北條民雄さん 続癩院記録(3)
http://terayama2009.blog79.fc2.com/
ハンセン病文学全集4「記録・随筆」P565~P566を抜粋しました。
まだ明け切らない朝まだき、或はようやく暮れかかった夕方などに、カアン、カアンと鐘の音が院内に響き亘ることがある。すると舎の人々は、
「死んだな。誰だろう。」
「九号の斎藤さんだろう。もう十年も前から、補助看護がついていたから、昨夜行って見たらもう死にそうだった。」
そしてその死人の入信していた宗教と同宗の者、または近しく交渉のあった者なぞはぞろぞろとその病室へ集まって行く。つまり死人があると付添夫は室の前へ出て鐘を叩いて、院全体への死亡通知をするのである。
院内には、真言宗、真宗、日蓮、キリスト新・旧等々の宗教団体があって、死亡者はそれらの団体によって葬られるのである。補助看護というのは、病人が重態になり、付添夫だけでは手が廻りかねるようになると、それらの団体の中から各々交替で付添夫の補助をするものである。勿論病人の近親者、友人なども替り合って看護に出る仕組になっている。
ところがこうした宗教団体のどれにも入らない者などが往々あり、補助看護は友達などがやるからよいとして、死亡した場合には、全く葬り手がなかったりする。それではいけないとあって、このようなつむじ曲りのために、各宗が順番で当番を務めることになっている。もっともこんなのは全く少く、千二百幾名かの患者中を探して十名あまりのものであろうし、また、いざ死期が近づくと心細くなると見えて、急に殊勝な心持になってどれかに泣きついてしまうので、こういうのはごく稀である。私なども殆ど体質的と思われるほど宗教の信用出来ない人間の一人であるが、息が切れそうになったら信仰心が急に出て来るかも知れない。この疑問に対して私は今からひどく興味を持っているが、兎に角死に対すると人間の心理は弱点ばかりを露出するものとみえる。
死体は担架に乗せられて、付添夫がかついで解剖室に運ばれる。解剖室と並んでもうひとつ小さな部屋があり、人々はその部屋に来て念仏をとなえ、或はいのりが始められる。その部屋には花などがまつられてあって、ちょっと寺のバラックという感じであるが、突きあたりの破目板がはずされるようになっており、そこから解剖室の廊下の台の上に乗っかっている死体が眺められる仕掛になっている。酷暑の折や、厳寒の冬には死人が多く、どうかすると相次いで死んだ屍体が、その台の上に三つも四つも積み重なっていたりする。
解剖が終り、必要な部分が標本として取られると、また患者達はぞろぞろとそこへ集まって行って、やがて野辺送りとなる。屍体は白木の箱に入れられ、それを載せたリヤカーを引きながら、焼場まで奇怪な行列が続いて行く。頭の毛の一本もない男、口の歪んだ女、どす黒く脹れ上った顔・手、松葉杖をついた老人、義足の少年、そんな風な怪しげな連中が群がり、中央にリヤカーを挟んで列をなして畑の中を通って行く様はちょっと地上の風景とは思われない。遠くに納骨堂の白い丸屋根が見える。
焼場につくとそこでまた念仏がとなえられ、キリスト信者は感傷的に声を顫わせながら讃美歌を唄う。細い小さな煙突からは煙が吹き出し、屍臭が院内中に流れわたる。こうして苦悩に満ちた生涯は終り、湯呑のような恰好をした病院製ー患者が造っているーの骨壺に骨の切れ端が二三個納まって、ハルちゃんが抱えて行ったように、納骨堂の棚の上に並べられる。
「あの人も死んでほっとしとるこっちゃろ。」
「ほんまにまあこれが浮世かいな。」
念仏の終った老婆たちはそんなことを話合ってそこを離れる。そしてまた病苦の世界へ帰って行くのである。