幸せのぎゆうぎゆう詰めやさくらんぼ 嶋田麻紀
義よりも金 『晴天を衝け』(第18話)
関川宗秀
6月第2週の『晴天を衝け』(第18話)は、天狗党の処刑、長州征伐の1864年の頃。
尊王攘夷を目指す藤田小四郎ら天狗党は筑波で挙兵した。郷士や農民など千人も集まったというが、頼りの一橋慶喜からも追討されるなどして京に上ることはかなわず、攘夷は失敗する。越前で加賀藩に降伏したが、幹部や末端の志士まで352名が処刑された。水戸藩ではその家族まで処刑されたという、幕末の悲劇の一つだ。
国のために忠誠を誓う若者たちだが、軍資金や食糧の提供の強要、略奪、放火、殺人など乱暴狼藉をはたらく暴徒として「天狗」の名がついたという話もある天狗党。『晴天を衝け』(第18話)でも、天狗党の兵士たちが、食べるものもなく寒さに震えている姿が描かれていた。
なぜ攘夷に立たないのかと小四郎をたきつけた栄一は、天狗党の処刑に心を痛めるが、『晴天を衝け』(第18話)のラストでは、次のように慶喜に言う。
「小四郎様たちは、忠義だけをかかげ、懐を整えることを怠った。」
攘夷の大義をいくら掲げても、金がなければメシも喰えない。義よりも金、そんな露骨な言い方はしていないが、理屈は同じだろう。栄一が「懐を整えることを怠った」と言うとき、小四郎に攘夷を訴え、鎖港のために横浜の外国人居留地の焼き討ちを計画した自分自身をどのように乗り超えたのか、ドラマにはそのあたりの葛藤は描かれていないのが事実だ。
大義のために散っていく若者を描くことは『晴天を衝け』の主題ではないだろう。しかし、「今だけ、金だけ、自分だけ」、欲望むき出しのご時世につながる、金持ち礼賛の物語は見たくない。渋沢栄一なりに時代の流れの中で、悩み、切磋琢磨しながら、人として大きくなっていく姿を見たいものだ。
渋沢栄一は次のような言葉を残している。
「我も富み、人も富み、
しかして国家の進歩発達をたすくる富にして、
はじめて真正の富と言い得る。」
幕末、栄一が攘夷に走ったように、多くの若者が国を思い、異国排除を唱えた。国学は、若者たちの思想的な拠り所となった。天皇を中心とした国づくりが、攘夷派の若者たちの理想だった。
しかし、池田屋事件、長州のイギリス接近、薩長同盟と時代は急激な流れをみせ、攘夷は急激に衰えていく。
理想を求め、その志を貫こうとした、熱い時代。多くの若者が、夢を追い求め、はかなくも華々しく散っていった。
栄一も理想に燃え、イデオロギー的なものに翻弄される若者だったが、実利的、合理的な計算も躊躇なく行なう若者でもある。
「資本主義の父」と呼ばれるようになる男の片鱗をうかがわせる「第18話」だった。