chuo1976

心のたねを言の葉として

石原慎太郎の宿痾         関川宗英

2022-02-13 16:13:54 | 言葉

石原慎太郎の宿痾         関川宗英




1 石原の差別発言

 

 京都府警は2020年7月23日、ALSで在宅介護を受けていた京都市内の女性(当時51歳)に対し、女性からの依頼で薬物を投与のうえ殺害したとして、仙台市内などの医師2人を逮捕した。

   石原慎太郎はこの事件について、ツイートで以下のように言及した。

 

「業病のALSに侵され自殺のための身動きも出来ぬ女性が尊厳死を願って相談した二人の医師が薬を与え手助けした事で『殺害』容疑で起訴された。武士道の切腹の際の苦しみを救うための介錯の美徳も知らぬ検察の愚かしさに腹が立つ。裁判の折り私は是非とも医師たちの弁護人として法廷に立ちたい」

                        業病~悪業の報いでかかると考えられていた難病。 (『広辞苑第七版』)




 石原慎太郎が死去した。

 「死ぬまではやっぱり、言いたいこと言って、やりたいことをやって人から憎まれて死にたいと思います」(2014年政界引退時の会見)という本人の言葉の通り、最後まで差別発言を繰り返した。

 

 1977年、当時環境庁長官だった石原慎太郎は、公務で熊本県へ赴き、水俣病の患者施設を視察した。患者に抗議文を手渡された。するとその夜の会見で、「これ(抗議文)を書いたのはIQが低い人たちでしょう」と発言。さらには「補償金が目当ての“偽”患者もいる」との暴言を吐き、患者らの前で土下座して謝罪する事態となった。http://pic.twitter.com/xWUMKHOg







 1999年、東京都都知事として重度障害者の施設を訪問した際には次のような差別発言を残している。

「ああいう人ってのは人格あるのかね。ショックを受けた。ぼくは結論を出していない。みなさんどう思うかなと思って。 絶対よくならない、自分がだれだか分からない、人間として生まれてきたけれどああいう障害で、ああいう状態になって」




2 意味のない存在

 ALS患者、水俣病患者、そして重度障害者・・・身体的に不自由な人に対する差別発言を振り返ったが、読むだけで心が荒んでくる。

 石原自身、晩年は脳梗塞のため、歩くことなど不自由な生活を送っていた。しかし彼は、体の不自由な人の苦しみや生活の不安など、感じることはなかったに違いない。



 ALS患者殺人事件の犯人は、活発にツイートしており、フォロワーは1万9000人もいたそうだ。ツイートには以下のような過激なコメントがあふれていた。

「経済的な生産性でいうとマイナスでしかない認知症老人に人生からめとられて、退職を余儀なくされるとか、ほんとボケ上がった老人を長生きされることに俺は興味も関心もない」

「意味などないでしょう。ゾンビを無目的に生かして、国民の皆様から診療報酬を賜るというだけ。バカらしくて新人はやめていくし、生活の糧と割りきった人だけが感情棄てて業務に当たる」

「予後不良なのに治療に人生とカネを費やす意味があるんですかね」

 

 ALS患者を殺した2人の医師は、過去に共著で電子書籍を刊行している。そのタイトルは『扱いに困った高齢者を「枯らす」技術』。

 高齢者や治る見込みのない病人を生かし続ける治療に、人生とカネを費やす意味などないと、犯人たちは唱え続けていた。犯人の二人からすれば、脳梗塞で予後不良、老い先短い老人など「意味のない存在」だ。

 しかし、石原慎太郎は自分自身について、ALS患者殺人事件の犯人から、「意味のない存在」と切り捨てられる側にいる、そう思うことなどなかっただろう。

 ALS患者殺人事件の犯人を弁護したいとツイートした石原だから、よもや自分を不必要な老人と思うことなどなかったに違いない。



 犯人たちのような優生思想の持ち主は、自分が差別される側になるなど思いもよらぬことだろう。

 そう、差別する側は、いつも力を持っている方なのだ。マジョリティがマイノリティを差別する。

 仕事も住む家もなくなって路上で夜を過すことや、孤独死の不安など、まさか自分がさいなまれるとは、世の勝ち組は思っていない。

 

 

 

 2016年7月、神奈川県相模原市の知的障害者施設で19人が死亡し、20人が重傷を負った殺傷事件が発生した。

 この事件について石原慎太郎は次のように言っている。

 

「あれは僕、ある意味で分かるんですよ」

「(作家の)大江(健三郎氏)なんかも今困ってるだろうね。ああいう不幸な子どもさん(作曲家で障害を抱える大江光氏)を持ったことが深層のベースメントにあって、そのトラウマが全部小説に出てるね」

(「文學界」16年10月号)






3 病的な心性

 

 石原慎太郎の一連の発言は失言ではない。

 彼は批判されるたびに謝罪はしたが、差別発言は繰り返された。彼はマジョリティのトップの階層にいて、社会的弱者の苦しみなど露ほどにも感じない、優生思想の持ち主、レイシストである。

 彼は使う言葉を間違えたのではない。彼の言葉は、自分の中から出てくる正直な気持ちの表れだ。

 弱者の心の痛みなど感じることはなく、弱者をさらに痛めつける発言を繰り返す。私にとってそれは、病的なくらい真っ黒な、攻撃的な心性だ。



 彼のようなレイシストが、マスコミでちやほやされ、干されることもなかった。そして死後、美化された論調の言葉がメディアを覆う。これらは、私たち日本の意識の低さをそのまま物語っている。

 

 だから斎藤美奈子の次のような記事には勇気づけられる。

 

 無責任な追悼

 斎藤美奈子 2022/2/9 東京新聞

 石原慎太郎氏は暴言の多い人だった。「文明がもたらしたもっとも有害なものはババア」「三国人、外国人が凶悪な犯罪を繰り返している」。暴言の多くは、外国人、障がい者、性的マイノリティなどに対する差別発言だったが、彼は役職を追われることも、メディアから干されることもなかった。そんな「特別扱い」が彼を増長させたのではなかったのか。

 彼は生涯現役の作家だった。晩年に至ってもベストセラーを連発した。だが、私は石原慎太郎の姿勢には疑問を持っている。

 朝日新聞で文芸時評を担当していた2010年2月。「文学界」3月号『再生』には下敷(福島智『盲ろう者として生きて』。当時は書籍化前の論文)があると知り、両者を子細に読み比べてみたのである。

 と、挿話が同じなのはともかく表現まで酷似している。三人称のノンフィクションを一人称に書き直すのは彼の得意技らしく、田中角栄の評伝小説『天才』も同様の手法で書かれている。これもまた「御大・石原慎太郎」だったから許された手法だったのではないか。

 各紙の追悼文は彼の差別発言を「石原節」と称して容認した。二日の本紙(注・東京新聞のこと)「筆洗」は「その人はやはりまぶしい太陽だった」と書いた。こうして彼は許されていく。負の歴史と向き合わず、自らの責任も問わない報道って何?(文芸評論家)

 

 反論できない死者に、鞭打つような非難の言葉を浴びせて、留飲を下げたいのではない。一人の男の人生の終焉に当たり、排気ガス対策といった功績とともに、数々の放たれた差別発言も事実であることをはっきりと残すためだ。

 生活保護バッシングに見られるような、弱者を切り捨てる声はますます赤裸々になっている。費用対効果で全てが決まっていく、生きづらい世の中、荒んだ雰囲気をネオリベたちの差別的な言葉がさらに搔きむしる。



 

4 言葉の重さ

 

 かつて、「人の命は地球より重い」と語った政治家がいた。

 1977年(昭和52年)9月28日、パリ発東京行きの日本航空機が、日本赤軍を名乗る男5人にハイジャックされ、乗員・乗客151人が人質となった。そして犯人は、日本政府に対して、600万ドル(約16億2000万円)の身代金と、日本で拘置中の仲間の政治犯など9人の釈放を要求した。

 これを受けて当時首相の福田赳夫は、犯人の要求を飲むことを決断する。超法規的措置により政治犯は釈放され、151人の人質は無事解放された。このとき福田は「人の命は地球より重い」と言ったのである。

 

 福田の言葉はナイーブなだけの、甘っちょろいヒューマニズムの戯言だろうか。

 私はそうは思わない。

 福田の決断はテロの輸出などと批判され大きな議論になったが、人の命を大切に考えることを堂々と言える大人がいたことは、この荒んだ令和の時代からみると見逃せないことだ。

 福田の言葉には、人の命に対する尊厳がある。

 

 1964年(昭和39年)、福田 は、池田勇人内閣の高度成長政策を「見せかけの繁栄は昭和元禄にすぎない」と批判し、気骨のあるところを見せた。

「池田内閣の所得倍増、高度成長政策 の結果、社会の動きは物質至上主義が全面を覆い、レジャー、バカンス、その日暮らしの無責任、無気力が国民の間に充満し、"元禄調"の世相が日本を支配している。経済面では物価が高騰し、国際収支は未曾有の困難に追い込まれ、広い国民層に抜き難い格差感を植え付けつつある」と厳しく批判したのである。

  続く昭和四十年代、五十年代の政界は田中角栄と福田赳夫の因縁の対決が展開された。いわゆる角福戦争だが、福田は連戦連敗だった。田中の金の力に負けたという。

 

 1972年(昭和47年)、角福戦争の最中、自民党総裁選があった。中曽根康弘は当初総裁選出馬に意欲を見せていたが、結局出馬しなかった。そして中曽根は、田中支持に回る。『週刊新潮』(同年7月8日号)は「田中から中曽根に、支持の見返りに7億円が渡った」とスクープしている。

 選挙は、「地盤、看板、鞄」で決まるなどと言われる。魑魅魍魎が跋扈する政治の世界には、市井の人間には想像もつかないような熾烈な争いがあるのかもしれない。

 しかし、金の力で権力を得たとしても、それは一時のことで、長くは続かない。田中角栄をはじめ、金権政治を批判されて辞任に追い込まれた政治家たちはたくさんいる。哀れな末路を迎える者、自殺が報じられる者もいる。金の力に群がる者たちの競争、金の力を信じる者たちによる政治に、明るい未来はない。

 

 金の力で成り立つ政治が、人心を得ることはないだろう。

 2千5百年前、孔子は為政者の「徳」、「仁」の大切さを説いた。それは今も変わっていない。

 

 たとえ福田が金の力に負けたとしても、命に対する尊厳は損なわれるものではない。

 人として大切なことを重んじること、それを堂々と言えること、その言葉の重さこそ多くの人々が求めていることだ。

 

 福田赳夫のような保守の論客の言葉に対して、体の不自由な人を「あんな人にも人格があるのか」と言ってしまうその言葉の軽さ。石原の言葉には、彼が言う「ああいう不幸な子どもさん」にも、自分と同じ命を持っているという畏れがない。命を持った人間の言葉なら、人を敬う重さというものがそなわっているものだろう。

 石原の一連の発言は、言葉の重さというものを考えさせてくれる。

 そして新自由主義的な優勝劣敗、不寛容の時代にあって、私の中にもある差別、選別、異物排除の心性を見つめ続けなければならないと改めて考えさせてくれる。

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「入浴する智子と母」

2021-11-08 06:00:27 | 言葉

響くシャッター音と水の音「ここが頂点だ」
 ――智子さんとお母さんを撮影した写真は1972年の「ライフ」誌6月号に載り、世界に衝撃を与えました。「入浴する智子と母」はどのように撮影されましたか。

 「智子ちゃんはお風呂が好きだと聞いていました。お母さんとお風呂に入っている写真を撮れれば、とユージンが尋ね、お母さんが『よかですよ』と応じてくれました。写真でものごとの本質をとらえたいという信念から、水俣病に侵された苦しみと、家族に深く愛されていた智子ちゃんの姿を表現したいと考えてのことでした」

 「12月の寒い日でした。窓から入る逆光が強く、顔が影にならないように私がライトを持ちました。ユージンは息を吸って止め、シャッターを切る。山に登るように集中を高め、撮るべき瞬間に近づく。母子と私たちが一緒に呼吸する静かな空間にシャッター音と水の音が響き、『ここが頂点だ』という瞬間が2回ありました」

 

あの写真の「封印」を私は解いた アイリーン・美緒子・スミスさん

2021/10/16 朝日新聞

 

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振り返らずに後ろを見るのと同じくらい、自分自身を見つめることは難しい。

2021-11-05 05:51:28 | 言葉

ソローの言葉

It is as hard to see one’s self as to look backwards without turning around.
振り返らずに後ろを見るのと同じくらい、自分自身を見つめることは難しい。
One must maintain a little bit of summer, even in the middle of winter.
人間は真冬の中にあっても、わずかな夏を心に持ち続けなければならない。
The most I can do for my friend is simply to be his friend.
友人のために私がしてあげられる一番のことは、ただ友人でいてあげることだ。
We are born as innocents. We are polluted by advice.
我々はみな生まれた時は純粋無垢だが、助言により汚染される。

 H.D. Thoreau(ソロー、アメリカの随筆家)


1817年7月12日 - 1862年5月6日
作家、思想家、詩人、博物学者。多くの著作に現在の生態学に通じる考え方が表明されており、米国環境保護運動の先駆者でもある。
奴隷制度とメキシコ戦争に抗議し、人頭税の支払いを拒否したため投獄された。
「市民的不服従」としてガンジーのインド独立運動やキング牧師の公民権運動などに思想的影響を与えた。

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「隠者の許由(きょゆう)と巣父(そうほ)」の話

2021-09-29 04:03:48 | 言葉

「隠者の許由(きょゆう)と巣父(そうほ)」の話



       (一)

中国古代の伝説上の帝王、尭(ぎょう)の時代のこと。高名な賢者にして隠者の許由(きょゆう)は、その人格の廉潔さは世に名高く、当時の尭帝がその噂を聞き許由(きょゆう)に国を禅譲(ぜんじょう=天子がその位を世襲としないで、有徳の人にゆずること)しようとして言った「月と太陽が出て世の中を明るく照らし出しているのに、松明(たいまつ)を灯したままでいても意味はありません。すでに恵みの雨が降っているのに、あくせく田に水を引いているのは徒労というほかありません。今や、あなたがいらっしゃるのに私が今の位に付いているのは無意味、徒労そのものです。国政をお任せいたします」

(参考)

①帝王尭・・・古代中国の伝説上の聖王。暦を作り、徳をもって理想的な仁政を行った。後を継いだ舜(しゅん)とともに後世理想の天子とされ、その政治は「尭舜の治」と称される。

       (二)

すると許由は答えて言った「あなたが国を治めになられ、すでに立派に治まっています。私があなたに代わってその位に付いたとて、名誉職で実質何の変りもないのです。私は美名を求めない。鷦鷯(みそさざい)は森林に巣を作るが、それは一枝に過ぎない。土龍鼠(もぐらねずみ)は渇きをいやすために川を求めるが、飲むのは一腹の水だ。私と国の関係はそのようなもので、天子の富貴はあなたのものです。貴方は今のままで安心し、帰って休んでいればいいのです。私は政治に関わってもなすこともない。料理人が料理をしないからと、神主が祭器を踏み越えて来て、包丁(ほうちょう)を握ることはないのです」と。そして、この後(のち)、許由は「汚らわしいことを聞いた」といって、潁川(えいせん)の水で耳を洗った。又、許由が潁水(えいすい)で耳を洗っているのを見て、やはり尭帝から天下を譲ろうと言われた伝説の高士、巣父(そうほ)は、そのような汚れた水を牛に飲ませることはできないとして、牛を引いて帰っていったという。

(参考)

①高士・・・志が高くりっぱな人格を備えた人物。人格高潔な人。又は、世俗を離れて生活している高潔な人物。

②巣父(そうほ)・・・中国古代の伝説上の隠者。樹上に巣を作って住んだという。

 

「許由巣父図」(狩野永徳)



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R.E.M.  「Losing My Religion」

2021-09-22 03:00:46 | 言葉

R.E.M.  「Losing My Religion」

 


Oh Life is bigger
人生とは予測不能で面白い

It's bigger than you,
君が思ってる以上にね

you are not me
君は俺じゃない

The lengths that I will go to
俺の苦悩はこれからも続くんだろうな

The distance in your eyes
君の眼は遠くを見ている

Oh no, I've said too much
駄目だな また喋り過ぎた

I set it up
悪い癖が出てしまったよ

That's me in the corner
俺は部屋の隅に居る

That's me in the spotlight
其処で光を浴び注目を集める

Losing my religion
信頼は消え失せた

Trying to keep up with you
だからこそ君に付いていくよ

And I don't know if I can do it
俺が役に立てるか分からないけど

Oh no I've said too much
あぁ・・また喋り過ぎた

I haven't said enough
まだ言い足りないんだけどね

I thought that I heard you laughing
君の笑い声が聞こえた そんな気がしたんだ

I thought that I heard you sing
君の唄う声が聴こえた そんな気がしたんだ

I think I thought I saw you try
君がそうしようとしているのを見た気がした

Every whisper
囁き声が聞こえる

Of every waking hour
目が覚めている時はそうなんだ

I'm choosing my confessions
俺は懺悔の言葉を選んでいる

Trying to keep an eye on you
君から目を離さないように努めている

Like a hurt lost and blinded fool
傷付き 迷い 盲目的で愚かになった

Oh no, I've said too much
あぁ・・駄目だ また喋り過ぎた

I set it up
また俺は振り出しに戻る

Consider this
よく考えろ

Consider this
よく考えるんだ

The hint of the century
手掛かりは必ずある

Consider this
よく考えろ

The slip that brought me
こんな失敗をした位で

To my knees failed
膝を付くつもりは無い

What if all these fantasies
俺の妄想する全ての空想が

Come flailing around
全て現実となったらどうなってしまうのか

Now I've said too much
今回も喋り過ぎてしまった

I thought that I heard you laughing
君の笑い声が聞こえた気がした

I thought that I heard you sing
君の歌声が聴こえた気がした

I think I thought I saw you try
君がそうしようとしたのを見たような気がした

But that was just a dream
でもそんなのは単なる夢

That was just a dream
単なる夢に過ぎない

That's me in the corner
俺は隅に居ながら

That's me in the spotlight
スポットライトを浴びている

Losing my religion
信頼出来る何かを失った

Trying to keep up with you
君の後を追いたい

And I don't know if I can do it
俺にそれが出来るのか分からない

Oh no I've said too much
また喋り過ぎてしまった

I haven't said enough
まだ言い足りないんだけどさ

I thought that I heard you laughing
君の笑い声が聞こえた そんな気がしたんだ

I thought that I heard you sing
君の歌声が聴こえた そんな気がしたんだ

I think I thought I saw you try
そうしようとしている君を見た気がしただけ

But that was just a dream,
単なる夢に過ぎない

try
頑張って生きるしかない

cry
泣きながら

why
自問自答しながら

try
頑張って生きるしかない

That was just a dream, just a dream,
それは単なる夢に過ぎない 夢に過ぎないんだ

just a dream
ただの夢

Dream
夢なんだよ

 

(192) R.E.M. - Losing My Religion (Official Music Video) - YouTube

 

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竹内好   主体性の欠如

2021-09-20 04:24:55 | 言葉

竹内好

「ヨーロッパでは観念が現実と不調和(矛盾)になると(それはかならず矛盾する)、それを超えていこうとする方向で、つまり場の発展によって、調和を求める動きがおこる。そこで観念そのものが発展する。日本では、観念が現実と不調和になると(それは運動ではないから矛盾でない)、以前の原理を捨てて別の原理をさがすことからやりなおす。観念は置き去りにされ、原理は捨てられる。文学者は言葉を捨てて別の言葉をさがす。かれらが学問なり文学なりに忠実であればあるほど、ますます古いものを捨てて新しいものを取り入れるのが激しくなる」

 

「こうした主体性の欠如は、自己が自己自身でないことからきている。自己が自己自身でないのは、自己自身であることを放棄したからだ。つまり抵抗を放棄したからだ。出発点で放棄している」

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漱石の雅号

2021-09-13 02:07:11 | 言葉

漱石の雅号


唐代の書物『蒙求』。李翰という人が書いた。古人の話を集めた子供向けの教本である。ここには漱石という夏目金之助の雅号の由来も入っている。

孫楚という詭弁家、「枕石漱流」と言うところを間違えて「漱石枕流」と言ってしまった。その間違いを指摘されると、「流れに枕するのは耳を洗うため、石に漱ぐのは歯を磨くため」と詭弁を弄し、流石と言われたとか。
「漱石枕流」はへそ曲がり、負けず嫌いの代名詞ともなった。

ちなみに、漱石を雅号にしたことについて、漱石の孫を妻にした半藤一利は「つむじ曲がりで負け惜しみの強かったおのれへの自省をこめてつけたものと考えられる」(『漱石俳句探偵帖』)と書いてる。

 


四字熟語   枕石漱流
読み方    ちんせきそうりゅう
意味     世間から離れて、山奥で自由に暮らすことのたとえ。
      隠者の生活をいう。
「石に枕し流れに漱ぐ」とも読む。
「枕石嗽流」とも書く。
出典 曹操「秋胡行」

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関東大震災 「朝鮮人が暴動を起こした」「朝鮮人が井戸に毒を入れた」というデマ

2021-08-23 05:25:31 | 言葉

関東大震災 「朝鮮人が暴動を起こした」「朝鮮人が井戸に毒を入れた」というデマ

 

       (『民衆暴力 ――一揆・暴動・虐殺の日本近代』 藤野裕子 2020年 中公新書 p140)



 流言の発生源をめぐって

 1923年9月1日午前11時58分、南関東を中心に大規模な地震が発生した。相模原湾を震源とし、マグニチュードは7.9であったといわれる。神奈川・東京を中心に甚大な被害が出たが、特に都市部では火災による被害が大きかった。東京では市内の約三分の二が焼失したとされる。そのなかには、内務省・警察庁といった警察機能の中枢を担う建物も含まれていた。震災による死亡者は約10万人と推定されている。

 混乱のさなか、先述のような流言の数々が出回った。これらの流言がどのように発生したのか、という点には諸説がある。民間から自然発生的に湧き上がったという説、官憲が意図的に流言をつくり上げたとする説、官民双方から生じたとする説である。

 これらは朝鮮人虐殺の責任について、民衆と国家権力のどちらに重きを置くかという、研究者の立場の違いを反映してもいる。また東京と横浜のどちらから流言が発生したのか、両者は別々に発生したのか、という点も議論されてきた。しかし、流言の発生源を厳密に特定することは史料的に難しい。

 

 警察が誤情報を流す

 それでも、研究上、見解が一致している点がある。発生源がどこであったにせよ、震災当初から警察が朝鮮人に関する流言・誤情報を率先して流し、民衆に警戒を促したことである。長年にわたりこの問題を研究してきた山田昭次は、次のような史料を紹介している(『関東大震災時の朝鮮人虐殺』)。本郷区で10月25日に開かれた区会議員・自警団代表などの会合で、自警団の代表者は次のように報告したという。

 

   9月1日夕方、曙町交番巡査が自警団に来て「各町で不平鮮人が殺人放火して居るから気をつけろ」と二度まで通知に来た外、翌2日には警視庁の自動車が「不平鮮人が各所に於いて暴威を逞しうしつつあるから各自注意せよ」との宣伝ビラを撒布し、即ち鮮人に対し自警団その他が暴行を行なうべき原因を作ったのだ。(『報知新聞』10月28日夕刊)

 

 これは震災からふた月近く経ってからの報告であるが、オンタイムに書かれた史料もある。寺田寅彦も「震災日記より」の9月2日の条に「昨夜上野公園で露宿していたら巡査が来て〇〇人の放火者が徘徊するから注意しろと云ったそうだ」と記している。

 伏せ字の「〇〇」の部分には「朝鮮」が入るのは間違いない。また、中原村の青年団員・在郷軍人会中原分会員の日記には、9月2日の条に「この日、午後、警察より、「京浜方面の鮮人暴動に備うる為出動せよ」との達しあり。在郷軍人・青年団・消防等、村内血気の男子は各々武器を携え集合し、市之坪境まで進軍す」と記されている(『川崎市史』資料編3)。

 

 政府が誤情報を流す

 そればかりではない。9月3日午前8時15分には、海軍無線電信所船橋送信所から、呉鎮守府副官経由で、各地方長官宛に次の電報が寄せられた。原文は、2日の午後に東京から船橋に送られた(山田『関東大震災時の朝鮮人虐殺』)。

 

    各地方長官宛   内務省警保局長

   東京付近の震災を利用し、朝鮮人は各地に放火し、不逞の目的を遂行せんとし、現に東京市内において爆弾を所持し、石油を注ぎて放火するものあり。既に東京府下には一部戒厳令を施行したるが故に、各地において充分周密なる視察を加え、鮮人の行動に対して厳密なる取締りを加えられたし。

 

 内務省警保局は警察を取り仕切る官庁である。その長官の名義で、「朝鮮人が暴動を起こした」という内容の電報を各地方長官(府県知事など)に送っていたのである。政府から地方長官に渡った布告・通牒は、郡役所を介して各町村へと伝達される。

 震災当初、政府や警察は流言を否定せず、むしろ広めていた。情報の少ないなか、官憲が流した誤情報が信憑性をもって広まったことは疑いない。民間によるデマ、民間による虐殺というイメージとは異なり、公権力の手によってデマが流布したのである。

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パラリンピックは中止を          関川宗秀

2021-08-15 11:26:00 | 言葉

パラリンピックは中止を          関川宗秀         



 2021年も8月15日を迎える。今年は戦後76周年に当たる。

 戦後日本にとって、「向上」とは、経済的な「成長」を指してきた。

 「文化」よりも「経済」を重視して、あくせくして国づくりを進めてきた。

 今の日本は、表面的には清潔で快適そうな暮らしが見える国になったかもしれない。

 しかし、息苦しく、生きづらさを感じている人も多いのではないだろうか。

 貧困や死が見えない、リアリティのない国になっている。

 

 コロナ禍、2021年の東京オリンピックが終わった。

 賛否両論、開催が不安視された中の強行開催だった。

 このオリンピック期間中に日本のコロナ感染者は急激に増え、未だにその勢いは衰えていない。8月13日、新規感染者は2万人を超えた。今後の感染者や重症患者がどこまで増えていくのか、医療ひっ迫が懸念されている。8月24日にはパラリンピックが控えているが、再び開催の議論はかまびすしくなるだろうか。

 

 

 戦後日本の東京は、文化的に時間をかけてゆっくりと成熟する都市ではなく、「より速く、より高く、より強い」東京を目指してきた、と吉見俊哉(吉見俊哉 『東京復興ならず』 中公新書 2021年)も書いている。

 「世界都市」としての東京に、高密に機能を集中させていくために、「経済」を導いたものは「お祭り」だった。オリンピックや万博のような国際的なビッグイベントを軸とした成長戦略、日本の都市はこのお祭り主義、「お祭りドクトリン」によって都心や臨海部の大発展を図ってきたと吉見は書いている。



 つまり、大規模な公共用地の取得とインフラ整備の予算を引き出す日本的政治技術が、この国独特の「お祭り」であった。戦後日本人は、かつて「軍」の決定を錦の御旗としたのと同じように、「五輪」や「万博」、あるいは「国体」や「地方博」のような「お祭り」を錦の御旗とすることで開発を断行してきた。そしてこのお祭りドクトリンは、既存のインフラや仕組みが廃止されていく際にも有効に機能した。とりわけ、1964年の東京オリンピックが目指した「速い東京」のために犠牲にされたのは、「ゆったりとした東京」だった。オリンピックに向けて高速道建設や道路拡幅、そして自動車交通の一元化に邁進する運輸省と建設省は、前者は公共交通の管理、後者は道路建設と狙いは異なっていたのだが、路面電車を路上から放逐することでは一致していたのである。(吉見俊哉 『東京復興ならず』 中公新書 2021年)

 

 思えば、1964年の東京オリンピックで国際的な地位を取り戻した日本は、当時の池田内閣の下、驚異的な経済成長を実現していたが、そんな池田の高度成長政策を、当時、福田赳夫は「見せかけの繁栄は昭和元禄にすぎない」と批判した。

 

 

 池田内閣の所得倍増、高度成長政策 の結果、社会の動きは物質至上主義が全面を覆い、レジャー、バカンス、その日暮らしの無責任、無気力が国民の間に充満し、"元禄調"の世相が日本を支配している。経済面では物価が高騰し、国際収支は未曾有の困難に追い込まれ、広い国民層に抜き難い格差感を植え付けつつある。(https://blog.goo.ne.jp/ryuunokoe/e/bf566d2c84817ed718b1aa2a3e670728)



 福田赳夫の言葉は、自民党の激しいヘゲモニー争いの渦中の言葉に過ぎないかもしれないが、この言葉には大変貴重なもので満ちている。令和の今の首相にも、じっくりと読んでもらいたいものだ。

 

 2021年の東京オリンピックも、日本の復興をアッピールする国際ベントとして、平成不況の日本のカンフル剤と期待された。しかし、今回は明らかな失敗だ。

 

 東京ではコロナ患者が急増しているのに、PCR検査の検査数は一万くらいにしかならない。病院にも入れず自宅療養者が増え続けている。このような国民の命をないがしろにするコロナ対策を前にして、2021年の東京オリンピックの「人類が新型コロナウイルス感染症に打ち勝った証」というスローガンは虚しく響くばかりだ。

 パラリンピックは中止するしかない。

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秋葉原事件とガンディー     中島岳志

2021-07-25 11:09:51 | 言葉

秋葉原事件とガンディー     中島岳志





ダルマ~自分の果たすべき役割

 

トポス~ここに生きていて意味があると感じられるような場所





 私はおそらく今の日本社会はこの「ダルマとトポス」を欠いてしまった世界であり、そのことが多くの問題を生み出していると考えています。

 以前、『秋葉原事件』(2011)という本の中で書きましたが、今日本で急速に拡大している非正規雇用、特に派遣労働というのは、まさに「自分がここにいることの意味」を喪失した労働形態です。「あなたでなくても、同じ仕事をこなしてくれれば誰でもいい」と、人間を駒として扱うわけですから。そうした仕事に、しかもネットカフェから通うような生活は、「自分は何のために生きているのか」という意味づけを失わせます。

 よく「俺たちの時代は貧乏で大変だった」という話をされる年配の方がいます。もちろん、それはそれで大変だったのでしょうが、そこにはある意味での「豊かさ」があったように思います。いくら貧乏な生活をしていても、仕事が大変でも「頑張れば田舎の家族を食べさせられる」「もっと楽な生活をできる」といった、「苦労する意味」「生きている意味」が明確に見えていたはずです。

 今の若者たちが生きる世界は、そうした「意味」を見いだせない世界です。それはつまり、自分の「役割」や「生きる場所」--ダルマやトポスを欠いてしまっている世界だといえます。ガンディーなら、「それでは人間は生きられない」というでしょう。

 ガンディーは、人間は誰でもダルマの中に生きなければいけない、その自覚を持つべきだと述べました。

 

  各人がそれぞれ自分の光にしたがって真理を求めるのは、少しも間違ったことではあり ません。事実、そうすることが各人の義務(つとめ)です。

                         (『獄中からの手紙』 p14)

 

         

            「100分de名著『獄中からの手紙』ガンディー」 中島岳志

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札幌国際芸術祭

 札幌市では、文化芸術が市民に親しまれ、心豊かな暮らしを支えるとともに、札幌の歴史・文化、自然環境、IT、デザインなど様々な資源をフルに活かした次代の新たな産業やライフスタイルを創出し、その魅力を世界へ強く発信していくために、「創造都市さっぽろ」の象徴的な事業として、2014年7月~9月に札幌国際芸術祭を開催いたします。 http://www.sapporo-internationalartfestival.jp/about-siaf