柿むいて今の青空あるばかり
大木あまり
『チリの闘い』(グスマン)と『戒厳令の夜』(五木寛之) 関川宗英
五木寛之の書いた小説『戒厳令の夜』(1976年刊)に、『チリの闘い』のアジェンデ政権が登場する。
「きみはいま、アジェンデ大統領のひきいる人民連合政府が、どんな苦しい立場に追いこまれてるか、知っとろうが。いいかの。アメリカは中南米に社会主義国家が誕生することを、何よりもおそれておる。チリは選挙によって平和裡に社会主義国家へ移行した最初の国じゃ。”アジェンデ大統領の実験”と世界の注目を集めとるのも、そのためたい。そしてチリ人民連合政府は、アメリカがチリに保有する会社、工場、企業を、片っぱしから大胆に国有化をすすめておる。坑内掘りでは世界一のエルテニエンテ銅山もそうじゃ。ITT、すなわちアメリカの国際電話会社所有のチリ電信電話社もそうじゃ。銀行、農場、流通、みなそうじゃ。これが成功すれば、中南米の諸国家群は続々と左翼政権に変りかねぬ。それで、ありとあらゆる手をつこうて、キッシンジャーやCIAがチリ社会主義の破滅工作に血道をあげとるわけじゃな」
これは鳴海という老人の言葉だ。小説『戒厳令の夜』には、1970年当時のチリの国情やアジェンデ大統領の名前など実名で登場する。
キッシンジャーも実在するアメリカの政治家だ。キューバ危機後の冷戦時代、ニクソンやブッシュ(父)の大統領補佐官や国務大臣を務めた。卓越した交渉力と徹底した秘密主義。ベトナム戦争終結の功績などからノーベル平和賞を受賞したが、ベトナムの北爆を実行した張本人でもある。
小説『戒厳令の夜』は、福岡の酒場にあった幻の名画が発端となって、日本の政治の闇やチリの社会主義政権までからんでくるスペクタルな展開だが、当時の混乱しているチリの様子を窺い知ることができる。五木寛之がどのように調べたのか、どこまでが事実でどこからがフィクションなのか、それははっきりとは分らない。しかし、選挙によって大統領となったアジェンデが社会主義的政策を進めることがどれほど困難であったか、軍事勢力と渡り合いながらいかにチリを維持しようとしたかなど、アジェンデの苦悩をひしひしと感じさせる作品になっている。
銅はチリの輸出の80%を支えていた。しかし、その銅産出の多くはアメリカの多国籍企業に支配されていた。アジェンデは1972年12月、国連で次のように訴えている。
「これらの企業はチリの銅を長年にわたって搾取してきました。過去42年間だけで40億ドル以上の利益をチリから持ち出しましたが、彼らの初期投資は3000万ドルにすぎません。これがチリにとって何を意味するのかを示す痛ましい例を挙げましょう。我が国には、生まれて8か月の間に最低限の量のタンパク質が与えられなかったがゆえに通常の人間らしい生活を送ることが生涯できないであろう子供たちが60万人います。40億ドルもあれば完全にチリを変えることができるでしょう。その額のごく一部だけでも、我が国のすべての子供たちのタンパク質を確保するに十分なのです」
(http://web.kyoto-inet.or.jp/people/ananando/chilecoup.html#ch0)
アジェンデはこのように述べ、スタンディングオベーションを浴びたという。
アジェンデ政権は、アメリカの支配下にあった銅産業会社を国有化する。
これに対しアメリカは、銅の輸出と生産を妨害する工作を行った。
小説『戒厳令の夜』では、先にあげた鳴海老人が、次のようにアメリカの工作を説明している。
「金の話をしよう。アジェンデが左翼人民連合政府を樹立した2年前、前の政府から引きついだ外貨準備高は、5億ドルじゃった。そして現在、約5千万ドルと言われておる。アメリカはチリの経済の柱である銅の国際価格を落とすため、軍事用銅の放出までやったのじゃ。結果的には、いまチリの人民連合政府は、非常な危機にさしかかっておるといってよかろう。チリはいま、人口当りでは世界最高といわれる借金国じゃ。対外債務元利合計42億ドル近い金を、これから返してゆかなければならん。そこでチリは、ソ連、中国など、アメリカ圏ではない国からも金を借りて急場をしのごうとしておる。」
アメリカが軍事用の銅まで放出して、銅の国際価格を下げさせる・・・、チリを追いこむための姑息なやり方は、現実の政治のどろどろとした闇を彷彿とさせる。
小説では、チリ政府のバルデス夫人がさらに詳しく、チリの窮状と混迷を語っている。
「しかし、ご存じのように、アメリカのCIAはじつに巧妙で陰険な動きをしています。直接に手を下したりはしないで、チリ国民の経済生活を破局に追い込んでいくために、さまざまな戦略を実行に移しているのです。アメリカは自分でチリを攻める気はありません。ニクソンは懐ろ手して、果実が落ちるのを待っているのです。」
「いや、すでに長い間、アメリカのCIAは、チリという小国の木を揺さぶりつづけてきました。キッシンジャーもその揺さぶり役の一人です。ご存じでしょうが、アメリカは人民連合政権が出来た後もチリに約束していた経済的援助のすべてをとり消してしまったわけではありません。昨年一千万ドル以上、そして一昨年は五百万ドル以上の経済援助を、片方の手でわが国に与えているのです」
「アメリカは現にチリに対して、この数年間、数千万ドルにのぼる援助を与えています。それは事実です。しかし、これはチリの人民、チリの政府に対して与えているものではありません。一方でチリの国民経済を破壊するような地下工作、経済封鎖を露骨にやっておきながら、アメリカはチリの空軍と海軍、すなわち軍隊に対してだけ援助を与えているんです。援助を与えているだけではなく、軍事教官まで派遣して、戦略指導もしています。アメリカは、世界中のチリへの門戸を閉じて、チリを破滅させようと企みながら、チリの陸海空軍にだけは豊かな軍事援助を与えているのです」
政府と軍部との関係の難しさ・・・、さらにバルデス夫人は語っている。
「チリの国情は複雑です。今、軍部と決定的に対立することは、国家を破綻させかねません。チリの労働者や民衆は、人民軍をつくるべきだと主張しています。しかし、長い伝統と国民のある層の信頼を集めている軍部は、絶対にそれに反対です。もしも今の政権が軍隊に直接干渉しはじめたならば、大変なことになるでしょう武力を持った軍という城は、いわば聖域なのです。政府の意のままに扱える道具ではありません」
アメリカの金が軍部や右派勢力に流れていること、右派系の新聞やテレビ局がアジェンデ政権のネガティブなネタを流すことは映画『チリの闘い』でも扱われている。アメリカの金が流れていることは、チリ国内でも周知の事実だったのだろう。
チリの混乱した国情は、簡単に説明できない複雑さを持っている。小説では、「どこの国でも合法的、平和的現状維持の主流に対して、ラジカルな少数派が存在する」として、チリ国内の三つのグループについて説明する。
① 人民連合政府を支えているCUT(労働者統一本部)は、平和的に勝ちとった権力を、平和なままに維持しようとする。危険な反革命との決定的な対立を避け、極左グループとも決定的な対立を避けようとする主流派のグループ。
② そんな穏健派の主流派の一方で、あちこちで現政権に対する危険な挑発行動を繰り広げている、CIAに支援された極右の武装グループ。アジェンデ支持のデモ隊に、襲いかかり挑発したりする。このグループの背後には軍部がいる。
③ このような右派の軍事行動に対して、武器によって抵抗することを主張する、MRIと称される革命的実力左派のグループ。このグループの言動が右派系のメディアに取り上げられ、アジェンデ政権の攻撃材料となる。
以上のような①から③のグループによる三つ巴、チリの複雑さを小説は丹念に描いている。
「人民軍をつくるべきだ」という議論は映画『チリの闘い』にも出てくる。そして映画では、労働者たちが武器を「備蓄している」という疑いで、労働者の拠点を襲撃する軍の映像も見ることができる。
軍は結局武器を見つけられなかったが、アジェンデが内と外、両面から常に圧力を受け、身動きできない状況にあったことがよくわかる。
しかし、アジェンデはなぜ軍部を解体しなかったのか。小説ではスターリンの粛清を擁護するような人物が、アジェンデの弱腰を非難する場面もあった。そんな疑問に対して、小説では次のようにアジェンデの苦しい立ち位置を説明する。アーマンというアメリカ人の記者の言葉だ。
「アジェンデは常に中途半端な立場を迫られているのです」
「たとえば、この国に対して一貫して反革命の態度をとりつづけているアメリカに対してさえも、アジェンデは決定的に対立することを避けています。なるほど、確かにアメリカ系のさまざまな企業や、銀行や、ホテルや、土地を、彼は没収し、国有化した。しかし、それがすんでしまうと、アジェンデはなぜか、アメリカ政府に対してさえも絶対反対の立場を、それほど強くは表明していないのです。それはアジェンデが勇気がないからではない。この国は未だにアメリカからの経済的な支援を背後からうけている。そしてアメリカはさまざまな隠微なやり方で、この国の経済を破壊しようと努めていながら、なお、この国の或る支配権を有しているのです。もしもアジェンデがアメリカと決定的に対立したとすれば、アメリカはチリの軍部に対する年間数千万ドルの援助を停止するでしょう。ということは、アジェンデがチリの軍部と正面から対立することになるのです。」
「つまり選挙によって勝った人民連合政府は、権力を握りはしたが、軍隊と警察を解体して、それを完全に自分のものとすることをしなかった。なぜなら、選挙でようやく過半数を得て勝ったアジェンデに、軍隊や警察をばらばらにするほどの力はなかったし、またこの国の軍隊や警察は、いつも政治にかかわることが大好きなラテン・アメリカでは、例外的に一貫して政治にかかわらず、中立を保ってきたからです。つまり、人民連合政府が成立した時に、アジェンデは野党のキリスト教民主党との間に、憲法保障協定を結んだ。その中では、軍部および警察隊の中立化を定めています。アジェンデは軍を怖れつつも、半ばそれに依存し、いわば良識ある軍人たちの協力を得ながら、社会主義体制を進めていこうという、微妙な道を選んだのです。」
議会を通じて世界で初めて、合法的に、社会主義を実現しようとするアジェンデ政権。世界の社会主義国の希望の星。人類最初の理想を守り続けるために戦っているアジェンデ。しかしその内面は、希望の光は見えず、幾重にも覆う暗雲に満ちていたかもしれない。
「軍部は武器を持ち、我々を屈服させるでしょう。
しかし、犯罪行為であろうと武器であろうと、社会の進歩をとどめることは出来ないのです。
歴史は我々のものであり、人々が歴史を作るのです。」
という演説を最後に、アジェンデは死亡。世界初の民主的な社会主義政権は1973年9月11日、崩壊する。
五木寛之は、グスマンの映画『チリの闘い』を観ていたのだろうか。
映画『チリの闘い』は3部構成だが、その公開は、第1部が1975年、第2部が1977年、第3部が1979年となっている。小説『戒厳令の夜』の舞台は、アジェンデ政権が誕生した2年後の1972年から、軍事クーデターで崩壊する1973年である。そして小説の刊行は、1976年のことだ。すると、五木寛之は映画『チリの闘い』の第1部だけなら観られる可能性はあるが、映画の全編を観ることはできない。小説の執筆は、彼なりにいろいろと調べ、資料をそろえたうえで、進められたのだろう。
『戒厳令の夜』は現実のチリを舞台としているとはいえ、フィクションだ。小説には、不確かな情報や、著者の想像も入っているかもしれない。しかし、政策を思うように進められない事情やアジェンデの苦悩はよく描かれいる。五木寛之の小説は1973年のピノチェトの軍事クーデターを最後に終わっている。アジェンデの苦悩をより際立たせる構成といえるだろう。
一方、映画『チリの闘い』では、1973年のクーデターは第2部で描かれる。続く第3部では、クーデター前に、労働者や農民が協力し合い、"民衆の力"と総称される地域別グループを組織してゆく姿を追っている。チリの社会主義国家は実現できなかったが、理想に近づくための議論や活動を描いて第3部としている。未来へ向けた希望を感じさせる。
グスマンは1973年の3月から撮影を開始した。偽の身分証で右派系のメディアに入り込んだり、撮影チームのカメラマンが軍の銃弾に倒れたりする危険な撮影だった。
撮影したフィルムは秘密の場所に保管された。その場所は、グスマンの女友達一人しか知らなかったという。
そしてクーデター勃発、映画フィルムや音声素材は密かにストックホルムへ送られる。
その後グスマンは、ピノチェト政権下のチリを逃れ、スウェーデンに渡り、ストックホルムでフィルムなどを受け取る。それから6年かけて、『チリの闘い』を作る。キューバの「キューバ映画芸術産業庁」(ICAIC)などの援助を得て第1部から順次まとめていき、1979年に第3部を完成させた。
『チリの闘い』は、理想を実現できなかった一人の大統領の、その絶望を描いて終わる映画ではない。よりよい社会をつくろうと理想に向けて立ち上がった、チリの人々の願いと勇気の映画だ。
『チリの闘い』は、希望の映画である。