我が家のそばでは毎日のように葬儀があります。
私の北窓からは幹線の向こう側のセレモニーホールが見えます。
また南側にはセレモニーホールの駐車場がありますので、あたりまえなのですけど。
そして父と母の世話になった病院が南側にはあります。
高齢の方たちが周りをPTさん、OTさんに付き添われてリハビリに励んでいます。
町内は古いエリアなのでみんな高齢化して 老い は日常としてすぐ隣にあるのです。
隣どころか自分も日ごと足が衰えているのを感じます。
幾つ頃から老いを意識するようになったか考えてみると60歳あたりかなと思います。
それまでは自分の終わりなど考えてもみなかったのですが、ある年齢を過ぎてゴールが見えてくるのでしょうね。
これは悪いことでは無いかも知れません。
仕事でも締切が迫ってやっと重い腰が上がると言うのがありますが、ゴールを意識すると毎日毎日の大切さが解かりますし、より充実した日々を送らねばと思います。
差し当たって家の片づけですけど、これがなかなか手に付かないのどうして?
毎日が大切なのはわかっているのにはかどらない、これも老いなのでしょうかね。
( かもめ : 何を書きたいんや )
夜明けが遅く、夜が早くなりました。
夏は4時に起きると薄明るくなっているのに、最近は真っ暗。
それでも雨戸をガラガラ開けています。
やがてニャンが帰ってきます。
たぶんその頃は家の近くにいるのだと思います。
昨日はお昼頃出て行きました。
向かいの駐車場に止まっている車の下に入って呼んでも帰らず、そのまま出かけてしまいました。
たまに一日出かけてしまう日がありますけど昔の仲間に会っているのか、あるいは外猫時代寝ていたところで寝ているのか何をしているか不明です。
そんな時、朝ニャンの食堂(母の部屋の窓辺)を見るとカリカリも煮干しも減っているので途中で帰ってはいるようなのです。
ニャンは暗くなってから無事帰ってきました。
昨日はトイレの大掃除をしました。
狭いトイレでもしっかりやると手間がかかります。
久しぶりにさっぱりしました。
大掃除もまとめてやると嫌になりますけど気が向いたとき気になる場所をやると良いです。
年末までには気になるところをやって、大掃除をしました と言う事にせねば。
歯の定期検診のお知らせが来たのでまた数回通わねばなりません。