chuo1976

心のたねを言の葉として

時代や社会が宮崎勤を作った            関川宗秀

2021-09-07 11:19:43 | 死刑

 

時代や社会が宮崎勤を作った            関川宗秀



 「この国の80年代、時代と社会が宮崎をつくった」と吉岡忍は言っている。

 これは森達也の『相模原に現れた世界の憂鬱な断面』(2020年 講談社現代新書)に出てくる、吉岡の言葉だ。

  宮崎とは、1989年から99年にかけて4人の小さな女の子を殺し、2008年に死刑が執行された宮崎勤のことである。

 宮崎勤だけでなく、神戸連続児童殺傷事件の酒鬼薔薇、オウム事件の麻原彰晃、相模原事件の植松聖など、いずれの凶悪事件の犯罪者も社会や時代がつくったと吉岡は言う。

 

 『相模原に現れた世界の憂鬱な断面』の「第一章 宮崎、麻原、植松」は、森達也が吉岡忍の言葉を聞く形で書かれている。二人の対話は、宮崎勤ばかりでなく、麻原彰晃、植松聖らの事件に共通する問題点を指摘している。それは、メディアや社会の関心が、加害者ではなく被害者にむかっていること。そしてこれらの悲惨な事件は、結論ありきの精神鑑定書が出され、責任能力があるとされて、死刑が確定するという流れで決着すること。だから、なぜこのような事件が起きたのか、この時代や社会と犯人とのかかわりを考えなくなっているというものだ。

 

 歴史的な事件や悲劇が起きた時、その犯人を捕らえ断罪したとしても、それは真の解決にはならないだろう。事件について、時代や社会とのかかわりを考え、それをいかに防ぐかといった動きがないのであれば、同じような事件はまた起きる可能性はそのまま残っていることになる。





 1995年3月、東京で地下鉄サリン事件が発生した。死者13人、被害者約6300人。この無差別殺人を起こしたのは「オウム真理教」。警察は上九一色村の教団施設「サティアン」に対して強制捜査に踏み切った。その様子は、テレビが生中継で全国に伝えた。

 そして、強制捜査以降、明らかになったサティアンの全貌は世間に強い衝撃を与えた。12まであったサティアンは、信者が居住する無機質で不衛生な無数の小部屋ばかりでなく、サリンや小型銃の製造工場まであった。

 坂本一家殺害事件、松本サリン事件、そして地下鉄サリン事件と牙をむいたオウム真理教だが、なぜこのような狂気が生まれたのか。オウムにたまたま狂人が集まって、このような事件が発生したわけではないだろう。

 

 信者は、電極のついたヘッドギアを装着し、麻原の脳波と同調させ、洗脳が図られていたという。

 一時は1万5千人以上の信者がいたというオウム真理教。東大や京大、阪大など高学歴の信者もいた。

 なぜ、オウム真理教にこのように多くの若者が入信していったのか。オウム真理教の何が、多くの若者を引き付けたのか。オウムの狂気は、まさにこの時代、この日本が生んだと考えるしかないだろう。

 

 異常な発熱があった時、対症療法的に解熱剤をうって発熱が下がったとしても、それは一過性のものだ。さらにまた発熱が続くようであれば、発熱を生み出しているのはどこか、なぜ発熱が続いてしまうのか、その根本的な原因となっている疾患を探り当て治療することが大切だろう。

 

 2018年7月、死刑判決を受けていた13人のオウム真理教の幹部の死刑は決行された。しかし、それでオウムの抱えた闇が消えたわけではない。

 今もこの国には、オウムを生んだ深い闇が大きな黒い口を開けている。その黒い口はますます大きくなっているかもしれない。




 ところで、「犯罪の動機など解明しようとしない、これが欧米の常識だ」と書かれている本に出会う。斎藤貴男による『安心のファシズム』(2004年 岩波新書)である。この本によれば、犯罪の原因などいくら考えても、犯罪はなくならない。では、犯罪を減らすためにはどうしたらいいか。それは「犯罪の機会」を減らすこと。これが犯罪対策の基本となっている。だから、安全な街づくりのために、監視カメラを設置する。このように監視社会がつくられようとしている流れを警告する本だ。

 

 監視カメラを運用する側の人々の近年の発想は、一般の常識や想像を絶している。たとえば法務省の出身で、警視庁「少年非行防止法制に関する研究会」や東京都「治安対策専門家会議」、国税庁「酒類販売業等に関する懇談会」などの委員を務める小宮信夫・立正大学助教授(犯罪社会学)が展開している論理が、ここ数年、警察関係者や保守系議員、地方の有力者らにもて囃されている事実は、広く知られておくべきではないか。

<事件が起こると、マスコミもこぞって犯罪者の動機を解明しようとします。ですが「そんなものは分かるわけがない」というのが欧米の常識なのです。>

<そこで、新しい対策を考え始めたのです。それは、“犯罪の機会”に注目するアプローチです。犯罪の原因があっても犯罪の機会がなければ犯罪は実行されません。機会がなければ犯罪なしです。>

<犯行をするのに都合のいいような状況が犯罪の機会です。犯行現場で他の人に発見されるかもしれない。通報されるかもしれない。盗むのに非常に時間がかかる。高度なテクニックがないと盗めない。こういうことが都合の悪い状況です。この状況があると、犯罪者は犯行を思いとどまるのです。>(『安心な街に』2003年3月号)(『安心のファシズム』p148)



 引用されている『安心な街に』とは、警察庁の外郭団体である財団法人・全国防犯協会連合会の機関紙だそうだ。

 小宮教授の「犯罪の機会をなくす」というアプローチは、監視カメラによる安全なまちづくりへという提言につながっていく。このような監視カメラ導入の議論では、「割れた窓理論」がセオリーとして必ず援用されるという。

 

 “小さなことをおろそかにしない”という方針は、わたしが犯罪に立ち向かうために採用した「壊れた窓」理論の核心をなす。この理論は、人が住まなくなった建物の壊れた窓のように、一見些細な事象が、地域の荒廃というもっと重大な結果に帰結すると考える。無傷の建物なら石を投げない人間でも、すでに窓がひとつ壊れている建物なら、もうひとつ窓を壊すことに抵抗を感じないだろう。さらに、次々と窓を割って大胆になった人間は、周りに違法行為を止める人間がいないと見るや、もっと悪質な犯罪を行なうかもしれない。

 同じ方針が、犯罪だけでなく、管理者が直面する課題すべてにあてはまる。(楡井浩一訳『リーダーシップ』講談社、2003年)

 

 「割れた窓理論」は、軽微な犯罪の予兆段階でも容赦しない。情状酌量の余地も残さない、警察権力の徹底した取締り。「割れた窓理論」はゼロ・トレランス(寛容ゼロ)と呼ばれる戦略思想と表裏一体であると、斎藤貴男は警告している。

 つまり、異物の排除だ。

 部屋に何百本ものビデオテープがあるような気味の悪い男、何だか分からない宗教に入ってしまう人、犯罪を犯してしまった少年も更生の余地など与えず、排除する。それが安全安心な街につながる。

 近年、犯罪増加を理由に、割れ窓理論に基づく治安体制の強化の声はよく聞かれる。

 やたらに見かける「テロ対策実施中」の看板もその一環だろう。

 少年犯罪の厳罰化も、異物排除、ゼロ・トレランスの露われだ。

 

 「理解できないものは排除する。理解したくないものは排除するという雰囲気」、これも吉岡忍の言葉だ。NHKのインタビュー(NHKのホームページでは、平成を考える識者のインタビュー特集(「平成考」が公開されている)で、吉岡は、ゼロ・トレランスの空気が、今、蔓延していると述べている。



 吉岡はさらに、NHKのインタビューで次のように語っていた。

 

オウム事件もそうですね、ずっと今に至るまで、「とにかくもうこんな人間のことは理解する必要ない。とんでもないことやったのだからそいつだけ切り捨ててしまえ、もうこの世の中にいる価値はないこんなやつは」というふうにどんどんなってきた。こういうふうに事件を処理するというのは、僕はやっぱり間違っていると思う。この事件を起こした人間はけしからんと思うし、ひどいことだと思うけれども、だけどこの社会が作ったんですよ、間違いなく。この時代が作ったんですよ、間違いなく。この人を理解しなかったら我々は、我々が生きている時代と社会ってものを理解できないってことなんですよ。

 

(吉岡忍さん「なぜ、彼は人を殺したのか」https://www3.nhk.or.jp/news/special/heisei/interview/interview_04.html



 2020東京五輪・パラリンピックは「多様性と調和」を理念としていた。

 不完全な人間である私たちが、自分の中の弱さを抱えながら、宮崎勤や麻原彰晃のことを考え続けることは、多様性のある社会をつくっていくために必要なことだ。



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相模原事件の弁護団

2021-04-27 16:04:33 | 死刑

相模原事件の弁護団

 

『相模原に現れた世界の憂鬱な断面』 森達也 2020年 講談社現代新書




弁護団によるサボタージュ

 

 措置入院の解釈や精神鑑定だけではなく、相模原事件の法廷にはもうひとつの特異点がある。弁護人の顔が見えないのだ。名前もわからない。普通なら判決後には弁護団が記者会見を開くが、今回はそれもなかった。だから「弁護団について教えてください」と僕は*篠田に言った。「全部で何人いるんですか」

「正式な人数はわからないです。今回の弁護団はマスコミの取材にまったく応じないし、名前や人数も公表していない。植松に訊いたら、それぞれの弁護団メンバーは面会に1回は来たらしいけれど、中心的な2人以外は植松自身もほとんど知らないし、公判前整理手続の内容などもまったく聞いていないと言っていました」

「わからないと同時に、熱量が足りない弁護団という印象があります」

「うーん」と唸ってから、「これは推測だけど」と篠田は言う。「いくら弁護士として着任したとはいえ、植松の犯行に心情的な同調は絶対にできないから、責任能力で争うことを方針にして、それ以外については距離を置くこと考えたのかな、という気はしますね」

「植松は弁護団を解任しようとしましたね」

「裁判が始まってからね。そもそも裁判が始まるまで弁護団と植松の関係は希薄だったから、裁判が始まって初めて、自分に責任能力がないことをあれほど強く主張されて驚き、初公判後に私が面会したとき、弁護団の解任を強い口調で訴えていました。それを私にだけでなく、面会に訪れたマスコミすべてに話していた」

「TBSが報道していました」

「ただ、公判が始まってからの解任は簡単じゃない」

「特に裁判員裁判だと、三者で協議した公判前整理手続がぜんぶひっくり返ります」

「だから面会のときに言いました。今から解任は難しいって。裁判所も認めないかもしれない。どうしても譲れないのなら、自分は弁護士の方針と違うということを被告人質問の際に表明すればいいのでは、とアドバイスして、それで決着がついたわけです」

「とにかく公判前に、植松とほとんどコミュニケーションができていなかった。それは弁護士団のサボタージュですよね」

「サボタージュっていうかネグレクトっていうか。ただね、植松が面会でマスコミにみんなしゃべっちゃうから、ということも理由だったのかもしれない」

「なるほど」

「ただまあ、判決のときも弁護団の会見はなかったし、記者クラブが申し入れはしたのだけど、メディアに対してはいっさい拒否なんです」



*篠田~篠田博之(しのだひろゆき)月刊「創」編集長。専門はメディア批評だが、植松聖死刑囚以外にも、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも20年以上にわたり接触。その他、多くの事件当事者の手記を「創」に掲載してきた。



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相模原事件と裁判員裁判

2021-04-23 11:31:09 | 死刑

相模原事件と裁判員裁判



『相模原に現れた世界の憂鬱な断面』 森達也 2020年 講談社現代新書



死刑にするためのセレモニー

 

 Zoom画面の中で顔を上げた篠田*は、「相模原事件の裁判の問題点はもうひとつあります」と言った。「裁判員裁判の影響は大きいと思う」

 やはりそうだよね。そう思いながら「公判前整理手続きですね」と僕は同意した。刑事裁判において、裁判官、検察官、弁護人の三者が公判前に協議して争点を絞り込む公判前整理手続きは、市民から選ばれた裁判員の負担を軽減することを主目的に、2005年の改正刑事訴訟法施行で導入された。この手続きの際に三者は綿密な審理計画も立てる。ならば公判も短くできる。理屈はそうだ。相模原事件の初公判は2020年1月8日で結審は2月19日。審理期間は2ヵ月もない。宮崎勤の一審の審理期間はほぼ7年で、死刑判決の基準となった永山則夫の一審は(途中で弁護団の解任などがあったこともあり)10年。麻原彰晃の一審は8年弱で、和歌山カレー事件は3年半だ。

 そして植松の一審は1ヵ月強。

 無駄に長いよりは短いほうがいい。でもこれまでと比べて1ヵ月は強は極端すぎる。誰だってそう思うはずだ。篠田が言った。

「裁判員は一般市民でもあるから、仕事や生活を犠牲にして何年も裁判に関わることは難しいですよね。だから公判をコンパクトにしようという動きが強くなった。相模原事件の場合も、逮捕から2年ぐらいかけて公判前の討議をやって、どんな方針でどういう審理をするかをほぼ(密室で)決めてから公判を始めた。その結果として公判では、端的に言っちゃうと死刑にするしかないか、つまり責任能力についての議論だけになってしまった。

 今の刑事裁判全体にこの傾向があるけれど、相模原事件はその典型ですね。公判ではやまゆり園の職員の聴取なんかも読み上げられたけれど、ひとつのホームをまずは襲撃して次に隣、という具合に、植松の当日の行動が一つの合目的な方向に向かっていることを印象づけるための聴取が選ばれていると感じました。つまり責任能力ありという結論に落とし込むための手続きを。例えば職員を拘束してから部屋の中で寝ている人を示して、しゃべれるかどうかを植松は質問してきたと職員は言うわけ。しゃべれないって答えると殺されることに気づいた職員がしゃべれますと答えたら、植松はその嘘を見抜いてしまう。こうした事実関係を示すことで、犯行の目的やプロセスを合理的に認識していることを強調する。ならば責任能力がある。論点はそこに集約される。事前の打ち合わせもしっかりできている。だから傍聴しながら、舞台を観ているような印象を強く持ちました。

 その結論として、責任能力以外の論点、例えば障害者への差別の現状について、あるいはやまゆり園も含めて福祉のありかた、何よりも植松の動機の解明とか、そんな要素が全部抜け落ちてしまった」

「法務省は裁判員裁判を導入しなければならない理由を、裁判に市民感覚を取り入れるためと説明しました」と僕は言った。

「その主旨そのものは間違ってはいないと思うのだけど、その弊害がとても大きくなってしまった」と篠田は言った。そうかなあと僕は思う。弊害が大きくなったとの視点については同意だけど、主旨そのものは間違っていないとの見方に対しては違和感がある。だってプロの裁判官が市民感覚から遊離していると認めるなら、国民に裁判への参加を強要する前に、裁判官が市民感覚を持てるようなシステムや研修制度を考えるほうが先だと思うのだ。

「まあそれもわかるけれど」と苦笑しながら篠田は言った。「特にこの事件は複雑で、いろんな問題を提起しているにもかかわらず、1ヵ月強で裁判が終わってしまった。裁判員制度導入前に比べれば本当に短くなった。この法廷を端的に言えば、死刑にするためのセレモニーでした」





*篠田~篠田博之(しのだひろゆき)月刊「創」編集長。専門はメディア批評だが、植松聖死刑囚以外にも、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも20年以上にわたり接触。その他、多くの事件当事者の手記を「創」に掲載してきた。

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袴田事件 再審認めない決定取り消す 高裁に差し戻し 最高裁

2020-12-24 06:36:38 | 死刑

 

袴田事件 再審認めない決定取り消す 高裁に差し戻し 最高裁
2020年12月23日 21時01分 NHK

 

昭和41年に静岡県で一家4人が殺害されたいわゆる「袴田事件」で死刑が確定した袴田巌さんについて、最高裁判所は、再審・裁判のやり直しを認めなかった東京高等裁判所の決定を取り消し、高裁で再び審理するよう命じる決定をしました。

袴田巌さん(84)は、昭和41年に今の静岡市清水区でみそ製造会社の役員の一家4人が殺害された事件で、死刑が確定しましたが、無実を訴えて再審を申し立てています。

平成26年に静岡地方裁判所が、事件の1年余り後に会社のみそのタンクから見つかった犯人のものとされる衣類の血痕のDNA型が袴田さんのものとは一致しなかったという鑑定結果などをもとに再審を認める決定をした一方、おととし、東京高等裁判所は「DNA鑑定の信用性は乏しい」として再審を認めず、弁護団が特別抗告していました。

最高裁判所第3小法廷の林道晴裁判長は、衣類の血痕のDNA鑑定について「衣類は40年以上、多くの人に触れられる機会があり、血液のDNAが残っていたとしても極めて微量で、性質が変化したり、劣化したりしている可能性が高い。鑑定には非常に困難な状況で証拠価値があるとはいえない」として、弁護側の主張を退けました。

一方で、衣類に付いた血痕の色の変化について「1年余りみそに漬け込まれた血痕に赤みが残る可能性があるのか、化学反応の影響に関する専門的な知見に基づいて審理が尽くされていない」として、23日までに再審を認めなかった東京高裁の決定を取り消し、高裁で再び審理するよう命じる決定をしました。

一方、決定では、5人の裁判官が、3対2で意見が分かれています。

2人の裁判官は反対意見の中で、DNA鑑定などを新証拠と認め、血痕が袴田さんのものではないという重大な疑いが生じているとして、再審を認めるべきだとしています。

再審を求める特別抗告で裁判官の意見が割れるのは異例です。

袴田さんは、静岡地裁で再審が認められた際に釈放されていて、今回の決定後も釈放された状態が続きます。

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死刑確定40年、袴田さんは今 再審取り消しの謎を追う

2020-12-12 06:37:02 | 死刑

死刑確定40年、袴田さんは今 再審取り消しの謎を追う

2020/12/12 朝日新聞

 

 最高裁で死刑が確定してから40年間、刑が執行されないまま生き続ける死刑囚がいる。

 袴田巌さん(84)。1966年に逮捕され、裁判では一貫して無実を訴えたものの、14年後に最高裁で死刑が確定。12月12日に40年の節目を迎える。

再審決定→釈放→決定取り消し
 2014年3月、静岡地裁は、「犯行着衣」とされたシャツに付いた血痕のDNA型が、袴田さんの型とは一致しないとするDNA鑑定などを新証拠と認めて、再審(裁判のやり直し)の開始を決定した。同時に「拘置をこれ以上継続することは耐えがたいほど正義に反する」として、無罪が確定しないまま袴田さんを釈放するという異例の判断をした。

 釈放は、逮捕から実に47年7カ月ぶり。長期にわたる収監は、「世界で最も長く収監されている死刑囚」としてギネス世界記録にも認定された。

 だが、東京高裁は18年6月、袴田さんの釈放を維持したままこの決定を取り消した。

 なぜ、死刑をめぐる司法の判断は正反対に分かれたのか――。

 地裁と高裁で何がどのように話し合われ、何が判断の違いを分けたのか。再審請求の審理が原則非公開で行われることもあって、冤罪(えんざい)が疑われるこの事件で、重要なこの二つの決定への理解は必ずしも深まっていないように感じる。4年間にわたる高裁での審理のほぼ全てが、地裁が認めたDNA型鑑定の是非という「科学論争」に費やされたことも、理解の難しさに拍車をかけたように思う。

 地裁の決定が出た5カ月後に静岡総局に配属され、その後社会部に移った後も審理の取材を続けてきた筆者自身、新聞の限られた紙面の中でこうした議論の経過を端的に伝える難しさに悩んできた。

地元の人々に見守られて
 袴田さんは現在、最高裁の決定を待ちながら、静岡県浜松市内の自宅で姉の袴田秀子さん(87)と暮らす。散歩が日課で、JR浜松駅周辺の繁華街を5時間ほどかけて、ほぼ毎日歩く。半世紀近くも獄中にいて、今も死刑と隣り合わせの死刑確定囚と街中で出会うことが、地元の人には日常になった。

 「こんにちは」「がんばって下さい」――。取材をしたこの日も、すれ違う人がときどき声をかける。トレードマークのソフト帽にベスト。小さな歩幅で早足に、やや前かがみになって歩いていく。

 長年の拘禁生活の影響で精神を病み、日常的な会話のやり取りは難しいというが、近づいてあいさつすると、軽く帽子を取って応えてくれた。

 散歩コースとなっている駅前の商業施設に入る時には、自宅を出る際に秀子さんが手渡したマスクをポケットから取り出して着け、入り口で手指の消毒もする。自動販売機の使い方は釈放後すぐに覚えたといい、この日も何度か、カルピスやエナジードリンクなどの甘い飲み物を買って、ベンチに腰掛けながらゆっくりと口に運んでいた。

 4時間半ほど歩くと、あたりはすっかり日が暮れた。歓楽街を足早に通り抜け、アパート4階の自宅がみえる交差点に差しかかると、遅い帰りを心配していたのか、窓からこちらをのぞいている秀子さんの姿が小さくみえた。袴田さんは自宅に続く道をまっすぐに歩いていく。その背中を見送った。

 高裁決定からまもなく2年半。最高裁の決定は、いつ出されてもおかしくはないといわれている。最高裁が高裁の決定を支持すれば、袴田さんは再び東京拘置所に収監され、刑の執行を待つことになるとみられる。

 「はたからみると散歩をしているようにしか見えませんが、巌の心は獄中のままで、気ままに時間を過ごしてるようにはみえません」。秀子さんは、かつて支援者を通じて発表したコメントで、袴田さんの心の中では今も死刑の恐怖が続いているとし、こう訴えた。「食べたいときに食べ、眠りたいときに眠る。巌が長い間闘って手にした自由な時間を、続けさせてやりたいと思います」

 11日に都内であった支援集会で、弁護団の水野智幸弁護士は、「袴田さんの必死の声が届かぬまま40年もの時間が過ぎた。最高裁に正しい判断をしてほしい」と話した。

 生きて戻った死刑囚を目の当たりにした地域の人々の多くも、審理の行方を見守っている。(高橋淳)

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死刑判決はその被告の命に線を引くもの

2020-03-17 05:42:20 | 死刑

【相模原 障害者殺傷事件判決】脳性まひの障害がある東京大学の熊谷晋一郎准教授「生きる価値のある命と価値のない命に線を引くのが被告の犯行の動機だったことに怒りを覚えてきたが、死刑判決はその被告の命に線を引くもので、私にとっては複雑で、葛藤を伴う判決だ」

 

森達也監督「…植松被告は独善的に『この命は生きるに値しない』と命を奪ったことで死刑となるが、司法もまた植松被告に生きるに値しないと言っているそのことの意味もまた私たちは考えなくてはいけない。…」

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光市事件   増田美智子さんへのインタビュー(その3) 鬼蜘蛛おばさんの疑問箱

2012-02-24 04:56:25 | 死刑
光市事件   増田美智子さんへのインタビュー(その3) 鬼蜘蛛おばさんの疑問箱




― 私は増田さんが、福田君が死刑にならないことを願い、また、裁判でも役立てることができると考えて本を書かれたと感じたのですが、どんな気持ちで本を執筆されたのでしょうか。

 ご指摘のとおり、私にとって本書の出版は、福田君の死刑回避を願った乾坤一擲の勝負でした。
 新聞報道などではどうしても、「罪を犯した少年を実名で暴いた」ということのみが本書の特徴とされてしまうのですが、私が本書を執筆した意図は少年犯罪の実名化を議論するためではありません。本書の特徴は、殺人犯という特徴しか報じられていなかった福田君を、日々悩み、迷い、笑う、ひとりの人間として描き、彼が紡ぎ出す言葉を正確に報じることで、福田君の人間性に迫ったことであると自負しています。ですから、本書について実名の是非ばかりが議論され、新聞の紙面上で本書のことを「実名本」などと表現される現状が、私は残念でなりません。
 しかし、私が福田君の死刑回避を願っているからと言って、福田君にとって不利益と思われることを隠すことはしないよう心がけていました。それをしてしまえば、本書に書いたことのすべての真偽が疑わしくなってしまいます。また、福田君にとって有利か不利かという観点から、報道する事実を仕分けすることは、ライターとしては決してしてはならないタブーだとも思っています。
 弁護団から受けた仕打ちを書いたのも、事実だからです。しかし、弁護団については、とくに読者の興味をひくことだとも思わなかったし、それほど重要なことでもないと感じたので、かなりはしょって書きました。弁護団からは、本書に書いたこと以外にも、数々の理不尽な仕打ちを受けています。
 本書は、福田君にとってはきわめて有利な情状を示すものだと思います。弁護団の方々には、死刑判決を受けて現在上告中の最高裁に情状証拠として提出するくらいの気概を持っていただきたかったです。

― 読者からはどんな反響がありましたか。実名で厳しい批判を寄せた読者はいたのですか。

 郵送やメールなどで、私のもとに直接届くご意見・ご感想は、「初めて福田君がどういう人間かわかった」とか、「報道をうのみにしていた自分が恥ずかしい」といった、好意的な感想がほとんどでした。
 新聞などでは厳しく批判され、落ち込むことの多い日々でしたが、こうした感想に何度励まされたかわかりません。
 批判的なご意見をいただいたことも、2度ありました。一方は、「少年法違反の本を出すのはやめなさい。恥を知りなさい」という匿名のメールで、もう一方は、ご自身の名前や住所がきちんと記された、被害者のご遺族の心情を考えるべきだという手紙でした。

― インターネット上では増田さん個人のことについて事実と異なることや誹謗中傷が飛び交っていると思いますが、看過できない虚偽事実があれば教えてください。

 見ると落ち込んでしまうので、2ちゃんねるなどに書かれていることは、あまり見ないようにしています。なので、どのような虚偽事実が書かれているのかは把握していません。すいません。
 ただ、インターネットでも新聞や雑誌の読者欄でも気になるのが、本書を読まないままに批判されている方が多いという点です。そのため、批判がまったくの的外れになっていることも多々あります。できれば、読んだうえでのご意見をうかがいたいと思います。

― 本では、弁護団がこれまで裁判で行なってきた立証や主張については触れていません。これについて、増田さん自身はどんな意見を持っていますか。

 弁護団が出している出版物や『年報・死刑廃止』シリーズなど、光市母子殺害事件について活字になっているものはほとんど目を通していますので、弁護団がどのような主張をしているのかも、それなりには把握しているつもりです。個人的には、福田君が犯した罪が本当に「強姦致死、殺人」であるのかはわからないと思っています。弁護団が主張するように傷害致死の可能性もあると思います。ただし、裁判資料を見ることもできない状況で、事件の真相を私が勝手に推測することはできません。ですから、できれば弁護団から話を聞き、「弁護側は事件の真相をこのように主張する」というふうに本書で触れたいと思っていました。しかし、弁護団は取材に応じてくれなかったため、やむを得ずあきらめました。
 弁護団の立証・主張に触れていないと感じられるかも知れませんが、それでも刊行物などからわかる範囲で弁護団の言いぶんを紹介したつもりなんです。従前の報道が公然と行っていたような「死刑回避のためのでっちあげ」といったやみくもな批判もしていません。
 弁護団の主張の真偽はわかりませんし、軽々しく言えることでもありませんが、本書の出版に関する弁護団の一連の振る舞いを見ていると、『ドラえもん』や『魔界転生』が登場する「新供述」がどこまで福田君自身の言葉なのか、疑ってしまいます。すべてではなく、一部では弁護団による創作があったのかもしれないと思うようになりました。

― 今は、福田君には面会できないのですか。

 法曹界には、双方に代理人弁護士が就いた争いの当事者同士は、直接やり取りをしてはいけないという暗黙のルールがあるそうで、福田君とは面会できません。
 そのルールを知らずに、本書の出版当日に福田君に本の送付と合わせて手紙を送ってしまいました。数日後、足立弁護士から堀弁護士のもとにFAXが届き、厳に抗議されました。
 できることなら福田君に直接会い、いま私の心を占めているたくさんの疑問をぶつけてみたいと思っています。弁護団を名誉毀損で提訴した際、福田君も被告に入れたのは、そうすることで福田君に対する出張尋問が認められる可能性があるからです。裁判で直接福田君に質問ができるよう、強く要望していくつもりです。

― 最後に、皆さんに是非知ってもらいたいことなどありましたら、お願いします。

 本書を読まれていない方には、どういう手段でもかまわないので読んでいただきたいです。私に対する嫌悪感があってあえて本書を読まないという方もいらっしゃると思うのですが、購入するのがイヤだとおっしゃるのなら、お友達や図書館から借りても、書店での立ち読みでもいいです。ただ、仮処分や本訴を抱えているため、いまだに本書の販売を控えている書店もあるようです。本書が入手しにくい状態であるのは、著者としては非常に心苦しいです。本書を購入していただいた方には、どんどん人に貸していただきたいです。
 福田君のことを「荒唐無稽な新供述で遺族を愚弄した、狡猾な知能犯」と思われている方は多いと思います。報道だけで福田君の人間性を決めつけることなく、現実にいま生きていて、いろんなことを考えて日々を送っている福田君の姿を想像してみてください。できれば、想像するだけでなく、現実の福田君とコンタクトをとってみてほしいとも思います。いまは弁護団による監視が厳しいようですが、拘置所は本来、面会も文通も、自由にできるのですから。

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光市事件 増田美智子さんへのインタビュー(その2)    鬼蜘蛛おばさんの疑問箱

2012-02-23 06:37:18 | 死刑
光市事件 増田美智子さんへのインタビュー(その2)    鬼蜘蛛おばさんの疑問箱




― マスコミ報道では双方の主張などもごく一部しか伝えられません。福田君側の主張で納得のいかない点はいろいろあると思うのですが、いくつか教えてもらえますか。

 弁護側の主張はこちらが反論を出すたびに変わるので、挙げるときりがないのですが、もっとも許せないと思ったのは、取材目的であることを告げずにひとりの女性として福田君に近づいた、私が福田君を脅迫して取材に応じることを強いた、という主張です。弁護団は、これらを記者レクで何度も語り、何度も報道されています。しかし、そのどちらについても広島地裁決定は事実ではないとしています。
 私は福田君に送った最初の手紙のなかで、在京のフリーライターであることを告げています。福田君と初めての面会がかなう前には、福田君の弁護団メンバーである、本田兆司弁護士、足立修一弁護士と取材目的で福田君と面会したいと何度も交渉しています。弁護団は、明らかにウソとわかりながら、私に対する悪評を喧伝しているのです。
 人権問題に熱心に取り組んできた方々も多い弁護団が、女性記者に対して「女を武器に近づいた」といった女性蔑視の低俗な批判を展開させたのは意外なことでした。私も女ですから、痴漢に遭って「おまえにスキがあるからだ」などと批判されたこともあります。弁護団による私への批判も、これと同じく低レベルな男女差別に基づくものです。

― 本では弁護団が取材を拒否した経緯などが詳しく書かれています。また、寺澤さんは弁護士から「事前にゲラを見せないと仮処分をする」と脅しのようなことを言われたそうですね。こうしたことから、私は福田君からの仮処分や提訴は、福田君本人の意志というより弁護団の意志が大きいのではないかと感じているのですが、その点はどう感じていますか。

 仮処分や本訴が福田君の意思で行われたものか、もしくは、弁護団が福田君のためを思ってやっているものかどうかすら、非常に疑わしいと思っています。一連の騒動の発端は、「福田君は事前にゲラを見せてもらう約束をしていたと言っている。出版前にゲラを見せろ」という足立修一弁護士からの電話でした。
 私は、取材を通じて福田君とはきわめて良好な信頼関係を築いてきていましたが、その一方で、弁護団は私のことをずっと邪険に扱ってきていました。弁護団の許可を得ずに福田君と面会していた時点で、弁護団は私のことをけしからん存在だと思っていたようです。取材の過程で、何度か弁護団メンバーにも取材を依頼しましたが、徹底的に拒否されていました。だから、本書のなかで、私が弁護団についてどのように評しているのか、弁護団は非常に気になっていたと思います。要は、弁護団がどのように書かれているのか検閲したかったということでしょう。事前にゲラを見せてほしいというのは福田君ではなく弁護団の要望だと思っています。
 仮処分や本訴をしたことは、福田君にとっては不利益でしかありませんでした。前述のように、無反省をことさら印象づけることになってしまううえに、私が本書で書いた福田君の反省の言葉すら、虚偽であるかのような印象を与えてしまいます。福田君の代理人であるはずの弁護士が、なぜこのような暴挙に出るのか理解に苦しみます。
 仮処分では、第1回目の審尋の段階になっても福田君本人の陳述書が提出されませんでした。私や寺澤さんの代理人となってくれている堀敏明弁護士がその点を書面で質したところ、第2回目の審尋で、ワープロ打ちによる福田君の陳述書が裁判所に提出されました。しかし、拘置所にはワープロなどありません。そこで堀弁護士が作成経緯を尋ねると、次回からは福田君の手書きによる陳述書が提出されるようになりました。また、堀弁護士が準備書面で、「弁護団は人権侵害だと主張するが、法務局に人権救済の申し立てもしていない」と指摘すると、その翌日に広島法務局に人権救済の申し立てをするなど、弁護団はこちらから指摘されて初めて実行に移すことばかりでした。
 曲がりなりにも弁護団は法律の専門家なのですから、本書の出版が本当に人権侵害行為であると思っているのなら、上記のことは他人に指摘される前に自ら行っていてしかるべきです。人に言われるまでその発想がないというのは、つまり、弁護団も本書が人権を侵害するような書籍ではないとわかっているのだと思います。

― タイトルに名前を入れたことで「実名を売り物にしている」という批判がありますが、タイトルを決めた経緯やこうした批判についての見解を聞かせてください。

 正直なところ、私は「実名を売り物にしている」という批判の意味がよくわからないんです。本文で実名を書くのはOKだけど、タイトルにするのはけしからん、というのは筋が通らないし、タイトルに実名を入れたからと言って、どうしてそれが「売り物」になっちゃうんでしょうか。
 本書のタイトルは寺澤さんがつけてくれたものです。寺澤さんは「原稿を読んで、本書でいちばん言いたいのはこういうことではないかと思った」と言っていました。
 いいタイトルをつけてもらえて満足していますが、もともと私はそれほどタイトルにはこだわりはありません。本は内容で勝負するもので、タイトルはしょせんタイトルに過ぎません。「実名を売り物にしている」かどうかは、内容を読んだうえでそれぞれの読者が判断してくださればいいと思います。また、内容を読んでもらえれば、タイトルの意味も十分にわかってもらえるものと思っています。

― 増田さんの福田君に対する印象については本に書かれていますが、本を読んでいない方のために簡単に説明してもらえますか。

 私から見た福田君は、28歳の青年にしては非常に幼い性格をしていますが、彼なりに犯した罪と向き合い、反省を深めようと日々努力する純粋な青年でした。面会室での会話は、私が何か質問する以外で彼が自発的に語ることと言えば、どうすれば謝罪・反省を深められるか、ということばかりでした。
 福田君は、死刑という量刑には不服はないそうです。けれど、誤った報道などにより生じた誤解が、遺族をさらに苦しめている面があると思っているようで、その誤解を解くことで遺族の苦しみを少しでも和らげたいと語っていました。でも、彼が遺族に謝罪の意を伝えようとすると、どうしても「死刑回避のためのパフォーマンスだ」と見なされてしまう。福田君はそのこともよく理解しており、もし遺族との面会がかなうのなら、そのときは弁護団や裁判のことは抜きにして、真正面から遺族と向き合いたいとのことです。
 ただ、福田君には、他人との距離感をうまくはかれない面があるのも事実です。他人から嫌われるのを極端に恐れており、必要以上に迎合してしまう面もあるようです。
 今回の仮処分や本訴についても、福田君の迎合型の性格が悪い方向に作用してしまったように思います。冷静に考えれば、仮処分も本訴も、福田君にとっては死刑確定へとコマを進めてしまうような自殺行為であることは明らかなのですが、自らの死刑が確定するか否かよりも、目の前の弁護団のご機嫌を損ねてしまうことのほうが彼にとっては辛かったのかもしれません。
 弁護団の行為は、こうした福田君の性格を利用したものであり、許せません。

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光市事件   増田美智子さんへのインタビュー(その1)   鬼蜘蛛おばさんの疑問箱

2012-02-22 03:10:13 | 死刑
増田美智子さんへのインタビュー(その1)   鬼蜘蛛おばさんの疑問箱






 このブログでも何回か取り上げてきた「福田君を殺して何になる」(インシデンツ)の著者である増田美智子さんとコンタクトをとることができました。この本は、光市事件の被告人である福田君やその関係者を取材したルポルタージュですが、福田君の弁護団が出版差し止めの仮処分を求めたことをきっかけに、裁判に発展して波紋を呼んでいます。


 マスコミ報道というのは往々にして偏っていたり、物事の本質が正しく伝わっていなかったり、重要な事実が報じられないことがあります。この問題に関しても、私は、マスコミ報道では実名報道の可否ばかりが話題になり、著者側の主張がきちんと伝わっていないという印象を強く抱いていました。そこで、増田美智子さんにメールでインタビューを申し入れたところ、快く応じてくださいました。


― 出版の直前になって、出版差止めの仮処分を申し立てられ、その結論が出ていないうちに福田君側から本訴がありました。広島地裁で仮処分が却下されると高裁に即時抗告しました。その後、増田さんやインシデンツの寺澤さんが反訴したり、毎日新聞を訴えたわけですが、一連の経緯や心境などについて聞かせてください。


 これまでの報道で、福田君は「狡猾」「鬼畜」「知能犯」などとさんざん批判されていました。福田君のことが正確に報道されているとは言い難い状態のなかで、世間の人々は、福田君のことを、より凶悪で、より残酷なモンスターのようにイメージしていたように思います。

 しかし、実際に面会し、手紙を交わしてみれば、彼は自らの犯した罪と向き合い、反省しようと一生懸命に努力する青年であり、報道との大きなギャップがありました。

 福田君も、私たちと同じように悩み、迷い、笑い、泣きながら日々成長していく一人の人間であることを知ってもらいたい。そのうえで、読者の方々には、彼に下された死刑判決の当否を改めて考えてみてほしい。私は、そういう思いで本書を出版しました。犯行当時18歳だった福田君の実名を書いたのも、福田君をありのまま描きたかったからです。おそらく、私の思いは福田君の弁護団ともそれほどかけ離れていないと思っています。

 弁護団が「福田君の実名表記は少年法違反だ」として、出版差し止めの仮処分や本訴を提起したことにより、「大罪を犯したにもかかわらず、実名で報道されるのを嫌がる不遜な人間だ。やはり反省していない」という印象を世間に与えることになってしまいました。これでは、私が本書で訴えようとしたことが無になってしまいます。仮処分や本訴となれば、福田君への誤解を増大させることはわかりきっていましたから、弁護団との間ではできる限り法的措置を避けられるよう努力しましたが、力及ばず、このような事態になってしまったことは、非常に残念に思っています。

 この過程で、弁護団は私のことを、「福田君を脅迫して取材に応じさせた」「一人の女性として福田君に近づいた」などと、ありもしない事実を報道陣に語り、それがたびたび報道されました。しかも、そうした誹謗中傷はどんどんエスカレートしており、放置しておけばこの後さらにエスカレートすることが予想されたため、反訴に踏み切りました。

 本書はおもに新聞紙上で厳しい批判を浴びてきました。そうした批判を目にして、反論したいと思うこともたびたびありましたが、論評は自由であるべきですから、問題視することはありませんでした。

 しかし、2009年11月11日付け毎日新聞社説のように「当事者に知らせることなく出版しようとした行為は、いかにも不意打ち的だ」などと、誤った前提事実をもとにしてまで批判されてはたまりません。私は、福田君に出版を何度も知らせていましたし、それは広島地裁決定も認めている事実です。毎日新聞は地裁決定のコピーを持っており、地裁決定をきちんと精査すれば避けられた過ちです。しかも、毎日新聞はこの社説を書くうえで、私や寺澤さんに取材することもありませんでした。こんなに適当に書かれた批判に対して抗議しなければ、「著者は何を書いてもOKな人」という認識を新聞社に与えかねません。

 弁護団に対する反訴や、毎日新聞社への提訴は、エスカレートする誹謗中傷に対して、きちんと事実確認しないのなら、こちらも怒りますという姿勢を、弁護団やマスコミ関係者に示しておくことも大きな目的のひとつでした。


― 出版差止めの仮処分や本訴では「福田君に実名で書くことの了解を得ていたか否か」「事前に原稿をチェックさせるという約束があったか否か」が最大の争点だと私は理解しているのですが、増田さんはどう捉えていますか? 増田さんは、「実名で書くことについては了解を得ていた」「事前の原稿のチェックの約束はなかったと」と主張されているということですね。


 ご指摘のとおり、「福田君に実名で書くことの了解を得ていたか否か」「事前に原稿をチェックさせるという約束があったか否か」、が重要な争点であると思います。

 実名で書くことについては、2009年3月27日の面会で福田君の了承を得ました。彼は、「それって、僕の了解が必要なの? 『週刊新潮』とかは了解なしに書いてるよね」と言いつつ「僕は書いてもらってかまいません」とあっさり了承しました。福田君が言うように、彼の実名は事件直後から何度も『週刊新潮』が報道してきましたから、彼の名前は今さら秘密でもなんでもありません。だから、断られることもないと思っていました。その後の面会も、福田君の実名を書くことを前提に、事実関係の細部にわたる確認をしていましたが、福田君から実名記載をやめてほしいと言われたことは1度もありません。

 事前に原稿を見せる約束をしていたという主張は、福田君からそういうお願いをされたことは一度もなく、弁護団か福田君によるゼロからのねつ造です。仮処分の書面のやりとりのなかで、いつ事前に原稿を見せる約束をしたというのか、何度も弁護団を質しましたが、弁護団は約束したとする時期さえ明らかにすることはできませんでした。それほどまでにあいまいな主張なんです。


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光市事件 死刑確定 永山則夫 関川宗英

2012-02-21 05:57:35 | 死刑
光市事件 死刑確定
マスコミは一斉に実名報道。





永山則夫のメモ

1968年10月から1969年4月にかけて、東京、京都、函館、名古屋で4人を射殺。「連続ピストル射殺事件」を引き起こす。

1969年4月(当時19歳10ヶ月)に東京で逮捕。

1979年に東京地方裁判所で死刑判決。1981年に東京高等裁判所で無期懲役に一旦は減刑されるが、1990年に最高裁判所で「家庭環境の劣悪さは確かに同情に値するが、彼の兄弟たちは凶悪犯罪を犯していない」として死刑判決が確定する。



逮捕から最初の死刑判決まで10年かかっている。さらに、死刑が確定するまで11年。



この裁判の過程で死刑を宣告する基準(永山基準)が示された。



永山則夫の死刑は、1997年8月1日。48歳だった。




1971年、手記「無知の涙」を発表。

1983年、小説「木橋」で第19回新日本文学賞を受賞。





執行同年6月28日に逮捕された神戸連続児童殺傷事件の犯人が少年(当時14歳11ヶ月)であったことが、少なからず影響したとの見方も根強い。少年法による少年犯罪の加害者保護に対する世論の反発、厳罰化を求める声が高まる中、未成年で犯罪を起こし死刑囚となった永山を処刑する事で、その反発を和らげようとしたのではないか、とマスコミは取り上げた(Wikipedia)。





2010年11月25日、裁判員裁判で少年に対する死刑判決が初めて出た(「宮城3人殺傷事件」)。

これは、審議に5日、評議3日しかかけていない。



   

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札幌国際芸術祭

 札幌市では、文化芸術が市民に親しまれ、心豊かな暮らしを支えるとともに、札幌の歴史・文化、自然環境、IT、デザインなど様々な資源をフルに活かした次代の新たな産業やライフスタイルを創出し、その魅力を世界へ強く発信していくために、「創造都市さっぽろ」の象徴的な事業として、2014年7月~9月に札幌国際芸術祭を開催いたします。 http://www.sapporo-internationalartfestival.jp/about-siaf