ⅭⅩⅩⅣ「ダム・タイプ」2022、ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展
日本館展示 帰国展
『エイガニッキ』 SASHI-ハラダ 2023/7/4
胸の高さの台座のレコード盤の上の針から、多様な音が、雑踏、音楽、隊列、デモ行進、四角い部屋を取り巻くレコード盤の装置の並び、動いているもの、止まっているもの、タイマーでも、仕掛けられているのか、その関係は、定かではない、沢山の、レコード装置の音達、現実であり、過去であり、未来であり、中央の四角い部屋をめぐる、音達、そして、横の、いや、奥の一部屋、この部屋と始まりのレコードに取り巻かれた部屋との、関係は、果たして、私たちは、入場して、手前から、奥の部屋に、進むのだが、どこから、見るのでも、聞くのでも、何か決まりがあるわけでも無く、だが、二つの部屋が有ることの、関係性は、問われてあるのだ、こうして、私的には、まずは、始まりの、沢山の、取り巻いたレコード達の装置のある部屋の、その奥の、部屋、その中央に、四角い筒状のモニター、下から、見上げて、筒状の内側に、モニターが、4面に見出される、言葉の、文字の、隊列、動き、言葉たち、天井の位置は、開かれて、また、覗き見る、4面の下の四角もまた、開かれて、故に、私たちは、下から覗けるのだが、光る言葉の列、動き、移動、此の言葉を検索するか、赤い線が、移動する、言葉たちを、検索するように、動いていく、言葉たちの多様な動き、これまでの単調な、縦移動から、シャッフルが掛ったごとくに、言葉たち、知識、認識、理性、辞書、検索して、選択され、理解する、発する、受け取る、書きだす、全ての原点、赤い線の検索こそ、思考、回路、理性、生理、整理、隣のレコードに取り巻かれた、部屋では、その中央に、やはり筒状の装置、モニター、今度は天井部分の光たち、星達、その天井の光が、モニターが、下に、床に、映し出されて、点燈して、消えて、四角い部屋の、巡りの壁には、赤い文字の列が、ネオンの様に、蠢いていく、移動していく、これは、隣の部屋での、検索結果では無いのか、、つまりは、此の部屋の装置の天井と床は、隣の部屋の、四角い4面の上下をふさぐのでは、2つの部屋の合体、これこそが、思考、人、頭脳、知性、理解、存在、今、2つに分解されて、四角い2つの部屋に、頭を、頭脳を、分裂させて、、分解して、暴き立てている、私を、私たちを、社会を、国家を、権力を、解剖してみた、巡りのレコード針の音たちをも含めて、まさに、世界そのものが、分解されて、解き明かされて、両者を行き来して、二つの部屋を、行き来して、二つの装置を、行き来して、見えてくる、聞こえてくる、ものたち、世界、現実、言葉は増殖していく、検索も複雑化して、言葉の隊列も、多様化する、その中でしか、思考できない、私、私たち、音と、言葉と、光と闇と、歩きながら、佇みながら、彷徨いながら、見えてくる、聞こえてくる、わたし、わたしたち、権力か、解放か、そんな、揺らぎの中に、中から、二つの部屋が、装置が、重なり、別れ、そこに在ってしまう私をこそ、根気よく、有ってしまう言葉達、音達を、解き明かして、解放して、どこまでも、今私は、あの装置達とともにあるのだ、どこまでも、