山岳ガイド赤沼千史のブログ

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鼻の頭が凍傷になった件について

2014年01月22日 | 登山道具考

 鼻の頭のかさぶたが気になって仕方が無い。なんで、鼻の頭にかさぶたが出来ているかというと、それは先週行った西穂高岳の時の後遺症なのだ。

 一週間ほど前、僕はBSTBSテレビの日本の名峰絶景探訪シリーズのロケに同行した。その時の朝方の冷え込みはマイナス20℃にもなり、風速20メートル程の強風が一日中吹き荒れていた。そんな中でも撮影の可能性を求めて、稜線を行く我々には容赦なく厳冬期の季節風が吹き付け、わずかに露出する顔面は体感気温40℃の外気に無防備に晒されることになった。もちろん目出し帽にゴーグルをし、ジャケットのフードを被ってはいるのだが、どうしてもゴーグルと目出し帽の間には隙間が出来る。これを作らないように目出し帽の上にゴーグルを乗っける様にすると、立ちのぼる自分の呼気がゴーグルの中に進入してたちまちレンズが曇り凍り付く。こうなると視界は奪われ、行動すらままならくなってしまう。だから少しだけ隙間を空けて居るのだが、そうすると鼻の頭や頬のラインは完全に露出してしまうからどうしようもないのだ。

 行動中、「鼻の頭痛てーー!」とは思っていた。こりゃ凍傷になるなと。帰れば案の定、僕の鼻の頭はヒリヒリと痛み、数日でかさぶた状態となった。気になって仕方がないのだが、下手に触るとそれをはがしてしまい血が滲むから、なるたけ触らないようにするのだが、やがてそのかさぶたが自然にはげ始めて端っこがヒラヒラとめくれて、僕の視界の片隅に見える様になると、もうどうしようもなくはがしてしまいたい衝動に駆られるのだ。でも、それは根性で我慢する(笑)。

 凍傷はやけどと似ている。やけどは高熱によって皮膚の細胞が死滅するものだが、凍傷は極端な冷たさで皮膚の細胞が凍り付き死滅するものだ。重度になればそれは皮膚のさらに奥深くに浸透し、末端の血流を止め、やがては手足の指や鼻を切断しなくてはならなくなる。今回の僕の凍傷はそんな重度のものではなく、アイロンを一瞬鼻の頭にくっけた位のものだが、それでも少しだけ僕の生活は憂鬱になる。鼻の頭が少しヒリヒリするだけで「神様ごめんなさい、早く治して下さい」みたいな気持ちになるのだ。小さいのお、ワシも。

 さて、今回のBSTBSのロケにあたり、ゴーグルをしないふとどき者が三人いた。それは、カメラマン二人と、ベテランガイドのM氏だ。カメラマン二人には前日「顔面を出すなよ、鼻がもげるぞ!」とさんざん脅かして居たのだが、彼らはカメラのファインダーを覗くという仕事上の都合から、いつの間にかゴーグルを外してしまっていた。カメラマンが仕事に来て、ファインダーが覗けないんじゃ仕方が無いし、彼らにとっては鼻がもげたとしても良い絵を撮ってやると言うプロ根性が有ったわけだから、僕はほっておいた。しかしもう一人のMガイドはそうではない。彼は確信犯的に端からゴーグルなど持ってきていないのだ。

「あれ、Mさんゴーグルしないの?」と聞くと

「そんなもん、なんでするだい?」と逆に開き直るのだ。

 M氏は何度もヒマラヤの高峰に登ってきたクライマーだが、そんな時もゴーグルはしないと言う。マジで?うそでしょ?信じられなかった。

 今回の話は、このふとどき者達を断罪する為に書いているのではない。実は終わってみれば、僕らゴーグル組がほぼ全員凍傷を負っていると言うのに、何故かこの三人だけが凍傷にならずに何ともないと言う事実があったと言う事を書きたかったのだ。ゴーグル組が、「ほら、ここやられてるよ」「君だってほっぺた、黒いぜ」なんてやっているのに、この三人はすこぶる血色が良く頬は鮮やかなピンク色をしているのだ。

 そう言えば、僕も若い頃はゴーグルなんてしなかったが、凍傷にはならなかった。そもそも、まともなゴーグルなんて無かった時代だった。現在ゴーグルは良いものが出ているし、それを冬身につける事は、ごく標準的な装備となって居る。だが、当たり前だと思っていたこの装備の弱点が有るのかも知れないと、今回のことで思うようになった。

 ゴーグルを曇らせないように身につけていることはかなり細かい配慮が必要になる。口や鼻から立ち上る呼気を内部に入れないように目出し帽を微妙に調整し、はき出す呼気の向きさえ気にして呼吸をしたりする。曇りが入れば直ちにゴーグルを浮かせ、外気を入れ曇りを取る。かなりの上級者でない限り内部を曇らせない様に管理することは結構難しいことなのだ。

 確かにゴーグルを身につけると、鬼に金棒的な心強さがある。どんな激しいブリザードもレンズ越しに見れば、それはまるで暖かなお家の中から眺めているような感じがするし、オレンジ色のレンズを透して見る冬の情景は明るく美しい。何となく勇気が沸くような。だが、これが凍傷の原因となって居るとしたら、僕は考え方を改めなければならない。

 もしかしたらだが、顔面を覆うと言うことは、顔面の表層の毛細血管たちを、甘やかす事になって居るのかも知れない。ゴーグルや目出し帽に守られて、めいっぱいの血流を運ぶことをサボっているのかも知れない。そんな時、血流が充分に行き届かない皮膚が一部露出しているのだから、ゴーグル組の顔面は寒風の餌食となってしまう。

 ゴーグルをしない時顔にぶち当たるブリザードの雪つぶては、行ったことはないが、砂漠の砂嵐と同じほどに容赦なく僕らの目を刺す。そんな場合は目を細め、耐えるしか無いわけだ。晴天ならば、雪目も心配だ。雪目は太陽光が雪に反射し、紫外線で目を焼かれる目の火傷だが、これになったら、瞳は猛烈な痛みに襲われ瞼を開いていることさえ困難になる。目からは涙が溢れ続け、そうなると歩行は不可能だ。

 さてさて、僕は今ゴーグルを身につける身につけないで、悩ましい問題に直面してしまった様だ。どちらにもそれなりの良さとリスクがある。果たしてゴーグルをしなければ僕は凍傷を防げるのか?お客さんに対してはどのように言えば良いのか。これに結論を出すには少しばかりの時間と実証が必要なようだ。

 

※ ところで、凍傷には傷害保険は適用されないと言うことをご存じだろうか?皆さんが加入している登山保険というものは基本的に傷害保険である。傷害保険は、怪我を対象にそれを保証するものだが、火傷は間違いなく大丈夫。だったら凍傷だって良さそうなものだがそうはいかない。それは何故かというと傷害保険にはその原因が「偶発的克つ突発的」でなければいけないと言う条件がつく。残念ながら凍傷はそれには当たらない。「なんでそんな寒いところに行ったの、あなた?」「鼻が痛かったら帰ってくれば良かったのに?」と言われてしまえばそれまでだ。ガイドが「顔大丈夫?指先痛くない?」とやかましく言うのはそのせいだ。凍傷に怖じ気づくのなら冬山など行かない方が良い。みなさん、呉々も凍傷は自己責任ということで。