竹村さんへ その1
今、僕の手元に6枚のコピーがあります。3枚は「いじめ」について書かれたワープロ文書のコピー。残りの3枚は国語のノートのコピーです。これは竹村さんのノートからとったものです。
まだ雪深い2月、その日は学年末テストの前のノート点検でした。竹村さんのノートは衝撃的でした。なぜなら、そこには14歳の竹村さんがいたからです。
酒鬼薔薇聖斗の事件のこと、いくつかの詩、そしてノートに貼ってあったワープロの文章。それらは平常点を上げようとして書かれたような点数稼ぎのものとは明らかに違っていました。
あなたの言葉は、書かずにいられないという情動に引きずられ、抑えきれないエネルギーのほとばしりを感じさせるものでした。世界に対する不満を一身に背負っているような気負いと若者らしい正義感。時には過激で独りよがりな危うさももった、キラキラ輝くガラスの欠片を集めたような文章でした。
僕は竹村さんのノートを読んだとき、竹村さんにはきちんとした「感想」を書きたいと思いました。
何度もコピーを読み返しました。そして何度か「感想」を書き始めるのですが、いつもまとまりません。
僕がものをじっくり本を読んだり、ものを書いたりするのは朝の5時前後です。仕事がつまっていない日の朝、竹村さんのノートのコピーを取り出します。
「溢れる言葉、諭すように紡いで」という詩の一節に感じられるような言葉への酔い。「支える人を殺すなどという事件はあってはならない」という義憤。あるいは「時が進めば進む程、余計なことを考えるよ」などと人生を達観したような文章…。
竹村さんのノートの言葉から、感じられることはたくさんあるのですが、それらはいつも断片的です。からみあうことはありません。僕の「感想」は、いつもまとまったものになりません。
冬が終わり、春が来て、桜の咲く5月になってしまいました。今日こそ、「感想」をまとめようとワープロに向かっています。読んでください。
僕が今までかかわった生徒の中に、自殺した子どもが3人います。
僕は教師となって27年になりますが、ほとんど担任をやって来ました。担任としてかかわった生徒は延べ人数にして1000人以上になります。そして、担任として受け持ったわけではありませんが、国語の教師として教えた生徒、また部活動の関わりを含めれば、1万人以上の生徒とかかわってきたと思います。さらに、直接教えてはいませんが同じ学年の生徒、顔や名前ぐらいは知っているという生徒を加えれば、10万人を超えるでしょうか。自殺した3人はいずれも僕のクラスの生徒ではありません。国語を教えていた生徒が1人、あとの2人は同じ学年だった生徒です。僕とかかわりがあった10万人の中の3人のことから、読んでほしいと思います。
3人のうち、僕が教師になって最初に「自殺」を経験したことになる生徒は、中学3年生の女子生徒でした。9月の学力テストの前の日に、ビルから飛び降り自殺しました。遺書はありません。はっきりとした原因はわかりませんでした。この生徒には国語を教えていましたが、僕が所属していた学年とは違う学年だったので、国語の授業以外のことはほとんどわかりません。なかなか勉強のできる生徒で、大人びた雰囲気を持っている生徒だった記憶があります。
「自殺」の二人目は、オカルト少女でした。中学2年生です。真っ暗な部屋にろうそくを一本立て、友達と霊的な話をするのが好きだったそうです。ある日、死んだおばあちゃんが夢に出てきた、私を呼んでいる、おばあちゃんのところに行かなきゃ、と親しい友人に話していたそうです。そして数日後の学校帰り、「今日、行く」と友達に言い置いて、走り出したというのです。その場に取り残された友達は、まさかと思いました。しかしやはり心配になって付近を探しました。が、見つかりません。夜になっても、家に戻りません。そして、深夜ビルから飛び降り自殺しているのが見つかりました。死んだ女子生徒の友達は、その自殺を止められなかった、あの日走り出したとき止めていれば、と泣き叫んでいたそうです。
三人目は中学3年の男子生徒です。彼女にふられた、と友達に相談した後、家に帰らず、近くのマンションの非常階段で首つり自殺しました。それを最初に発見したのは、相談を受けた友達でした。首にヒモをかけてぶら下がっている男子生徒を前に、「彼を助けてあげたかった」と、声を上げて泣いていたそうです。
こんな悲しいことが3件あったのですが、このうち2件は同じ年に続けざまに起きました。1986年のことです。その年は、全国的に中学生や高校生の自殺が相次いでいたのです。しかもそのほとんどがビルの屋上からの飛び降り自殺でした。
なぜ、このような自殺の連鎖が起きたのか。それは、岡田由紀子という人気アイドル歌手がビルの屋上から飛び降り自殺したのが発端でした。彼女が自殺してから2週間の間に、全国で30余人の中高校生が自殺したといいます。人気アイドル歌手の自殺報道が、全国の青少年の自殺をあおったのです。アイドル歌手が自殺したのと同じように、ビルから飛び降り自殺する少女や少年たち、その自殺が報道されるたびにまた自殺がおきるといった悪循環でした。
1986年の未成年者の自殺は802人にのぼりました。1985年が557人、1987年が577人ですから、1986年だけが突出しているのがわかります。僕が知っている生徒のうち二人は、そのあおりの中で死んでいったのです。
(つづく)
今、僕の手元に6枚のコピーがあります。3枚は「いじめ」について書かれたワープロ文書のコピー。残りの3枚は国語のノートのコピーです。これは竹村さんのノートからとったものです。
まだ雪深い2月、その日は学年末テストの前のノート点検でした。竹村さんのノートは衝撃的でした。なぜなら、そこには14歳の竹村さんがいたからです。
酒鬼薔薇聖斗の事件のこと、いくつかの詩、そしてノートに貼ってあったワープロの文章。それらは平常点を上げようとして書かれたような点数稼ぎのものとは明らかに違っていました。
あなたの言葉は、書かずにいられないという情動に引きずられ、抑えきれないエネルギーのほとばしりを感じさせるものでした。世界に対する不満を一身に背負っているような気負いと若者らしい正義感。時には過激で独りよがりな危うさももった、キラキラ輝くガラスの欠片を集めたような文章でした。
僕は竹村さんのノートを読んだとき、竹村さんにはきちんとした「感想」を書きたいと思いました。
何度もコピーを読み返しました。そして何度か「感想」を書き始めるのですが、いつもまとまりません。
僕がものをじっくり本を読んだり、ものを書いたりするのは朝の5時前後です。仕事がつまっていない日の朝、竹村さんのノートのコピーを取り出します。
「溢れる言葉、諭すように紡いで」という詩の一節に感じられるような言葉への酔い。「支える人を殺すなどという事件はあってはならない」という義憤。あるいは「時が進めば進む程、余計なことを考えるよ」などと人生を達観したような文章…。
竹村さんのノートの言葉から、感じられることはたくさんあるのですが、それらはいつも断片的です。からみあうことはありません。僕の「感想」は、いつもまとまったものになりません。
冬が終わり、春が来て、桜の咲く5月になってしまいました。今日こそ、「感想」をまとめようとワープロに向かっています。読んでください。
僕が今までかかわった生徒の中に、自殺した子どもが3人います。
僕は教師となって27年になりますが、ほとんど担任をやって来ました。担任としてかかわった生徒は延べ人数にして1000人以上になります。そして、担任として受け持ったわけではありませんが、国語の教師として教えた生徒、また部活動の関わりを含めれば、1万人以上の生徒とかかわってきたと思います。さらに、直接教えてはいませんが同じ学年の生徒、顔や名前ぐらいは知っているという生徒を加えれば、10万人を超えるでしょうか。自殺した3人はいずれも僕のクラスの生徒ではありません。国語を教えていた生徒が1人、あとの2人は同じ学年だった生徒です。僕とかかわりがあった10万人の中の3人のことから、読んでほしいと思います。
3人のうち、僕が教師になって最初に「自殺」を経験したことになる生徒は、中学3年生の女子生徒でした。9月の学力テストの前の日に、ビルから飛び降り自殺しました。遺書はありません。はっきりとした原因はわかりませんでした。この生徒には国語を教えていましたが、僕が所属していた学年とは違う学年だったので、国語の授業以外のことはほとんどわかりません。なかなか勉強のできる生徒で、大人びた雰囲気を持っている生徒だった記憶があります。
「自殺」の二人目は、オカルト少女でした。中学2年生です。真っ暗な部屋にろうそくを一本立て、友達と霊的な話をするのが好きだったそうです。ある日、死んだおばあちゃんが夢に出てきた、私を呼んでいる、おばあちゃんのところに行かなきゃ、と親しい友人に話していたそうです。そして数日後の学校帰り、「今日、行く」と友達に言い置いて、走り出したというのです。その場に取り残された友達は、まさかと思いました。しかしやはり心配になって付近を探しました。が、見つかりません。夜になっても、家に戻りません。そして、深夜ビルから飛び降り自殺しているのが見つかりました。死んだ女子生徒の友達は、その自殺を止められなかった、あの日走り出したとき止めていれば、と泣き叫んでいたそうです。
三人目は中学3年の男子生徒です。彼女にふられた、と友達に相談した後、家に帰らず、近くのマンションの非常階段で首つり自殺しました。それを最初に発見したのは、相談を受けた友達でした。首にヒモをかけてぶら下がっている男子生徒を前に、「彼を助けてあげたかった」と、声を上げて泣いていたそうです。
こんな悲しいことが3件あったのですが、このうち2件は同じ年に続けざまに起きました。1986年のことです。その年は、全国的に中学生や高校生の自殺が相次いでいたのです。しかもそのほとんどがビルの屋上からの飛び降り自殺でした。
なぜ、このような自殺の連鎖が起きたのか。それは、岡田由紀子という人気アイドル歌手がビルの屋上から飛び降り自殺したのが発端でした。彼女が自殺してから2週間の間に、全国で30余人の中高校生が自殺したといいます。人気アイドル歌手の自殺報道が、全国の青少年の自殺をあおったのです。アイドル歌手が自殺したのと同じように、ビルから飛び降り自殺する少女や少年たち、その自殺が報道されるたびにまた自殺がおきるといった悪循環でした。
1986年の未成年者の自殺は802人にのぼりました。1985年が557人、1987年が577人ですから、1986年だけが突出しているのがわかります。僕が知っている生徒のうち二人は、そのあおりの中で死んでいったのです。
(つづく)