石といふもの考ふる端居かな
上野 泰
処理水の海洋放出 関川宗英
20230825
岸田首相は2023年8月21日、東京電力福島第一原子力発電所(福島県)の処理水の海洋放出について、全国漁業協同組合連合会(全漁連)の坂本雅信会長らと首相官邸で面会し、海洋放出に理解を求めた。
首相は「国として海洋放出を行う以上、廃炉と処理水の放出を安全に完遂する」と述べ、「漁業者が安心して生業(なりわい)を継続できるよう必要な対策をとり続け、(海洋放出が)長期にわたっても対応することをお約束する」と語り、風評被害対策に万全を期す考えを示したという。
そもそも、2015年に政府と東電は「関係者の理解なしにはいかなる処分も行わない」と福島県漁連に文書で伝えている。
政府はこの約束を反故にして、処理水放出を強行するのだろうか。
一夜明けて8月22日の午前、メディアは、今日の関係閣僚会議で「24日の海洋放出」を決定したと報じた。
2021年4月13日、当時の菅義偉首相は、処理水について海洋放出の方針を関係閣僚会議で決定したと述べた。首相官邸のHPには次のような管首相の言葉を見ることができる。
「ALPS処理水の処分は、福島第一原発の廃炉を進めるに当たって、避けては通れない課題であります。
このため、本日、基準をはるかに上回る安全性を確保し、政府を挙げて風評対策を徹底することを前提に、海洋放出が現実的と判断し、基本方針を取りまとめました。
これまで、有識者に6年以上にわたり検討いただき、昨年2月に、海洋放出がより現実的、との報告がなされました。IAEA(国際原子力機関)からも、科学的根拠に基づくもの、こうした評価がなされております。
また、海洋放出は、設備工事や規制への対応を行い、2年程度の後に開始します。トリチウムの濃度を国内の規制基準の40分の1、WHO(世界保健機関)の定める飲料水の基準の7分の1まで低下させます。さらに、IAEAなど第三者の目も入れて、高い透明性で監視します。
さらに、福島を始め、被災地の皆様や漁業者の方々が風評被害への懸念を持たれていることを真摯に受け止め、政府全体が一丸となって懸念を払拭し、説明を尽くします。そのために、徹底した情報発信を行い、広報活動を丁寧に行います。
早速、週内にも、本日決定した基本方針を確実に実行するための新たな閣僚会議を設置します。
政府が前面に立って処理水の安全性を確実に確保するとともに、風評払拭に向けてあらゆる対策を行ってまいります。国民の皆様には、心からの御理解をお願い申し上げます。」
(首相官邸HPより)
この海洋放出方針決定の発表直前の4月7日、全漁連会長(当時は岸宏会長)は管首相に「海洋放出反対」を伝えている。「漁業者や国民の理解が得られない専門家の提言は絶対に反対だ」という厳しい言葉だった。また報道陣の取材に対し、当時の東京電力の一連の不祥事についても触れ、「廃炉の経過の中で、安全性を担保することにかんがみた場合、極めて強い懸念がある」という言葉も発している。しかし、管首相はそんな海洋放出に対する不安や懸念の声を切り捨てるかのごとく、会見からわずか6日後、海洋放出方針の決定を発表したのだった。
2021年9月、管首相は退陣を発表する。その記者会見で、自らの総理としての成果を二つ挙げた。一つ目は75歳以上の高齢者の窓口負担の引き上げ、二つ目が福島原発の処理水海洋放出の決定だった。「避けては通れない課題に果敢に挑戦した」と自画自賛している。沖縄の民意を無視して、辺野古移設を強行してきた管首相にすれば、社会的弱者の心の痛みなど届くことはないのだろう。
今回の海洋放出開始の決定は、2021年秋からの既定路線だったと言える。岸田首相に迷いとか、漁業関係者との約束を反故にすることへの葛藤など全くなかったのかもしれない。
しかし文書まで出して確認された約束は破られた。
言葉の軽さに長いため息が出る。
政府を挙げて風評対策に取り組むという約束もいつか反故にされるのだろうか。
国は言葉でできている。
私たちはまたひとつ、こんな国に税金を納めているのかと不信の石を積み上げる。
「処理水は安全」なのだろうか
岸田首相の処理水決断の顛末はあきれるばかりだが、処理水は安全だ、IAEAのお墨付きも得ているといった一連の政府の広報も、指摘しておかなければならない問題点が数多くある。
処理水の放出は海の水で薄めて行うので安全だというが、果たしてそうだろうか。
放出されるトリチウムの濃度は、国の基準の1/40、WHOの飲料水の基準の1/7であり、世界各国の原発からは、ALPS処理水以上の濃度のトリチウムが海へ捨てられているそうだ。経済産業省や復興庁をはじめ、さまざまな政府関連のHPには、分かりやすい図や統計を使って、処理水の安全キャンペーンが繰り広げられている。
しかし、どんなに薄めても、放射性物質の総量は同じはずだ。
しかも政府は30年かけて、処理水を放出するといっているが、これほど長い期間をかけて捨てられるトリチウムが生物にどのような影響をもたらすか、それは誰にもわからない。
トリチウムは自然界にもあり、その放射能エネルギーは小さいと経済産業省のHPは教えてくれる。しかし、トリチウムの危険を報告する医学的事例はネットにあふれている。
【1972年 中日新聞】極低レベルの放射線でも遺伝に大きな影響
原発の排水や排気に大量に含まれるトリチウムは、放出許容限度をはるかに下回る放射能レベルでも染色体異常を起こすというショッキングな事実が帝京大学医学部の田中信徳教授(東大名誉教授、植物遺伝学)と東京都立アイソトープ総合研究所放射線障害研究室の黒岩常祥理博の共同研究で明らかになった。岡山大学で開かれる日本遺伝学会で報告されるが、極低レベルの放射線でも遺伝に大きな影響を与える恐れのあることが証明された(中日新聞 1972年10月2日)。
【1973年 朝日新聞】(ICRP)の最大許容濃度以下でも異常
東大理学部動物学教室の秋田康一教授は、ウニの胚(はい)への影響を調べている。放射能に敏感といわれるアカウニでは、受精卵の胚を、1cc当たり1マイクロキュリーの濃度のトリチウム海水に、40時間入れておいたところ、50%の胚に異常が出た。これが10ミリキュリーになると正常なものは一つもなくなったという。
帝京大学医学部の田中信徳教授(東大名誉教授、植物遺伝学)と東京都立アイソトープ総合研究所放射線障害研究室の黒岩常祥研究員は、フタマタタンポポの一種のタネで、トリチウムが染色体にどんな影響を与えるかを調べた結果を昨年の日本遺伝学会で発表している。それによると、種子をはじめは浄水に、のちにトリチウム水にそれぞれ48時間入れた結果、0,1マイクロキュリーから染色体異常の出現率が著しく上昇した。注目されるのは、国際放射線防護委員会(ICRP)の最大許容濃度以下でも、わずかながらも異常がみられたことだ。
これに対して、米国の学者V・ポンド博士の1970年の論文によると、紀元2000年で、世界の人たちが浴びる放射線量は、現在(1973年)の自然界にある量の二倍程度に過ぎないと計算している。このことから、トリチウムの影響力は問題にならないとみる学者も少なくない。つまり、これくらいの量だと、医療用で受ける放射線にくらべても、ケタはずれに小さいことになるからだ。もちろんこの点に関しても、黒岩研究員は「トリチウムの場合、ふつうの水と同様に細胞の中にも入っていくので、外部からの被爆とは別に考える必要がある。だから、今まで異常がないとされたものでも、調べ方を変えると異常が見つかることもある」とより安全側にとるよう警告している(朝日新聞 1973年3月1日)。
【1974年 朝日新聞】低濃度でも人間のリンパ球に染色体異常
放射線医学総合研究所 中井斌(さやか)遺伝研究部長らによって、トリチウムはごく低濃度でも人間のリンパ球に染色体異常を起こさせることが突き止められた。
1974年10月の日本放射線影響学会で堀雅明部長が発表した (朝日新聞 1974年10月9日)。
さらに心配なことがある。60種以上あるとされるストロンチウム以外の放射能核種のことだ。それまで政府や東電は、ストロンチウム以外の放射能核種はALPS によって除去されるとしてきた。が、2018年8月、その嘘が報道によって明らかになっている。
基準値超の放射性物質検出、福島 トリチウム以外、長寿命も
東京電力福島第1原発で汚染水を浄化した後に残る放射性物質トリチウムを含んだ水に、他の放射性物質が除去しきれないまま残留していることが19日、分かった。一部の測定結果は排水の法令基準値を上回っており、放射性物質の量が半分になる半減期が約1570万年の長寿命のものも含まれている。
第1原発でたまり続けるトリチウム水を巡っては、人体への影響は小さいなどとして、処分に向けた議論が政府の小委員会で本格化し、今月末には国民の意見を聞く公聴会が開かれるが、トリチウム以外の放射性物質の存在についてはほとんど議論されていない。
(共同通信 2018年8月19日)
また、トリチウム以外の放射能核種については調べていないことが、国会でも明らかになっている。
2021年4月20日衆議院環境委員会で川内博史議員は、「トリチウム以外の放射能の総量」を質問した。
これに対し経済産業省大臣官房だった新川達也は、「トリチウム以外の放射能核種の一つ一つについてはトリチウムのような推定は実施しておりません。」と回答している。
川内ひろし📢〘超重要〙📢【福島第一原発処理水(汚染水)について】(その4)
「処理水の二次処理」というまやかし
ただ政府や東電は、トリチウム以外の放射能核種について否定しているわけではない。
現在の経済産業省のHPには、処理水の二次処理として次のように説明している。
タンクに保管されている水のうち約7割には、トリチウム以外の放射性物質(核種)も、「環境に放出する場合の規制基準」を超える濃度で含まれています。
タンクに保管している水の性状(2021年3月時点)
2021年3月時点で、タンクに保管されている水のうち再浄化が必要な水の量を示したグラフです。
これは、①ALPSを運用し始めたころは、現在と比較して、当時のALPSの浄化性能が劣っていたこと、②現在にくらべて大量の汚染水が発生していたことから、放射線リスクをできるだけ早く低減させるため、「敷地内で保管する場合の規制基準」をまず満たすことを重視して作業を進めたことなどが原因です。
そこで、海洋放出する際には、「敷地内で保管する場合の規制基準」よりもさらに厳しい「環境に放出する場合の規制基準」を満たすよう、再度ALPSを使った浄化処理、つまり二次処理がおこなわれます。
(https://www.enecho.meti.go.jp/about/special/johoteikyo/shorisui02.html)
しかし、FoEJapanの資料によれば、東電の放射能核種のデータは全体の3%弱しかないそうだ。
東電がソースターム(放出する放射性物質の種類と量)として示しているのは、3つのタンク群(合計3.6万m3)のみ。タンクの水全体の3%弱にすぎません。64の放射性物質(ALPS除去対象の62核種、トリチウム、炭素14)のデータがそろっているのは、この3つのタンク群だけであったためです。
政府、東電のいう「処理水」とは、3.11原発事故後発生し続けている「汚染水」を、ALPSなどで放射能核種を浄化処理し、海水で希釈したものをいう。ALSPはストロンチウムと炭素14以外の放射能核種を除去できる、今までにタンクに溜まった処理水はALPSで二次処理する、だから処理水を海洋に放出しても人体や環境に対する影響はわずかだというのだが、FoEJapanの資料にあるように、64の放射性物質のデータがそろっているのはわずか3%弱に過ぎない。これでは「処理水は安全」というメッセージは信頼性を失い揺らぐばかりだ。
そもそも福島原発にある880トンもの燃料デブリは、人類が初めて経験した放射能の化け物である。福島原発から流れ続ける汚染水は、この燃料デブリに触れて発生したものだ。燃料タンク1000基以上もの汚染水には放射性物質がどれくらいあるのか、その総量は今誰にもわからない。そんな放射性物質だが、海に捨てるか、空気中に放つか、あるいは違う方法で保管するか、いつかはその処分の技術を確立しなければならない。しかし今はまだ、ALPSの浄化処理能力の向上を図り、浄化処理のデータを積み重ねる時期だろう。海洋放出は急ぐべきではない。
海外の原発もトリチウムを海に流しているというが、それは放射能漏れの事故を起こしていない原発の話だ。トリチウムの濃度だけで、福島原発の処理水の安全性を唱えるのは、他の国にとって受け入れられるものではないだろう。
2023年7月4日、IAEAは包括報告書を提出した。処理水海洋放出についてお墨付きを得たとされる。しかし、グロッシ事務局長は「IAEAは計画の承認も推奨もしていない。計画が基準に合致していると判断した」と述べている。つまり、IAEAの報告書は処理水の海洋放出計画を認めるものではなく、その最終決定を下すのはあくまでも日本政府であるということだ。
また、IAEA報告書は、「科学的でない」、安全基準の「正当化」「幅広い関係者との意見交換」に適合していないなど、原子力市民委員会の2023年7月18日の「見解」に詳しく書かれている。
穏やかな日常のために
3.11の福島原発事故はまだ収束していない。私たちはその収束に向けて人知を結集し、協力していかなければならない。
一つの課題を解決しようとするときに、全ての人の要望をかなえることは不可能だ。何かを選ぶことは、何かを捨てることだ。
しかしだからといって、少数の者たちが切り捨てられるようなことがあってはならない。民主的に、公正、公平に、話し合いを積み重ね、課題を判断する基準やリミットを確認するなどの手続きを経て、最終的な判断を構成員全員の財産として共有できるものでありたい。
愛知県豊橋市で、新しい野球場をつくる話があるそうだ。その野球場は子供たちも使う市民球場だが、埋立地の上に計画されており、津波などの防災上の不安があるという。
市議会では新しい野球場を問題視する市議の質問に、危機管理統括部長が、「災害と付き合いながら生活し、人類は今まで生き残って来た。ある程度の被害はやむを得ない中で亡くなった人もたくさんいる」と答えたという。(野球場移転予定地の見学会)
この豊橋市の野球場のことを記事になさったブログ主よんばばさんは、次のように書いておられる。
地方も中央も、ものごとがみな「関係各方面が儲けられるか否か」で進んでいくようで、空恐ろしい世の中になったものだと思う。
今回の処理水海洋放出の問題も、「ある程度の被害はやむを得ない」こととして進められたように思う。
福島県の漁業関係者との話し合いは十分だったのだろうか。
3.11の復興、廃炉問題には時間的な制約もあるから、いつかは判断しなければならない。
しかしその最終的な判断のために、誠意は尽くされたのだろうか。
岸田首相はつい最近も福島まで行ったが、なぜ漁業関係者と会い、最終的な判断をせざるを得ないと告げなかったのだろうか。最終判断の通告を漁業関係者がすんなりと受け入れるとは思えない。しかしたとえ理解は得られなくても、一国の首相として、そして一人の人間として、誠実な対応を見せるべきだった。
一つの課題を解決するとき、お金の問題も大きい。しかし、一部の人たちの金儲けにつながるような、新自由主義的な力学の大鉈が物事を決定していくのは、格差を広げるだけだろう。
大地の恵みに感謝し、季節を告げる花を美しく思う。つつましくてもそんな穏やかな毎日を過ごしたいものだ。
そのために風通しの良い社会を作っていきたい。
少数の側が金銭的な価値で切り捨てられるようなことはあってはならない。