左翼の衰退と新自由主義勢力の台頭 関川宗英
1970年、チリに民主的な選挙による、世界で初めての社会主義政権、アジェンデ政権が誕生する。
日本は70年安保闘争の敗北、三島事件が起きている。
1973年、チリで軍事クーデター。ピノチェト軍事政権誕生。
アジェンデ政権は、社会主義国家を実現できないまま3年で消滅した。
1989年、ベルリンの壁の崩壊。
1991年、ソビエト連邦の崩壊。
ピノチェト政権は、シカゴ学派の若い学者たち(シカゴ・ボーイズ)を招いて経済再建に成功したことから注目されたという。
新自由主義は80年代のイギリスのサッチャー政権、アメリカのレーガン政権、などの経済政策に大きな影響を与えた。いずれも「小さな政府」を掲げて公営企業の分割民営化、規制緩和などが行われた。
日本の中曽根内閣も新自由主義的政策を推進していく。国鉄の民営化は中曽根内閣によって実現された。
ピノチェト政権は1990年に崩壊。ピノチェトはその後、軍事政権下の左翼弾圧を裁判で問われるが、結審することなく2006年に病死している。
アジェンデ政権はクーデターにより倒されたが、この政変後、新自由主義は世界で猛威を振るうようになる。チリの政変で、結局勝ったのは、新自由主義ということになるのか。
21世紀の今、共産主義革命は「20世紀最大の実験」などと呼ばれる。
暴力による革命は多くの人の支持を得られない。
一党独裁体制の恐怖政治に支配されることは望まない。
しかし、自由と平等を求める人々の願いは変わっていない。
誰もが幸せに生きる社会を望むことは、人として当然の願いだ。
「世界の富裕層 上位2100人が、46億人分より多い資産持つ」というニュース。これは、2020年1月22日にNHKで報じられた。
所得の格差は広がるばかりだ。
近代資本主義の誕生から、資本家は富を集中させ続けている。
格差社会は是正されなければならない。
2011年秋、アメリカで「ウォール街占拠運動」が起きた。スローガンは「我々は99%だ」。
2018年にはフランスでは「黄色いベスト運動」が起きる。マクロン政権の環境保護を目的とする燃料税の引き上げがきっかけだが、この抗議活動も、格差の拡大する現実がもたらしたものだ。
働いて人並みの暮らしができる社会を望むこと、物や金がうまく回る経済社会を求めて声を上げることは当然のことだ。
映画『チリの闘い』(パトリシオ・グスマン 1979年)は、1970年のアジェンデ政権誕生から1973年の軍事クーデターまでをまとめたドキュメンタリーだ。
この映画にはアジェンデを支持する人々のデモの記録映像が何度も登場する。
当時、チリの人々の願ったものは、今も世界の人々が追い求めているものと同じだろう。
1973年から、強権的なピノチェト軍事政権の人権弾圧に苦しんだチリだが、2010年公開の映画『光のノスタルジア』(パトリシオ・グスマン)という美しい映画が見られる国になっている。
『光のノスタルジア』は、ピノチェト政権下行方不明となった息子や弟の骨を、20年以上砂漠で探し続ける女性たちが登場する。美しい、鎮魂のドキュメンタリーだ。
ピノチェト政権下、3千人以上が犠牲になったというが、その死は無駄ではなかった。
チリの人々の闘争とは、人として誰もが生きられる社会を実現しようとした行動だった。それは、一人の人間が尊厳をもって生きていくということだ。
チリの人々が新しい歴史を作り上げようとしたその苦難と、チリの闇の深さを乗り越えようとしたことの証しを、『チリの闘い』、『光のノスタルジア』に見ることができる。
『チリの闘い』、『光のノスタルジア』、グスマンという監督を刻んでおく。
新自由主義の問題点
新自由主義の経済理論は、社会主義経済が破綻したとされる現代において自由な競争を最大限認める市場万能主義に関心が高まったのであろう。最近の日本の小泉内閣の郵政改革などもその線上にあり、「民間でできることは民間で」や「小さな政府」という議論は呪文のように繰り返されている。しかしその市場万能主義は、「勝ち組と負け組」の格差を拡大し、規制緩和は何でもありの利益追求肯定はライブドア事件を生み出した。また依然として談合のような政治と金のスキャンダルが跡を絶たない。新自由主義経済論とグローバリゼーションが現代の病根であるのかもしれない。 https://www.y-history.net/appendix/wh1701-045_1.html