ぶたころの愉快コレクション

近くの国営昭和記念公園の近況、アウトドア活動を中心に愉快を探していきたいと思います。

「介護殺人」と言う本を(+長男の単独介護日記)の巻

2017年06月25日 05時05分00秒 | 日記
(妹のだんなさんが作って持ってきてくれたミニ盆栽です)



昨日も午後行くとリハビリをしてもらっていました。

少し熱があるとの事で氷枕をしていました。

リハビリ担当の方の呼び掛けにはこたえていました。


私の呼び掛けにも何とかこたえました。


痰の吸引に看護師さんが来てくれたので部屋の外に出て終わるのを待っていましたけど、なんだか苦しそうな声がしました。

痰の吸引は大変なようです。


その後しばらくいて帰りました。


帰ったら玄関先のナンキンハゼが少ししょんぼりしていたので今日は水をやっていないことを思い出し、鉢の植物などに水をあげました。







「介護殺人」 と言う本を読んでいます。


内容はすごく切実、理解できる部分が多いです。


ほとんどが単独で抱え込み、睡眠不足からうつ気味あるいはうつ病となり発作的に殺人、大抵は心中しようとして自分も死のうとするのですけど命を取り留めて裁判と言う事になっています。


きっと心中とか自分だけ自殺を入れるとすごい数になっていると思います。



睡眠不足 はカギだと思います。

介護をしていると次第に夜の1時間とか2時間おきの介助は必須で介護者は次第に睡眠不足になっていきます。



特に単独で介護していて 排せつ介助、オムツ交換、体位変換で 1時間おきの作業は過酷です。



これからこういう事はどんどん増えていくので読んでおいても良い本だと思います。


でも、介護を本格的に経験しないと実感しないと思いますが・・・・・・。

介護している人にとっては他人事ではありません。



本に出ている事例では執行猶予になっている事例が多いのですけど、実刑(数年)になっているケースもあります。


裁判員裁判で、こういう事例に対しては介護経験者が参加しているかどうかは大きな要素でしょうね。


事例を見ていて 私も紙一重状態だなと思います。、


でもその事例はみんな10年近い介護生活。


私はまだそこまでは行っていません。


でも、状況はとても理解できます。




写真は我が家の玄関から母の入院している病院です。

近いのが助かっています。


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何を食べたいと言う物も無く、これなら食べられるかなと買ってもおいしくないです。

夜は真夜中に1回目が覚めるのはすっとトイレ介助をしていた時間感覚が残っているのだと思います。

とりあえず、1時間から2時間おきに起きないである程度連続して寝られてはいます。
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体位交換表(+長男の単独介護日記)の巻

2017年06月24日 05時05分00秒 | 日記



母の病室にある体位交換表です。


これと定期的なオムツ交換、看護師さんたち大変だな~と思います。


退院したらこれ私がやることになるのでこの入院の間そのパワーを充電せねば。


三角のクッションを右と左に入れかえ、床ずれ(褥瘡)を予防します。

おもつも出たとは言わないでしょうから定期的に交換となります。

退院の目標は口から食事出来て、サイドケインで歩ける、Pトイレを使うですけど・・・・・・・。

私、ずっと看てきて状況は解っているのですけど・・・・・。

母が入院しているのにお酒の量が減りません。



昨日、家の前の歩道の草を取っていてふと思い出したのですけど、父は晩年(と言っても74歳で亡くなったのですけど)テントを購入した事がありました。

山が好きな父で、よく一緒に登ったりしたのですけど、また行きたいなと思ったのでしょうね。


私も数日前に一人用のテントを注文しました。

それで父の事を思い出したのでしょうね。


使う当てははたしてあるかどうか、今アウトドアグッズは中国製が多く、昔に比べるとすごく安いです。

説明文は意味がよく解らない翻訳ですけど、写真で見ると設営しやすそうで、11000円で安く、しかもキャンペーンで4000円のシュラフがおまけとの事。


実際にアウトドアで使わなくてもこれを持ってあのあたりでキャンプをなどと考えるのも楽しい事です。


( かもめ : いくつテントを持っているのよ!! )





先日ご紹介した本、その他終末医療、介護の本をたくさん読んでいますが、段々食が細くなり口から飲んだり食べたりできなくなって(これは終末期には自然なことなのですけど)そのまま看取ると2週間程度、点滴で一日1000mlで2か月程度の延命のようです。


点滴とか肺炎に対する抗生剤の点滴も外国ではこれはしないとする国もあったり、栄養の点滴を500ml(栄養はジュース1本程度みたいです)にするところもあるとか。

母は見ていると2本、つまり1000mlの点滴を受けているようです。


昨日午後行ったらちょうどリハビリの時間だったようで、終わるまではと一度帰りました。

30分ほどして行くと意識レベルは低く話しかけても解っているのかどうかでした。


そのうち、少し熱が高いとの事で看護師さんが二人検査に来たので帰りました。






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ハイキング仲間で、近くで趣味の菜園をやっている仲間が通り道なので野菜をくれます。

私の糠床をわけてあげました。










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いつものネットショップからの不審メール(+長男の単独介護日記)の巻

2017年06月23日 05時05分00秒 | 日記
( 八重山の展望台からはたくさんの山が見えます )



ここのところいつも利用しているネットショップ(らしいところ)から英語のメールが届きます。

書いてあるアドレスがいつもの .co.jp でなく .com 

日本人に対して英語で来ることは無いと思うのですけど・・・・・・。


あやしいので開かないようにしていますが、文面では キャンセルが成立しました みたいなものです。

もしかしてアカウントが外国で使われている?

カスタマーに相談してみました。


やはりサイトを装ったメールとの事で開かずに削除との事。

ネットは油断できません。








いつも持ち歩ける薄型のコンパクトデジカメを中古で買いました。

Nikonの物でレンズの蓋はスイッチを兼ねていてスライドするだけで、タッチパネルなので物理的なスイッチはシャッターだけ。


ちょっとしたメモ用に持とうと思います。





昨日は午後2件の仕事をして見舞に行きました。


どうも朦朧としていますけど、耳元で童謡の音源を聞かせてオムツ交換となったので帰りました。


その後妹と甥がみまったようです。






今朝も母の部屋の雨戸を開けるといつものニャンコが下にいたので猫缶をあげました。

中に入って食べて食べても出ないのでほっておいたら母の部屋から顔を出し廊下まで探検に来ました。

その後網戸を閉めようとしたら出ていきました。





最近 山道具をネットショップで買うことが多いのですけど、昔よりずいぶん安い物が多いです。

説明を見るとなんだかおかしい日本語、でも機能的に問題なければ注文、中国から送られてくるものが多いです。







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私の生活で介護は(+長男の単独介護日記)の巻

2017年06月22日 05時05分00秒 | 日記


私の生活で介護は大きな部分を占めていたことが解ります。


急な病気やけがで介護に入る場合はいつからと言えるでしょうけど、母のようにフェイドインの場合、どこから介護と言えるのかなと思います。


父が74歳で亡くなって母を引き取ってから外回りの銀行や郵便局、買い物は母が担当してくれ、食事は私が作っていました。

昼に私がいない場合お昼はお弁当を作って食べてもらっていました。

私は料理は嫌いではないので、このあたりは作業分担で介護とは言えません。


カートを使うようになってからもスーパーでカートいっぱい買い物をしてくれました。

買い物は好きでした。


この頃も介護と言う意識はありませんでした。



最初は折りたたんで車のトランクに入れるコンパクトな車いすを買いました。
これはお墓詣りに行くときに使っていました。

また、この頃今の車いす(普通のタイプ)を買って長距離歩く公園の散歩などでは使っていたと思います。



次第にカートも押せなくなり、出かけるのは車いすになりました。

今入院している病院にお世話になっていましたが、次第に付き添わなければならなくなってきました。

二駅離れた眼科には通えなくなりました。


Pトイレを用意し(今は肘掛付ですが最初は肘掛なしでした)ベッドに手すりをつけてだんだん寝ている事が多くなりました。

この頃急に衰えたように思います。


だんだん私一人での介護がきつくなり、介護保険を考えるようになり、手続きをして利用し始めたのが一昨年(平成27年10月)です。


その前にベッドからずり落ちて起きられず 隣のおくさ~ん助けて~ などと騒いだことが3回程度あります。


この半年前あたりから認知が急に進んだと思います。

たぶん介護と言われる状態はその1年前くらいからではないかと思います。



母をかかりつけの内科に連れて行ったときかかりつけの内科医から 医療と介護は違う、介護に関して早めに手続きをしたほうが良い、ここで説明していたらいくら時間があっても足りない などと言われました。

その後介護保険のケアプランでその内科医さんの担当日には行けなくなり今の先生に代わってもらいました。






色々調べて地域包括センターに相談に行き、介護保険の利用が始まりました。


介護保険の利用に関しては解りにくいです。


まず地域包括センターに行き、介護認定を受け(2週間程度先)ケアマネさんの事業者を選定し契約、それからケアプランを作ってもらい各事業者さんと契約。

実際に介護保険のサービスを受けるまで地域包括センターに行ってから約2か月ほどかかります。



ヘルパーさんやPT(理学療法士)さんが入って利用前より少し認知のレベルが下がったように思います。



食べものは良く食べていましたので褥瘡も無く、入浴介助やリハビリを受けて、誰が来たかも認識していました。


前のケアマネさんも良くやっていただきましたが、今月からケアマネさんが交代し、この方もとても親切です。





次第にではあるのですけど意識レベルが低下し、Pトイレの蓋を開ける事も出来なくなったので声や気配でわかるようにと、数か月前から母の様子が解る隣の部屋(DK)で寝るようにしました。

Pトイレの蓋をあけると二階の私の部屋と台所でチャイムが鳴るようにしてあるのです。


このあたりからADLはすっかり落ちたと思います。

風邪前くらいからPトイレの蓋を開けることが出来なくなり、オムツにしました。



内科受診で病院に連れて行ったとき、咳をしていた人が近くにいて、数日後母と私は風邪をひいてしまいました。


熱はすぐ落ちましたが咳が残りました。


風邪の前にもずいぶん落ちてきたなと感じていましたが、どうも風邪でない咳だなと感じ、毎朝測っているバイタルで血中酸素飽和度が下がっているのが気になり、そういう時、私の介護疲れも心配してくれたケアマネさんの配慮で ※地域包括ケアで2か月間 の入院を勧められ今回の入院となったのです。

※地域包括ケア病棟は最長2か月の入院で、本人の為だけでなく、介護者も少し休めるように配慮されていて、リハビリなどをして在宅に戻すためリハビリも組まれています。



入院前の検査で肺炎であることが解りました。


風邪以来口から食べると吐いてしまう状態が続いていたので、たぶん入院しなかったら手遅れになっていたと思います。

今は点滴をしています。

昨日行ったらリハビリ担当の方が後ろから支えてベッドに座っていました。


二日ほど前、夢を見たのか 笑ってる とか 喜んでいる などと言っていましたが、私の顔を見てもはっきりしません。



口からはほとんど食べられていないと思います。


人は終末期になると食べものを食べられなくなります。

それは自然の事で、意識レベルも落ちて苦痛も無くなるのだそうです。


どういう終末期が本人にとって幸せなのか考えさせられます。


今、母は点滴で栄養を摂っています。

点滴も延命措置に入るかも知れませんが、家族にとって覚悟する時間も大事だと思います。


介護は介護される人とともに介護する人の問題でもあります。







20年ちょっと前、身内が入院したときは2週間食事がとれませんでした。


人は誰でも何度かそういう経験をするのでしょうけど身内の入院はストレスになります。

回復がはっきりしている場合はそうでもなく、むしろ元気に退院してくると不死身になったように感じますが、重い病気だったり、高齢の場合は家にいても気がかりで胸がふさがる気持ちがして食欲が無くなります。


kumasanさんが10キロ痩せたのすごく解ります。

冷蔵庫などの食品を整理しています。

母に作らないとあまり在庫はいらないものですね、入院で1週間たちました。


口から食べ物を食べられるようになり、Pトイレが使えるようになったら退院と言う目標を立てていますが、今の状態を見るとどうなりますか。


入院の区分で最長2か月との事なので退院してきたらベッドを介護ベッドに替えたり、昼夜を問わず数時間おき(2~3時間おき)の体位交換、オムツ交換が待っています。

たぶん私は以前より睡眠不足になるのかなと思います。

そうなったら仕事は少し無理かも。

ま、まだ先なので解りませんけど。
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よく寝ていました(+長男の単独介護日記)の巻

2017年06月21日 05時05分00秒 | 日記


大きな分譲地がそろそろ終わりに近くなっているので物件が少なくて今週は木曜日に1件あるだけです。

建築士の定期講習、お金は4月にクレジットで支払っていたのですけどやっと写真と建築士の免許証のコピーを送り申し込みを完了させました。

7月下旬に丸一日の講習です。


12月には事務所登録の更新(1か月前から)もしなければなりません。

建設評価の仕事しかしていないので事務所登録はしなくても良いのですけど、もう一度だけ更新しようと思っています。

建築士の番号も事務所の番号もずい古い番号になりました。






面会は12時から20時までなのですけど、12時すぐ行くとまだ食事介助中なので13時に行きました。

昼食は終わったようで13時からの右即位状態で良く眠っていました。


声をかけても起きないので昨日童謡のCDを買ってMP3プレイヤーに入れて持って行ったのを小さい音で耳元に置いたのですけど聞こえているかどうか?

1時間いて帰りました。


数分で行って帰ることが出来るのは助かります。


私の生活で介護はそうとう大きな部分をしめていたなと思います。


今の車いす、いつごろかったかなと思い出そうとするのですけど解りません。

この車いすではよく母を公園に連れて行き、砂川口のテーブルでお弁当やお茶を楽しんだものです。


春のお花見、秋の紅葉にも良く行きました。


今年もお花見に連れて行けました。


行ける時に行って良かったと思います。


何でもいつか よりできる時にやるだと思います。


これが後悔を少なくするコツなのだと思いました。



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