chuo1976

心のたねを言の葉として

老人はすぐ死ぬほっかり爆ぜる栗

2021-09-30 05:51:15 | 俳句

老人はすぐ死ぬほっかり爆ぜる栗
                           坪内稔典

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「隠者の許由(きょゆう)と巣父(そうほ)」の話

2021-09-29 04:03:48 | 言葉

「隠者の許由(きょゆう)と巣父(そうほ)」の話



       (一)

中国古代の伝説上の帝王、尭(ぎょう)の時代のこと。高名な賢者にして隠者の許由(きょゆう)は、その人格の廉潔さは世に名高く、当時の尭帝がその噂を聞き許由(きょゆう)に国を禅譲(ぜんじょう=天子がその位を世襲としないで、有徳の人にゆずること)しようとして言った「月と太陽が出て世の中を明るく照らし出しているのに、松明(たいまつ)を灯したままでいても意味はありません。すでに恵みの雨が降っているのに、あくせく田に水を引いているのは徒労というほかありません。今や、あなたがいらっしゃるのに私が今の位に付いているのは無意味、徒労そのものです。国政をお任せいたします」

(参考)

①帝王尭・・・古代中国の伝説上の聖王。暦を作り、徳をもって理想的な仁政を行った。後を継いだ舜(しゅん)とともに後世理想の天子とされ、その政治は「尭舜の治」と称される。

       (二)

すると許由は答えて言った「あなたが国を治めになられ、すでに立派に治まっています。私があなたに代わってその位に付いたとて、名誉職で実質何の変りもないのです。私は美名を求めない。鷦鷯(みそさざい)は森林に巣を作るが、それは一枝に過ぎない。土龍鼠(もぐらねずみ)は渇きをいやすために川を求めるが、飲むのは一腹の水だ。私と国の関係はそのようなもので、天子の富貴はあなたのものです。貴方は今のままで安心し、帰って休んでいればいいのです。私は政治に関わってもなすこともない。料理人が料理をしないからと、神主が祭器を踏み越えて来て、包丁(ほうちょう)を握ることはないのです」と。そして、この後(のち)、許由は「汚らわしいことを聞いた」といって、潁川(えいせん)の水で耳を洗った。又、許由が潁水(えいすい)で耳を洗っているのを見て、やはり尭帝から天下を譲ろうと言われた伝説の高士、巣父(そうほ)は、そのような汚れた水を牛に飲ませることはできないとして、牛を引いて帰っていったという。

(参考)

①高士・・・志が高くりっぱな人格を備えた人物。人格高潔な人。又は、世俗を離れて生活している高潔な人物。

②巣父(そうほ)・・・中国古代の伝説上の隠者。樹上に巣を作って住んだという。

 

「許由巣父図」(狩野永徳)



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通称はちんぽこ柿といふさうな

2021-09-28 04:13:28 | 俳句

通称はちんぽこ柿といふさうな
                           西野文代

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秋の山一つ一つに夕哉

2021-09-27 05:28:45 | 俳句

秋の山一つ一つに夕哉
                           小林一茶

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正義を貫こうとすること       関川宗英

2021-09-26 03:16:48 | 映画

正義を貫こうとすること       関川宗英




1.若き日の渋沢栄一

 

 NHKの大河ドラマ『晴天を衝け』第12話に、若き渋沢栄一と徳川慶喜の側近平岡円四郎との、次のような会話が出てくる。

 

栄一

俺は、百姓ではありますが、志を抱きこの先命がけで戦うつもりです。その邪魔させれるわけにはいかねえ。だから逃げたんです。

 

平岡円四郎

ほ~う。百姓が命がけで戦うのか。

 

栄一

百姓だろうと、商人だろうと志をもつものはいっぱいいる。それが生まれつきの身分によって、何も言えないなら、その世の中を変えるしかねえ。

 

 栄一は、名字帯刀を許される、村でも裕福な農家に生まれ育った。しかし、藩の役人から法外な拠出金を命じられるなど、封建社会の理不尽さを知るにつれ、武士になりたい、世の中を変えたいと志をいだくようになる。そして1863年、23歳の栄一たちは、高崎城を乗っ取って、横浜の外国人居留地を焼き討ちする、という攘夷実行計画を立てた。

 冒頭の平岡円四郎との会話は、この計画の準備のために江戸に出た栄一たちと交わされたものである。

 

 栄一たちの攘夷の計画に、70人もの同士が集まっていた。それは、相当、練りに練った計画だったというが、実現性のない無謀なものだった。1863年に薩英戦争が勃発、結果は痛み分けといったところだが、薩摩はイギリスの武力を目の当たりにして、攘夷を捨て、イギリスから武器を買うなど、イギリスとの友好関係を深めるようになる。また8月18日の政変では、長州の倒幕挙兵計画が失敗している。そんな世の流れを実感していた長七郎に、栄一たちの計画の杜撰さを指摘される。激論の末、栄一たちは横浜焼き討ち計画をあきらめる。

 

 1863年を境に急進的な尊王攘夷派は後退していく。その波は栄一たちの埼玉にもやってきたわけだが、多くの勤王の志士たちは志半ばにして、散っていった。一方、彰義隊や白虎隊など幕府軍として死んでいった若者も多くいた。ただ、いずれの若者たちも、日本の行く末を案じて、それぞれの大義を貫こうとしたことは共通している。それは大きく括って、ナショナリズムといっていいものだろう。

 幕末のナショナリズムの高揚は、明治維新という近代国家の建設、革命ともいえる新しい国造りを推進した原動力になったことは間違いない。

 









2.五・一五事件の若者たち 

 

 栄一たちの攘夷計画が挫折してから70年後の1932年、五・一五事件が起きた。犬養首相が暗殺される。

 保坂正康は「昭和8年から、昭和の歴史は大きく様がわりしてしまったのではないか」と書いている(『昭和史 七つの謎』)。

 「動機が至純の情にみちていれば、行為の善か悪かは問わない」「自分の論がいれられなければ他者とのコミュニケーションはもたない」といった理性、知性の放棄、感情の発露のみが先行する社会になった。そして外国を恐れる気持ちと、その裏返しとして外国蔑視の感情が支配する国になり、軍事のみが国家を支えるのだといったゆがんだ感情に支配されて、太平洋戦争まで突き進んだ日本。その分岐点が1933年(昭和8年)だったという。

 

 五・一五事件は二十歳そこそこの士官候補生を含む若者たちが起こしたテロ事件だ。しかし、事件の公判が進むにつれ、減刑嘆願運動は異常な盛り上がりを見せた。

 例えば、陸軍士官学校候補生11人の軍法会議では次のように、候補生は涙ながらの陳述をしたという。

 

「自分たちは信念に従い行動したのだから死はすでに覚悟のうえ、いまさら弁護の力を借りて生き長らえるつもりはない」

「支配階級は一君万民の大義に背き、農村の疲弊を放置し、国民精神を退廃せしめてついには皇国の精神を危うくする」

 

 この候補生の陳述に、判士(裁判官)も泣き、検事側の軍人も泣き、これを報じる新聞記者も、傍聴席を埋め尽くす多くの人々も泣いたという。

 

 公判前までは(減刑嘆願運動は)愛国団体以外は殆ど見るべきものは無かったが、公判後半頃より陸軍の論告求刑を境として、つひには大衆運動と化した。そして判決の九月十九日までに三十五萬七千餘通の嘆願書と、奇しくも被告の人数と同数の十一本の指が公判廷へ運び込まれたのである」(「五・一五事件の人々と獄中の手記」 『日の出』昭和八年十一月号附録)

 

 テロの実行犯であるにもかかわらず、その判決は全員一律禁錮4年、求刑の半分だった。

 

 このような事件を起こした若者たちへの減刑嘆願の声は、横須賀海軍軍事法廷で行なわれた海軍の士官に対しても盛り上がった。公判は20回持たれたそうだが、傍聴者は開廷前から法廷を幾重にも囲むほど集まり、犯人の士官たちはその心情を吐露することが許された。新聞、雑誌は極めて情緒的な報道となり、事件の首謀者には十年から十五年の刑が宣告された(昭和15年、皇紀2600年に釈放)。

 

 1933年(昭和8年)は、日本が国際連盟を脱退した年でもある。1933年(昭和8年)が「動機が至純の情にみちていれば、行為の善か悪かは問わない」といった、知性や理性よりも感情が社会を支配する異常な時代に突入する境目ではないか、という保坂正康の見立ては間違いないだろう。




3.連合赤軍の若者たち

 

 いつの時代も、不正を許せず、義憤に駆られ、その純粋な思いを貫こうとする若者たちがいる。幕末の勤王の志士も、君側の奸を排除しようとした五・一五事件の若者も、貧しく生きる人たちを救いたいという思いから、立ち上がった。

 あさま山荘事件の犯人、連合赤軍の加藤倫教の言葉が思い出される。加藤倫教は、1972年の2月、機動隊や報道陣の前で連行される時の気持ちを、次のように語っていた。



 のちに全員が連行される際の写真を見る機会があったが、私以外の四人は顔を歪めていた。私はただ前を真っ直ぐ見つめて歩くことを心に決めていた。

 

 悔しい思いで、他の四人が顔を歪めていたとすれば、それは私も同じであったが、それは警察との闘いに敗北したことへの悔しさではなかった。

 

 私は、自分が正しい情報分析もできず、主観的な願望で小から大へと人民の軍隊が成長し、自分が立ち上がることで、次から次へと人々が革命に立ち上がり、弱者を抑圧する社会に終止符が打たれることを夢見ていた、その自らの浅はかさを思い知り、自分の幼稚さに悔しさを感じていた。(大泉康雄(著者は実行犯のひとり吉野雅邦の学生時代からの友人)『あさま山荘銃撃戦の深層』小学館、2003年)

 

 加藤倫教の「弱者を抑圧する社会に終止符が打たれることを夢見ていた」という言葉は、若き日の渋沢栄一や、五・一五事件の士官候補生の声に重なっている。

 

 また『晴天を衝け』では、渋沢栄一は師の惇忠と、尊王攘夷の計画について、次のような会話を交わしている。

 

惇忠

横浜の異人の居住地を異人ごと焼き払う。我らがそれを実行すれば、馳せ参じてくる者もきっとたくさんいるだろう。

 

栄一

横浜を焼き払えば、異国人は幕府を攻める。幕府は、それを支えることができないので転覆する。成功した暁には、天子さまをいただき自分たちが天下をいただく。

 

 自分たちが立ち上がれば、次から次へと賛同する者が立ち上がる…、そんな夢物語を幕末の埼玉の百姓も、連合赤軍の若者も思い描いていた。

 

 尊王攘夷も、マルクスの革命も、この日本では実現しなかった。正義を貫こうと貧弱なこぶしを振り上げた若者たちが、時代の流れに巻き込まれ、散っていった。いつの時代も潔く、真っ直ぐに、しかし儚く死んでいった若者たちがいた。それは、繰り返し様々な物語となって蘇り、今も私たちの涙を誘う。しかし、そんな物語に感傷的になっているだけでは、それこそ若者たちの死は犬死だろう。



 渋沢栄一は、自書『算盤と論語』の中で、志士となって国を変えようとした若い頃の自分を、痛恨の極みだと書いている。17歳で武士になることを決意し政治の世界を目指したが、実業家として道を定めるまでの十数年間を無駄な流浪だった、と自分の青年時代を振り返っている。

 私は渋沢のように、若者たちの純粋な思いを、若気のいたりといった誤りとして切り捨てることはできない。無謀な、独りよがりで浅はかな夢物語だったかもしれないが、時代と向き合おうとしたその思いは軽くない。





4.映画『名もなき生涯』


『名もなき生涯』(2019年 テレンス・マリック)という映画を観た。2020年の2月、コロナがはやり始めたころだ。

 

 第二次世界大戦時のオーストリア。ヒトラーへの忠誠を拒絶し、その信念を貫き通した一人の農夫の物語だ。

 彼の名はフランツ、山と谷に囲まれた美しい村で、妻のファニと 3 人の娘と暮らしていた。

 

 フランス降伏後ナチスドイツの影がますます濃くなる中、兵役の拒否を明言していたフランツに召集令状が届く。フランツは、ナチスの訓練に参加することを受け入れるが、他の兵隊が「ハイル・ヒトラー」と敬礼する中、フランツだけができなかった。

    なぜ、ナチスドイツへの忠誠を拒否するのか。罪のない人を殺せないという信念、そして「忠誠するのは神のみ」という敬虔な理由からだった。

 フランツは、拘留所を経て収容所に強制連行されてしまう。

 刑務所で看守はフランツに言った。「ヒトラーへの敬礼はただの挨拶だ」。しかしフランツが敬礼をすることはなかった。毎日のように敬礼を強制され、拷問にもかけられるが、フランツは屈しない。

 とうとうフランツは裁判にかけられることになった。ヒトラーへの敬礼をしない者は、死刑になる。裁判を担当していた判事は、フランツにこっそり言う。「正義を貫いたところで誰も見ていない」。

 それでもフランツの意志は変わらなかった。「自分の感覚で過ちだと感じることはやりたくない」と首を縦に振らなかった。死を迫られても意志を変えようとしないフランツに、判事は死刑求刑を下す他なかった。

 

 死刑判決を受けて、ファニは司祭と急いでベルリンの刑務所に向かう。死刑執行当日、ファニとフランツは何ヵ月ぶりかの再会を果たす。それは二人に許された、最後の面談だった。ファニは泣かない。そしてフランツの耳元で言う。「愛している、何があろうとあなたと共にいる。正義を貫いて! 神さまに言われた門を叩いて」。フランツもまた、神の恵みでまた会えると約束する。彼らの会話はこれが最後となった。

 

 1943年8月9日、フランツは36歳でギロチンの刑に処せられた。フランツの村では、教会の鐘が鳴り響く。その音に気付いた村の者達は誰がするからでもなく皆、頭を垂れた。

 このシーンで映画は終わる。

 

  映画『名もなき生涯』のラストに掲げられる、19世紀のイギリスの女性作家ジョージ・エリオットの詩。

 

歴史に残らないような行為が

 

世の中の善をつくっていく

 

名もなき生涯を送り、

 

今は訪れる人もない墓に眠る人々のおかげで

 

物事はさほど悪くはならないのだ




 2007年6月、ローマ教皇ベネディクト16世はイェーガーシュテッターを殉教者と認定する。1943年に処刑された一人の農夫の思いは、半世紀以上経って、認められた。



 フランツがいたこと、世の不公正をなくしたいと立ち上がった若者がいたこと、それは私にとって希望だ。たとえ権力の暴力によって殺されたとしても、たとえ志半ばで逃げたとしても、彼らの思いは私に伝わってくる。

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月見酒天動説のまことかな

2021-09-25 04:40:57 | 俳句

月見酒天動説のまことかな
                           小林直司

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月の雨ふるだけふると降りにけり

2021-09-24 05:55:00 | 俳句

月の雨ふるだけふると降りにけり
                           久保田万太郎

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同じ月見てゐる亀と兎かな

2021-09-23 06:25:55 | 俳句

同じ月見てゐる亀と兎かな
                           天野小石

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R.E.M.  「Losing My Religion」

2021-09-22 03:00:46 | 言葉

R.E.M.  「Losing My Religion」

 


Oh Life is bigger
人生とは予測不能で面白い

It's bigger than you,
君が思ってる以上にね

you are not me
君は俺じゃない

The lengths that I will go to
俺の苦悩はこれからも続くんだろうな

The distance in your eyes
君の眼は遠くを見ている

Oh no, I've said too much
駄目だな また喋り過ぎた

I set it up
悪い癖が出てしまったよ

That's me in the corner
俺は部屋の隅に居る

That's me in the spotlight
其処で光を浴び注目を集める

Losing my religion
信頼は消え失せた

Trying to keep up with you
だからこそ君に付いていくよ

And I don't know if I can do it
俺が役に立てるか分からないけど

Oh no I've said too much
あぁ・・また喋り過ぎた

I haven't said enough
まだ言い足りないんだけどね

I thought that I heard you laughing
君の笑い声が聞こえた そんな気がしたんだ

I thought that I heard you sing
君の唄う声が聴こえた そんな気がしたんだ

I think I thought I saw you try
君がそうしようとしているのを見た気がした

Every whisper
囁き声が聞こえる

Of every waking hour
目が覚めている時はそうなんだ

I'm choosing my confessions
俺は懺悔の言葉を選んでいる

Trying to keep an eye on you
君から目を離さないように努めている

Like a hurt lost and blinded fool
傷付き 迷い 盲目的で愚かになった

Oh no, I've said too much
あぁ・・駄目だ また喋り過ぎた

I set it up
また俺は振り出しに戻る

Consider this
よく考えろ

Consider this
よく考えるんだ

The hint of the century
手掛かりは必ずある

Consider this
よく考えろ

The slip that brought me
こんな失敗をした位で

To my knees failed
膝を付くつもりは無い

What if all these fantasies
俺の妄想する全ての空想が

Come flailing around
全て現実となったらどうなってしまうのか

Now I've said too much
今回も喋り過ぎてしまった

I thought that I heard you laughing
君の笑い声が聞こえた気がした

I thought that I heard you sing
君の歌声が聴こえた気がした

I think I thought I saw you try
君がそうしようとしたのを見たような気がした

But that was just a dream
でもそんなのは単なる夢

That was just a dream
単なる夢に過ぎない

That's me in the corner
俺は隅に居ながら

That's me in the spotlight
スポットライトを浴びている

Losing my religion
信頼出来る何かを失った

Trying to keep up with you
君の後を追いたい

And I don't know if I can do it
俺にそれが出来るのか分からない

Oh no I've said too much
また喋り過ぎてしまった

I haven't said enough
まだ言い足りないんだけどさ

I thought that I heard you laughing
君の笑い声が聞こえた そんな気がしたんだ

I thought that I heard you sing
君の歌声が聴こえた そんな気がしたんだ

I think I thought I saw you try
そうしようとしている君を見た気がしただけ

But that was just a dream,
単なる夢に過ぎない

try
頑張って生きるしかない

cry
泣きながら

why
自問自答しながら

try
頑張って生きるしかない

That was just a dream, just a dream,
それは単なる夢に過ぎない 夢に過ぎないんだ

just a dream
ただの夢

Dream
夢なんだよ

 

(192) R.E.M. - Losing My Religion (Official Music Video) - YouTube

 

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2021年、東京オリパラが残したもの ①コロナ        関川宗英

2021-09-21 08:54:05 | 新自由主義

2021年、東京オリパラが残したもの ①コロナ        関川宗英



 2021年9月5日、東京パラリンピックの閉会式だった。

 これで、7月23日から始まった2020東京オリンピック・パラリンピックは全て終了したことになる。

 アスリートのひたむきな姿は美しく、感動的で、私たちを魅了するが、それでオリンピックはよかったとはならない。

 2021年の東京オリンピック・パラリンピックは多くの宿題を私たちに残した。




 コロナ禍、日本では感染者が最多を更新する中、無観客でオリンピックは強行された。

 バブル方式で万全の感染対策だったということだが、9月8日のNHKの報道によれば、感染した選手はオリパラ合わせて、41人いたそうだ。そして大会関係者やメディア、ボランティアなど全体では863人となっている。

 幸い、選手村で感染爆発などということにはならなかったようだが、この「863人」は見過ごせない。



 一方、オリンピック開催中、デルタ株は第5波として全国で猛威を振るうようになる。

 

 NHKの「特設サイト 新型コロナウィルス」のデータから、7月と8月の感染者数、死亡者数を計算してみた。

 

          感染者数     死亡者数

   7月     12万6607人     410人

   8月     56万4201人     875人  

 

 8月の感染者数は、7月に比べ、5倍近く増えている。死亡者数も2倍強だ。(9月に入り感染はピークアウトし始めるが、死亡者数は増え続け、9月15日までの合計は915人となっている。死亡のピークは、感染のピークの後にやってくる。)

   

 

 このように8月、感染は急増したわけだが、病院への入院はままならず、全国で自宅療養者が増え続けた。厚生労働省は、9月1日の自宅療養者数を13万5674人と発表している。

 自宅療養は「原則2週間」として、9月1日直近の2週間(8月18日~31日)の感染者数を合計すると、30万7933人だ。この直近2週間の数字から自宅療養者数の割合を単純に計算すれば、大雑把にいって、2人に1人が自宅療養していることになる。

 

 さらに深刻なデータは、自宅療養など病院以外で死亡した人は、8月だけで250人いたというものだ(9月14日朝日新聞)。

 これは、まさしく医療崩壊だ。

 

 毎日のようにコロナの深刻な状況を伝えるテレビは、医療崩壊寸前などという枕詞がいつも使われていたが、医療崩壊は現実のものになっていた。日本の国民は満足な医療を受けられず、ひたすら家で熱を測り、パルスオキシメーターを指に挟んで、病態の急変に怯えていたわけだ。いよいよ呼吸が苦しくなり119番緊急要請しても、病院に入れない人が続出した。コロナ感染した妊婦が病院の受け入れ先がなく、自宅で出産、新生児が死亡するという悲惨なニュースもあった。死後2週間後に発見された…、保健所からの連絡がない…、毎日のようにテレビはコロナで救われなかった人のことを悲しい面持ちで伝えてくれる。が、そのニュースの直後、「では日本選手の活躍を!」と大音量のテーマソングと共に番組はオリンピックに切り替わる。私は毎日テレビの前で、不条理な気持ちのねじれに身をよじられる思いだった。



 菅義偉首相は2021年6月9日、野党4党首との党首討論で、この夏の東京オリンピック・パラリンピックについて「国民の命と安全を守ることが私の責務。守れなくなったらやらないのは当然」と語った。

 6月の頃は、コロナ感染者が減少傾向にあった。しかし6月後半には増加傾向に転じ、7月12日東京が緊急事態宣言となる。その後も感染者はじわじわと増えていき、オリンピックは開催できるのか不安の声が多くなる。しかし、菅首相は「国民の命と安全を守る」と同じ言葉を繰り返すだけだった。

 そして7月23日、オリンピックは開催された。この日の感染者は4225人だった。それから1週間後の7月30日は1万743人と約2.5倍に増えた。そして、菅首相が広島で原稿を読み飛ばした8月6日は、1万5634人と4倍近くになる。

 

 2021年1月の感染ピークでは、1月8日の7957人が過去最高の感染者数だったが、オリンピック開催後、その記録をあっさり更新しまう。

 

 

 8月6日、広島の原爆式典後の会見で、菅首相は「東京の繁華街の人流はオリンピック開幕前と比べて増えておらず、オリンピックが感染拡大につながっているという考え方はしていない」と述べ、感染拡大とオリンピックの関係を否定した。

 

 コロナとオリンピックの因果関係について学術的な分析を待ちたいが、今問題にすべきは、医学的な分析にかなうデータを日本が持っていないということだ。

 

 そもそもコロナ感染拡大の因果関係など、日本の検査体制ではとても追える状況にない。

 ニューヨークは「いつでも、どこでも、何度でも」PCR検査を受けられるそうだが、日本の場合PCR検査数そのものが増えていない。

 



 日本の人口1000人当たりの検査数は0.71件(2021年8月11日)、最も多いのはイギリスで10.97件。なんと、日本の15倍である。

 

 さらに、検査数の少ない日本のコロナ陽性率は海外に比べ、当然大変高いものになっている。

 川崎市が毎日発表しているデータをもとに、コロナの感染状況を丁寧にまとめているブログがある(武蔵小杉ブログ(武蔵小杉ライフ 公式ブログ) (shinobi.jp) )。このブログからの引用だが、「8月2日(月)~8月8日(日)集計データ」で、陽性率は46.1%だったそうだ。

 AERAに「神奈川・川崎市で1日あたりのコロナ陽性率「95%」相当を記録? 異様な高さになった理由とは」(https://dot.asahi.com/dot/2021081900053.html?page=1)という記事でも、陽性率の異常な高さを取り上げている。この中に、次のような保健所の方の話が紹介されていた。

 

「濃厚接触者などが公費負担で受けられる行政検査は、検査した翌日に市に実績が報告されます。しかし、民間のクリニックなどが独自に行う自費検査で出た結果は、必ず翌日に報告が上がってくるわけではなく、なかには1~2週間遅れて報告があるケースもあります。市が発表する陽性者数は、その日の公表時点までに集まった数字のため、誤差が生じます」(川崎市健康福祉局保健所感染症対策課)

 

 これでは陽性率が異常な高さになるのは当然だろう。

 だが、この保健所の方の話から日本全国の検査体制の実態もうかがえる。つまり、今コロナの現場では、深刻な症状が出ている人とその濃厚接触者を検査するだけで追われているということだ。私たちが知るコロナの感染状況とは、深刻な症状の患者と濃厚接触者 が受けた検査の集計結果ということになる。すると、感染はしているのに無症状の人が市中にどれだけいるのかなど、今の検査体制では全く分からない。

 

 日本の少ない検査数では、感染拡大の因果関係など把握できるはずがない。

 



 金メダル!、世界新記録!、オリンピックの喧噪の最中、コロナが第5波となり、PCR検査を受ける体制が整っていなかったこと、熱が出てもすぐに医療の支援が受けられず自宅待機を命じられる、といった日本の医療の実態を私たちは目の当たりにする。

 入院どころか、ホテル隔離もままならず、感染者、死亡者は増え続ける、この事実を前に、国民の命を守ると言った政府は何をしているのか、と多くの国民は不安と怒りの渦に巻き込まれていく。

 

 8月8日、東京オリンピックは閉会した。が、その後も感染者は増え続け、8月20日には史上最多の、2万5868人の陽性者を記録する。

 

 オリンピックはコロナ感染拡大の原因とは言えない、と日本の首相は強弁するが、今、コロナで苦しんでいる人がいる、死んでしまった人がいる、医療崩壊の現実を前に、無策としか映らないそんな政府を私たちは毎日テレビで見る。令和おじさんの虚ろな目、重みのない言葉、法に定められた臨時国会の声にも応えない政府、2021年の8月、時間は過ぎていく。

 

 8月24日、東京パラリンピック開催。

 

 8月25日、政府は緊急事態宣言地域など拡大を発表。その記者会見で、菅首相は、「明かりははっきりと見え始めている」と言った。新型コロナの感染者が日ごとに増え、収束が見えない国民の実感とはかけ離れた発言だった。

 

 8月だけでコロナで875人もの命が失われた。菅首相はこのことをどう受け止めているのだろう。彼には、国民の命を預かっているという重みはとても感じられない。

 

 9月3日、菅首相は辞意を表明する。菅義偉は、安倍晋三に続いて政権を投げ出した。





 菅義偉首相は今年1月の施政方針演説でこう断言していた。

「夏の東京オリンピック・パラリンピックは、人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証として、また、東日本大震災からの復興を世界に発信する機会としたいと思います」

 

 2021年夏の東京オリンピック・パラリンピックは、コロナ禍の中強行開催されたが、感染を広げ、多くの死者を出してしまった大会として、人類の記憶に残るだろう。

 

 これだけの犠牲を出してしまったオリンピック。当初7千億と言われていた開催費用は3兆円を超えるとか。金がかかりすぎる、競技が多すぎる、アメリカのテレビのために深夜に行われる決勝、オリンピック見直しの声が出るようになってもう何十年になるだろう。市場原理主義、新自由主義が格差をますます広げている。オリンピックの意義や規模について、私たちはしっかりと考えなければならない時期に来ている。

 

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札幌国際芸術祭

 札幌市では、文化芸術が市民に親しまれ、心豊かな暮らしを支えるとともに、札幌の歴史・文化、自然環境、IT、デザインなど様々な資源をフルに活かした次代の新たな産業やライフスタイルを創出し、その魅力を世界へ強く発信していくために、「創造都市さっぽろ」の象徴的な事業として、2014年7月~9月に札幌国際芸術祭を開催いたします。 http://www.sapporo-internationalartfestival.jp/about-siaf