さて、第二項。ゆっくり読んでみましょう。
「前項の目的を達するため、陸海空その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」
この項も なんだか変ですねえ。
・・・「持たない」とか「認めない」とか・・・
日本国民自身が幸せになるための誓を成文化する憲法なのに、なんだか非常に縛られている感じがしませんか?
・・・違和感を覚えますよねえ。
でも、まあ、文言を追ってみましょう。
先ず、「前項の目的を達するため」とは・・・
「前項」は「侵略戦争を放棄する」ということだったので、「侵略戦争を放棄することを実現するため」ということになる。
従って、「陸海空その他の戦力は、これを保持しない。」は、条文の流れから言うと、「侵略戦争をす」るための 「戦力は、持たない」ということになろう。
ところが、今まで受けてきた教育やマスコミをはじめとする言論界、政治家に至るまでのあらゆる階層は、「保持しない」という字面のみを取り上げて、「全ての戦争」「一切の戦力」に反対、反対の大合唱を、半世紀以上もの間叫び続けてきた印象がある。
そのために、日本国民はそれが当たり前であるかのような錯覚に突き落とされ、洗脳されてきたように思えてならない。
話を戻すが、第一項は、自衛のための戦争については、何も書いていないのであるから、第二項の戦力は、侵略戦争のための戦力であって、自衛戦争のための戦力は含んでいない、と考えるのが自然ではないか。
ならば、自衛のための戦力の保持については、何も書かれていない、だけで、肯定も、否定もされていない。
自衛のための戦争について言いたいのであれば、「別途書けばいいこと」なのである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以上のことを裏付ける事実がある。
それは・・・日本の憲法草案について検討している極東委員会において、中国代表が、「前項の目的」に注目し、
「それ以外、たとえば「自衛という口実」で、日本が実質的に軍隊をもつ可能性がある」と指摘した。ことである。
裏を返せば、日本には自衛権(戦争)があるよ、ということを言っていることになるだろう。
(つづく)
・・・・・・・・・・・・・
ここで、日本国民がしっかり自覚しておかなければならないことがある、と考える。
それは、この憲法は、建前上日本国民が作った(書いた)ということになっている。
ならば、自衛権(戦争)がありながら、自らを危険にさらすような具体策=自衛のための戦力さえも放棄するという自己矛盾を書く、ということは到底考えられない。
戦後独立した多くの国を含め、世界は憲法の中で平和主義(他国を侵略しない)をとなえつつ、自国を守るための軍隊を持っている。これが世界の現実であり、常識である。
かつて共産党がは、「軍隊のない国は独立国とはいえない」と主張した。正論なのである。
ところが、わが国では、(防衛)軍さえ、認めようとしない論調がはびこっていることは、狂気の沙汰というほかない。何故か? 日本乗っ取り集団とその加担者たちの内部工作によるものというべきであろう。
現実をみよ! 「平和」は現実論、であり、「理想」は観念論だ。
戦後70年にもなるが、この間、我が国につづいて、自衛戦争も放棄した国が1国でもあったか? 一部を除き、世界中の国が自国をしっかり守る姿勢をもっているから、平和がたもたれているのであり、もし、守る手段を持たないまま口先だけで平和を唱えていては、くさかりばとなって蹂躙されていたであろう。
「前項の目的を達するため、陸海空その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」
この項も なんだか変ですねえ。
・・・「持たない」とか「認めない」とか・・・
日本国民自身が幸せになるための誓を成文化する憲法なのに、なんだか非常に縛られている感じがしませんか?
・・・違和感を覚えますよねえ。
でも、まあ、文言を追ってみましょう。
先ず、「前項の目的を達するため」とは・・・
「前項」は「侵略戦争を放棄する」ということだったので、「侵略戦争を放棄することを実現するため」ということになる。
従って、「陸海空その他の戦力は、これを保持しない。」は、条文の流れから言うと、「侵略戦争をす」るための 「戦力は、持たない」ということになろう。
ところが、今まで受けてきた教育やマスコミをはじめとする言論界、政治家に至るまでのあらゆる階層は、「保持しない」という字面のみを取り上げて、「全ての戦争」「一切の戦力」に反対、反対の大合唱を、半世紀以上もの間叫び続けてきた印象がある。
そのために、日本国民はそれが当たり前であるかのような錯覚に突き落とされ、洗脳されてきたように思えてならない。
話を戻すが、第一項は、自衛のための戦争については、何も書いていないのであるから、第二項の戦力は、侵略戦争のための戦力であって、自衛戦争のための戦力は含んでいない、と考えるのが自然ではないか。
ならば、自衛のための戦力の保持については、何も書かれていない、だけで、肯定も、否定もされていない。
自衛のための戦争について言いたいのであれば、「別途書けばいいこと」なのである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以上のことを裏付ける事実がある。
それは・・・日本の憲法草案について検討している極東委員会において、中国代表が、「前項の目的」に注目し、
「それ以外、たとえば「自衛という口実」で、日本が実質的に軍隊をもつ可能性がある」と指摘した。ことである。
裏を返せば、日本には自衛権(戦争)があるよ、ということを言っていることになるだろう。
(つづく)
・・・・・・・・・・・・・
ここで、日本国民がしっかり自覚しておかなければならないことがある、と考える。
それは、この憲法は、建前上日本国民が作った(書いた)ということになっている。
ならば、自衛権(戦争)がありながら、自らを危険にさらすような具体策=自衛のための戦力さえも放棄するという自己矛盾を書く、ということは到底考えられない。
戦後独立した多くの国を含め、世界は憲法の中で平和主義(他国を侵略しない)をとなえつつ、自国を守るための軍隊を持っている。これが世界の現実であり、常識である。
かつて共産党がは、「軍隊のない国は独立国とはいえない」と主張した。正論なのである。
ところが、わが国では、(防衛)軍さえ、認めようとしない論調がはびこっていることは、狂気の沙汰というほかない。何故か? 日本乗っ取り集団とその加担者たちの内部工作によるものというべきであろう。
現実をみよ! 「平和」は現実論、であり、「理想」は観念論だ。
戦後70年にもなるが、この間、我が国につづいて、自衛戦争も放棄した国が1国でもあったか? 一部を除き、世界中の国が自国をしっかり守る姿勢をもっているから、平和がたもたれているのであり、もし、守る手段を持たないまま口先だけで平和を唱えていては、くさかりばとなって蹂躙されていたであろう。