃の活動の様子です。

いくつか特徴的なエピソードをアップします。







     ガイドボランティア物語(仮題、私的なおぼえ)


「福寿草の頃」

ご主人が末期がんのご夫婦を迎えた。

ゲートの外でお迎えするとすぐ

「主人は末期がんなのです」

と奥様。ご主人にも告知され、間も無く寿命が尽きようとしている。春が目の前に来ている予感はあるが、まだ冬。花の少ない頃のことである。
奥様に対しては話を聞いてあげることが今日の活動だと判断し、経験豊富で話しの合いそうなガイドに担当してもらう。

分厚いコート姿で痩せて飄々としたご主人に対しては無理の無いよう車椅子を使う。少しでも明るい気分になってもらおうと、若い女性のガイドに担当してもらい、まだあまり多くは無いが、花や春を待つ植物の生命力が気持ちを和ませてくれるかも知れないと花木園を中心に歩く。

奥様は看病のことなどをさかんにお話される。ご主人は穏やかに花を見る。ガイドのテクニックや植物の知識、公園の説明など何の意味も持たない。

改めてこのボランティアの意義を考えさせられる。今回の活動は植物でも施設でもなく、それは公園という舞台で演じられる人と人の心のふれあい。他人をおもいやる心がもっとも大切な技術であるとおもった。
 病気がわかってから、ご夫婦で肉体的にも精神的にもずいぶん闘ってこられた様子は話しの端々から痛いほど理解できる。余命を宣告されてから、その時間を越えて闘いつづけてこられたのは、それでも一度公園を散策してみようと、冬の終わりにこうしてこられた生命力からだろう。
公園をひとまわりガイドしてゲートに送った。

「どうもありがとうございました」

と、ご主人が涙をうかべて挨拶される。奥さんも

「親切な人たちと会えてよかった」

「もう少し暖かくなったら花もたくさん咲きますから、また遊びましょう」

 闘いの末期に勇気を出して自然を楽しみたいと公園を訪れた、その心を満足させてあげられただろうか。担当したガイドすべての心に重い一日となった。
 改札を入って階段の手前で振り向いて二人が会釈した。向こうを向いた奥さんの手に持ったハンカチが目元に動いた。

(また、春になったら花を見に来てくださいね)

二度と会うことは無いだろうご主人の後姿にもう一度心の中で声をかけた。


                           平成14年(福寿草の頃)








     ガイドボランティア物語(仮題、私的なおぼえ)


「 子供たちの笑顔が見えますか(雨の子供の森にて)」 


天候のせいで熱気球のイベントが中止になった。こういう場合連絡のつかない人が必ず出る。私は一人で西立川口に行く。松岡係長と改札で待っていると両方とも視覚障害のご夫婦と健常者の小学生低学年の男の子、幼稚園くらいの女の子の一家が来た。大田区から来て公園は初めてとの事だったので小雨だったが案内することにした。

子供たちを遊ばせたいとの事なので子供の森に向かった。

園内に人影はほとんど無く貸し切。スポーツ管理棟で雨なので昼食はここでお願いしますと頼んでおいて、銀杏並木の落ち葉を踏みながら渓流広場に出て北上し、子供の森のメインゲート月の丘の広場から入る。透明ドームのモニュメント、地底の泉を説明。カメラを持ってきたとの事なのでところどころで写真を撮る。一家で遊んだ記念写真が欲しいのだろうなと思う。ご両親は杖が写らないようにして目が見えるようにはしゃいだかっこうをする。

虹のハンモックには誰もいない。ネットが濡れていたので遊ぶと服も濡れるなと思ったが、「遊んでみる」と聞くとお父さんが「やってみろやってみろ」とすすめる。兄弟はネットにおそるおそる乗るがすぐ慣れて走ったり転んだり。

「気球が中止で機嫌が悪かったのが治った」親は子供の喜ぶのが自分のこと以上に嬉しいものだ。
空の滑り台にも興味を示したが、さすがにこれをやるとお尻はずぶ濡れになってしまう。

「ちょっと待っていてください」と子供の森売店へ行き、ビニールのレインコートを二つ買ってくる。大きいので子供ならお尻までたっぷりある。「こうして持って滑るんだよ」と教えて長いローラーを下って行く。両親を東屋で待たせて滑り台で遊ばせる。
夢中で遊んだのでレインコートを使ってもやはり濡れてしまった。

「大丈夫、大丈夫、子供はこのくらい平気でなきゃ」とお父さん。

霧の中に隠れたり、雨で使えない雲の海を見たり、ドラゴンの砂山で鳴き声を聞かせたりした。お土産が買える場所に寄ってください、との事なので子供の森売店に行き、お土産を買う。公園の概要を手の地図で教えてまだまだ遊ぶところはあるが雨で寒いのでお弁当にしましょうと管理棟に向かう。

 管理棟ではストーブの前で子供たちの服を乾かし、お弁当にする。

 いろいろ話し相手になり、休息して西立川口に向かう。西立川口の売店でも記念品を買って改札まで送る。

「気球が中止でなければこんなに楽しい思いはしなかった」と言うので「またいつでも来てください」とこたえる。子供たちがそれぞれしっかり両親をエスコートしていく。

 改札の外に立って階段を降りる後姿を見守っていると、見えなくなる直前に子供たちが振り返って笑顔で手を振った。私も精一杯の笑顔で手を振り返した。


                       平成14年冬(雨の子供の森にて)







     ガイドボランティア物語(仮題、私的なおぼえ)


「黄色いコスモス」


視覚障害者の方たちをコスモスの丘へ案内した。その中にまもなく赤ちゃんが生まれる両方とも目が不自由なご夫婦がいた。

さまざまなコスモスを見ながら園内を散歩するうちに奥さんが

「昨年も育てた黄色いコスモスの種がほしいのですが、どこかで売っていませんか」

と言うので売店や出店に聞くがどこにも売っていない。

しかたないので内緒で一本だけ黄色いコスモスをあげた。

でも、私は黄色いコスモスの種がそのご夫婦の初めての赤ちゃんが無事に生まれるお守りのような気がしてきていたので、何とか手に入らないものかとゲートに送るまでずっと気になっていた。

ゲートに戻ると若者が

「アンケートを書いていただければ記念品をあげます」

と叫んでいる。見ると、手には黄色いコスモスの種の袋。

「すぐ帰ってアンケート書くから種をちょうだい」

私は種をもらって、すでにゲートを出て駅のほうに向かっている夫婦を追いかけた。
「黄色いコスモスの種、ありましたよ」

奥さんの手にしっかり渡した。奥さんはとても喜んで

「ありがとうございます。いくらですか」
と、言うので

「アンケートを書いたらくれる記念品ですからただです。私が書いておきますから。丈夫な赤ちゃんを産んでくださいね」

その場で見送ってゲートにもどり、仲間とアンケートを書いた。

数ヵ月後、東中神駅のそばの歩道を歩いていたら片手に白い杖、片手に赤ちゃんを抱いた女性がマンションの前の歩道で、駅の方から白い杖で歩道を探りながら帰ってくるご主人を出迎えていた。ご主人はうれしそうに

「ただいま」

とまるまると元気な女の赤ちゃんにほおずりしていた。

 私は黄色いコスモスのお守りを思い出し、心の中で夫婦と赤ちゃんに良かったねと言ってそっとすれ違った。

                         平成13年(黄色いコスモス)







     ガイドボランティア物語(仮題、私的なおぼえ)


「 オールの水音(手漕ぎボート) 」


「自分で手漕ぎボートを漕ぎたい」

とおっしゃる視覚障害者の方がたくさんいる。少し見える場合は簡単だが、先天的な全盲の場合、ボートの概念やオールの働き、漕ぎ方から伝えなければならない。目が見えないと水に出ることは恐怖だと思う。どうすれば安心して安全に楽しめるか試行錯誤が続いた。

公園のボートには全艇にフロートが装備されている。これを座席の艇首側に置き、自分がこれに座り、障害者の方に座席に座ってもらう、つまり股の間に抱く形になる。このポジションなら後ろからオールを操作できるし、こまかな指示も与えられる、また、体が接しているので障害者の方も安心感がある。さっそくライフジャケットもつけていただき、この方法を試したらとても喜んでいただけた。

あるとき、名前の知られた視覚障害の女性をガイドする機会があった。手漕ぎボートを自分で漕いでもらうよう工夫しています。と言って方法を説明すると

「自分が行きたいところに行けないと面白くない」

と言われた。確かに広いところで漕いでもらうと指示しなくてもボートは円を描いてまわる。衝突の危険が無い場合そのまま廻っていれば自由に漕いでいる感じはあるだろうと思っていたが、乗り物だから行きたいところに進んでいるという感覚も大事なことだろうと気がついた。開発した方法で行うと方向を指示するのに絶えずしゃべって修正しなければならない。障害者の方にとってはもどかしい事だと思う。

タンデム自転車では方向のコントロールを見える人が担当する。これをボートで応用できないだろうかと考えた。すぐ思いつくのはボートに舵をつけることだ。しかし、この方法は公園のボートを使う上で大掛かりになりすぎ、いつでもどのガイドでもできると言う訳にはいかないし、細かな操作の必要な桟橋付近や混み合うところでは向かない。

ある日、池を見ていたらカヌーが出ていた。子供がダブルブレードパドルで漕いで父親が後ろからシングルブレードパドルで方向をコントロールしていた。それを見ていてすぐこれが使えると思った。さっそくカヌーの本を数冊買って研究し、池で手漕ぎボートとシングルブレードパドルを借りて練習し、手漕ぎボートを後部から方向をコントロールする方法を確立することができた。しかし、初めの方法のときからも解決しなければならないことがあった。それはオールの向きだ。

オールは向きがあり、握る部分は丸く向きが確認できない。仲間などの意見で目印としてテープで何かをとめるとか、キャップをかぶせるなどのアイデアが出されたが見える利用者が多い乗り物なのであまり邪魔になるものはつけられないし、いちいち毎回それをセットするのも面倒だ。点字を勉強していてこの応用でいこうと思った。あまり大きな目印はいらない。手のどこかに当たる部分に頭の丸い小さなビスを打っておくのなら見える人の邪魔にもならない。さっそく公園の許可を得て、全盲でボート希望の方が見えたとき意見を聞き場所を決めて一艇のオールに取り付けた。

 初めに最初の方法で基本の漕ぎ方やオールの向きを説明し練習。桟橋にもどり乗り換えて、パドルでボートを池に出しオールに代わった。最初のうちは頻繁にオールの向きを確認しなければオールが水を切ってしまったが、すぐ慣れたので、私は位置の説明をしながら方向をコントロールして島を回った。

その方は次の活動日にも来て間もなくシーズンが終わろうとしている池で二度も島を回った。
春の足音が聞こえてくる頃、初めの方法を試した。やっと安全に手漕ぎボートを楽しんでいただける方法が確立できた池には美しい紅葉が水面に影を落としていた。



                             平成14年(初冬)







     ガイドボランティア物語 エピローグ


「公的機関のボランティアの限界」


 急に公園のガイドボランティアを辞めた。自分では1年くらい前から公園のやり方に不満を持ち、嫌がらせとも取れるような公園や他期の一部ガイドの態度にストレスが貯まっていたので、突然ではないのだが一期の仲間にとっては突然の引退だったと思う。

 しばらく我慢して様子を見るつもりだったが、外部講師の「一部ガイドの独断は和を乱す」というまとめ文書が送られてきたのを見てその30秒後には入門証にはさみを入れユニフォームなどを宅配便で送り返していた。

 公園は国土交通省の出先であり、管理は財団が行っている。両方とも転勤が激しく、同じ係が一つの事業をずっと責任をもって行えるシステムでは無い。
ガイドは転勤もなく長くその事業に携わる訳だ。
ガイドはボランティアなので報酬も名誉も関係なく、自分たちの意思で活動する。そのためには堅苦しくなく、自分たちに楽しい活動でなければならない。
私の考えるこの活動の最大の問題点は期に分けて学校のように研修を行い、期を越えた親睦を軽視したところにあると思う。
三つの期がそれぞれ1年基礎研修を受け、自主研修を半年行うシステムだが、この間他の期との接触を持たないので期としての体質が固まってしまい、先の期を受け入れなくなる。
これでは期ごとの反目をあおり、それまでに得た経験を生かすことはできない。

ガイドを利用したい方は自力で公園に来なければならないので目の不自由な人は付き添い付で来る。
他の障害者や老人も一人歩きできる人なら自分で遊ぶだろうから外部ボランティアの付き添いや家族と一緒に来る。
散歩なら普段から懇意な付き添いさんや家族と歩いたほうが楽しい。
公園は自分で遊び方を考えるところであり、観光地のガイドではないのだから庭園の詳細な解説や植物の知識はそれほど専門的でなくて良い。
現に日本庭園の解説をしても聞く人はいなかったし、植物を研究にくる障害者も私はガイドしたことが無い。

初めて公園に来る人に「何がしたいですか」と聞くほど愚かしい事も無いと思っている。
テレビなどの情報で決まった花などを見に来る人はともかく、多くの人は何が楽しめるのか解らないで来るのだから、この公園の正しいガイドは「何がしたいですか」ではなく「何ができます」と提案できて、それをサポートする技術が一番必要だと思う。
様々な新しい方法を考えて提案するのだが、資料を作ってもあまり活用されている様子は無い。

この公園で普段身障者の方たちが経験できないことと言えば、タンデムの自転車や手漕ぎボート、そしてニュースポーツと呼ばれるマイナーだが楽しいスポーツなどである。
現在何を希望されても正しく安全にサポートできるガイドはあまりいない。
実際、視覚障害者で手漕ぎボートを自分で漕げると思っている人はほとんどいないが、タンデムを喜ぶ人は多い。
これはある程度練習がいるので外部付き添いよりガイドの出番だと思っている。
これだけでも周知されれば希望して遊びに来る人は増えると思っている。
そういう人にボートやニュースポーツを教えてあげれば次第に口コミなどで利用者は増える。

しかし、今のガイドは机上重視の研修に慣らされているので、植物など勉強ばかりし、タンデムやボートの練習をするものはほとんどいない。
それでいてガイドは利用者が少ないとか、ガイドするうえで外部付き添いが邪魔だなどと文句を言う。

公園の研修の間違いから始まって本来何が必要なのかを考えないガイドが出来上がっているのである。
散歩のお付き合いだけなら今の人数では多すぎる。
やることが無くて辞めていく人が多くなるだけである。
ガイドの育成は一期だけでその後は実践に混じり先のガイドが経験から教えて補充の形をとるのが正しかったと思う。

公園は教条主義なので、すでに4年間の実績があるにも係らず実践活動を知らない外部講師を再び世話人たちの同意も取らずに動因して研修をしている。

私はこういうやり方に将来性を見出せない。
線路も無いところを走っていくのだからその都度方向性を見直し、より良い方向に走るしか無いではないか。
初めての試みに対して先に結論を設定するのは間違っている。

結局、和を乱すといわれる一部ガイドである私は、間違いを知らしめる為に辞めたのである。
できれば残るガイドが期を越えてまとまり、公園に対して実践重視のガイド主導を主張し、自分たちの楽しい前向きの活動となるよう願ってやまない。

日本庭園の梅がそろそろ見ごろを迎える頃の事である。


                             おわり


                             15年2月12日







まあ、10年前の私、鼻息が荒いこと。
自営の私、一匹オオカミが似合っているのでしょうね。



いろいろ試行錯誤する段階で、カヌーのパドルが使えそうだから1艇買って実験したいので宜しくとか、先天的視覚障害者の方に自転車の構造を説明したいので一抱えほどのミニ自転車を買いたい、などとは言えませんよね。

このあたりは孤独な作業、これを独断と捉えられたらやっていられません。


もっともカヌーに関してはその後自分がカヌー、カヤックにはまって結果息子の艇を含めて5艇になってパドルも各種何本もになりましたけど。


今はそういうノウハウは全く活用されていません。
コメント (2)
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