回想 松崎水星
病室からレントゲン室までの距離は
五十米にも足りなかったけれど
土の上を歩くと云うことは
ベッドに寝たっきりの私には
こよなく嬉しいことだった
足萎えの私は看護婦に支えられて庭に出た
昼近い初冬の柔かい陽差しを浴びて
すずらんの花のように甘く漂う
看護婦の体臭に 私は
忘れていた君の面影を思い出した
二十数年前の白根神社の祭の夜
赤い名古屋帯に縞の単衣の君は
悪い片足を労わるように
私と腕を組んで佇っていたのだった
波が寄せて返すように
みこしは近づき 遠去って行った
私達も旅館に帰ったのだったが━━
半年の灸点治療は二人の距離を遠くした
病気の快くなった君は故郷へ
病気の悪くなった私は国立療養所へ
互に互の面影を抱いて
別れなければならない縁(えにし)だった
私の心 香山末子
四十九歳の時
訳もわからず書き始めて
二十年が過ぎた
夢見るほど気になっても
いい詩は書けない
今年こそ
来年こそはと思って月日が流れる
ほっと気持ちの休まる
詩を書いてみたいと願っている
私の指と眼 香山末子
わたしには カセットのふたを開けて
テープを入れる指がない。
ずうとずうと以前
わたしも指を持っていたのに、
四、五年前から、
指がなくなった。
外科にみんなあずけてある
眼も二十五年前
手術でとって
先生にあずけてある。
わたしが死んで
小さな箱に納まるその日
先生が
「香山さん、眼をかえすよ、
なんでもいっぱい見ることだ・・・」と言い
外科の看護婦さんは
「香山さん、指を返します
どうぞ何んでも自由にお使いなさいね・・・」
そういってくれるかな?
そういってくれるのを
わたしは
胸の中でしきりに願っている
私と印鑑 古川時夫
ケースから取り出したこの印鑑は
私とすでに半世紀のつきあい
ハンセン病を発病した時
家族に及ぼす病気ゆえの影響を考えて
自分から分籍を行なった
その際使用した印鑑なのだ
再び用いることもないと思っていたのに
母親の死亡により印鑑証明がほしいと兄より電話があった
母親の死は三ヵ月前だという
ために私の印鑑が登記に必要━━ただそれのみなのだ
言いようのない寂しさが体の中を吹き抜けていった
印鑑は
私の手のひらの上で沈黙していた
ある父の死 小林弘明
微かに息をつないでいた口があいたままになってしまった
「ご臨終です」
ぼくは言われた通り急いで息子さんに電話した
「午前九時五分 眠るように逝きました」
「苦しみませんでしたか? わかりました」
息子さんは予期していたふうで落ちついていた
「午前中の仕事の切がつきしだい参ります 遅れましたら私にかまわずすすめていて下さい お願いします」
結局告別式には間に合わず最期の父の顔は見ずにおわった
到着したのは骨上げ時であった
それでも型通り葬儀は終わって
長かった夏の日が暗闇に包まれる頃帰って行ったが
つづく初七日の法事に再び来園した
暑い陽のある時間にお骨は園内の納骨堂に納めた
松林の中の納骨堂には千を越す先輩のお骨が納まっていて ひっそりとぼくたちを迎えた
葬儀すべてを終わって別れ際に
「父のことをもう少し教えて下さい」と息子さんは問うてきた
ぼくは瞬間肩を削がれたような痛みを覚えた
札幌国際芸術祭
札幌市では、文化芸術が市民に親しまれ、心豊かな暮らしを支えるとともに、札幌の歴史・文化、自然環境、IT、デザインなど様々な資源をフルに活かした次代の新たな産業やライフスタイルを創出し、その魅力を世界へ強く発信していくために、「創造都市さっぽろ」の象徴的な事業として、2014年7月~9月に札幌国際芸術祭を開催いたします。
http://www.sapporo-internationalartfestival.jp/about-siaf