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ぶたころの愉快コレクション

近くの国営昭和記念公園の近況、アウトドア活動を中心に愉快を探していきたいと思います。

あの頃の父( & 老人とニャン )の巻

2019年12月30日 05時05分00秒 | 日記



スズメさんたちはバードフィーダーの餌を一粒残らず食べています。

少し前に替えた餌は殆ど残していたのですけど。

たまにハトも来ているようですけど、少し南の農家に団体がいるので限られたハトでしょう。


街にスズメが巣を作る環境が減っていますが、たくましく隙間を探して生きているのでしょう。







父の仕事は私が東京の学校に来た頃、あまり景気が良くない業種になりました。

どうせ私は学校を終わったら東京での仕事になるだろうと家族みんなで上京し、生活拠点を東京に移しました。

あの頃のストレスは大きかっただろうなと思います。


お酒の量も増えて、たぶんそうとう悩んでいたのでしょう。

それでも学校を卒業させてくれ、父も職場で友達も出来て安定。


胃潰瘍になったり腎臓結石などで手術。

胃の大部分を切除して頑張った時は父は不死身になったと思ったものです。


私の結婚、そして私の妻の死、ずいぶん心配をかけました。



でも、ずっと父はお母さんと一緒に老後暮らしました。



今、思い返すと私はずいぶん心配をかけて寿命を縮めてしまったなと思います。


父の通夜の日に一人暮らしの経験が無いお母さんは最後まで面倒見るから安心して、と誓いました。


母は父の遺影で晩年の笑っている写真が気に入らなかったようで、少し若い頃の写真を仏壇に飾っていました。

それは母が思う父のイメージだったのでしょう。


母の希望する遺影もたぶんその頃なのかな。


でも遺影は残るものがイメージして楽しいものと言う事で笑っている母の写真にしました。


私は孤独死と決めています。


できればこの世にいなかったかのように誰の記憶からも無くなって欲しいと思っています。


人生を消すことが出来る消しゴムがあったらみんな消してしまいたい。


そんなことを思う年末です。







印籠と根付、龍と虎で二組完成。

印籠には蒔絵シールを貼って良い感じになりました。







今朝はニャンが2階まで迎えに来ました。

2階の電気をつけるとどういう訳か察知して上がってくることがあります。

洗濯して空を見ると雲が多いので中に干しました。


この界隈、まだお正月飾りを出している家を見ません。

たぶん今日の夜に出すのでしょう。


コメント
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