chakaしげの直滑降な日々

定年後67才にしてブログデビューし現在17年目に突入
夫婦の趣味である旅行・スキー・史跡めぐりなど気ままに綴っています

~桐生市・有燐館~

2009-06-05 08:14:44 | 国内旅行

 有燐館  群馬・桐生市本町2-6-32       

矢野倉庫群は、広大な土地に土蔵や煉瓦の蔵など桐生の

歴史を物語る貴重な遺産として残されています。




有燐館は、近江商人矢野久左衛門が寛永2年(1749年)

現在の地に店舗を構えて土蔵、煉瓦蔵を明治・大正期に

建てられたといわれます。






昔は、酒、味噌、醤油を醸造し保管していた11棟の蔵群が

舞台や、展示、演劇コンサートなど、イベントの多目的に

利用されています。プロ・アマ問わず目的によって自ら会場

を作り独特の活用で利用されています。



からくり人形芝居も見ることができます。

NPO法人「有燐館友の会」が中心になって毎月第一土曜日

実演されます。数多く存在する近代遺産を活用することで

保存につなげる目的で活動されているそうです。

「使って残そう近代遺産」をスローガンにされています。

               



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~桐生の文化財~

2009-06-04 07:35:43 | 国内旅行

 桐生織物記念館  群馬・桐生市永楽町6-6      

昭和10年代織物産業の全盛期を迎えました。この躍進は外国

販路を求めていたことや、人絹や絹洋服地など新製品を創り出した

ことなどから好況期を頂点に会館が造られたといわれます。



記念館は、昭和9年桐生織物同業組合の事務所として建設されました。

建物は、当時流行していたスクラッチタイル張りの外壁を取り入れ

屋根は青緑色の日本瓦葺きとしたモダンなものでした。



館内には、展示室や会議室に開放されています。

「織匠の間」では、ジャカードの手織機をはじめ、貴重な道具類

が展示されています。



1300年前の朝廷に仕えていた山田の男子が、養蚕や織物に優れていた

官女「白滝の姫」に恋をして、故郷に連れて帰りその技術を伝えてのが

始まりと言われています。(資料より)





「国登録有形文化財」として市民に親しまれています。

       

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おらが村の郷土資料館~

2009-06-03 07:39:23 | 国内旅行
 嬬恋郷土資料館  群馬・嬬恋村鎌原494     

今から216年前、浅間山噴火で埋没した旧鎌原村の発掘

された品々を展示する資料館。延命寺(村の菩提寺)跡から

発掘された燭台など、噴火以前の村の絵図などを通じて噴火の

模様を生々しく紹介されています。  観覧料:300円



展示室は、嬬恋村の「歴史」がわかる資料が展示さています。

嬬恋と言えば「キャベツ」が連想されますが資料館には

キャベツの栽培方法・流通・栄養特性などのものが解り易く

紹介されています。




北国街道で栄えた、この地には「狩宿関所跡」があり、

今はひっそりと石碑のみが建っていました。



           


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~溶岩の芸術~

2009-06-02 07:15:41 | 国内旅行
 鬼押出し園   群馬・吾妻郡鎌原村1053      

1783年浅間山大噴火によってできた溶岩のかたまりです。

名前の由来は、浅間山の火口で鬼があばれ、岩を押し出した

と言う噴火の印象から生まれたと言われます。   




園の中心地には、東叡山寛永寺別院「浅間山観音堂」があります。

噴火の犠牲となった霊を供養するため、寛永寺伝来の聖観音菩薩

が厄除け観音として祭られています。



園内には、奇岩の芸術と言われるばかりでなく、花や樹木などを

観察しながら楽しめます。

ヒカリゴケも見ることができました。「石割の松」は樹齢100年です。





レンゲツツジや、イワカガミは見頃を迎えています。






大噴火によって生まれた溶岩は、高山植物によって人々の

潤いを持たせています。         

入園料:600円 駐車場:無料

                 
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~ありがたい観音堂~

2009-06-01 07:05:40 | 国内旅行
 鎌原観音堂(かんばらかんのんどう)  群馬・嬬恋村鎌原  

天明3年(1783)7月8日、火口より13キロに位置する鎌原村は

浅間山の大爆発による火砕流に襲われ壊滅しました。

当時の、村の人口は570人程度のうちこの災害により477人の人名が

失われました。しかし・・・火砕流に気づきこの観音堂にたどり着いた

僅か93名のみが奇跡的に助かりました。





当時は、150段余りあった石段の足元にまで迫り、15段を残して

止まったといわれます。昭和54年の発掘調査の結果、この15段の少し

下で女性2名の遺体が発見されました。現在も残るこの石段が、生死を

分けたことから、村人を守った軌跡の地として知られています。





今では、火山火災から命を救った観音堂は、厄除けとして

信仰されています。地元観音堂奉仕会の皆さんが毎日、ご先祖様の

供養を行い、訪れる人々にお茶を振る舞い迎えてくれます。

「観音堂」

15段の石段と共に、生存者の命を支えた建物として守られています。

                 











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