私もカッパさんも、まわりの人もみんな、
母親を家政婦のように扱っている。
「そんなことない」って言った人、本当にそう言い切れるか・・・?
家政婦は
・給料がある
・他人
・仕事が終わると家に帰る
確かに契約で主従関係は発生しているが、
家事以外の仕事はしなくていい。
しかし母親はどうだ?
無給の家政婦ではないか?
家族の一員なのに、上下関係で言うと子どもの下に位置している。
発言権も主導権もあるように見えるが、家族がそう仕立てているだけだ。
子ども言うことは極力聞いてあげる。
毎週、サッカーや野球の練習に付き添う。
子どもが中学生くらいになると、子どもが母親を叱ったりする。
子どもは何の抵抗もなく母親を家政婦代わりにこき使う。
子どもが社会人になると、さらに母親の地位は低くなる。
子どもが残業で遅くなっても、
夕飯はラップして食卓に用意している。
母親がレンチンして、お皿も洗うのが当然だと思っている。
お互いがその上下関係に甘んじている・・・。
母親が子どもを可愛がりすぎるのだ。
仕事を持っている母親が
「子どもにさみしい思いをさせた」と言っているが、
それは他人と比較しているからだ。
その償いとして子どもが喜ぶことをやってあげる。
対して父親はそんな罪悪感持つこともない。
家政夫には断じてならない。
私は母親が家政婦になることで、
日本全体が不幸になるような気がする。
家政婦をしながらキャリアって積めるのか?
男性にとっては、
母親=家政婦、母親=妻、妻=家政婦の三段論法なので
結婚すると『無意識に』妻を家政婦のように扱う。
女性は女性で、家政婦(母)のいない生活でとまどう上に
家政婦の役をいきなりやらされる。
しかしそれは母親を家政婦代わりにこき使ったツケだと思い、
自分にその番が回ってきたんだと諦める。
そして義父母が掲げる「嫁=家政婦」の理論はゆるぎない。
順応性の高い日本の女性は、
いやおうなく家政婦としての人生を送る。
私もカッパさんも
「母親だから自己犠牲は当然」となんとなく思っている。
この思想は絶対アカン!
母猫が仔猫を育てているのと比べたらアカン!
だって猫の場合、半年も経ったら子育て終了だかんね!
人間は下手したら一生よ?
一生、自己犠牲は無理だよ、無理。
なのに、それをやっちゃう母親もいるんだよねー。
いつになったら母親は家政婦から脱却できるのか?
母親がもっと自由に生きることができれば、
日本の経済ももっと回っていくのではないか?
(もちろん、家政婦ではない母親もいる。たぶん少数派)
とにかく自己犠牲の精神は捨てよう・・・。
それは全く意味のないことだ。
私は何度か自己犠牲に身を投じたが、
カッパさんから全く感謝されなかった。
・・・そう言うことだ。
終り。
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