埼玉・秩父郡長瀞町矢瀬92
高徳寺は、明治28年「矢那瀬の大火」で焼失し、本堂は
ありません。石垣や鐘楼が当時の姿を残しています。
第2次世界大戦中から戦後の3年間(1945~48)彫刻家の
「北村聖望」が、この寺に家族と共に疎開し、地域住民
と交流し、多くの彫刻や書画を残しています。
なかでも、本野上・落合眼科・塩谷覚三郎から依頼を受けた
薬師如来の製作において石膏直付け法を考案して後の
「長崎平和祈念像」の製作にこの製法を用いたのは
有名な話となりました。
周囲は静かな感じで、石垣や鐘楼が残されています。
寺には寺宝の「不動明王」非公開があります。(秩父蝸牛の会)より
高徳寺は、明治28年「矢那瀬の大火」で焼失し、本堂は
ありません。石垣や鐘楼が当時の姿を残しています。
第2次世界大戦中から戦後の3年間(1945~48)彫刻家の
「北村聖望」が、この寺に家族と共に疎開し、地域住民
と交流し、多くの彫刻や書画を残しています。
なかでも、本野上・落合眼科・塩谷覚三郎から依頼を受けた
薬師如来の製作において石膏直付け法を考案して後の
「長崎平和祈念像」の製作にこの製法を用いたのは
有名な話となりました。
周囲は静かな感じで、石垣や鐘楼が残されています。
寺には寺宝の「不動明王」非公開があります。(秩父蝸牛の会)より