chuo1976

心のたねを言の葉として

橋下市長:改憲で国民投票 維新の会公約に

2012-02-28 03:40:27 | 憲法
橋下市長:改憲で国民投票 維新の会公約に




 大阪維新の会代表の橋下徹・大阪市長は24日、戦争の放棄をうたった憲法9条の改正について「一定期間議論して、日本人全体で決めなければいけない」と述べ、2年かけて国民的議論をした上で、国民投票を実施すべきだとの考えを明らかにした。次期衆院選の政権公約となる「船中八策」に、憲法改正手続きを盛り込む方針だ。

 橋下市長は記者団に9条は「他人を助ける際に嫌なこと、危険なことはやらないという価値観。国民が(今の)9条を選ぶなら僕は別のところに住もうと思う」と述べた。

 また、消費増税については「今のような社会、年金、医療保険システムが前提なら、砂漠に水をまくようなものだ。抜本的に社会システムを変え、どこから税を取るかという話をしないといけない」と述べ、慎重な姿勢を示した。【原田啓之】

毎日新聞 2012年2月25日 1時33分(最終更新 2月25日 7時24分)


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教育基本条例について

2012-02-27 06:16:59 | 教育
教育基本条例についてその1
2012.02.07 ( Tue ) 18:58:54 | 元おちぶれ教員 | URL | Edit



教育基本条例については、すでに多くの人々から意見が出され、反論がつきている感がありますが、私なりの観点で記してみたいと思います。ツイッターのような短文は苦手で、少し長くなりますので、何度かに分けて投稿します。内容の乏しい私の意見で貴重なネット空間を使うことの失礼をお詫びします。
 意見は主に一般高等学校を視野において述べています。ただ、私は長く一般高校で勤務した後養護学校(近年支援学校と名称変更)で7年勤務、一昨年退職した経歴のため、近年の一般高校の様子から遠ざかっており、少し的はずれの部分があるかもしれません。
 私が主張したいことの第一は、日本の学校はあまりにも多くの任務をかかえすぎているということです。ざっと考えても、1、教科指導(国語・数学・体育など)、2、人格形成指導(人権教育、自治集団づくりなど)、3、学校行事づくり(修学旅行、文化祭など)、3、部活動、4、生活指導(遅刻・欠席、服装、髪型などより飲酒・喫煙等の違背行為への対応など)、5、進路指導(就職生への企業斡旋、進学先情報など)、6、生徒間の人間関係(いじめ問題など)、その他いろいろ。とにかく、学校の教員のすべき任務は多彩です。日本にもいろいろの職場がありますが、これほど多彩な任務を同一人がしている(一部任務分担はあっるが)職場はあまりないと思います。そのため、正直なところ、「教育目標」どころの話でなく、毎日、目の前の課題に追われ、それをこなすのが精一杯といったところです。
 橋下氏は「教育は2万パーセント強制」と仰ったそうですが、教員にとって、子どもたちにいろいろと強制して教育をすすめられたら、そんな楽なことはありません。「自律的な市民」となることを期していろいろと要求をするのですが、なかにはそれに従わない子どももいて心の葛藤を感じながら厳しくしかりつけたりする毎日です。ある集会で「橋下氏は自身が高校生の時清掃当番を徹底してしなかった」という噂話が語られていましたが、事実なら、担当の先生はどんなにか歯がゆかったでしょう。逆に、橋下青年が「強制」されていたら、青年どういうふうに成長していったのでしょうか。
 「教育は強制」どころか、社会の動きによって教育現場がふりまわされている現実があります。ケイタイを例にとります。子どもたちを販売先としかみない業者によってここ十数年でケイタイはほとんど全員といってよいほど子どもに普及しました。社会の全貌もまだ十分わからず、メディアリティラシーも不十分なまま、子どもは通話・メールだけでなくさかんにウエブ利用をしています。ケイタイをめぐって学校は困りはてています。学校は「ケイタイ禁止強制」したいところです。

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「お母さんの背中」

2012-02-26 06:36:56 | 文学
「お母さんの背中」

熊本市立飽田中学校 一年  永田 瑞歩



「子は親の背中を見て育つ」というが
私は母の背中で大きくなった
母がごはんを作っているときも
ガソリンスタンドの仕事をしているときも
いつも背中にくっついてた
私がだんだん大きくなっていくと
次にその背中は妹のものになり
私が小学校に入る年には
弟のものになっていた
「きつくなかった?」
と私が聞くと
「大変だったけれど
不思議と疲れはなかったよ」
と母は言っていた
母親ってすごいな

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佐々木孝次『母親と日本人』 「家族と人間形成――漱石の『道草』の場合」

2012-02-25 05:08:22 | 文学
佐々木孝次『母親と日本人』 「家族と人間形成――漱石の『道草』の場合」



夏目漱石は、『硝子戸の中』で、ひとから聞いた話として、自分は生まれてまもなく四谷の古道具屋に里子に出され、毎晩その古道具屋のがらくたといっしょに小さな籠のなかに入れられ、大通りの夜店にさらされていたと書いている。

ある晩、姉のひとりが何かのついでにそこを通りかかり、あまり可哀相なので、そのまま家に連れ帰ったという。かれは、その夜どうしても寝つけずに、夜どおし泣き続けていたが、姉のほうも父親からひどく叱られたそうである。(p.150)

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光市事件   増田美智子さんへのインタビュー(その3) 鬼蜘蛛おばさんの疑問箱

2012-02-24 04:56:25 | 死刑
光市事件   増田美智子さんへのインタビュー(その3) 鬼蜘蛛おばさんの疑問箱




― 私は増田さんが、福田君が死刑にならないことを願い、また、裁判でも役立てることができると考えて本を書かれたと感じたのですが、どんな気持ちで本を執筆されたのでしょうか。

 ご指摘のとおり、私にとって本書の出版は、福田君の死刑回避を願った乾坤一擲の勝負でした。
 新聞報道などではどうしても、「罪を犯した少年を実名で暴いた」ということのみが本書の特徴とされてしまうのですが、私が本書を執筆した意図は少年犯罪の実名化を議論するためではありません。本書の特徴は、殺人犯という特徴しか報じられていなかった福田君を、日々悩み、迷い、笑う、ひとりの人間として描き、彼が紡ぎ出す言葉を正確に報じることで、福田君の人間性に迫ったことであると自負しています。ですから、本書について実名の是非ばかりが議論され、新聞の紙面上で本書のことを「実名本」などと表現される現状が、私は残念でなりません。
 しかし、私が福田君の死刑回避を願っているからと言って、福田君にとって不利益と思われることを隠すことはしないよう心がけていました。それをしてしまえば、本書に書いたことのすべての真偽が疑わしくなってしまいます。また、福田君にとって有利か不利かという観点から、報道する事実を仕分けすることは、ライターとしては決してしてはならないタブーだとも思っています。
 弁護団から受けた仕打ちを書いたのも、事実だからです。しかし、弁護団については、とくに読者の興味をひくことだとも思わなかったし、それほど重要なことでもないと感じたので、かなりはしょって書きました。弁護団からは、本書に書いたこと以外にも、数々の理不尽な仕打ちを受けています。
 本書は、福田君にとってはきわめて有利な情状を示すものだと思います。弁護団の方々には、死刑判決を受けて現在上告中の最高裁に情状証拠として提出するくらいの気概を持っていただきたかったです。

― 読者からはどんな反響がありましたか。実名で厳しい批判を寄せた読者はいたのですか。

 郵送やメールなどで、私のもとに直接届くご意見・ご感想は、「初めて福田君がどういう人間かわかった」とか、「報道をうのみにしていた自分が恥ずかしい」といった、好意的な感想がほとんどでした。
 新聞などでは厳しく批判され、落ち込むことの多い日々でしたが、こうした感想に何度励まされたかわかりません。
 批判的なご意見をいただいたことも、2度ありました。一方は、「少年法違反の本を出すのはやめなさい。恥を知りなさい」という匿名のメールで、もう一方は、ご自身の名前や住所がきちんと記された、被害者のご遺族の心情を考えるべきだという手紙でした。

― インターネット上では増田さん個人のことについて事実と異なることや誹謗中傷が飛び交っていると思いますが、看過できない虚偽事実があれば教えてください。

 見ると落ち込んでしまうので、2ちゃんねるなどに書かれていることは、あまり見ないようにしています。なので、どのような虚偽事実が書かれているのかは把握していません。すいません。
 ただ、インターネットでも新聞や雑誌の読者欄でも気になるのが、本書を読まないままに批判されている方が多いという点です。そのため、批判がまったくの的外れになっていることも多々あります。できれば、読んだうえでのご意見をうかがいたいと思います。

― 本では、弁護団がこれまで裁判で行なってきた立証や主張については触れていません。これについて、増田さん自身はどんな意見を持っていますか。

 弁護団が出している出版物や『年報・死刑廃止』シリーズなど、光市母子殺害事件について活字になっているものはほとんど目を通していますので、弁護団がどのような主張をしているのかも、それなりには把握しているつもりです。個人的には、福田君が犯した罪が本当に「強姦致死、殺人」であるのかはわからないと思っています。弁護団が主張するように傷害致死の可能性もあると思います。ただし、裁判資料を見ることもできない状況で、事件の真相を私が勝手に推測することはできません。ですから、できれば弁護団から話を聞き、「弁護側は事件の真相をこのように主張する」というふうに本書で触れたいと思っていました。しかし、弁護団は取材に応じてくれなかったため、やむを得ずあきらめました。
 弁護団の立証・主張に触れていないと感じられるかも知れませんが、それでも刊行物などからわかる範囲で弁護団の言いぶんを紹介したつもりなんです。従前の報道が公然と行っていたような「死刑回避のためのでっちあげ」といったやみくもな批判もしていません。
 弁護団の主張の真偽はわかりませんし、軽々しく言えることでもありませんが、本書の出版に関する弁護団の一連の振る舞いを見ていると、『ドラえもん』や『魔界転生』が登場する「新供述」がどこまで福田君自身の言葉なのか、疑ってしまいます。すべてではなく、一部では弁護団による創作があったのかもしれないと思うようになりました。

― 今は、福田君には面会できないのですか。

 法曹界には、双方に代理人弁護士が就いた争いの当事者同士は、直接やり取りをしてはいけないという暗黙のルールがあるそうで、福田君とは面会できません。
 そのルールを知らずに、本書の出版当日に福田君に本の送付と合わせて手紙を送ってしまいました。数日後、足立弁護士から堀弁護士のもとにFAXが届き、厳に抗議されました。
 できることなら福田君に直接会い、いま私の心を占めているたくさんの疑問をぶつけてみたいと思っています。弁護団を名誉毀損で提訴した際、福田君も被告に入れたのは、そうすることで福田君に対する出張尋問が認められる可能性があるからです。裁判で直接福田君に質問ができるよう、強く要望していくつもりです。

― 最後に、皆さんに是非知ってもらいたいことなどありましたら、お願いします。

 本書を読まれていない方には、どういう手段でもかまわないので読んでいただきたいです。私に対する嫌悪感があってあえて本書を読まないという方もいらっしゃると思うのですが、購入するのがイヤだとおっしゃるのなら、お友達や図書館から借りても、書店での立ち読みでもいいです。ただ、仮処分や本訴を抱えているため、いまだに本書の販売を控えている書店もあるようです。本書が入手しにくい状態であるのは、著者としては非常に心苦しいです。本書を購入していただいた方には、どんどん人に貸していただきたいです。
 福田君のことを「荒唐無稽な新供述で遺族を愚弄した、狡猾な知能犯」と思われている方は多いと思います。報道だけで福田君の人間性を決めつけることなく、現実にいま生きていて、いろんなことを考えて日々を送っている福田君の姿を想像してみてください。できれば、想像するだけでなく、現実の福田君とコンタクトをとってみてほしいとも思います。いまは弁護団による監視が厳しいようですが、拘置所は本来、面会も文通も、自由にできるのですから。

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光市事件 増田美智子さんへのインタビュー(その2)    鬼蜘蛛おばさんの疑問箱

2012-02-23 06:37:18 | 死刑
光市事件 増田美智子さんへのインタビュー(その2)    鬼蜘蛛おばさんの疑問箱




― マスコミ報道では双方の主張などもごく一部しか伝えられません。福田君側の主張で納得のいかない点はいろいろあると思うのですが、いくつか教えてもらえますか。

 弁護側の主張はこちらが反論を出すたびに変わるので、挙げるときりがないのですが、もっとも許せないと思ったのは、取材目的であることを告げずにひとりの女性として福田君に近づいた、私が福田君を脅迫して取材に応じることを強いた、という主張です。弁護団は、これらを記者レクで何度も語り、何度も報道されています。しかし、そのどちらについても広島地裁決定は事実ではないとしています。
 私は福田君に送った最初の手紙のなかで、在京のフリーライターであることを告げています。福田君と初めての面会がかなう前には、福田君の弁護団メンバーである、本田兆司弁護士、足立修一弁護士と取材目的で福田君と面会したいと何度も交渉しています。弁護団は、明らかにウソとわかりながら、私に対する悪評を喧伝しているのです。
 人権問題に熱心に取り組んできた方々も多い弁護団が、女性記者に対して「女を武器に近づいた」といった女性蔑視の低俗な批判を展開させたのは意外なことでした。私も女ですから、痴漢に遭って「おまえにスキがあるからだ」などと批判されたこともあります。弁護団による私への批判も、これと同じく低レベルな男女差別に基づくものです。

― 本では弁護団が取材を拒否した経緯などが詳しく書かれています。また、寺澤さんは弁護士から「事前にゲラを見せないと仮処分をする」と脅しのようなことを言われたそうですね。こうしたことから、私は福田君からの仮処分や提訴は、福田君本人の意志というより弁護団の意志が大きいのではないかと感じているのですが、その点はどう感じていますか。

 仮処分や本訴が福田君の意思で行われたものか、もしくは、弁護団が福田君のためを思ってやっているものかどうかすら、非常に疑わしいと思っています。一連の騒動の発端は、「福田君は事前にゲラを見せてもらう約束をしていたと言っている。出版前にゲラを見せろ」という足立修一弁護士からの電話でした。
 私は、取材を通じて福田君とはきわめて良好な信頼関係を築いてきていましたが、その一方で、弁護団は私のことをずっと邪険に扱ってきていました。弁護団の許可を得ずに福田君と面会していた時点で、弁護団は私のことをけしからん存在だと思っていたようです。取材の過程で、何度か弁護団メンバーにも取材を依頼しましたが、徹底的に拒否されていました。だから、本書のなかで、私が弁護団についてどのように評しているのか、弁護団は非常に気になっていたと思います。要は、弁護団がどのように書かれているのか検閲したかったということでしょう。事前にゲラを見せてほしいというのは福田君ではなく弁護団の要望だと思っています。
 仮処分や本訴をしたことは、福田君にとっては不利益でしかありませんでした。前述のように、無反省をことさら印象づけることになってしまううえに、私が本書で書いた福田君の反省の言葉すら、虚偽であるかのような印象を与えてしまいます。福田君の代理人であるはずの弁護士が、なぜこのような暴挙に出るのか理解に苦しみます。
 仮処分では、第1回目の審尋の段階になっても福田君本人の陳述書が提出されませんでした。私や寺澤さんの代理人となってくれている堀敏明弁護士がその点を書面で質したところ、第2回目の審尋で、ワープロ打ちによる福田君の陳述書が裁判所に提出されました。しかし、拘置所にはワープロなどありません。そこで堀弁護士が作成経緯を尋ねると、次回からは福田君の手書きによる陳述書が提出されるようになりました。また、堀弁護士が準備書面で、「弁護団は人権侵害だと主張するが、法務局に人権救済の申し立てもしていない」と指摘すると、その翌日に広島法務局に人権救済の申し立てをするなど、弁護団はこちらから指摘されて初めて実行に移すことばかりでした。
 曲がりなりにも弁護団は法律の専門家なのですから、本書の出版が本当に人権侵害行為であると思っているのなら、上記のことは他人に指摘される前に自ら行っていてしかるべきです。人に言われるまでその発想がないというのは、つまり、弁護団も本書が人権を侵害するような書籍ではないとわかっているのだと思います。

― タイトルに名前を入れたことで「実名を売り物にしている」という批判がありますが、タイトルを決めた経緯やこうした批判についての見解を聞かせてください。

 正直なところ、私は「実名を売り物にしている」という批判の意味がよくわからないんです。本文で実名を書くのはOKだけど、タイトルにするのはけしからん、というのは筋が通らないし、タイトルに実名を入れたからと言って、どうしてそれが「売り物」になっちゃうんでしょうか。
 本書のタイトルは寺澤さんがつけてくれたものです。寺澤さんは「原稿を読んで、本書でいちばん言いたいのはこういうことではないかと思った」と言っていました。
 いいタイトルをつけてもらえて満足していますが、もともと私はそれほどタイトルにはこだわりはありません。本は内容で勝負するもので、タイトルはしょせんタイトルに過ぎません。「実名を売り物にしている」かどうかは、内容を読んだうえでそれぞれの読者が判断してくださればいいと思います。また、内容を読んでもらえれば、タイトルの意味も十分にわかってもらえるものと思っています。

― 増田さんの福田君に対する印象については本に書かれていますが、本を読んでいない方のために簡単に説明してもらえますか。

 私から見た福田君は、28歳の青年にしては非常に幼い性格をしていますが、彼なりに犯した罪と向き合い、反省を深めようと日々努力する純粋な青年でした。面会室での会話は、私が何か質問する以外で彼が自発的に語ることと言えば、どうすれば謝罪・反省を深められるか、ということばかりでした。
 福田君は、死刑という量刑には不服はないそうです。けれど、誤った報道などにより生じた誤解が、遺族をさらに苦しめている面があると思っているようで、その誤解を解くことで遺族の苦しみを少しでも和らげたいと語っていました。でも、彼が遺族に謝罪の意を伝えようとすると、どうしても「死刑回避のためのパフォーマンスだ」と見なされてしまう。福田君はそのこともよく理解しており、もし遺族との面会がかなうのなら、そのときは弁護団や裁判のことは抜きにして、真正面から遺族と向き合いたいとのことです。
 ただ、福田君には、他人との距離感をうまくはかれない面があるのも事実です。他人から嫌われるのを極端に恐れており、必要以上に迎合してしまう面もあるようです。
 今回の仮処分や本訴についても、福田君の迎合型の性格が悪い方向に作用してしまったように思います。冷静に考えれば、仮処分も本訴も、福田君にとっては死刑確定へとコマを進めてしまうような自殺行為であることは明らかなのですが、自らの死刑が確定するか否かよりも、目の前の弁護団のご機嫌を損ねてしまうことのほうが彼にとっては辛かったのかもしれません。
 弁護団の行為は、こうした福田君の性格を利用したものであり、許せません。

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光市事件   増田美智子さんへのインタビュー(その1)   鬼蜘蛛おばさんの疑問箱

2012-02-22 03:10:13 | 死刑
増田美智子さんへのインタビュー(その1)   鬼蜘蛛おばさんの疑問箱






 このブログでも何回か取り上げてきた「福田君を殺して何になる」(インシデンツ)の著者である増田美智子さんとコンタクトをとることができました。この本は、光市事件の被告人である福田君やその関係者を取材したルポルタージュですが、福田君の弁護団が出版差し止めの仮処分を求めたことをきっかけに、裁判に発展して波紋を呼んでいます。


 マスコミ報道というのは往々にして偏っていたり、物事の本質が正しく伝わっていなかったり、重要な事実が報じられないことがあります。この問題に関しても、私は、マスコミ報道では実名報道の可否ばかりが話題になり、著者側の主張がきちんと伝わっていないという印象を強く抱いていました。そこで、増田美智子さんにメールでインタビューを申し入れたところ、快く応じてくださいました。


― 出版の直前になって、出版差止めの仮処分を申し立てられ、その結論が出ていないうちに福田君側から本訴がありました。広島地裁で仮処分が却下されると高裁に即時抗告しました。その後、増田さんやインシデンツの寺澤さんが反訴したり、毎日新聞を訴えたわけですが、一連の経緯や心境などについて聞かせてください。


 これまでの報道で、福田君は「狡猾」「鬼畜」「知能犯」などとさんざん批判されていました。福田君のことが正確に報道されているとは言い難い状態のなかで、世間の人々は、福田君のことを、より凶悪で、より残酷なモンスターのようにイメージしていたように思います。

 しかし、実際に面会し、手紙を交わしてみれば、彼は自らの犯した罪と向き合い、反省しようと一生懸命に努力する青年であり、報道との大きなギャップがありました。

 福田君も、私たちと同じように悩み、迷い、笑い、泣きながら日々成長していく一人の人間であることを知ってもらいたい。そのうえで、読者の方々には、彼に下された死刑判決の当否を改めて考えてみてほしい。私は、そういう思いで本書を出版しました。犯行当時18歳だった福田君の実名を書いたのも、福田君をありのまま描きたかったからです。おそらく、私の思いは福田君の弁護団ともそれほどかけ離れていないと思っています。

 弁護団が「福田君の実名表記は少年法違反だ」として、出版差し止めの仮処分や本訴を提起したことにより、「大罪を犯したにもかかわらず、実名で報道されるのを嫌がる不遜な人間だ。やはり反省していない」という印象を世間に与えることになってしまいました。これでは、私が本書で訴えようとしたことが無になってしまいます。仮処分や本訴となれば、福田君への誤解を増大させることはわかりきっていましたから、弁護団との間ではできる限り法的措置を避けられるよう努力しましたが、力及ばず、このような事態になってしまったことは、非常に残念に思っています。

 この過程で、弁護団は私のことを、「福田君を脅迫して取材に応じさせた」「一人の女性として福田君に近づいた」などと、ありもしない事実を報道陣に語り、それがたびたび報道されました。しかも、そうした誹謗中傷はどんどんエスカレートしており、放置しておけばこの後さらにエスカレートすることが予想されたため、反訴に踏み切りました。

 本書はおもに新聞紙上で厳しい批判を浴びてきました。そうした批判を目にして、反論したいと思うこともたびたびありましたが、論評は自由であるべきですから、問題視することはありませんでした。

 しかし、2009年11月11日付け毎日新聞社説のように「当事者に知らせることなく出版しようとした行為は、いかにも不意打ち的だ」などと、誤った前提事実をもとにしてまで批判されてはたまりません。私は、福田君に出版を何度も知らせていましたし、それは広島地裁決定も認めている事実です。毎日新聞は地裁決定のコピーを持っており、地裁決定をきちんと精査すれば避けられた過ちです。しかも、毎日新聞はこの社説を書くうえで、私や寺澤さんに取材することもありませんでした。こんなに適当に書かれた批判に対して抗議しなければ、「著者は何を書いてもOKな人」という認識を新聞社に与えかねません。

 弁護団に対する反訴や、毎日新聞社への提訴は、エスカレートする誹謗中傷に対して、きちんと事実確認しないのなら、こちらも怒りますという姿勢を、弁護団やマスコミ関係者に示しておくことも大きな目的のひとつでした。


― 出版差止めの仮処分や本訴では「福田君に実名で書くことの了解を得ていたか否か」「事前に原稿をチェックさせるという約束があったか否か」が最大の争点だと私は理解しているのですが、増田さんはどう捉えていますか? 増田さんは、「実名で書くことについては了解を得ていた」「事前の原稿のチェックの約束はなかったと」と主張されているということですね。


 ご指摘のとおり、「福田君に実名で書くことの了解を得ていたか否か」「事前に原稿をチェックさせるという約束があったか否か」、が重要な争点であると思います。

 実名で書くことについては、2009年3月27日の面会で福田君の了承を得ました。彼は、「それって、僕の了解が必要なの? 『週刊新潮』とかは了解なしに書いてるよね」と言いつつ「僕は書いてもらってかまいません」とあっさり了承しました。福田君が言うように、彼の実名は事件直後から何度も『週刊新潮』が報道してきましたから、彼の名前は今さら秘密でもなんでもありません。だから、断られることもないと思っていました。その後の面会も、福田君の実名を書くことを前提に、事実関係の細部にわたる確認をしていましたが、福田君から実名記載をやめてほしいと言われたことは1度もありません。

 事前に原稿を見せる約束をしていたという主張は、福田君からそういうお願いをされたことは一度もなく、弁護団か福田君によるゼロからのねつ造です。仮処分の書面のやりとりのなかで、いつ事前に原稿を見せる約束をしたというのか、何度も弁護団を質しましたが、弁護団は約束したとする時期さえ明らかにすることはできませんでした。それほどまでにあいまいな主張なんです。


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光市事件 死刑確定 永山則夫 関川宗英

2012-02-21 05:57:35 | 死刑
光市事件 死刑確定
マスコミは一斉に実名報道。





永山則夫のメモ

1968年10月から1969年4月にかけて、東京、京都、函館、名古屋で4人を射殺。「連続ピストル射殺事件」を引き起こす。

1969年4月(当時19歳10ヶ月)に東京で逮捕。

1979年に東京地方裁判所で死刑判決。1981年に東京高等裁判所で無期懲役に一旦は減刑されるが、1990年に最高裁判所で「家庭環境の劣悪さは確かに同情に値するが、彼の兄弟たちは凶悪犯罪を犯していない」として死刑判決が確定する。



逮捕から最初の死刑判決まで10年かかっている。さらに、死刑が確定するまで11年。



この裁判の過程で死刑を宣告する基準(永山基準)が示された。



永山則夫の死刑は、1997年8月1日。48歳だった。




1971年、手記「無知の涙」を発表。

1983年、小説「木橋」で第19回新日本文学賞を受賞。





執行同年6月28日に逮捕された神戸連続児童殺傷事件の犯人が少年(当時14歳11ヶ月)であったことが、少なからず影響したとの見方も根強い。少年法による少年犯罪の加害者保護に対する世論の反発、厳罰化を求める声が高まる中、未成年で犯罪を起こし死刑囚となった永山を処刑する事で、その反発を和らげようとしたのではないか、とマスコミは取り上げた(Wikipedia)。





2010年11月25日、裁判員裁判で少年に対する死刑判決が初めて出た(「宮城3人殺傷事件」)。

これは、審議に5日、評議3日しかかけていない。



   

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大阪教育基本条例 アメリカ落ちこぼれゼロ法 イギリスサッチャー教育改革

2012-02-19 06:18:14 | 教育
http://youtu.be/kR5V2fn4Lws



大阪教育基本条例はアメリカのの落ちこぼれゼロ法、さらにはその前のサッチャー教育改革に酷似している。

アメリカの教育が落ちこぼれゼロ法でどうなったか。学力テストの結果が悪かった学校は閉鎖され、教師はクビになったが、教育の質はますます低下した。テストの正解を覚える教育では、創造力は育たない。一方、学ぶ喜びが重指される高校が力を伸ばしている。

イギリスでのサッチャー教育改革は失敗だったと認められ、既に多くの地域で国の学力テストをやめている。

アメリカの落ちこぼれゼロ法制定に携わった教育学者ラビッチ教授(ニューヨーク大学)は、現在ではあの法律は間違いだったと断言している。

ラビッチ教授に去年10月の教育基本条例案を見せる。(ちなみに見せる時点で教師の相対評価は絶対評価に変わるかも知れないことを告げている)

ラビッチ教授は条例の半分近くが教員の懲戒や免職に規定で占められていることに驚く。

①学力テストを実施、結果を公表し学校どうしを競争させる

②教員の評価を厳しくし、校長の命令に背いた場合免職もあり得る

などの教育基本条例の特徴は、落ちこぼれゼロ法と共通している。

落ちこぼれゼロ法下でのやり方、情報を集め教師を処罰するという懲罰的態度、成績があがらずダメ学校の烙印を押されたら閉校、こういうやり方では教育改革は成功しない。

「大阪は同じ轍を踏むことになるだろう。せっかく教育改革する機会があるのなら私たちが歩いてきた10年間を繰り返して欲しくない」



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山田洋次 あくまでシネマスコープあくまでフィルム    関川宗英

2012-02-18 11:01:34 | 映画

山田洋次 あくまでシネマスコープあくまでフィルム 関川宗英



   

 「畳の部屋で一家で楽しく会話しながら夕飯を食べる。ただそれだけのシーンにも見応えがあるのは、役者たちの演技のうまさももちろんだが、もうひとつ、シリーズがすべてシネマスコープで撮られていることにも理由がある。寅さんがテレビではなく明らかに映画だと思わせるのはそこである。もともと寅さんはテレビドラマが起源なのだから、テレビに勝つためにもシネスコの横幅の持ち味を活かすわけである。」(「週刊シネママガジン」http://cinema-magazine.com/new_kantoku/yamada.htm)
 映画館で見る「寅さん」シリーズは、シネマスコープで上映される。あの横長の画面が、「映画だと思わせる」というのだ。そして、「シネスコサイズの端から端まで登場人物を配置させ、畳の上に座る寅さん一家のみんなを一度に映しだした。こうすることで、日本家庭の日常風景のリアリズムを表現することができたのである。」(同上)と評価する。 日本家庭のお茶の間といえば、『サザエさん』を思い浮かべる人も多いだろう。サザエさん一家7人が一つの座卓(冬なら、こたつ)を囲んで座るおなじみのシーンだ。画面手前のカツオたちは、背中を見せて座っている。縦横比3:4のテレビ画面は、ワンショットでサザエさん一家の食事風景をとらえる。寅さん一家とサザエさん一家、そのお茶の間をいかに画面に納めるか、それは映画のスクリーンサイズの変遷と深く関わり合っている。

 シネマスコープの誕生は、1953年である。その縦横比は、5:12。そして、次の年の1954年には「ビスタサイズ」(9:16)が生まれる。その最初のヒット作となったのは、『ホワイト・クリスマス』(1954年)。主役の4人が横に並んで歌う場面や美しい雪景色を見事にとらえていたという。
 それまでの映画は、スタンダードサイズと呼ばれる3:4の画面である。テレビは、このスタンダードサイズにならって、3:4の縦横比が世界標準となった。
 1950年代、テレビは家庭のリビングに入り込み、庶民の娯楽として急速に成長する。そこで、映画はテレビに対抗するため、画面比率の大きなシネマスコープやビスタビジョン、シネラマ(3台のカメラで撮ったシーンを、3台の映写機で同時に上映する)など、差別化を図っていく。「迫力ある大画面をワイドスクリーンで」、こうして世界各地の映画劇場は大型化していった。ワイドスクリーンとは映画の特権化であった。山田洋次は、シネマスコープが導入された1950年代に映画界入りする。
 そして1980年代、映画はビスタサイズが主流となり、シネマスコープは消えていく。しかしその後も、そのシネマスコープに山田洋次はこだわり続けてきた。

 『寅さん』シリーズは、日本各地をロケしている。シネマスコープの大きいスクリーンには、日本の名所の美しい景色が映し出される。全国に点在する松竹系の映画劇場なら、シネマスコープの画面を堪能できる。『寅さん』シリーズが、「国民映画」と多くの人々に評価されてきた所以である。

 画面の中央で男女が語り合い、その背景の片隅では犬が戯れていたりするのが映画の良さと山田洋次は語っている。これは、シネマスコープの横長の画面だから実現できる構図である。
 4:3のテレビ画面なら、バストショットがどうしても多くなる。胸から上の上半身のショットで、役者の顔を見せ、セリフを交わすたびに、画面は切り替わる。上半身二人を向かい合わせて撮るロングショットは、テレビにはむかない。
 ちなみに、美術の世界の縦横比はどうなっているのか。フランスでは昔から、絵の縦横の「美しい比率」には決まりがあることが分かっていた。今でも絵のサイズはおおまかに、「F」、「P」、「M」の3種類がある。

F 242ミリ×333ミリ(3:4)  人物画    スタンダードサイズ テレビ
P 220ミリ×333ミリ(6:9)  風景画
M 190ミリ×333ミリ(9:16) 海の風景画  ビスタサイズ

 「F」は人物画、「P」は風景画、「M」は海の風景に向いているとされる。もっともワイドな「M」は映画のビスタサイズと同じであるが、この比率は、「黄金比」ともいわれ、昔から最も美しいとされるサイズである。「黄金比」は、木の枝の出方や花びらの並び方、巻き貝の曲り方など、自然の中にもたくさん見られるという。美術の世界のサイズは、このように自然界の基本的な構成比から得られたものである。
 一方、バストショットのテレビ画面は3:4だが、人の絵に向いているという「F」の絵の比率と重なるのも頷ける。
 テレビで活躍する俳優は歩き方が下手だと言った監督がいた。顔の表情とセリフでテレビドラマは進む。俳優が去っていく後ろ姿で演技することはまれかもしれない。まして、背景にこだわったショットなどテレビは期待しない。
 風景の中の人物。横長の画面に、ヒロインと風景を納めるとき、主人公の言葉にできない心象を背景に語らせることもできる。うまい監督は、画(え)で見せる。黒澤明は撮影中、背景に入ってくる邪魔な木を「切ってしまえ」と言ったそうだが、映画監督はショットの細部にもこだわるものだ。
 抑えきれない心情を、風の吹き荒ぶ風景で捉える。賑やかな家族を洗濯物がたくさん干してあるショットで見せる。主人公の死を届けられた白い花で告げる。一つのショットにも重要なプロットがあり、一つのショットからさまざまな意味を見つけるとき、私たちは映画の中にさらに深く引き込まれていく。


 山田洋次は、主人公だけでなく、脇役の味も出そうとする。山田洋次がシネマスコープにこだわるのは、映画作りの基本的な姿勢につながるものといえる。寅がえらそうに説教を始めれば、ひろしが応じる。おいちゃんが「ばかだねえ」とチャチャを入れ、それをさくらやおばちゃんが笑って見ている。「フーテンの寅さん」おなじみのこの座卓を囲むシーンだが、全ての登場人物の顔が横長の画面に見えている。そしてやにわに、そのショットの左から、タコ社長が現れ一悶着が起きる。「画面中央で男女が語り合う片隅で犬が戯れていたりする」ショットこそ、横長画面の真骨頂である。
 しかしそのような技術的なこと以上に、古き良き映画の遺産ともいえるシネマスコープに21世紀の今もこだわる理由は何なのだろうか。テレビの台頭する1950年代、映画を特権化するために生まれたシネマスコープは、ビスタサイズとの競争に完全に負け、今や遺物でしかない。映画を製作する時点で同時にTV放映権やビデオ化権も売るようになった現在、「TV放映」「ビデオ化」の際にもっとも見やすいサイズがビスタサイズである。これが世界の映像産業の基本戦略となっているが、山田洋次はシネマスコープにこだわリ続けてきた。それは、次のようなフィルムへのこだわりに通じるものといえる。

「僕はフィルムが大好きで、ずっとフィルムで撮ってきた。今、来年の映画の準備をしているんですが、スタッフには『いいか、人類最後のフィルム製作をするんだからな』と言っている」
「フィルムとデジタル、どっちが優れているとかいないとか、僕もまだ正確には言えない。ただ、フィルムの歴史が終わる。今僕たちは、映画の転換期にいる。それだけは確かです」(2011年10月28日 [シネマトゥデイ映画ニュース])

 撮影所システムの最後の監督かもしれない山田洋次は、人類最後のフィルム映画を作ろうとしている。さて、人類最後の映画はシネマスコープだろうか。

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札幌国際芸術祭

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