カッパの女房

縁あってASDのカッパさんの嫁になりました。
カッパさんの飼い主・・・いや嫁として日々修行中です。

誰かに似てるって失礼な話

2024-10-16 15:43:49 | 思い出話

最初に言っとく。

今回もつまらない話だからね。

 

よく私は人に

「○○さんに似てますよね?」などと言ってきた。

あるいは容姿だけじゃなく

「××の性格って△△ちゃんとどっか似ているね」

などと言ってきた。

最近になって、ようやく気づいた。

私はなんて失礼なことを言ってきたんだろう・・・!

誰かに似ていると言われて喜ぶのは、

ごく限られた場面だけだ。

ほとんどの人が誰かに似ていると言われて

気を悪くしたんじゃないだろうか・・・?

もう絶対に言わないでおこうと思う。

でも、相手が「私って○〇に似ているでしょ?」と言うオーラを

出していたら、そのときは

「あーーー誰かに似ていると思ったら!!」

と大きな声で叫んであげるよ。

それぐらいの気遣いは私もできる。

 

遠ーい遠ーい昔のこと。

勤めていた会社が春闘で、

平社員は残業禁止になった時期があった。

私はそれでも残業していたら、

組合役員に襟首をつかまれて、春闘集会に連れていかれた。

集会ロビーはもう立錐の余地もないくらい混み合っていた。

私は知り合いの男性社員と喋っていたら、

突然その男性が

「あれ、フクちゃんって鈴木保奈美に似てるよね?」

と割と大き目の声で言った。

そのとき周りの集団がバァーッと一斉に私の方に向いたのだ。

こんなに恥ずかしいことはない。

だって1mm足りとも私は鈴木保奈美に似ていないんだから!

私は「似てへん、似てへん」って手を揺らすのが精いっぱいだった。

あれは、まさしくテロだ。テロ行為。

みんな、今度、嫌な奴に会ったらさ、このテロやってみて!

渋谷のハチ公あたりでね。

相手に致命傷を負わせることができるよ。

相手が真に受けたら不発ってことであきらめてね。

 

さて私は今まで色んな人に似てると言われてきた。

もちろんお世辞が8割だ。

お世辞じゃないものは、

室井滋

東尾理子

うつみ宮土理

石野真子

だがこの4人に共通点はない!

もういい加減、1人にしぼってけろね。

そんなこんなで

気軽に「誰かに似てる」って言わないにこしたことはない。

 

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統一教会から何度も勧誘されそうになった

2022-09-09 15:50:54 | 思い出話


私がまだ20代のころ、

休みの日は一人で梅田をぶらつくことがあった。

地下から地上に出た時、感じのよさそうな青年がさりげなく近づいてきて、

「駅前第三ビルってご存知ですか?」と尋ねるのだ。

あぁ、それでしたらこの道を・・・

と私が答えると

「あ、道を聞いてるんじゃないんです。実はそこに事務所があるんです」

と言い、何やらアンケート用紙とボールペンを持ち出し、

「2,3分で済むんでよかったら」と勧めてきた。

まあメディアのアンケートなのかなと思い、

親切にも私は簡単なアンケートにペンを走らせていく。

「もしよかったセミナー参加しませんか?

 セミナーと言ってもお茶会みたいなものでケーキとかも出ますよ」

と畳みかけてくる。

すると、どこからか若い女性が近寄ってきた。

ケーキに反応してこっちに興味を持ったのかな?

セミナーを断ろうと思っていた私は「渡りに船だ」と少しホッとすると、

どうやらその女性もグルで

「私たちと一緒にお喋りしましょうよ」と笑顔で誘ってきた。

きゃーーーっ!!

私は思わず、

「急ぐんで!!」と叫んで走り出した。

その後も繁華街に足を運ぶと、信者に話しかけられ、

話をさえぎって逃げ出すこと数回。

 

しばらくして、会社の技術部門の若い人が数名、

統一教会に入信して退職したと聞いた。

 

統一教会騒動が落ち着いたころ、

また繁華街をうろついていると、

「ヨガに興味ありませんか?」と若い人が話しかけてきた。

別の場所では麻原彰晃の似顔絵入りのチラシも受け取った。

 

他にも色んな宗教団体から声をかけられた。

本当に入信しなくてよかったなと思う。

社会から孤立していて、居場所がなかったら、

うっかり入信していたかも知れない。

私のことだから、必死で北海の珍味を売り歩いていただろうな。

あるいは選挙活動とかも・・・。

 

しかし、結婚前に貯金していたお金は半分以上消えた。

これはカッパさんに献金したようなものではないか?

今もカッパによるマインドコントロールが解けてないのではないか?

これは新興宗教よりも恐ろしい現実かも知れない。

 

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なつかしい食べ物

2022-05-26 09:43:47 | 思い出話


30代くらいに好んで食べていたもの。

それはパステルのプリンだ。

初めて食べた時の衝撃はすごい。

週一くらいで買って帰った記憶がある。

 

あと通販で板蔵ラーメンにハマった。

常温でお取り寄せできるし、値段も手ごろだった。

 

タカラブネのスフレチーズケーキ。

初めて中学生のときに食べたチーズケーキだ。

何もデコレーションされていないのにめっちゃ美味しかった。

 

若い人たちはパフェとかチーズケーキは生活の一部だろうだろうけど、

私が中学生くらいまでは、そんなハイカラな食べ物が身近になかったんだよね。

当時は「苺パフェがダイエーの中の喫茶店で食べれるらしい」

と言う噂が流れ、仲良し4人組で誘い合って食べに行ったもんだ。

パフェを食べることが一大イベントだったその時代が懐かしい。

あ、今はエモいと言うのか?

 

実は私、チーズケーキはベイクドやレアよりも、

スフレチーズケーキが一番好きなのだ。

タカラブネのお店自体がもう近所にはないので、

このチーズケーキは食べられないのかと思うとさみしい。

で、調べてみたらタカラブネはスイートガーデンと名称を変え、

さらに現在は不二家の子会社である「不二家神戸」となっているらしい。

ググってみると、家から「不二家神戸」は徒歩圏内にあることを発見。

近くにあったのに気づかなかったとは!!!

なんとマヌケな!

・・・いつものことだけどね。

 

 

あと、サッポロポテトバーベQあじ(←味ではなく、ひらがな)

も何年振りかに食べたら美味しかった。

ビールによく合う!

ネーミングのサッポロポテトのサッポロは札幌オリンピックの年に

誕生したからだって!

私、もう生まれてたからね。発売、即食べていたからね。

あとクノールのチキンクリームスープも子どものころよく食べた。

今は別のものに進化した感じだね。

森永プリンミクスかプリンエルか忘れたけど、

あれも子どものころよく作ったね。高度成長期の味だ。

昔は、やたら粉を水やらに溶かす食品が多かった。

安い、うまい、早いの三拍子そろっていたんだろうね。

懐かしいーー。(体に悪そうだけど・・・)

今度、ショッピングモールの駄菓子屋も行ってみたいな。

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ドラマティックレインと19歳のフク

2020-10-18 09:32:12 | 思い出話


私が19歳のころ、

梅田のファッションビルの片隅にある小さなカフェでバイトしていた。

もちろんウェイトレス。ぶひっ!

フク姉は「ああいうところって可愛い子しかバイトできひんのとちゃう?」

と疑っていた。

でも、それは大きな間違い。

容姿は二の次で、真面目そうな子が面接で通るのだ。

私は可愛くないが、真面目そうに見える。

おそらく金髪に染めて厚化粧して露出の高い服を着ても、

真面目そうに見えるだろう。

それは持って生まれたものだから変えようがない。

ま、良く言えば『品』か?  

それはおいといて。(突っ込まれる前に話題を変える)

最初はカフェでなく、お好み焼き屋に面接に行った。

そのお好み焼き屋は制服が可愛いし、店もおしゃれだったからだ。

でも感触はあまり良くなくて、店を出てその足で隣の隣のカフェに行ったのだ。

カフェの店長はろくに私の顔も見ずに採用してくれた。

そしてカフェで働きだしてすぐにお好み焼き屋から

「明日から来てくれる?」と連絡があったが断った。

その後、お好み焼き屋の店長が自身の休憩時間にそのカフェに来た。

どうやら常連らしいが、なんとまあバツの悪いこと・・・。

時々、「気ぃ変わらんか?」と私に声をかけてくれた。

少し心が揺らいだが、バイト仲間が、

「あそこは女同士のトラブルが多いからやめとき」と言ったので、

お好み焼き屋に「行きません」ときっぱり断ったのだ。

今思えば、単に私をからかっていただけだと思う。

(新参者ってよくからかわれるんだよねー)

余談だが、その時のバイトメンバー(私を含め4人)とはいまだに交流がある。

気心が知れた仲間は大事にせにゃいかんね。


それから私は6歳年上のカフェの店長に恋をしてしまった。

(お好み焼き屋の方ではない)

大人なのにダメダメなところや、メンタルが弱いところが、

私のハートに突き刺さったようだ。

また、大人の男性と長時間一緒に居ることが初めてだったのもある。

そんなカフェのバイトのとき、店内でよく聴いた曲が

稲垣潤一のドラマティックレイン。

せつない恋心にめっちゃ沁みた。

でも店長は既婚者。

バイトが終わっての帰り道、雨が降っていた。

泣きながら濡れて帰ったことを覚えている。

まだ二十歳になる前の苦い恋心。

店長がよその店に移り、そのまま告白せずに終わった。

私はそのカフェの古参になったが、就活が始まり、辞めた。

今でもドラマティックレインは好きな曲だ。

ボサノバっぽい曲調が琴線を揺さぶる。

筒美京平が作曲した。

筒美京平はスゴイ!!天才だ!

私の好きな曲ばかり作曲してくれた。

NOKKOの「人魚」も大好き。

他にもいっぱいある。数えきれない。


そんな筒美京平先生の冥福を祈るばかりだ。

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独身コンプレックス

2019-12-02 10:34:57 | 思い出話


先日、カッパさんがお店でお客さんと喋っていた。

「フクちゃんは僕が死ぬのを楽しみにしてる」

「なんで?悲しがるでしょう?」

「フクちゃんは独身の友達がいっぱいいるから

 全然さみしくない。毎日遊んで暮らすと思うわ」

話す内容はともかく、

確かに私は独身の友達が多い。

それは私が独身時代が長かったからだ。

どんなに仲が良くてもどちらかが結婚してしまうと、

距離が空いてしまう。

独身の時は時間を気にせず遊べたが、既婚者ともなるとそうはいかない。

子どもが生まれると遊びに出ることもできない。

もう共通の話題が消滅してしまって、会話ができない。

やがて既婚者の方から連絡が途絶えてしまう。

こうなると独り身は本当にさみしい。

しかし、広い海原に目をこらせば、遠くで灯台が光っている。

そう。

灯台は卒業以来疎遠になっている友人だ。

友人も既婚者とは疎遠になり、さみしい気持ちだったのだ。

こうやって独身同士、遠くの灯を見つけては旧交を温め合っていき、

いつしか私の周りは独身者だらけになったのだ。

ようするに身軽なものが磁石の様にくっつき合うっちゅうことだわ。

さて、私も独身の時は変な見栄を張っていた。

アラフォーともなると、他人から「独身」だと見られたくなかったのだ。

当時は、「独身=モテない」と言う図式がまかり通っていたので、

それをさらけ出すのは恥ずかしかったのだ。

ブティックやアクセサリーの店などで、顧客シートに記入するとき、

生年月日の他に、未婚・既婚のチェック欄があった。

この情報いるか?

スルーしようかと思ったが、

なんか逆に反抗心が見え隠れするようで、

既婚の方にチェックしたりした。

そうすると「変な見栄を張った」「しょーもない女やな、私は」と

ふがいない自分を責めた。

未婚にチェックすると、

「あーこの女、モテへんやろな。彼氏もおらんな」と

店員に思われている様で勝手に惨めな気持ちになった。

とにかく生年月日を書くのもイヤだし、

既婚かどうかを問われるのもイヤだった。

今はそういう顧客シートも見かけなくなったので、

(っつーか、そういう店に行かなくなったからか?)

私のように傷つく客が多かったのかもしれない。

ようするに独身がコンプレックスだったんだろな。

しかし私の周りの独身者は、

そんなコンプレックスを持っていないように見えた。

でも、それは私の誤解だったようだ。

私が彼女らにお見合いの話を持っていくと、

恐ろしいまでの拒絶反応があった。

私は彼女らの触れてほしくない部分に、

ズカズカと踏み込んでしまったのだ。

独身コンプレックスは結婚しない限り解消しないけど、

要はコンプレックスにしなきゃいいだけ。

独身主義にすればいいだけ。

このご時世独身者はたくさんいる。

独身同士、恋愛や友情を楽しめばいい。

もっともっと自由に独身を謳歌しようではないか!!

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おバカな会社にいたもんだ

2019-02-27 10:18:34 | 思い出話


私が最初にまぐれで入った会社は、有名俳優のCMでおなじみだ。

ハズキルーペではない。

そんな有名メーカーであるが、

私のいた職場は「これぞ、大阪!」を体現したようなものだ。

社員の意識にエリートのかけらすらない。

もちろん新入社員はエリートであるが、

古参のおやじたちに教育されもみくちゃにされ、

いつしか“ヤングなおっさん”になってしまう。

イケメンであっても、半年経つと小ずるいヒネタ顔になってしまう。


事務所は一日中うるさい。

誰かが怒号している。誰かが泣いている。誰かが悲鳴をあげている。

いたって日常。

電話に夢中になりすぎて椅子から転げ落ちる人、多数。

私も何度も椅子に座ろうと思ったら椅子がなくて、尻もちをついたことがある。

これも心象風景の一部となっている。

叫んだあと泣きながら走り出す女子社員。

呆けた目でテニスボールをポーンポーンと床に打ち付けている課長

顔から血を流しているか、あるいは頭に包帯を巻いている男性社員。

なぜ、とは誰も疑問に思わない。それが普通だからだ。

気でも狂ったか?と思うほど、いきなり笑い声を高らかにあげる。

うんうん、みんな経験している。

自由すぎるのだ。


午前と午後で髪形が違う人もいるし、

パチンコ店から「カバン忘れてます」と伝言がある人もいる。

「時間つぶしに喫茶サニーにいるかも知れない」と言われ、

緊急の件で電話をかけると、「はいサニーです」と、その人が出る。

お店の人はどうした?


一応、海外との取引もあるがめったに電話がかかることはない。

たまに外国人から電話があると大騒ぎ。

「ぎゃーートーマスさんから電話!!誰か出てーー」

となる。

英文科卒と言うだけで全く英語が話せない私に受話器がまわってくる。

「は、はろー?」と言うと

向こうはめっちゃ日本語。なんなら茨城弁も入ってる?

・・・藤枡(とうます)さんだった。まごうことなき純粋の日本人。


こんなこともあった。

「うわーーこんどの慰安旅行は『強姦の里』やってーーー!!」

とオッサン達が大騒ぎ。

何のことはない、合歓(ねむ)の里だ。アホか?


私の上司が人事の担当者にこっぴどく叱られている。

どうやら休みを生理休暇として申請したらしい。

本人はケアレスミスだと言い訳しているか、

あのとぼけた顔を見ると確信犯じゃないかと思う。

休暇取りすぎなんだよ。


隣の課の課長の電話には、カタコトの日本語で

「シャチョウサン、イラッシャイマスカ?」と電話がかかってくる。

社長なんて雲の上の人だ。真に受けて繋ぐわけにいかね。

だってここ本社ビルじゃねーし!!


うちの課の「一週間フィリピン行ってくるわ」と休暇を取ったオッサン。

毎回、奥さんからの電話でアリバイ工作させられる。

私らが気を利かしていることをオッサンは知らない。

周囲が物わかりよすぎるんだろな。


そうそう後輩のMちゃんは給湯室に立てこもったことがあったな。

包丁を喉に突き付けて、Y社員の名前を叫んでいた。

Y社員はイケメンだ。女好きだ。妻子持ちだ。

何があったのか?

まあ想像はつく。

よくあること。

その後Mちゃんは、ちゃっかり取引先の誰かさんと結婚して、

アメリカへ発ったけどね。結果オーライ。何もなかったことでいいのだ。


まあ、仕事は大変だったけど楽しかった。

なんと言うか・・・全てをさらけ出して全力で生きていた時代だ。

今ならハラスメントの玉手箱と言っていい。

この現代に同じことをしたら、いったいどれだけの人が懲戒免職になるだろう?

毎日が伝説だった時代だ。それがとても懐かしい。

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ブラック企業と残業

2017-10-28 11:15:12 | 思い出話


さてさて台風の中、衆議院選挙が行われた。

結果はご存知の通り。

これについて特に私ごときがどーのこーのは言わない。

意味がないし、読んでいて不快に思い人もいるからね。


話は変わって。

先日、NHKで議員秘書をやっていた人のインタビューを放送していた。

仕事の内容の過酷さは筆舌に尽くしがたい。

360日は休みなしとか、平均睡眠時間3時間とか、

まあ恐ろしい。

ブラック中のブラック。

個を失くす仕事。

ひたすら議員に尽くす仕事。

そして、なんと! やりがいのある仕事だそうだ・・・。

確かに報酬は普通のサラリーマンよりは高め。

鉄人でないと出来ないよね。

残業はいったいひと月何時間になるのだろう。

勝手に計算してみた。

1日は6時出勤の24時退社が平均だとすると、

勤務時間8時間を差し引いた分が残業となる。

出勤30日×平均残業時間10H=300H

どっひゃーー!!

1か月の残業時間が300時間超えちゃうよーー。

もし仮に時給が1500円だとしても、

普通に1000万円の年収になっちゃうよーー!!

完全にブラックじゃん!

政治家がこれだから、企業が改善するわきゃない。

絶対にね、やらないくてもいい仕事やってんだってば!

私も働いていたときに、どんだけ電話で無駄話したよ?

気の合う仕事相手だと、際限なく世間話が続く。

1日30分は無駄にしてるな。

また取引先が来たら、ブースで打ち合わせ。

これも早々に追い返すわけにもいかず、

下手したらランチまでご馳走しなきゃならない。

ここで2時間無駄にしてしまう。

あと注文した商品の数量変更も、

まず受発注システムの端末機で数量変更し、

FAXで数量変更し、

電話で数量変更を伝える。

また電話の相手がなかなか捕まらない。

午前に電話かけて午後にようやく相手と話ができたりする。

これ、無駄な作業多くね?

せいぜいFAXかPCのメールで済むよね?

いちいち電話いる?

ほんで電話かけると怒られるんだぜ。

わかるよ、工場に変更依頼するのが手間なこと。

でも私も遊びでやってるんじゃない。

お得意先が数量を変更したいって言ってるんだ。

まだ商品も工場ラインに流す前じゃないか!

汎用品だから他の客に回せばいいじゃないか!

なのに怒りをぶつけてくる。

こんなかんじで無駄な時間が過ぎていく。

得意先の数量変更を受けなければいいって言う人もいるかも知れない。

そうすっと私の上司に得意先が文句言ってくる。

結局、同じこと。上司が私に詰問してくるよね。

それ以上に得意先のこっちの企業に対する心証が悪くなるよね。

まあ不条理ですな。

これがAIになると、感情やしがらみがなくなるので、

ほんますっきりすると思う。

数量変更もAI同士。

AIが工場のAIに伝えて滞りなく一瞬で解決する。

ブラボーAI!

残業って人に感情がなければ発生しないもんだと

つくづく思ったよ。

今ならわかる。

もし私が人に好かれようと思わなければ、

残業はほぼゼロだった。

休日に工場で働く人の機嫌を取るために、

一緒にテニスしたりして・・・。

プライベートの時間まで仕事に捧げたな。

キャンプもしたな。

飲みに行った。

それはそれで楽しかったな。うん、楽しかった。

仲良くなると仕事がスムーズに進むんだな。

残業ブラボー!・・・あれ?

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バブルとバカ女

2016-11-06 18:39:17 | 思い出話


柚木麻子の「その手をにぎりたい」と言う本を読んだ。

バブル期を背景にOLの板前に対する純愛が描かれていた。

最初、あまりヒロインが好きになれなくて、

しらけた気分で読み進めていたのだが、

ヒロインがだんだん図太くなっていき、

途中から感情移入しすぎて涙目で文字を追っていた。

でもね、これ・・・バブル経験していないと、

つまらない本に思えるのでは?

実際、感想も「イマイチだった」が多い。

だよね?

でも私には痛いほどヒロインの気持ちがわかる。

嫁に行き遅れた女性がバブル世代に多い。

これもね、本当によくわかる。

だって足が地についてないんだもん。

いまだにバブル引きずっている人多いよ?

まず、トレンディドラマの影響。

そのためダサイ彼氏はノーサンキューだった。


例えば彼氏の条件として・・・



神戸の湾岸線をドライブし、ボートハウスのカフェでランチとか、

夜景の見えるレストランでディナーとか、

そんな素敵なデートで楽しませてくれる人。

かっこいい車を持っている人。当時、ユーノス・ロードスターが流行っていた。

大企業に勤めている人。

テニス、スキーが上手で、

話題が豊富。会話も楽しい。

そして誕生日に花束を用意してくれる。

こじゃれたイタメシ屋やワインバーを知っている。

よく気がつく人。(車にひざ掛けが用意してあるとか)

ま、こんな感じかな。

言っとくけど、バブルの時よっ!バブルの!!

今じゃ時代遅れだけどね!


でもこんな石田純一みたいな男性になかなか出会わない。

いるわきゃない。

なので、

デートが生駒山だったり、

車が家族共用のカローラだったり、

ディナーがロイヤルホストだったり、

スポーツよりも競馬に興味あったり、

誕生日のプレゼントが民芸品であったり、

なんかね、「ダサッ!」って思った瞬間、

もうありえねーって感じで、付き合うのやめたことが多々ある。


相手は一生懸命プランを考えてくれだろうに、

そんな気持ちもおかまいなしに、

「こいつはトレンディじゃねーな」と

私は不機嫌になったりしたものだ。

ホント!昔の自分を殺してやりたい。

いや、殺すと今の私がないから、鼻血出るまで往復ビンタだね。

フルボッコって言うやつ?


思えばあの頃の恋愛ってゲーム感覚なんだよね。

相手の本質を全然見てない。

上っ面だけ。

優越感を満足させてくれるかどうかが彼氏の条件。

でもね、バブル期はそんな女性ばっかだった。

メディアの影響が強すぎた。

そんな中でも浮かれずに地に足のつけた女性だけが、結婚できた。

「え?あんなダサイ人と結婚?いいの、それで?」って

友達が結婚するたびに、心の中で思った。

あーー”(-“”-)”当時の私ってクソだなっ!!

そんなクソ女がいい中年になってさ、

今どきの若い人をディスったりしてんのよね。

反省しなきゃだな。

私に比べたら今の若い人たちの方がよっぽど真面目に生きてるわ。

25歳なのに私ってば6件のスナックにボトルキープしてたよね。

週末はよく暴れ飲みしてたよね。

合コンで飲み過ぎて人事不省に陥ったこと何度もある。

千鳥足で裏通りを一人で歩いたこともある。(なぜか靴が左右逆なの)

レイプされなくてよかった。奇跡かも。

いや、手を出すのも怖かったか?

とにかく、もうね若い時ほどバカなことを考えて、

バカな失敗した方がいい。

20代ならギリ許される。

わがままいっぱい生きてよ、ほんと!

とりあえず、私程度の中年でおさまるからさ。

私以下はないよ、きっと。安心して!

バブルのおかげでおバカな人間が量産されたけど、

彼らたちは夢だけは今も持ち続けているし、

どこかに楽しみを見つけようとしている。

バブルは決して負の遺産じゃない。

あの特殊な時代を過ごせた私は本当に幸せだと、

今なら思う。

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痩せたい

2016-01-23 09:27:19 | 思い出話


先日、座っている自分のお腹の肉を

つまんでみた。

つまめる・・・。

つまめるどころか、がっつりつかめる。

すでに少しばかり垂れ下がっているようだ。

怖くなり慌てて胸を張った。

猫背になるとお腹の肉ってたるむんだね。


昔の私は痩せていたのになぁ・・・

とつい遠い目をしてしまう。

煙草を吸っていれば、静かに紫煙をくゆらせているシーンだ。



・゜♡゜・。♥。・゜♡゜・。♥。・゜♡゜・。♥。・゜♡゜・。゜♥。・゜・゜♡・。♥。・゜♡゜・。♥。・゜♡゜・。♥。・゜♡゜・。゜♥。・゜・゜♡


20才台の私はウエストが細くて悩んでいた。

シャツやブラウスがすぐ外にはみ出してしまうからだ。

だからいつもせっせとボトムの中に

はみ出た裾を押し込んでいた。

なぜみんなはウエストからシャツがはみださないのだろう・・・。

「細いね」と女性からよく声をかけられた。

人はみな、「細い」=「食が細い」と言う方程式が

絶対的に正しいと思っている。

大食漢ではないが普通に食べる。

残したりしたことなんかない。

しかし、いつも食べ物は私に集まってくる。

「もっと食べて太らないとあかんよーー」

みんな私をジャバザハットに仕立てたがる。

鍋、焼肉などノルマがあいまいな物は

いつも人より多く食べさせられる。

1.5人分はやっぱりキツイ。

「もう食べられない~」とギブを出すと、

「だから痩せてるんやーー」と怒られる。

そしてあろうことか、ぽっちゃりしている子は

人前ではあまり食べないのだ。

だから料理が余ってしまう。

私が食べないから余っている、とみんなが勘違いするのだ。

あんまりじゃない?


以前、私と❝ぽっちゃり女子❞が上司に焼肉屋に連れて行かれた。

私、あまり肉が得意じゃない。

胃にもたれるのだ。

しかし上司は私達が喜ぶと思って特上肉をどんどん注文する。

次々に肉が焼かれていく。

しかし、ぽっちゃりはほとんど箸をつけない。

肉がどんどん山積みになっていく。

全く戦力にならないぽっちゃり。

私は苦手な肉をブロイラーのように

口に詰めこんでいった。

食べても食べても減らない。

ぽっちゃりはビールも飲まない。

私だけが上司に付き合ってビールを飲んでいる。

もう胃がパニックになっている。

仕方なくトイレで胃の中のものを吐き、

席に戻ってまた残っている肉に挑んだ。

私の胃は生中2杯込みで焼肉2人前が限度なのだ。


ようやく私が太らない理由がわかった。

いつも必要以上に食べさせられ、

胃腸をやられ、

そして痩せていくのだ。

きっと普通に食べたら太るのになぁ・・・。


やがて、私も毅然として周りのすすめも断り、

必要以上に食べないようにした。

するとよ、いつのまにか身体に脂肪がついてきた。

5号サイズから7号サイズ、そして念願の9号サイズまで

のしあがった。

ブラボー!

9号になるとウエストからシャツがはみださなくなった。

脂肪がついたおかげだ。

うれしい。もうカッコ悪くない。

服の場合、特にボトムスはウエストを縮めないと、

着ることができなかった。

毎回、“お直し”に出していた。

それが、買ったその日に着れる喜び。ブラボー!

どんな服を着ても、肉のおかげで「着られている感」がない。

もともと私は痩せて見える体質で、

40kgでも35kgくらいに見られていたようだ。

意外に骨密度が高かったのか内臓が重かったのか、

それはわからない。

45kgはベスト体重に思えた。

しかしあれから20年。

もう過去の話だ。

痩せていたって言われても、他人からしたら自慢にしか聞こえない。

少しでも気を抜くと50kgの大台に乗ってしまう。

今はなんとか47から48kgを行ったり来たり。

ほんとはね45kgがいいんだよね~。

きっとシュッとして見えると思うんだ。

お客さんに「フクさんは細いね~」って言われるけど、

お年寄りだからね。基準があやふやなんだわ。

たぶん私が55kgぐらいだったら、

「ちょうどいい!」って誉めてくれるんだろな。

その手にはのらないよ!!

さて最近は夕食を軽めに済ますようにしている。

しかし代謝が悪いせいか痩せない。

でも、がんばるよ。

なんとか2kg落としてみせる。

ただ、今さ・・・色々頭を悩ませることがあってさ、

とりあえず青色申告が終わったら、

気が楽になると思うんだ。

だからそれからダイエットに取り組んでみる。

痩せた報告はちょっと先になるけど、

楽しみに待っててけろね。

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青春時代のアーティスト

2015-09-10 16:11:26 | 思い出話


昔はソロのライブのチケットが

なかなかとれない人気のアーティストたち。

それが今や一山なんぼの破格の値段でコンサートを催している。

「君と歩いた青春」と言うタイトルのコンサート。

イルカ、太田裕美、尾崎亜美、南こうせつ、谷村新司・・・

最盛期の時代にこれらのアーティストのファンだった人達は

びっくりしているだろう。

これが時代の流れなんだろうね。

尾崎亜美とかは山下久美子と並んでカリスマ的な存在だった。

あまりテレビに出ないのでコアなファンが多かったと思う。

中学生の頃、放課後の教室や体育館裏とかでイルカの歌を

友達と口ずさんだりしていた。

「雨の物語」なんかはちょっと背伸びして歌っていた。

なつかしい・・・。

私らが中高生の時代はフォーク調も流行っていた。

『22才の別れ』とかね。

歌謡曲も好きだったが、

刹那的なイメージのフォーク調が大人っぽく聴こえたのだ。


そしてバブル期の到来とともに、

私たちの憧れだったフォークは衰退する。

今じゃ懐メロだ。

しかしソロでもまだ頑張っている人たちもいる。

ユーミン、さだまさし、長渕剛、中島みゆき・・・

(フォークじゃなくシンガーソングライターか)

きっとプロデュースの力がすごいんだろうな。

中島みゆきは今でもヒット曲を飛ばしている。


それを言うならサザンオールスターズもすごい。

ずっと先頭グループを走っている。


もし10年後とかに、

サザン、ユーミン、中島みゆき、さだまさし、長淵剛、松山千春の

コラボコンサートがあれば、絶対チケットとるね!!


そしてその10年後に平井堅、槙原敬之、久保田利伸らの

コラボコンサートを観に行く予定だ。(←勝手に決めている)

果たして私の足腰立つか?

そもそもアーティスト達も舞台で走り回れるのか?

杖か?車いすか?

そこが一番心配だ。

コメント
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