chuo1976

心のたねを言の葉として

処理水の海洋放出       関川宗英

2023-08-26 14:16:05 | 新自由主義

処理水の海洋放出       関川宗英

20230825



 岸田首相は2023年8月21日、東京電力福島第一原子力発電所(福島県)の処理水の海洋放出について、全国漁業協同組合連合会(全漁連)の坂本雅信会長らと首相官邸で面会し、海洋放出に理解を求めた。

 

 首相は「国として海洋放出を行う以上、廃炉と処理水の放出を安全に完遂する」と述べ、「漁業者が安心して生業(なりわい)を継続できるよう必要な対策をとり続け、(海洋放出が)長期にわたっても対応することをお約束する」と語り、風評被害対策に万全を期す考えを示したという。

 

 そもそも、2015年に政府と東電は「関係者の理解なしにはいかなる処分も行わない」と福島県漁連に文書で伝えている。

 

 政府はこの約束を反故にして、処理水放出を強行するのだろうか。

 

 一夜明けて8月22日の午前、メディアは、今日の関係閣僚会議で「24日の海洋放出」を決定したと報じた。




 2021年4月13日、当時の菅義偉首相は、処理水について海洋放出の方針を関係閣僚会議で決定したと述べた。首相官邸のHPには次のような管首相の言葉を見ることができる。

 

「ALPS処理水の処分は、福島第一原発の廃炉を進めるに当たって、避けては通れない課題であります。

 このため、本日、基準をはるかに上回る安全性を確保し、政府を挙げて風評対策を徹底することを前提に、海洋放出が現実的と判断し、基本方針を取りまとめました。

 これまで、有識者に6年以上にわたり検討いただき、昨年2月に、海洋放出がより現実的、との報告がなされました。IAEA(国際原子力機関)からも、科学的根拠に基づくもの、こうした評価がなされております。

 また、海洋放出は、設備工事や規制への対応を行い、2年程度の後に開始します。トリチウムの濃度を国内の規制基準の40分の1、WHO(世界保健機関)の定める飲料水の基準の7分の1まで低下させます。さらに、IAEAなど第三者の目も入れて、高い透明性で監視します。

 さらに、福島を始め、被災地の皆様や漁業者の方々が風評被害への懸念を持たれていることを真摯に受け止め、政府全体が一丸となって懸念を払拭し、説明を尽くします。そのために、徹底した情報発信を行い、広報活動を丁寧に行います。

 早速、週内にも、本日決定した基本方針を確実に実行するための新たな閣僚会議を設置します。

 政府が前面に立って処理水の安全性を確実に確保するとともに、風評払拭に向けてあらゆる対策を行ってまいります。国民の皆様には、心からの御理解をお願い申し上げます。」                          

            (首相官邸HPより)

 

 この海洋放出方針決定の発表直前の4月7日、全漁連会長(当時は岸宏会長)は管首相に「海洋放出反対」を伝えている。「漁業者や国民の理解が得られない専門家の提言は絶対に反対だ」という厳しい言葉だった。また報道陣の取材に対し、当時の東京電力の一連の不祥事についても触れ、「廃炉の経過の中で、安全性を担保することにかんがみた場合、極めて強い懸念がある」という言葉も発している。しかし、管首相はそんな海洋放出に対する不安や懸念の声を切り捨てるかのごとく、会見からわずか6日後、海洋放出方針の決定を発表したのだった。 

 

 2021年9月、管首相は退陣を発表する。その記者会見で、自らの総理としての成果を二つ挙げた。一つ目は75歳以上の高齢者の窓口負担の引き上げ、二つ目が福島原発の処理水海洋放出の決定だった。「避けては通れない課題に果敢に挑戦した」と自画自賛している。沖縄の民意を無視して、辺野古移設を強行してきた管首相にすれば、社会的弱者の心の痛みなど届くことはないのだろう。

 

 今回の海洋放出開始の決定は、2021年秋からの既定路線だったと言える。岸田首相に迷いとか、漁業関係者との約束を反故にすることへの葛藤など全くなかったのかもしれない。

 

 しかし文書まで出して確認された約束は破られた。

 言葉の軽さに長いため息が出る。

 政府を挙げて風評対策に取り組むという約束もいつか反故にされるのだろうか。

 

 国は言葉でできている。

 私たちはまたひとつ、こんな国に税金を納めているのかと不信の石を積み上げる。

 

 

「処理水は安全」なのだろうか

 岸田首相の処理水決断の顛末はあきれるばかりだが、処理水は安全だ、IAEAのお墨付きも得ているといった一連の政府の広報も、指摘しておかなければならない問題点が数多くある。

 

 処理水の放出は海の水で薄めて行うので安全だというが、果たしてそうだろうか。

 放出されるトリチウムの濃度は、国の基準の1/40、WHOの飲料水の基準の1/7であり、世界各国の原発からは、ALPS処理水以上の濃度のトリチウムが海へ捨てられているそうだ。経済産業省や復興庁をはじめ、さまざまな政府関連のHPには、分かりやすい図や統計を使って、処理水の安全キャンペーンが繰り広げられている。

 



 

 

 しかし、どんなに薄めても、放射性物質の総量は同じはずだ。

 しかも政府は30年かけて、処理水を放出するといっているが、これほど長い期間をかけて捨てられるトリチウムが生物にどのような影響をもたらすか、それは誰にもわからない。

 

 トリチウムは自然界にもあり、その放射能エネルギーは小さいと経済産業省のHPは教えてくれる。しかし、トリチウムの危険を報告する医学的事例はネットにあふれている。



【1972年 中日新聞】極低レベルの放射線でも遺伝に大きな影響

原発の排水や排気に大量に含まれるトリチウムは、放出許容限度をはるかに下回る放射能レベルでも染色体異常を起こすというショッキングな事実が帝京大学医学部の田中信徳教授(東大名誉教授、植物遺伝学)と東京都立アイソトープ総合研究所放射線障害研究室の黒岩常祥理博の共同研究で明らかになった。岡山大学で開かれる日本遺伝学会で報告されるが、極低レベルの放射線でも遺伝に大きな影響を与える恐れのあることが証明された(中日新聞 1972年10月2日)。



【1973年 朝日新聞】(ICRP)の最大許容濃度以下でも異常

東大理学部動物学教室の秋田康一教授は、ウニの胚(はい)への影響を調べている。放射能に敏感といわれるアカウニでは、受精卵の胚を、1cc当たり1マイクロキュリーの濃度のトリチウム海水に、40時間入れておいたところ、50%の胚に異常が出た。これが10ミリキュリーになると正常なものは一つもなくなったという。

帝京大学医学部の田中信徳教授(東大名誉教授、植物遺伝学)と東京都立アイソトープ総合研究所放射線障害研究室の黒岩常祥研究員は、フタマタタンポポの一種のタネで、トリチウムが染色体にどんな影響を与えるかを調べた結果を昨年の日本遺伝学会で発表している。それによると、種子をはじめは浄水に、のちにトリチウム水にそれぞれ48時間入れた結果、0,1マイクロキュリーから染色体異常の出現率が著しく上昇した。注目されるのは、国際放射線防護委員会(ICRP)の最大許容濃度以下でも、わずかながらも異常がみられたことだ。

これに対して、米国の学者V・ポンド博士の1970年の論文によると、紀元2000年で、世界の人たちが浴びる放射線量は、現在(1973年)の自然界にある量の二倍程度に過ぎないと計算している。このことから、トリチウムの影響力は問題にならないとみる学者も少なくない。つまり、これくらいの量だと、医療用で受ける放射線にくらべても、ケタはずれに小さいことになるからだ。もちろんこの点に関しても、黒岩研究員は「トリチウムの場合、ふつうの水と同様に細胞の中にも入っていくので、外部からの被爆とは別に考える必要がある。だから、今まで異常がないとされたものでも、調べ方を変えると異常が見つかることもある」とより安全側にとるよう警告している(朝日新聞 1973年3月1日)。



【1974年 朝日新聞】低濃度でも人間のリンパ球に染色体異常

放射線医学総合研究所 中井斌(さやか)遺伝研究部長らによって、トリチウムはごく低濃度でも人間のリンパ球に染色体異常を起こさせることが突き止められた。

1974年10月の日本放射線影響学会で堀雅明部長が発表した (朝日新聞 1974年10月9日)。



 さらに心配なことがある。60種以上あるとされるストロンチウム以外の放射能核種のことだ。それまで政府や東電は、ストロンチウム以外の放射能核種はALPS によって除去されるとしてきた。が、2018年8月、その嘘が報道によって明らかになっている。



基準値超の放射性物質検出、福島 トリチウム以外、長寿命も

 東京電力福島第1原発で汚染水を浄化した後に残る放射性物質トリチウムを含んだ水に、他の放射性物質が除去しきれないまま残留していることが19日、分かった。一部の測定結果は排水の法令基準値を上回っており、放射性物質の量が半分になる半減期が約1570万年の長寿命のものも含まれている。

 第1原発でたまり続けるトリチウム水を巡っては、人体への影響は小さいなどとして、処分に向けた議論が政府の小委員会で本格化し、今月末には国民の意見を聞く公聴会が開かれるが、トリチウム以外の放射性物質の存在についてはほとんど議論されていない。

                                                                                           (共同通信 2018年8月19日)



 また、トリチウム以外の放射能核種については調べていないことが、国会でも明らかになっている。

 2021年4月20日衆議院環境委員会で川内博史議員は、「トリチウム以外の放射能の総量」を質問した。

 これに対し経済産業省大臣官房だった新川達也は、「トリチウム以外の放射能核種の一つ一つについてはトリチウムのような推定は実施しておりません。」と回答している。

 

川内ひろし📢〘超重要〙📢【福島第一原発処理水(汚染水)について】(その4)



 

「処理水の二次処理」というまやかし

 ただ政府や東電は、トリチウム以外の放射能核種について否定しているわけではない。

 現在の経済産業省のHPには、処理水の二次処理として次のように説明している。



タンクに保管されている水のうち約7割には、トリチウム以外の放射性物質(核種)も、「環境に放出する場合の規制基準」を超える濃度で含まれています。

タンクに保管している水の性状(2021年3月時点)

2021年3月時点で、タンクに保管されている水のうち再浄化が必要な水の量を示したグラフです。

 

これは、①ALPSを運用し始めたころは、現在と比較して、当時のALPSの浄化性能が劣っていたこと、②現在にくらべて大量の汚染水が発生していたことから、放射線リスクをできるだけ早く低減させるため、「敷地内で保管する場合の規制基準」をまず満たすことを重視して作業を進めたことなどが原因です。

 

そこで、海洋放出する際には、「敷地内で保管する場合の規制基準」よりもさらに厳しい「環境に放出する場合の規制基準」を満たすよう、再度ALPSを使った浄化処理、つまり二次処理がおこなわれます。

https://www.enecho.meti.go.jp/about/special/johoteikyo/shorisui02.html)




 しかし、FoEJapanの資料によれば、東電の放射能核種のデータは全体の3%弱しかないそうだ。

 

東電がソースターム(放出する放射性物質の種類と量)として示しているのは、3つのタンク群(合計3.6万m3)のみ。タンクの水全体の3%弱にすぎません。64の放射性物質(ALPS除去対象の62核種、トリチウム、炭素14)のデータがそろっているのは、この3つのタンク群だけであったためです。

https://foejapan.org/issue/20230801/13668/?fbclid=IwAR1F7p352uBFJ-oNYU1fM72z7834OrL_-TOtckLsuzMLOhE-Mn0pLlA1RMA# 



 政府、東電のいう「処理水」とは、3.11原発事故後発生し続けている「汚染水」を、ALPSなどで放射能核種を浄化処理し、海水で希釈したものをいう。ALSPはストロンチウムと炭素14以外の放射能核種を除去できる、今までにタンクに溜まった処理水はALPSで二次処理する、だから処理水を海洋に放出しても人体や環境に対する影響はわずかだというのだが、FoEJapanの資料にあるように、64の放射性物質のデータがそろっているのはわずか3%弱に過ぎない。これでは「処理水は安全」というメッセージは信頼性を失い揺らぐばかりだ。

 

 そもそも福島原発にある880トンもの燃料デブリは、人類が初めて経験した放射能の化け物である。福島原発から流れ続ける汚染水は、この燃料デブリに触れて発生したものだ。燃料タンク1000基以上もの汚染水には放射性物質がどれくらいあるのか、その総量は今誰にもわからない。そんな放射性物質だが、海に捨てるか、空気中に放つか、あるいは違う方法で保管するか、いつかはその処分の技術を確立しなければならない。しかし今はまだ、ALPSの浄化処理能力の向上を図り、浄化処理のデータを積み重ねる時期だろう。海洋放出は急ぐべきではない。

 

 海外の原発もトリチウムを海に流しているというが、それは放射能漏れの事故を起こしていない原発の話だ。トリチウムの濃度だけで、福島原発の処理水の安全性を唱えるのは、他の国にとって受け入れられるものではないだろう。



 2023年7月4日、IAEAは包括報告書を提出した。処理水海洋放出についてお墨付きを得たとされる。しかし、グロッシ事務局長は「IAEAは計画の承認も推奨もしていない。計画が基準に合致していると判断した」と述べている。つまり、IAEAの報告書は処理水の海洋放出計画を認めるものではなく、その最終決定を下すのはあくまでも日本政府であるということだ。

 また、IAEA報告書は、「科学的でない」、安全基準の「正当化」「幅広い関係者との意見交換」に適合していないなど、原子力市民委員会の2023年7月18日の「見解」に詳しく書かれている。

 



穏やかな日常のために

 3.11の福島原発事故はまだ収束していない。私たちはその収束に向けて人知を結集し、協力していかなければならない。

 一つの課題を解決しようとするときに、全ての人の要望をかなえることは不可能だ。何かを選ぶことは、何かを捨てることだ。

 しかしだからといって、少数の者たちが切り捨てられるようなことがあってはならない。民主的に、公正、公平に、話し合いを積み重ね、課題を判断する基準やリミットを確認するなどの手続きを経て、最終的な判断を構成員全員の財産として共有できるものでありたい。

 

 愛知県豊橋市で、新しい野球場をつくる話があるそうだ。その野球場は子供たちも使う市民球場だが、埋立地の上に計画されており、津波などの防災上の不安があるという。

 市議会では新しい野球場を問題視する市議の質問に、危機管理統括部長が、「災害と付き合いながら生活し、人類は今まで生き残って来た。ある程度の被害はやむを得ない中で亡くなった人もたくさんいる」と答えたという。(野球場移転予定地の見学会

 

 この豊橋市の野球場のことを記事になさったブログ主よんばばさんは、次のように書いておられる。

 

地方も中央も、ものごとがみな「関係各方面が儲けられるか否か」で進んでいくようで、空恐ろしい世の中になったものだと思う。



 今回の処理水海洋放出の問題も、「ある程度の被害はやむを得ない」こととして進められたように思う。

 

 福島県の漁業関係者との話し合いは十分だったのだろうか。

 3.11の復興、廃炉問題には時間的な制約もあるから、いつかは判断しなければならない。

 しかしその最終的な判断のために、誠意は尽くされたのだろうか。

 岸田首相はつい最近も福島まで行ったが、なぜ漁業関係者と会い、最終的な判断をせざるを得ないと告げなかったのだろうか。最終判断の通告を漁業関係者がすんなりと受け入れるとは思えない。しかしたとえ理解は得られなくても、一国の首相として、そして一人の人間として、誠実な対応を見せるべきだった。

 

 一つの課題を解決するとき、お金の問題も大きい。しかし、一部の人たちの金儲けにつながるような、新自由主義的な力学の大鉈が物事を決定していくのは、格差を広げるだけだろう。

 

 大地の恵みに感謝し、季節を告げる花を美しく思う。つつましくてもそんな穏やかな毎日を過ごしたいものだ。

 そのために風通しの良い社会を作っていきたい。

 少数の側が金銭的な価値で切り捨てられるようなことはあってはならない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

見せかけの豊かさ 虚飾の日本 安倍晋三の嘘   関川宗英

2021-12-31 16:52:42 | 新自由主義

見せかけの豊かさ 虚飾の日本 安倍晋三の嘘   関川宗英



 2021年12月、基幹統計の改竄がまた問題になっている。

 国交省が、基幹統計の集計に使う建設業者の受注実績の調査票を改竄したというものだ。

 その始まりは2013年からという。改竄は13年から8年間も続けられていたのだが、電子化して「永年保存」しているデータも、多くが書き換え後のものであることも報道されている。検証は極めて困難だという。



 複数の国交省関係者によると、書き換えは年間1万件ほど行われ、今年3月まで続いていた。二重計上は13年度から始まり、統計が過大になっていたという。

 同省建設経済統計調査室は取材に、書き換えの事実や二重計上により統計が過大になっていたことを認めた上で、他の経済指標への影響の度合いは「わからない」とした。4月以降にやめた理由については「適切ではなかったので」と説明。書き換えを始めた理由や正確な時期については「かなり以前からなので追えていない」と答えた。 (2021/12/15 朝日新聞)



データ改竄の検証は困難

 国土交通省が基幹統計の集計に使う建設業者の受注実績の調査票を書き換えていた問題で、同省が電子化して「永年保存」しているデータも、多くが書き換え後のものであることがわかった。書き換え前の正しいデータが行政側に残っていないことになる。政府は2013年から8年間続いていた「二重計上」の度合いや、GDP(国内総生産)への影響を検証する構えだが、ハードルは高い。 (2021/12/18 朝日新聞)



 国土交通省は20日の参院予算委員会で、国の基幹統計「建設工事受注動態統計」を同省が無断で書き換えて二重計上していた問題について、二重計上されていた2020年1月〜21年3月までの15カ月間の受注実績を新たに算出し直したところ、1月あたり1.2兆円の差額が生じたと明らかにした。 (2021/12/20 毎日新聞)



 2013年と言えば、第二次安倍政権が発足し、アベノミクスが始まったころに当たる。

 今回のように、基幹統計の改竄が、主要な経済指標であるGDP(国内総生産)の数字を上げようとする工作だったのではないかといった疑惑は、2018年の勤労統計の問題でも取り沙汰された。

 GDPといえば、その算出方式を見直したのは2016年のことだ。安倍政権は2016年12月に国際的なGDPの算出基準にならって、計算方法を変更した。それによって名目GDPは10%も大幅にアップした。その恣意的な数字を持ち出して安倍首相は「名目GDP過去最高」などとアピールしてきた。

 建設業受注統計や勤労統計など各種統計の改竄、GDP算出方式の変更など、公明党が務めてきた国交相の責任も含め、アベノミクスの成功を見せかけるための疑惑の追及は終わらないだろう。




1 2018年厚労省の統計不正問題

 統計法は統計を「国民にとって合理的な意思決定を行うための基盤となる重要な情報」と定めている。

 国の景気動向の判断、経済政策決定の指標となる重要な統計を「基幹統計」と定め、国勢統計や国民経済計算など、53の統計が指定されている。

 今回の国土交通省のデータ改竄は「建設工事受注動態統計」だが、これも基幹統計の一つである。

 

 2018年、問題になった統計は、厚生労働省の「毎月勤労統計」だった。やはりこれも基幹統計だ。

 毎月勤労統計の調査は全数調査すると定められているが、1/3しか実施してしていなかったことから始まり、続々と不正調査の実態が露見した。

 労働者の不正な賃金統計は、賃金レベルを雇用保険金等の支払いでは低めに、アベノミクスの成果では高めに算出するために利用されていたのではないか、賃金改善をアピールしたい政権の意向が働いたとの疑念、国会では次のような質疑があった。

 

国民民主党 玉木代表 

「自分たちに都合のいい統計手法に変更していく流れが作られているのではないか。まさにアベノミクスの成功を演出するための、統計改革という名を借りた恣意的な統計の操作を、官邸主導でやったのではないか。」

安倍首相

「今回の統計不正と、毎月勤労統計調査のサンプリングのやり方の変更は別の問題であるとはっきりさせておかないと。もちろん意図的に混同させようとしているのではないだろうが。(平成27年に)賃金について国会で質問を受けたので、答弁を準備する際に、その年の6月の賃金の伸びについて調査対象事業所の入れ替えの影響があった旨の説明を(秘書官から)受けたが、私からは何ら指示をしていない。」    ( 2019/2/18 衆議員予算委員会)

 

 安倍晋三は否定したが、統計が政権の都合に合わせて操作されていたという印象を多くの国民は持った。

 国の統計への信頼は大きく損なわれた。

 また基幹統計の改竄は、海外からの信用も失いかねない事態だったといえる。

 

 

2 名目GDPとアベノミクス

 2018年の年頭所感で、安倍晋三は次のように語っている。

「6年前、日本には未来への悲観論ばかりがあふれていました。しかし、この5年間のアベノミクスによって、名目GDPは11%以上成長し、過去最高を更新しました。生産年齢人口が390万人減る中でも、雇用は185万人増えました。今や女性の就業率は、25歳以上の全ての世代で、米国を上回っています。有効求人倍率は、47全ての都道府県で1倍を超え、景気回復の温かい風は地方にも広がりつつあります。あの高度成長期にも為しえなかったことが、実現しています」

 この年頭所感が発表された2018年の12月、厚労省のデータ改竄で国会は大きく揺れるが、内閣府はその渦中の12月13日、「2012年12月を起点とする景気回復の長さが17年9月時点で高度経済成長期の「いざなぎ景気」を超えたと正式に判定した」(2018/12/13 日本経済新聞)と発表する。

 第二次安倍政権が経済政策「アベノミクス」をスタートさせた2013年から2017年9月まで日本のGDPは常に右肩上がりで、57カ月間続いた「いざなぎ景気」を抜いて戦後2番目の長さになったと言うのだ。

 

 そして、さらに「景気拡大」は続き、2019年1月には、戦後最長の小泉政権下での「いざなみ景気」も抜き、戦後最長になったと発表した。

 茂木敏充経済再生担当相は関係閣僚会議で、24年12月に始まった現在の景気拡大局面が今月で74カ月に達し、「いざなみ景気」(14年2月~20年2月、73カ月)を超えて「戦後最長になったとみられる」と表明した。 (2019/1/29 産経新聞)

 戦後最長の景気回復、とメディアは伝えたが、その際に使われる「名目GDP」に対する信頼も取り沙汰されてきた。

 というのは、2016年12月、内閣府はGDPを新しい算出基準によって計算すると発表した。その結果、名目GDPは約10%、50兆円も増えたからだ。 

 

 名目GDPとは、簡単に言えば「消費+投資+政府支出」なので、このうちどれかを増やせば数字が上がる。

 内閣府は、これまでは「経費」と見なしていた各企業などの「研究開発費」を「投資」と見なして名目GDPに加えることにした。これだけで年間約20兆円の「研究開発費」が名目GDPに上乗せされた。

 他にも、これまでは加算しなかった「特許使用料」や「不動産仲介手数料」なども次々と名目GDPに加算することにした。

 今まで名目GDPの計算に入れなかった項目を次々と上乗せする「水増し方式」に変更することで、安倍政権は、あたかもアベノミクスが成功して日本のGDPが成長しているかのように演出しているというわけだ。

 

 GDPの計算方法の見直しは、国際的な算出基準にならうものだという。その限りでは見直しをすることに問題はない。しかし、計算方法を変えたことで結果的にGDPが増えたとしても、実体経済は変わったわけではない。にもかかわらず、GDPの数字の変化を、あたかもアベノミクスの成果であるかのようにアナウンスすることは欺瞞だろう。

 

 





3 2021年大晦日

 2021年12月、国土交通省のデータ改竄問題。

 GDPの算出にこの統計データを使う。全国の都道府県の建設業の受注の数字が大きくなれば、その分GDPも増加する。「アベノミクスによってGDPが成長した」と安倍晋三は自らの経済政策を自画自賛してきたが、同じようなことが今回も明るみに出たわけだ。

 

 様々な疑惑、事件、嘘を繰り返してきた安倍晋三だが、第2次安倍政権は選挙で勝ち続け、8年近くの史上最長の政権となった。

 しかし、コロナ対策の渦中、2020年9月、任期途中でまたも政権を投げ出した。

 

 2021年は菅政権の迷走から始まったが、コロナ禍2年目、東京オリンピックを強行開催する。そのお祭り騒ぎのなか、満足な医療を受けられず自宅などで死亡したコロナ感染者が8月だけで250人いた(2021/9/14 朝日新聞)。

 

 2021年10月、今度は菅義偉が政権を投げ出した。岸田政権が誕生する。秋の衆議院選挙で自民はまたも圧勝した。

 

 2021年12月30日、東京証券取引所では年末の終値としては32年ぶりの高値水準、とメディアは伝えている。

 一方、「世界上位1%の超富裕層の資産が今年、世界全体の個人資産の37.8%を占めた」(2021/12/26  共同通信社)と、貧富の格差はさらに広がっている。新自由主義者たちの勢いは増すばかりだ。

 

 2021年の日本は、見せかけの豊かさの中、混迷をますます深めて暮れようとしている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京五輪というお祭りドクトリン

2021-12-28 08:52:23 | 新自由主義

東京五輪というお祭りドクトリン

 高度経済成長期を通じ、東京は、その過去の遺産を次々にかなぐり捨てていった。より速く、高く、強く成長し続ける東京にとって、それらはすでに過去の遺物にすぎないと思われたからだ。経済の急速な成長は、よりゆったりとした文化の成熟を圧倒したのである。川や運河に蓋をするかのように建設された首都高速道路は、水辺の風景を回復不可能なまでに破壊した。そして、スローモビリティの代表格たる路面電車も、一度進みだしたら軌道修正の利かない日本の官僚機構のなせる業で、ほぼ全面的に廃止されていった。
 このような首都大改造を後押ししたのは、丹下*の壮大な東京ビジョンであり、山田**の徹底した機能主義であった。丹下も山田も、東京のメガシティ化を可能にする決め手が、高速交通を可能にする都市インフラにあると考えていた。だから、彼らが牽引して実現したのは「速い東京」であり、そこで失われたのは「ゆったりした東京」だった。その失われた東京の代表格は、路面電車であり、水辺であり、低層の軒が連なる街路や路地であった。その結果、東京の交通は、自動車と地下鉄の速度にほぼ一元化されていった。
 その過程において、一九六四年の東京オリンピック開催が決定的な役割を果たす。間近に迫ったオリンピックに向け、六〇年代初頭の東京は急ピッチで都市改造を進めていった。その政治的な激流の中で、速度の遅い路面電車は「より速い首都」の実現を目指すオリンピックに相応しくなく、自動車の通行を妨げる邪魔者とされ、切り捨てられていったのである。実際、警視庁は、東京都が都電軌道内に入ってくる自動車の取り締まりを求めたのに対し、逆に軌道内にへの自動車乗り入れ規制を緩和してしまう。その結果、自動車に通行を妨げられて都電はますます遅延するようになり、乗客離れが進んだという。
(『東京復興ならず』 吉見俊哉 2021年 中公新書)

 

 

丹下*~丹下健三。建築家。戦後東京の都市計画づくりのデザイン「東京計画1960」の設計者。巨大化する首都東京を、日本の全生産力、全経済活動の集中点として、政治・金融・商品の管理流通・コミュニケーションなどすべて緊密に結び合う機能を持った都市として作り上げるデザインを提案した。

山田**~山田正男。1955年から東京都の都市計画部長。「首都高速道路」と「新宿副都心」という二大プロジェクトを推進した。吉見俊哉は山田正男について、東京から水辺を排除し、そこに生じた空間を東京の高速化や超高層化のために利用した、と書く。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2021年、東京オリパラが残したもの ①コロナ        関川宗英

2021-09-21 08:54:05 | 新自由主義

2021年、東京オリパラが残したもの ①コロナ        関川宗英



 2021年9月5日、東京パラリンピックの閉会式だった。

 これで、7月23日から始まった2020東京オリンピック・パラリンピックは全て終了したことになる。

 アスリートのひたむきな姿は美しく、感動的で、私たちを魅了するが、それでオリンピックはよかったとはならない。

 2021年の東京オリンピック・パラリンピックは多くの宿題を私たちに残した。




 コロナ禍、日本では感染者が最多を更新する中、無観客でオリンピックは強行された。

 バブル方式で万全の感染対策だったということだが、9月8日のNHKの報道によれば、感染した選手はオリパラ合わせて、41人いたそうだ。そして大会関係者やメディア、ボランティアなど全体では863人となっている。

 幸い、選手村で感染爆発などということにはならなかったようだが、この「863人」は見過ごせない。



 一方、オリンピック開催中、デルタ株は第5波として全国で猛威を振るうようになる。

 

 NHKの「特設サイト 新型コロナウィルス」のデータから、7月と8月の感染者数、死亡者数を計算してみた。

 

          感染者数     死亡者数

   7月     12万6607人     410人

   8月     56万4201人     875人  

 

 8月の感染者数は、7月に比べ、5倍近く増えている。死亡者数も2倍強だ。(9月に入り感染はピークアウトし始めるが、死亡者数は増え続け、9月15日までの合計は915人となっている。死亡のピークは、感染のピークの後にやってくる。)

   

 

 このように8月、感染は急増したわけだが、病院への入院はままならず、全国で自宅療養者が増え続けた。厚生労働省は、9月1日の自宅療養者数を13万5674人と発表している。

 自宅療養は「原則2週間」として、9月1日直近の2週間(8月18日~31日)の感染者数を合計すると、30万7933人だ。この直近2週間の数字から自宅療養者数の割合を単純に計算すれば、大雑把にいって、2人に1人が自宅療養していることになる。

 

 さらに深刻なデータは、自宅療養など病院以外で死亡した人は、8月だけで250人いたというものだ(9月14日朝日新聞)。

 これは、まさしく医療崩壊だ。

 

 毎日のようにコロナの深刻な状況を伝えるテレビは、医療崩壊寸前などという枕詞がいつも使われていたが、医療崩壊は現実のものになっていた。日本の国民は満足な医療を受けられず、ひたすら家で熱を測り、パルスオキシメーターを指に挟んで、病態の急変に怯えていたわけだ。いよいよ呼吸が苦しくなり119番緊急要請しても、病院に入れない人が続出した。コロナ感染した妊婦が病院の受け入れ先がなく、自宅で出産、新生児が死亡するという悲惨なニュースもあった。死後2週間後に発見された…、保健所からの連絡がない…、毎日のようにテレビはコロナで救われなかった人のことを悲しい面持ちで伝えてくれる。が、そのニュースの直後、「では日本選手の活躍を!」と大音量のテーマソングと共に番組はオリンピックに切り替わる。私は毎日テレビの前で、不条理な気持ちのねじれに身をよじられる思いだった。



 菅義偉首相は2021年6月9日、野党4党首との党首討論で、この夏の東京オリンピック・パラリンピックについて「国民の命と安全を守ることが私の責務。守れなくなったらやらないのは当然」と語った。

 6月の頃は、コロナ感染者が減少傾向にあった。しかし6月後半には増加傾向に転じ、7月12日東京が緊急事態宣言となる。その後も感染者はじわじわと増えていき、オリンピックは開催できるのか不安の声が多くなる。しかし、菅首相は「国民の命と安全を守る」と同じ言葉を繰り返すだけだった。

 そして7月23日、オリンピックは開催された。この日の感染者は4225人だった。それから1週間後の7月30日は1万743人と約2.5倍に増えた。そして、菅首相が広島で原稿を読み飛ばした8月6日は、1万5634人と4倍近くになる。

 

 2021年1月の感染ピークでは、1月8日の7957人が過去最高の感染者数だったが、オリンピック開催後、その記録をあっさり更新しまう。

 

 

 8月6日、広島の原爆式典後の会見で、菅首相は「東京の繁華街の人流はオリンピック開幕前と比べて増えておらず、オリンピックが感染拡大につながっているという考え方はしていない」と述べ、感染拡大とオリンピックの関係を否定した。

 

 コロナとオリンピックの因果関係について学術的な分析を待ちたいが、今問題にすべきは、医学的な分析にかなうデータを日本が持っていないということだ。

 

 そもそもコロナ感染拡大の因果関係など、日本の検査体制ではとても追える状況にない。

 ニューヨークは「いつでも、どこでも、何度でも」PCR検査を受けられるそうだが、日本の場合PCR検査数そのものが増えていない。

 



 日本の人口1000人当たりの検査数は0.71件(2021年8月11日)、最も多いのはイギリスで10.97件。なんと、日本の15倍である。

 

 さらに、検査数の少ない日本のコロナ陽性率は海外に比べ、当然大変高いものになっている。

 川崎市が毎日発表しているデータをもとに、コロナの感染状況を丁寧にまとめているブログがある(武蔵小杉ブログ(武蔵小杉ライフ 公式ブログ) (shinobi.jp) )。このブログからの引用だが、「8月2日(月)~8月8日(日)集計データ」で、陽性率は46.1%だったそうだ。

 AERAに「神奈川・川崎市で1日あたりのコロナ陽性率「95%」相当を記録? 異様な高さになった理由とは」(https://dot.asahi.com/dot/2021081900053.html?page=1)という記事でも、陽性率の異常な高さを取り上げている。この中に、次のような保健所の方の話が紹介されていた。

 

「濃厚接触者などが公費負担で受けられる行政検査は、検査した翌日に市に実績が報告されます。しかし、民間のクリニックなどが独自に行う自費検査で出た結果は、必ず翌日に報告が上がってくるわけではなく、なかには1~2週間遅れて報告があるケースもあります。市が発表する陽性者数は、その日の公表時点までに集まった数字のため、誤差が生じます」(川崎市健康福祉局保健所感染症対策課)

 

 これでは陽性率が異常な高さになるのは当然だろう。

 だが、この保健所の方の話から日本全国の検査体制の実態もうかがえる。つまり、今コロナの現場では、深刻な症状が出ている人とその濃厚接触者を検査するだけで追われているということだ。私たちが知るコロナの感染状況とは、深刻な症状の患者と濃厚接触者 が受けた検査の集計結果ということになる。すると、感染はしているのに無症状の人が市中にどれだけいるのかなど、今の検査体制では全く分からない。

 

 日本の少ない検査数では、感染拡大の因果関係など把握できるはずがない。

 



 金メダル!、世界新記録!、オリンピックの喧噪の最中、コロナが第5波となり、PCR検査を受ける体制が整っていなかったこと、熱が出てもすぐに医療の支援が受けられず自宅待機を命じられる、といった日本の医療の実態を私たちは目の当たりにする。

 入院どころか、ホテル隔離もままならず、感染者、死亡者は増え続ける、この事実を前に、国民の命を守ると言った政府は何をしているのか、と多くの国民は不安と怒りの渦に巻き込まれていく。

 

 8月8日、東京オリンピックは閉会した。が、その後も感染者は増え続け、8月20日には史上最多の、2万5868人の陽性者を記録する。

 

 オリンピックはコロナ感染拡大の原因とは言えない、と日本の首相は強弁するが、今、コロナで苦しんでいる人がいる、死んでしまった人がいる、医療崩壊の現実を前に、無策としか映らないそんな政府を私たちは毎日テレビで見る。令和おじさんの虚ろな目、重みのない言葉、法に定められた臨時国会の声にも応えない政府、2021年の8月、時間は過ぎていく。

 

 8月24日、東京パラリンピック開催。

 

 8月25日、政府は緊急事態宣言地域など拡大を発表。その記者会見で、菅首相は、「明かりははっきりと見え始めている」と言った。新型コロナの感染者が日ごとに増え、収束が見えない国民の実感とはかけ離れた発言だった。

 

 8月だけでコロナで875人もの命が失われた。菅首相はこのことをどう受け止めているのだろう。彼には、国民の命を預かっているという重みはとても感じられない。

 

 9月3日、菅首相は辞意を表明する。菅義偉は、安倍晋三に続いて政権を投げ出した。





 菅義偉首相は今年1月の施政方針演説でこう断言していた。

「夏の東京オリンピック・パラリンピックは、人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証として、また、東日本大震災からの復興を世界に発信する機会としたいと思います」

 

 2021年夏の東京オリンピック・パラリンピックは、コロナ禍の中強行開催されたが、感染を広げ、多くの死者を出してしまった大会として、人類の記憶に残るだろう。

 

 これだけの犠牲を出してしまったオリンピック。当初7千億と言われていた開催費用は3兆円を超えるとか。金がかかりすぎる、競技が多すぎる、アメリカのテレビのために深夜に行われる決勝、オリンピック見直しの声が出るようになってもう何十年になるだろう。市場原理主義、新自由主義が格差をますます広げている。オリンピックの意義や規模について、私たちはしっかりと考えなければならない時期に来ている。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

義よりも金         『晴天を衝け』(第18話)

2021-06-20 17:46:08 | 新自由主義

義よりも金         『晴天を衝け』(第18話)

                             関川宗秀

 6月第2週の『晴天を衝け』(第18話)は、天狗党の処刑、長州征伐の1864年の頃。

 尊王攘夷を目指す藤田小四郎ら天狗党は筑波で挙兵した。郷士や農民など千人も集まったというが、頼りの一橋慶喜からも追討されるなどして京に上ることはかなわず、攘夷は失敗する。越前で加賀藩に降伏したが、幹部や末端の志士まで352名が処刑された。水戸藩ではその家族まで処刑されたという、幕末の悲劇の一つだ。

 国のために忠誠を誓う若者たちだが、軍資金や食糧の提供の強要、略奪、放火、殺人など乱暴狼藉をはたらく暴徒として「天狗」の名がついたという話もある天狗党。『晴天を衝け』(第18話)でも、天狗党の兵士たちが、食べるものもなく寒さに震えている姿が描かれていた。

 なぜ攘夷に立たないのかと小四郎をたきつけた栄一は、天狗党の処刑に心を痛めるが、『晴天を衝け』(第18話)のラストでは、次のように慶喜に言う。

 

「小四郎様たちは、忠義だけをかかげ、懐を整えることを怠った。」

 

 攘夷の大義をいくら掲げても、金がなければメシも喰えない。義よりも金、そんな露骨な言い方はしていないが、理屈は同じだろう。栄一が「懐を整えることを怠った」と言うとき、小四郎に攘夷を訴え、鎖港のために横浜の外国人居留地の焼き討ちを計画した自分自身をどのように乗り超えたのか、ドラマにはそのあたりの葛藤は描かれていないのが事実だ。

 

 大義のために散っていく若者を描くことは『晴天を衝け』の主題ではないだろう。しかし、「今だけ、金だけ、自分だけ」、欲望むき出しのご時世につながる、金持ち礼賛の物語は見たくない。渋沢栄一なりに時代の流れの中で、悩み、切磋琢磨しながら、人として大きくなっていく姿を見たいものだ。

 

 渋沢栄一は次のような言葉を残している。

 

「我も富み、人も富み、

 しかして国家の進歩発達をたすくる富にして、

 はじめて真正の富と言い得る。」 

 

 幕末、栄一が攘夷に走ったように、多くの若者が国を思い、異国排除を唱えた。国学は、若者たちの思想的な拠り所となった。天皇を中心とした国づくりが、攘夷派の若者たちの理想だった。

 

 しかし、池田屋事件、長州のイギリス接近、薩長同盟と時代は急激な流れをみせ、攘夷は急激に衰えていく。

 

 理想を求め、その志を貫こうとした、熱い時代。多くの若者が、夢を追い求め、はかなくも華々しく散っていった。

 

 栄一も理想に燃え、イデオロギー的なものに翻弄される若者だったが、実利的、合理的な計算も躊躇なく行なう若者でもある。

 

 「資本主義の父」と呼ばれるようになる男の片鱗をうかがわせる「第18話」だった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

相模原事件とノルウェーのテロ事件       関川宗英

2021-03-10 16:04:00 | 新自由主義

相模原事件とノルウェーのテロ事件       関川宗英

 

ノルウェーの寛容化した社会

 森達也の長いタイトルの本『「自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか」と叫ぶ人に訊きたい 正義という共同幻想がもたらす本当の危機』(2013年 ダイヤモンド社)の中に、ノルウェーの寛容化した社会が紹介されている(第4章「刑事罰を寛容化したノルウェー 治安が向上した理由は何か」)。

 

 9.11以降、世界は過剰なセキュリティ、厳罰化の傾向にあるという。アメリカでは、40年間に刑務所に拘禁される囚人が6倍に増大した。国民100人に1人が囚人ということになるそうだ。

 日本でもオウム以降の20年間に、受刑者は約2倍になったという。死刑判決や執行数も増えている。

 

 ところがノルウェーは、厳罰化ではなく、社会は寛容化している。森達也は、テレビ取材で赴いたノルウェーの様子や現地の声をレポートしている。

 

 

「犯罪者のほとんどは、教育や愛情の不足、貧しい環境などが原因で犯罪を起こしている。ならば彼らに与えるべきは罰ではない。良好な環境と愛情、そして正しい教育だ」

 

「もちろんとても少数ではあるが、いわゆるサイコパス的な人はいる。でもそうであるならばなおのこと、彼らに苦痛を与えても意味はない。この場合はできるかぎりの治療をしなければならない」

 

 これはノルウェー法務省の高級官僚(愛称パイク)の言葉だ。

 

 ノルウェーには死刑がない。終身刑も無期懲役もない。刑罰の最高刑は禁固21年。どんな犯罪者も刑期を終え、住まいと仕事の条件が整えば、出所できる。

 街中に警察官の数は少なく、拳銃も携行していないそうだ。監視カメラも少ない。しかし、治安はよい。殺人事件の発生率は、日本と同じくらい少ない。(日本は世界でも有数の治安のいい国だ)

 

 だが、1970年代前半までのノルウェーは、今より治安が悪く、犯罪者には厳罰を課していたという。そんなノルウェーが寛容的な社会へと変わっていく転機となったのは、オスロ大学の犯罪学者であるニルス・クリスティーの提唱する「修復的司法」(刑罰の本質は報復や苦痛を与えることではない)だったそうだ。刑事罰を寛容化したら、治安が実際に良くなったという。

 税金と物価は極めて高いし、ホテルの宿泊費も高いノルウェーだが、万全の社会保障が有り、教育・医療費は無料で老後の心配はほとんど無い。福祉国家ノルウェーの、寛容化した社会の実態を森達也は伝えている。

 

 森達也のこのレポートは、2009年8月のものだ。




ノルウェーのテロ事件

 ノルウェーの寛容化した社会のレポートから2年後の、2011年7月22日、77人の命が奪われるというテロ事件がノルウェーで発生する。

 移民やイスラムを否定するキリスト教原理主義者アンネシュ・ベーリング・ブレイビクは、オスロの行政機関の庁舎を爆破、続いてウトヤ島で銃を乱射し、77人の命を奪った。

 このノルウェーのテロ事件についても、森達也は『「自分の子どもが殺されても~』に書いている。以下は、この本の第4章「テロが起きても厳罰化や死刑制度の復活を望まない国」からの引用だ。

 

 テロ事件から2日後、森達也のもとに、現地の日本人からメールが届く。

 ご無沙汰しております。森さんにとって、今回のテロ事件は大きなショックだったのでは、と推察しています。もちろんノルウェー人にとっても、自国で起こった事件とはとても思えないという反応がほとんです。あまりにも大きな事件で、今はノルウェー全体が麻痺しているような状態ですが、暴力・テロ反対の運動は強化されています。オスロで森さんがお会いした(法務省の)パイクのパートナー(ノルウェーでシェア一位のタブロイド紙VGの編集長)も、紙面で暴力反対キャンペーンを展開しています。つまり『テロに対しては暴力では立ち向かわない』という姿勢です。すでにおおぜいの人たちが賛同しつつあります。

 

 凄惨なテロ事件が起きた直後というのに、信じられないような報告だ。日本なら事件の経緯や犯人のプライバシー、専門家の分析、被害者家族の声、などなどメディアは喧騒を極めるだろう。

 

 事件から3日後、VG紙に掲載された、事件で娘を失いかけたという父親の手紙は静かな感動をもたらす。

「憎しみをばらまき混乱を力で世界に広めようとする人間が、勝利してはならない。亡くなった人々のためにできることは、ノルウェーの民主主義は暴力に屈さないことを示すことだ。不安や悲しみ、怒りに盲目になってはならない。それこそが彼らの望むことだからだ」

 

 事件当時、大阪にいたというノルウェーの女子大学生のメールも勇気づけられるものだ。

 ノルウェーには死刑がない。人間は苦しみを与えられてはならず、その命が他の目的に利用される存在であってはならないと考えるからです。今も死刑を行っている国は、(幼い子どもたちを含めて)すべての国民に、「殺人で問題は解決する」というメッセージを与え続けていることになります。これは間違っています。犯罪者の命を奪っても犯罪は撲滅できません。残された憎しみと悲しみが増えるばかりです。ノルウェーに死刑がないことを、私はノルウェー人として誇りに思っています。

 事件後にストルテンベルグ首相が、ノルウェー在住のイスラム系の人々と共にモスクで「多様性は花開く」と語ったとき、そして「この民主主義の核心への攻撃がかえって民主主義を強くするのだ」と語ったとき、私は本当に誇らしく思いました。これこそがノルウェーだ、これは忘れてはならないこと、そして変えてはいけないこと、そう思ったのです。

 首相の姿勢は、大多数、いえ、ほとんどのノルウェー人の思いの反映です。ノルウェー国民は今、なによりも共に手をとり、互いの肩にすがって泣き、こんな攻撃に連帯を弱めさせまいとしているのです。当日は島にいて生き残った女の子が事件後にインタビューで、『一人の人間がこれだけ憎しみを見せることができたのです。ならば私たちみんなが一緒になれば、どれだけの愛を見せることができるでしょう』と語っています。私の友人たちも知り合いも、みな同じ態度で臨むと言っています。この事件によって、ノルウェー社会を変えてはいけないのです。犯人が望んだのは、まさに私たちの社会を変えることなのだから。彼の望みを叶えさせてはいけない。これが重要なのです。だから死刑復活などあってはならない。これはノルウェー人の一般的な見解です。

 2011年8月、森達也は静かに立ち上がりつつあるノルウェーの人々の姿を伝えている。

 

 

 2016年、相模原市の障害者施設やまゆり園で、19人が殺害されるという悲惨な事件が起きた。

 「障害者は他人のお金と時間を奪っています」、「世界平和のために殺した」と犯人の植松聖は言った。公判でも優生思想を公然と披瀝し、遺族の被害者感情をかきむしった。

 厳罰化の声は例に漏れず高まる中、2020年3月、植松聖の死刑は確定する。



 相模原事件の犯人は、19人の障害者を殺した後、コンビニで買ったエクレアを食べている。そんな犯人を、サイコパス、異常者として切り捨てても何も解決したことにはならない。

 それは役にたたない人を「人間ではない」と殺してしまうことと同じだ。暴力に対して、暴力で答えることだ。

 ウトヤ島のテロ事件を乗り越えようとしていた、ノルウェーの人々のことが思い起こされる。

 

 相模原事件のような悲惨なことが、なぜ起きたのか。すぐにその答えは出せないが、考え続けていかなければならない。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

貧困の反対は富ではない、正義である    関川宗英

2021-03-06 15:07:09 | 新自由主義

貧困の反対は富ではない、正義である    関川宗英

植松聖と新自由主義②



働きたくないけどお金は欲しい

 

 一年ほど前、『働きたくないけどお金は欲しい』(遠藤洋 マネジメント社 2018年)という投資の本を図書館で見つけた。

 

 「毎日1食300円の牛丼を食べ、月の家賃3万円のところに住んでいる人」と、そのすぐ隣に「1食3万円以上のレストランで食事をし、1泊10万円の高級ホテルに泊まっている人」がいる。いったいなぜ、このような経済格差が生まれているのでしょうか。

 

 筆者はこのように読者を引き込むのだが、その経済格差を解消するために福祉国家のあり方を考えるといった展開にはならない。格差の上に立つ金持ちになるにはどうしたらいいのかが書かれている。

 

 「働いてもらえる給料の伸び率よりも、投資で得られる利益の伸び率の方が高く、この差はどんどん広がって逆転することはない」というトマ・ピケティの言葉を引用して、いかに楽して金を稼ぐかを指南する。

 

 この本の作者によれば、多くの労働者は、「毎日満員電車に乗って通勤し、夜遅くまで働き、帰ったらシャワーを浴びて寝る。そんな日々の繰り返し」であり、その一方、「世の中にはサンダルにTシャツ・短パン姿で平日の昼からビールを飲み、気が向いた時にふらっと海外に行く、そんな悠々自適な人生を送っている人達もいます」 とある。

 

 そこで、どうすれば仕事やお金から解放されて「本当の自由」を手にできるのか。彼は次のようなマクドナルドの例え話をあげる。

 

 マクドナルドの経営者とアルバイトの給料が違うのは、仕事内容が違うからではなく、喜ばせているお客さんの数が違うからです。

 アルバイトが喜ばせられるお客さんの数が「その日に担当した100人」だとすれば、経営者が喜ばせるお客さんの数は、世界の3万店舗を超えるマクドナルドに来店するすべての人達なのです。

 

 そして、世の中には、「労働者」と「資本家(投資家)」の2つのタイプの人間がいるとする。「労働者」は「自分の時間を提供することでお金を得ている人」、「資本家」は「お金で労働者の時間を買うことで利益を追求している人」。続けて彼は次のように書く。

 

 一般的な労働者は「会社に就職してお金を得る」という発想で働きます。就職するということは就職先の会社と労働契約を結ぶことですが、労働契約とは自分の時間を差し出して、その対価としてお金を得る契約にほかなりません。

 もちろんその人の能力や経験によって給料は異なります。

 

 労働契約とは、自分の命を差し出してお金を得るという「悪魔の契約」と言えるかもしれません。

 

 一方資本家は「労働者を雇って利益を追求する」という発想でお金を稼ぎます。労働者の時間を買って働かせることで、新しい価値を生み出し利益を得ているのです。




 この本の作者にとって、資本家として括られる「仕事やお金から解放」された人たちの真の自由とは、悪魔の契約で雇った労働者たちを働かせることで得られるというモノらしい。

 

 この本で引用されるピケティだが、そもそも彼の言葉は、貧富の格差の拡大が再び世界的な戦争を招くという警告から発せられたものだ。それを金儲けの根拠に使われるのだから、呆れてしまう。






勝ち組と負け組

 

 今地球上のほとんどの人は、「労働者」だろう。アメリカの1%といわれる超富裕層は、世界の資産全体の3割を握っていると、2021年2月21日の日本経済新聞は伝えている。99%のほとんどの者は搾取される側だ。

 

 労働者の賃金がその労働に見合うだけのものであればいいが、非常に安い賃金しかもらえなかったり、長時間労働や劣悪な労働環境など問題は深刻だ。さらには子供まで働かせているなどという話もある。

 

 このような世界の現実に直面した時、差別や格差の問題を是正しよう、社会を少しでも変えていこうするのか、それとも他を蹴落としてでも1%の勝ち組の側になろうとするのか。

 残念ながら格差の是正どころか、貧富の差はますます広がっている。1980年ごろのレーガン、サッチャーの時代から顕著になってきた新自由主義は、その勢力を拡大し続けている



 2008年、リーマンショック。グローバリズムの歪みは、世界を震撼させた。

 リーマンブラザーズの破綻後、2年間でアメリカの投資銀行や地方銀行は300行以上がつぶれた。

 日本の株価も40%も下落、平均株価は8000円を割り込んだ。

 行き過ぎた市場原理主義、金融資本経済が世界で猛威を振るうなか、リーマンショックは起きた。

 

 リーマンショック後、世界各国は大胆な金融緩和、量的緩和政策をとる。しかし市場に出回る金は、富裕層の懐に入っていく、その流れは変わらない。なぜなら、新自由主義陣営は、自分たちに都合よく市場のルールをゆがめ、その経済力で政治と政策に介入してきたからだ。

 ジョセフ・E・スティグリッツは新自由主義を、「世界に分断と対立を撒き散らす経済の罠」だと断言している。

 スティグリッツのこの本が日本で出版されたのは2015年だった。

 2020年、新型コロナウィルスが世界を襲い、2021年1月末、世界の感染者の累計は一億人を超え、死者も200万人を超えた。

 ところがその中でも、貧富の格差は広がっている。日本の株価も上がり続け、2021年2月には日経平均は3万円を超えた。

 

 富裕層は、コロナ禍の今も、金と権力を肥大化させている。

 

 自分の時間を差し出して、働いたその対価としてお金を得る労働者。「勝ち組」「負け組」の仕分けの論理に従うなら、、世界のほとんどの労働者は「負け組」だ。たくさんの労働者を働かせ、新たな価値を生み出すことで利益を得る人が「勝ち組」になれる。いつかはフリーターの生活から抜け出して、勝ち組になろう、『働きたくないけどお金は欲しい』のような投資の本が出回っている日本。

 金が第一と言って憚らない、欲望むき出しの浅ましい姿を見るようだ。

 

 ネットで「飢えた子供を救うには、どうしたらいいのか」という質問に対し、「静かに死んでいってください」などと回答している言葉を見る。

 このような言葉を吐き捨てる人にとって、「命の大切さ」を訴える言葉などはキレイごとで、今を生きることとは、そんな建て前を乗り越えて、シビアな現実を生きていくしかないということなのだろうか。

 

 相模原事件で19人の障害者を殺した植松聖は公判で、生活保護を受けている人たちを非難した。勝ち組を礼賛するような人にとって、障害者も生活保護受給者も「税金の無駄」なのだろう。

 

 労働の対価のわずかな収入で300円の牛丼を食べる負け組より、一食3万円のレストランで食事する勝ち組になりたい。

 生産性の価値のない、ただ生きているだけのような人には安楽死を、と言ってしまう人たち。

 その心の背景を思う時、果てしなく広がる殺伐とした荒れ地が見えてくる。

 荒れ地の向こうの、ずっと奥の地平線と思われる辺りは、真っ黒だ。

 正視を避けたくなるような、恐ろしく黒い闇。

 その真っ黒な闇に何か見えるだろうか。

 目を凝らしてみるが、今は何も見えない。



 


 しかし、あらためて問いたい。

 貧困にあえぐ子供がいるとき、その格差の上に立ってグローバリズムの富に縋り付こうとするのか、その子供を救いたいと格差を是正しようとするのか。

 

 困っている人がいるとき、その人を助けたいと思うのが、人のあるべき姿だ。

 それが、正義である。

 

 ブラジルの神学者、レオナルド・ボフは言った。

「貧困の反対は富ではなく、正義である」

 

 だから、2020年、映画『パラサイト』でアカデミー賞を受賞した、監督ポン・ジュノの言葉は勇気を与えてくれる。

「水は上から下に流れ、決してその逆には行きません。そして貧しい人々は洪水で沈むんです。」(https://bunshun.jp/articles/-/25011)

 

相模原事件の「闇」        関川宗英 - chuo1976 (goo.ne.jp)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

相模原事件の「闇」        関川宗英

2021-02-27 17:35:53 | 新自由主義

相模原事件の「闇」        関川宗英

植松聖と新自由主義①

 

 

 2016年、19人の障害者を包丁で殺した植松聖は、犯行後心神喪失で無罪放免になることを願っていたらしい。そして、生涯の暮らしに必要な5億円のお金を要求している。

 当時の衆議院議長大島理森に宛てて書かれたという彼の手紙を読むと、暗澹たる気持ちに襲われる。




「植松聖が衆議院議長に送った手紙」(2016年2月15日)

議院議長大島理森様

この手紙を手にとって頂き本当にありがとうございます。

 私は障害者総勢470名を抹殺することができます。

 常軌を逸する発言であることは重々理解しております。しかし、保護者の疲れきった表情、施設で働いている職員の生気の欠けた瞳、日本国と世界の為(ため)と思い、居ても立っても居られずに本日行動に移した次第であります。

 理由は世界経済の活性化、本格的な第三次世界大戦を未然に防ぐことができるかもしれないと考えたからです。

 私の目標は重複障害者の方が家庭内での生活、及び社会的活動が極めて困難な場合、保護者の同意を得て安楽死できる世界です。

 重複障害者に対する命のあり方は未(いま)だに答えが見つかっていない所だと考えました。障害者は不幸を作ることしかできません。

 今こそ革命を行い、全人類の為に必要不可欠である辛(つら)い決断をする時だと考えます。日本国が大きな第一歩を踏み出すのです。

 世界を担う大島理森様のお力で世界をより良い方向に進めて頂けないでしょうか。是非、安倍晋三様のお耳に伝えて頂ければと思います。

 私が人類の為にできることを真剣に考えた答えでございます。

 衆議院議長大島理森様、どうか愛する日本国、全人類の為にお力添え頂けないでしょうか。何卒よろしくお願い致します。

    文責 植松 聖

 作戦内容

 職員の少ない夜勤に決行致します。

 重複障害者が多く在籍している2つの園を標的とします。

 見守り職員は結束バンドで見動き、外部との連絡をとれなくします。

 職員は絶体に傷つけず、速やかに作戦を実行します。

 2つの園260名を抹殺した後は自首します。

 作戦を実行するに私からはいくつかのご要望がございます。

 逮捕後の監禁は最長で2年までとし、その後は自由な人生を送らせて下さい。心神喪失による無罪。

 新しい名前(伊黒崇)本籍、運転免許証等の生活に必要な書類。

 美容整形による一般社会への擬態。

 金銭的支援5億円。

 これらを確約して頂ければと考えております。

 ご決断頂ければ、いつでも作戦を実行致します。

 日本国と世界平和の為に、何卒(なにとぞ)よろしくお願い致します。

 想像を絶する激務の中大変恐縮ではございますが、安倍晋三様にご相談頂けることを切に願っております。

植松聖



 雨宮処凛は『相模原事件・裁判傍聴記』(太田出版 2020年)の中で、植松聖には心の闇などないように感じたと書いている。雨宮処凛は、相模原事件の16回の公判中、その半分を傍聴できたそうだが、植松聖が「正気」なのか、「狂気」の中にいるのか、傍聴をすれするほどわからなくなってきたとも書いている。

 植松聖は、やまゆり園の入所者43人を刃物で刺し、19人を殺害した。それに要した時間はわずか1時間余り。

 殺害後、コンビニで手を洗い、煙草、コーラ、エクレアを買った。車の中で、煙草を3本吸い、コーラを飲んだ。エクレアを半分食べたところで、津久井署に到着。「今、やまゆり園で起きた事件の犯人は私です」と自首する。そして、「世界平和のためにやりました」と言ったという。

 

 公判で、「血の匂いはしなかった」と語った植松聖。被害者の遺族に謝罪の言葉は口にするものの、意思疎通のできない障害者は安楽死させるべきという主張を繰り返した。『相模原事件・裁判傍聴記』を読むと、彼の異常な言動に辟易するばかりだが、そんな彼を異常な男と切り捨てても、この事件の抱える「闇」は見えてこない。






 

 

困窮者を救うということ

 江戸時代の百姓一揆には「作法」があったという。

 百姓は蓑、笠をまとい、鋤、鍬を持って一揆に参加した。農民とはいえ、刀や鉄砲は持っていたが、そのような武器は持たない。あくまでも農民としての身分をわきまえ、領主に仕えていることを示しながら、領主に訴えを起こす。

 一方領主は、支配者として権勢をふるうが、百姓の生活を維持することもその基本的な仕事の一つだった。だから領主たるもの、一揆の農民をすぐさま暴力的に排除することはなかった。

 以上のような領主と百姓の支配と依存のバランスを、「仁政イデオロギー」という。

 百姓一揆の作法は、「身分制度を基盤とする近世の支配関係と、それを支える仁政イデオロギーに基づいて形成されていた」と、藤野裕子・東京女子大学准教授は書いている。(『民衆暴力 ――一揆・暴動・虐殺の日本近代』藤野裕子 中公新書 2020年)

 

 また、近世には、現在の金融制度とは違い、貧窮に陥った者に温情的な措置が図られてきたと、『民衆暴力』にはある。

 例えば、土地を担保に借金をして、その借金を返済できず土地が貸主のものになったとしても、期限後でも返済できれば、土地が借主に戻る慣行があった。

 あるいは、破産した農民の借金を村で処理したり、有力農民が借金の棒引きをした。

 こうした温情的な慣行の根底には、「富者や治者には共同体内の人員の生活を保障する責務がある」という考え方があるという。

 

 しかし、近代化が進むと、このような近世の為政者、富裕者に求められた規範とはかけ離れた負債整理が行われるようになったそうだ。つまり、現代のような、無慈悲な借金取り立て、差し押さえが横行するようになる。

 1884年の秩父事件の民衆暴力は、近世の貧窮する者に対する温情的な慣行がなくなってしまったことが、その背景の一つだと藤野裕子は論じている。

 

 富める者がいて、貧しい者がいる。富者は、土地を貸して、あるいは金を貸して、その富を増やす。しかし、貧しさに喘ぐ者を、徹底的に追い詰めない。近世には、そんな温情的な慣行があった。

 人として生きていく、その最低限のところは奪わない。人を人として見ている、そんな情け、優しさを多くの人が持っていたということだろうか。



 藤野裕子の論考を読んでいると、現代の息苦しい世の中、令和の日本がますます殺伐としたものに思えてくる。

 





 

 

フリーターなんてすぐ辞める

 もう10年も前の話だが、コンピュータ関連会社に勤めていた娘を辞めさせたという友人がいた。正社員として採用されたものの、長時間労働がひどかったという。娘さんは友人の家から通勤していたが、朝家を出て、夜は毎日のように深夜、タクシーによる帰宅だった。体調を崩しても休むことはおろか、病院に行くこともままならない。結局、強引に辞めさせたということだった。

 友人の娘さんのような勤務をさせるブラックな会社はかなりあるようだが、ネットをみれば、SNSにはさらに悲惨な話は溢れている。

 

「貧困」が当たり前のものとなったこの国では、「搾取」はより巧妙となっている。「好きな時間に働ける」がウリのウーバーイーツでは配達中に交通事故でけがをしても、個人事業主なので労災の対象外。8年には「ネットカフェ難民」の存在が衝撃をもって受け止められたが、18年の東京都の調査によると、住居がなくネットカフェに寝泊まりする層は都内だけで1日あたり4000人に上る。また、今やネットトカフェより安い月2、3万のトランクルームで寝泊まりする者もいる。冷暖房がないのでネットカフェより過酷だ。

https://www.facebook.com/bbbanzai/posts/2408869939219174?fbclid=IwAR1I7S4kiHFQqnljqUQUDVdh29Vb3GHzBYVAbWujEmUwJKnVo4psbZiPK6Y

 

 そんな苦しい生活をしている者たちが、生活保護を受ける人たちを非難するのだから、日本の抱える闇は深い。植松聖も「支給されたお金で生活するのは良くありません」と裁判で言ったそうだ。

 植松のこの言葉を受けて、雨宮処凛は『相模原事件・裁判傍聴記』のなかで次のように書いている。

 敵を設定して「〇〇さえなくなれば全部良くなる」という短絡的な発想は、この10年くらいで随分定着してしまった感がある。その「〇〇」には、今まで「在日」や「公務員」「生活保護受給者」なんて言葉が入ってきた。

 同時にある既視感も感じた。植松被告は事件前から「日本の財政問題」を憂えているが、国のトップでも財政大臣でも官僚でもない彼は、そもそも財政問題など考えなくてもいいのになぜそこまでこだわるのか。

 しかし、そんな「権力者マインド」「経営者マインド」は、いつからかこの国の多くの若者たちの中に根付いているものでもある。例えば「時給を上げろ」というデモを見た彼らはそれに賛同するのではなく、「企業が潰れる」「それだけの時給に見合った働きをバイトがするのか」と、なぜか経営者目線で語る。自らが時給1000円程度で働いているのに、である。財政問題にしてもそうだ。自分の生活が苦しいのに、「日本の借金」が大変だからもっと締め付けるべき、と自分の首を絞めるような主張をする。

 そのようなマインドの背景にあるのは、「常に上を目指していない奴はクズ」というようなメッセージを浴びるように受けて来たことではないだろうか。彼らが決して「労働者目線」で語らないのは、「一生自分が労働者だと思っているような人間はダメ」だと刷り込まれているからで、いつか成功して経営者になるのだから、時給1000円でバイトしているのは「仮の姿」なのだという理由かもしれない。だから、非正規労働者やフリーターの運動は、多くの若者たちにとって「主流」にならない。なぜなら、多くの若者が「自分はフリーターなんてすぐに辞める」と思っているからだ。(「1月24日 第8回公判」)

 

 「自分はフリーターなんてすぐに辞める」と多くの若者が思っているのではないか、という雨宮処凛の分析を読むと、『働きたくないけどお金は欲しい』(遠藤洋  マネジメント社  2018年)という投資の本を思い出す。

 

(つづく 貧困の反対は富ではない、正義である    関川宗英 - chuo1976 (goo.ne.jp)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「戦後新左翼と新自由主義」             関川宗英

2020-11-13 06:28:37 | 新自由主義

「戦後新左翼と新自由主義」             関川宗英

 

 

『丸山真男と戦後民主主義』(清水泰久 2019年 北海道大学出版会)から、戦後新左翼の崩壊と新自由主義への流れを、メモとしてまとめておく。

 

 

 1969年1月、東大安田講堂にこもった学生たちは、機動隊と対峙。その激突は二日間続き、テレビで放映された。

「安田講堂にこもった学生たちがひとりひとり捕らわれていく。放水にずぶぬれになり、ヘルメットのかげの幼いそのほおに血をしたたらせながら、何が彼らをそうさせるのか」と歌人の近藤芳美は書いている。(朝日歌壇690202)

 鶴見俊輔ら61人の学者は、東大共闘会議を支持する声明を発表。
「加藤代行を筆頭とする東大執行部の諸氏、これに追従する多数の教官諸氏。政府権力の暴力の下に身をゆだねようとする貴方方には、学問・研究の自由を説く資格はおろか、一人の教師としての基本的良心をも認めることはできない」と教育者の良心を質している。


 しかし、そんな鶴見俊輔らに対し、学生の暴力が許せない丸山真男は、
「日に日に激化する内ゲバ問題になっていたにもかかわらず、論壇知識人も「新左翼」知識人も、一言半句内ゲバ問題を批判しないで、安田城の「英雄的」闘争を讃美していた」と東大闘争の20年後に書いている。

 

 安田講堂事件の前段、1968年12月、東大共闘会議の学生たちは、法学部研究室におしかけ、丸山真男ら教授たちを引きずり出し、研究室を封鎖した。その時、丸山真男は学生たちに向かってこう言ったという。
「諸君のやろうとしていることは、ファシストも軍国主義者もやらなかったことだ。諸君を憎しみはしないが、軽蔑する」。


 学園紛争のさなか、吉本隆明は、丸山真男のような「大学教授」を「社会的に偉いものだという無意識の思い上がりがある」と批判していたが、機動隊導入となった安田講堂事件の前日、中央大学の自主講座で次のように語っている。
「どたん場において、最もラジカルな部分を警察機動隊に売っておいて、学園紛争を収拾しようとする技術的な態度をとったことで、思想原理、つまり市民主義原理が完全に放棄された」
「戦後民主主義は、現在の学園紛争の中で、思想的に完全に終わったといっていいのではないか」。


 安田講堂事件の後、「戦後民主主義」を告発する声が相次いだ。
「東大事件は、戦後民主主義に止めをさすものだったと人はいう。私もそう考える。「平和」と「民主主義」のタテマエのもと。「職場の平和」「マイホームの平和」を保守し、「出世の民主主義」「話し合いの民主主義」を進めてきた結果が、学生を機動隊にリンチさせる組合、「東大の自由」を守るために国家権力に頼るリベラルな教授たちを生んだのだ。…熱弁をふるった教授たち。この人たちが、ひとたび自分たちが抗議の対象となり、自分たちの政権(椅子)が危なくなるや、たちまちにして暴力による圧殺をはかった」(高畠通敏 「東大事件と声なき声」)。

 

 

 

 60年安保闘争、国会前では連日デモが繰り広げられた。
 学生や一般市民も連日国会周辺に集まり、デモを行った。
 国会前でのデモ活動に参加した人は主催者発表で計33万人、警視庁発表で約13万人という規模にまで膨れ上がった。
 ヘルメットも角材もない、非武装の平和的なデモだったという。
 権力側は、右翼団体ややくざも動員して、暴力的にデモを弾圧する。
 そのさなか、樺美智子が機動隊との衝突で死んでしまう。
 当時の共産党は、国会突入をはかった樺美智子ら全学連をトロツキストと非難した。

 


 70年安保に向けて学園紛争が盛り上がるなか、反日共系の学生たちは暴力を容認するようになっていく。
「今こそ情況を剔抉する暴力の思想性を深く把握するべきである。「理性の府」を真に暴くのは暴力以外にない。またそれを倒すことも暴力のみがなし得る。そして我々の暴力を支えるのは、人間の抑圧、疎外に対する怒りなのだ」(東大全学助手共闘会議 「封鎖闘争宣言」)


 安田講堂事件は、70年安保の敗北であり、戦後新左翼の崩壊を象徴するものだ。

 その後、新左翼は内ゲバをさらに激しく繰り返すようになる。
 犯罪白書によれば内ゲバ事件(1968年~2000年)は件数2020件、死者97名、負傷者5429名となっている。

 1972年 浅間山荘事件。

 1974年 連続企業爆破事件。

 1977年 ダッカハイジャック事件。

 過激な事件は続くが、新左翼は壊滅していく。

 


 

 たとえ暴力を使ってでも、「人間の抑圧と疎外」からの解放をなしとげようとした学生たち。

 機動隊を大学に入れて、暴力学生を排除し、大学の自治を守ろうとした教授たち。

 民主主義を語れなくなった知識人たち。

 

 


 「高度経済成長による日本社会の変化と、民主主義が名ばかりの建前になった議会政治の妙な安定」と、あとがきに清水泰久は書いている。

 

 1969年、安田講堂事件。

 1973年、アジェンデ政権の崩壊。

 チリのピノチェト軍事政権は、新自由主義的な政策を取り入れ、経済の復興を図ったという。

 その後、サッチャー、レーガン、中曽根康弘など、世界中で新自由主義勢力は台頭した。

 今もその力を伸ばし続けている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「1970年代の日本とチリ 左翼の崩壊と新自由主義」    関川宗英 

2020-10-21 04:22:12 | 新自由主義

「1970年代の日本とチリ 左翼の崩壊と新自由主義」    関川宗英 

 

 

 1970年10月、人民連合政権アジェンデ政権がチリに誕生した。

 選挙によって成立した、世界初の社会主義政権だった。

 しかし1973年9月11日、ピノチェトによる軍事クーデターが起き、アジェンデ政権はわずか3年で崩壊する。

 ピノチェト軍事政権はクーデター後、左派の弾圧を強めた。逮捕者は政府発表で54万人、うち9000人が国外に追放された。また、チリの人口の1割にもなる100万人が国外に亡命した。そして、処刑、あるいは行方不明となった犠牲者は3000人以上になったと言われている。

 アジェンデ政権を支持した人々の願いとは何だったのだろうか。

 

 クーデター直前の9月4日、およそ100万人のチリ国民が「アジェンデ!アジェンデ!国民はあなたを守るぞ!」とシュプレヒコールを上げながらデモ行進した。それは、チリ史上最多の参加者を集めたデモだったという。

 僅差で大統領となったアジェンデを、アメリカやチリ右派はさまざまな工作で陥れようとしていたが、一般民衆の支持は高まるばかりだった。

 

 

 アメリカはアジェンデのチリに対して、露骨な金融封鎖に踏み切る。米国の銀行および国際金融機関に対し、チリに融資を行わないよう圧力をかけたのだ。そして、チリの輸出収入の80%を占めていた銅の輸出と生産を妨害した。さらに、右派勢力の系列下にあるトラック業者によるストライキを扇動した。チリ国内の流通の生命線であるトラックが止まれば、モノは回らなくなり市場の物資は不足する。商店にはモノがなくなり、人びとはわずかな食料を求めて長蛇の列を作った。一方商品の買いだめ、闇市場にあふれる商品。チリはインフレを招き、経済は衰退、社会的混乱に陥った。

 しかしチリの民衆は、自分たちでトラックを動かした。ストには参加せず工場に働きに出た。自分たちで調達した商品を、地域別グループが自主的に運営した店で人々の手に配る。工場や農地を占拠・運営・警備し、暴利をむさぼる闇市場に対抗し、近隣の社会奉仕団体と連携していく。こうした活動は、アジェンデを支持する人々の結束をさらに強め、1973年3月の総選挙では、アジェンデ側はさらに得票を伸ばす。

 

 そんな人々の動きが、クーデターの直前まで盛り上がっていた。アジェンデ政権は崩壊したが、政権を支持する人々のうねりは高まるばかりだった。

 

 2020年の今、あらためて考えてしまう。1973年、人民連合政権を支持した労働者たちやアジェンデは、何に負けたのだろうか。

 

 「一つの妖怪がヨーロッパにあらわれている、ーー共産主義の妖怪が。」

 『共産党宣言』の最初の言葉だ。マルクスとエンゲルス共著の『共産党宣言』は1847年に発表された。

 資本主義の発展により矛盾が増大すると、社会革命(社会主義革命、共産主義革命)が発生する。プロレタリア独裁の段階を経由して、共産主義社会が生まれる。階級抑圧の機構としての国家・軍隊・戦争なども消滅するとされた。

 ロシア革命、キューバ革命、共産主義革命のうねりは世界を席巻したが、マルクスの言ったような世界革命につながらなかった。逆に、ソ連や東欧など社会主義国家は崩壊していった。

 

 

 アジェンデ政権が誕生した1970年、日本では三島由紀夫が割腹自殺している。

 日本の60年安保闘争は敗北、70年安保闘争も盛り上がらないまま、左翼運動は衰退して行く。日大全共闘、東大全共闘の敗北後、1972年に連合赤軍あさま山荘事件が起きる。日本の左翼運動は壊滅的な打撃を受け、さらに衰退して行く。

 北川透は安保闘争について、次のように書いている。

 《視線と拠点》創刊号では、中森敏夫が「真にラジカルな精神とは何か(Ⅱ)」を書いている。主として渡辺武信の詩の批評にあてられているが、「今も私達の私達である根拠は、その貧困のさなかにしか求めようがない」「貧困の自覚とその質的転換こそが、私達の今日負っている闘いでなくてなんであろう」という彼の批評の基調になる意識にぼくは共感する。この貧困というのは、たとえば樺美智子の死をヒロイックな死として演出するような内部の貧困さをさしており、そしてそれこそが時代的貧困、空白への広がりをもつものとされている。安保体験は少数の知識人の孤立せる営為を除いて、まだ何ほどかの思想的な結実をも、もたらしていない。(『未明の構想』1982年) 

 「安保闘争は戦後大衆運動の原点」(手塚英男 『薔薇雨(ばらう)1960年6月』 2020年刊)の声もあるが、北川透が書くように、日本の左翼運動は安保闘争を総括できないまま、いわゆる政治の季節を終えた。その後は、衰退の一途をたどって、今に至っている。

 三島由紀夫の自殺を、左翼の崩壊と重ねて考えることは難しい。しかし、三島の自殺も左翼の崩壊も、戦後日本が突き進んできた時代の高揚といったもの、人々が共有できた熱いもの、その終わりを象徴しているように思える。

 

 

 1970年代の日本の左翼の崩壊は、高度経済成長後の新しい日本の模索、混迷の時代の始まりだった。

 そして、1973年のチリのアジェンデ政権の崩壊。

 チリと日本が、同じような時期に混迷の時代を迎えたことは、偶然ではないだろう。

 その意味を考えていきたい。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

札幌国際芸術祭

 札幌市では、文化芸術が市民に親しまれ、心豊かな暮らしを支えるとともに、札幌の歴史・文化、自然環境、IT、デザインなど様々な資源をフルに活かした次代の新たな産業やライフスタイルを創出し、その魅力を世界へ強く発信していくために、「創造都市さっぽろ」の象徴的な事業として、2014年7月~9月に札幌国際芸術祭を開催いたします。 http://www.sapporo-internationalartfestival.jp/about-siaf