ワイエスのリアリズム
ワイエスのリアリズムの特徴は、<物>を正確にとらえることではない。むしろ<物>の背後にある<事>をいかに表現するかにある。
<事>に近づいていく方法が、技術であり、<物>は<事>の一面にすぎない。
たとえば1964年に描いた『愛国者』という作品は、ラルフ・クラインという人物をモデルにしている。ただしそれはただの七一歳の頭の禿げた人物の形と色ではない。感情と誇りと知性をそなえ、そのくせ女好きで抜け目のない男。しかも絶対の愛国者として、戦争を戦い抜き、塹壕の砂埃とタバコの臭いを、頭部の微妙な曲線と背景の暗い調子の中に表現されるべき作品として、『愛国者』は描かれたのだ。
(「芸術新潮」1986年10月号 難波英夫)