山岳ガイド赤沼千史のブログ

山岳ガイドのかたわら、自家栽培の完全手打ち蕎麦の通販もやっています。
薫り高い「安曇野かね春の蕎麦」を是非ご賞味下さい

粉挽きジサマ

2014年01月17日 | 蕎麦の販売

 ようやく暇が出来て、今シーズン初のスキーに行こうかと、朝靄に煙る木崎湖辺りをいそいそと軽トラックで走っていると、突然僕の携帯が鳴った。誰かと出てみれば、それはある人物からのものであった。 

 

ジサマと大石臼

 このジサマ、名を「原拓」さんという。・・・・・・「はらひらく」・・・・・・「腹開く」・・・・・・冗談のようだが、紛れもない本名だ。このジサマの正体は、蕎麦粉の製粉屋だ。要するに我が家で収穫した玄蕎麦を、巨大な石臼で蕎麦粉にしてくれる名人なのだ。御歳、八十九才。未だ蕎麦に対する情熱は衰えず、頼めば

「わかったデ、持ってきまショ」

といつも粉挽きを引き受けてくれる。

 ところが昨日、製粉を頼みに行ったらジサマは

「オラ忙しいデ、そうセ、一週間ぐらいかかるジ、それでもいいかい?」

と連れない返事だった。仕方が無いので、なるべく早くにって事で玄蕎麦を置いて、そのまま帰って来たからあまり期待はしていなかったのだが、流石このジサマ、蕎麦を打ちたい時に打てない蕎麦職人の気持ちがよく解る御人で、翌朝になって

「にいさん、これからやるデ、手伝いにきまショ」

と、電話をかけてきてくれたのだ。もうすぐ白馬と言うところで、僕は軽トラをUターンさせ、ジサマのささやかな粉挽き工場へ向かった。

 着いてみれば、さっきは手伝えと言いながら、最初にヨッコラショと玄蕎麦を石貫き機に入れる時だけ手伝わせただけで、その後は一切手を出させてくれない。僕としては、粉挽きには並々ならぬ興味があるし、全行程を自分でやってみたいのだが、それは叶わぬ事なのだ。

 ただただ、僕はこの八十九才のジサマのぶっ飛んだ会話の聞き役となって、粉が挽けるまでの2時間を過ごした。工場はさほど広くはないプレハブ小屋なのだが、電気ストーブが一つだけ点いているだけで他に暖房器具は何もない。コンクリートの土間からはしんしんと冷気が伝わって来る。2時間体を動かさずに、ジサマの話を聞くのもなかなか大変で、これなら先日行った厳冬の西穂高岳の稜線の方がまだマシかも知れないと思う(笑)。だが、こんな寒い工場で一人で元気に働けるジサマは、普通の人間とは少し違う。蕎麦挽きに対する情熱と、拘りは並々ならぬものがあって、それがこのジサマの原動力になっているのは確かだ。

 このジサマは画を描いたりする。俳句をひねったりもする。絵や骨董を集めたりもする。投網で魚を獲ったり、友人とセスナを飛ばしたりもしたそうだ。若い頃には数々の浮き名も流したのだろう。いわゆる遊び人なのだ。工場の壁には、広告の裏にマジックペンで書かれたジサマの言葉が、無造作に画鋲で貼り付けられていた。それにはこうある。

「幸せとは生涯を貫く仕事を持つことだ」

うーん、納得。自分の好きな事をやり続ける事が幸せなのだと言うのだ。確かにこのジサマ、現在は八十九才で、話すことと言えば殆ど以前に聞いたことがある話だし、太平洋戦争の話から、いきなり目の前の梅の木の剪定の話に瞬間移動したりするし、入れ歯も時々飛び出しそうになったりしているのだが、その仕事は確実で一切手を抜かず、薫り高い蕎麦粉を挽いてくれる。

 このジサマ、昨年体を壊し手術をした。手術のあと、粉挽きの量をかなり減らした様だが、こうやって見事に復活し元気に粉を挽いている。すごいエネルギーだなあと思うのだ。僕がこのジサマの歳になるまでには後35年ほどの月日が必要になるのだが、果たして僕は、何かに対してこんな情熱を持ち続けていることが出来るだろうか?全く自信がない。

 蕎麦の味や風情というものは、粉の仕立てに寄るところがとても大きい。僕の蕎麦の味はこのジサマの粉挽きにかかっているのだ。このジサマが粉を挽いてくれるからこその僕の蕎麦なのだ。呼ばれれば僕はまたジサマの話を聞きに行くだろう。そして、そのうち少しぐらい手を出させてくれるかも知れない。よーし、それまで、しっかり付き合ってやろうじゃないの。だから少しでも長くこの蕎麦粉を挽いてほしいと思うのだ。

安曇野赤沼家の蕎麦の販売