めっちゃ長文になってしまったんですが(汗)必ず書くといったので、うちのおじいさん(85歳)について書きます。
震災から5日たって、おじいさんは晩酌をはじめました。ごちゃごちゃになった部屋から、震災前日まで飲んでいた紙パック入りの日本酒を見つけ出してきたんです。ストレス対策になるだろうと、それはまぁ受け入れていたんですが、安定剤(ごく弱いものです)も欠かさず飲んでいるので、大丈夫なんだろうかと不安には思っていました。
それと同じ頃、便秘を非常に苦にしだしたんですね。(普段から、しょっちゅう便秘だと言っては下剤を飲んで下痢してセイロガンを飲む、という事を繰り返しているのです)こんな状況なので、バランスの良い食事じゃないから尚更だろうなぁと思っていました。それに加えて普段から夜中に何度もオシッコに起きるんですが、一階にしかトイレが無いので、寒い中、二階から階段を下りていかなければなりません。そのせいで、すっかり体が冷えて、布団に入ってみたものの、またすぐオシッコがしたくなるという事を、一晩中繰り返すようになってしまいました。
そうでなくとも余震のせいで、ぐっすり眠れることなんてありませんでしたが、六畳一間にストーブを囲んで四人がみっしり寝ている状態で、誰かがしょっちゅう起きたりトイレに行ったりすれば、全員が眠れなくなります。
悪い事に、普段からおじいさんは悪い癖というか、こう、自分が心に思ったことを全部独り言のように声にだしてしゃべるんですね。「なして眠れないんだべ」とか「またトイレだ」とか、それが耳が遠い人にありがちな、大きな声なのです。癖なので、本人は無意識だと思うんですが、それがまた気になって眠れない。
そうこうするうちに、何日かして紙パックのお酒を飲み干してしまい、主人のビールに手をつけるようになりました。もちろん、津波でどろまみれになった缶ビールor発泡酒ですから、まとめてビニール袋にいれておいたんですが、それから取り出して飲むようになりました。普段、ビールは嫌いで飲まない人だったんですが、もうアルコールならなんでも良くなったんでしょうね。まぁ、それも仕方が無い、どのみち主人は仕事で帰れないし良いかと思っていました。
それがたまたま、ボランティアの方がいらっしゃって畳を上げて庭に出して下さった時に、運ぶのに邪魔になるからと、他の荷物と一緒に場所を移動したんですね。それから、おじいさんにはビールの袋が見つけられなくなったんです。他の家族からみれば、右にあったモノが左に移った程度なんですが、それがみつけられない。それを私が「隠した」と思い込んだんです。
そんなある日、とうとう我慢できずに独りで日本酒を買いに、自転車で出かけていったんです。恐らく、頭の中には地震でお店が閉店している事も、道路が通行止めになっていたりと、様変わりしている事を、いっさい考えていなかったんでしょう。道に迷って、一時間も帰ってきませんでした。くたくたになって帰って来て、更にお酒も飲めない事が、ストレスを爆発させる原因になったんだろうと思います。
その夜も眠れないから、がさごそやっていると思ったら、布団の中で主人のウィスキーを瓶から飲もうとしていだんです。それまでも、お吸い物をお菓子だと思って食べたり、魚肉ソーセージの包装が取れなくて騒いだりしてはいましたが、これはまずいと思い、直ぐに止めました。
すると、「酒を隠すからだろう!死ぬんだから、勝手にさせろ」などなど、いままで、アルコールで酔っていても、安定剤で朦朧となっていても、決して私に悪い言葉を言わなかった人が、わめき散らしたんです。これを聞いてその状態の悪さを確信しました。
結局、ウィスキーを強引に取り上げ、一晩まんじりともせずに過ごした朝、すっかり状況を飲み込んでいた子供たちと、「おじいさんのストレスの悪化は、私たちのストレスも悪化させる=共倒れになる」という結論をだしました。そこで、”一階の茶の間をおじいさんが独りで寝れる場所にすれば、ストレスは減るだろう大作戦”を決行しました。
床板を洗って掃いて乾かし、濡れてどろだらけの畳の中から、それでもましな三枚を洗って乾かして敷き、畳がゆがんで入らないところには替わりにビニールシートを敷き、おじいさんの布団を運び、タンスを運び服を入れ、テレビやテーブルや座布団やストーブを運び、なんとか部屋の体裁を一日で整えた、私と子供たちを褒めてください(笑)
その次の日かな?スーパーで紙パックの日本酒を買ってパーフェクトですよ(苦笑)予想どうり、おじいさんは落ち着きました。
これが避難所だったらどうなっていたんでしょうか?私たち家族は、この震災で多くの幸運に恵まれましたが、なかでも家がなんとか無事で住める状態で残ったのが大きかったです。
震災で自分の生きていた街がめちゃめちゃになった事、自分の持ち物や、普段寝起きしていた部屋がまるでダメになった事は、おじいさんにとって大きなショックでした。問題行動を表に出す事で、ショックを緩和させているのかと思います。
これ以外にも、物忘れが激しくなったり(いま置いたモノが、どこにあるのか判らなくなったり)ささいな事で激昂したり、一つのことしか考えられなくなったり、お金勘定ばかりしたりと、認知症と名前がつかないまでも、老化がぐっと進行したなという行動がみられます。
震災で、お年寄りの精神状態の悪化というか、老化が激しく進行してしまった話しは、うちだけではなくて、あちこちで聞きます。十分な対応ができないいまの状況で、お年寄りのケアをするのは、「しんどい」という言葉だけでは済ませられません。なるだけ、心広く深刻にならないよう、おじいさんには接していければと思っていますが・・・いつも最悪を想定しておかなければと思っています。
震災から5日たって、おじいさんは晩酌をはじめました。ごちゃごちゃになった部屋から、震災前日まで飲んでいた紙パック入りの日本酒を見つけ出してきたんです。ストレス対策になるだろうと、それはまぁ受け入れていたんですが、安定剤(ごく弱いものです)も欠かさず飲んでいるので、大丈夫なんだろうかと不安には思っていました。
それと同じ頃、便秘を非常に苦にしだしたんですね。(普段から、しょっちゅう便秘だと言っては下剤を飲んで下痢してセイロガンを飲む、という事を繰り返しているのです)こんな状況なので、バランスの良い食事じゃないから尚更だろうなぁと思っていました。それに加えて普段から夜中に何度もオシッコに起きるんですが、一階にしかトイレが無いので、寒い中、二階から階段を下りていかなければなりません。そのせいで、すっかり体が冷えて、布団に入ってみたものの、またすぐオシッコがしたくなるという事を、一晩中繰り返すようになってしまいました。
そうでなくとも余震のせいで、ぐっすり眠れることなんてありませんでしたが、六畳一間にストーブを囲んで四人がみっしり寝ている状態で、誰かがしょっちゅう起きたりトイレに行ったりすれば、全員が眠れなくなります。
悪い事に、普段からおじいさんは悪い癖というか、こう、自分が心に思ったことを全部独り言のように声にだしてしゃべるんですね。「なして眠れないんだべ」とか「またトイレだ」とか、それが耳が遠い人にありがちな、大きな声なのです。癖なので、本人は無意識だと思うんですが、それがまた気になって眠れない。
そうこうするうちに、何日かして紙パックのお酒を飲み干してしまい、主人のビールに手をつけるようになりました。もちろん、津波でどろまみれになった缶ビールor発泡酒ですから、まとめてビニール袋にいれておいたんですが、それから取り出して飲むようになりました。普段、ビールは嫌いで飲まない人だったんですが、もうアルコールならなんでも良くなったんでしょうね。まぁ、それも仕方が無い、どのみち主人は仕事で帰れないし良いかと思っていました。
それがたまたま、ボランティアの方がいらっしゃって畳を上げて庭に出して下さった時に、運ぶのに邪魔になるからと、他の荷物と一緒に場所を移動したんですね。それから、おじいさんにはビールの袋が見つけられなくなったんです。他の家族からみれば、右にあったモノが左に移った程度なんですが、それがみつけられない。それを私が「隠した」と思い込んだんです。
そんなある日、とうとう我慢できずに独りで日本酒を買いに、自転車で出かけていったんです。恐らく、頭の中には地震でお店が閉店している事も、道路が通行止めになっていたりと、様変わりしている事を、いっさい考えていなかったんでしょう。道に迷って、一時間も帰ってきませんでした。くたくたになって帰って来て、更にお酒も飲めない事が、ストレスを爆発させる原因になったんだろうと思います。
その夜も眠れないから、がさごそやっていると思ったら、布団の中で主人のウィスキーを瓶から飲もうとしていだんです。それまでも、お吸い物をお菓子だと思って食べたり、魚肉ソーセージの包装が取れなくて騒いだりしてはいましたが、これはまずいと思い、直ぐに止めました。
すると、「酒を隠すからだろう!死ぬんだから、勝手にさせろ」などなど、いままで、アルコールで酔っていても、安定剤で朦朧となっていても、決して私に悪い言葉を言わなかった人が、わめき散らしたんです。これを聞いてその状態の悪さを確信しました。
結局、ウィスキーを強引に取り上げ、一晩まんじりともせずに過ごした朝、すっかり状況を飲み込んでいた子供たちと、「おじいさんのストレスの悪化は、私たちのストレスも悪化させる=共倒れになる」という結論をだしました。そこで、”一階の茶の間をおじいさんが独りで寝れる場所にすれば、ストレスは減るだろう大作戦”を決行しました。
床板を洗って掃いて乾かし、濡れてどろだらけの畳の中から、それでもましな三枚を洗って乾かして敷き、畳がゆがんで入らないところには替わりにビニールシートを敷き、おじいさんの布団を運び、タンスを運び服を入れ、テレビやテーブルや座布団やストーブを運び、なんとか部屋の体裁を一日で整えた、私と子供たちを褒めてください(笑)
その次の日かな?スーパーで紙パックの日本酒を買ってパーフェクトですよ(苦笑)予想どうり、おじいさんは落ち着きました。
これが避難所だったらどうなっていたんでしょうか?私たち家族は、この震災で多くの幸運に恵まれましたが、なかでも家がなんとか無事で住める状態で残ったのが大きかったです。
震災で自分の生きていた街がめちゃめちゃになった事、自分の持ち物や、普段寝起きしていた部屋がまるでダメになった事は、おじいさんにとって大きなショックでした。問題行動を表に出す事で、ショックを緩和させているのかと思います。
これ以外にも、物忘れが激しくなったり(いま置いたモノが、どこにあるのか判らなくなったり)ささいな事で激昂したり、一つのことしか考えられなくなったり、お金勘定ばかりしたりと、認知症と名前がつかないまでも、老化がぐっと進行したなという行動がみられます。
震災で、お年寄りの精神状態の悪化というか、老化が激しく進行してしまった話しは、うちだけではなくて、あちこちで聞きます。十分な対応ができないいまの状況で、お年寄りのケアをするのは、「しんどい」という言葉だけでは済ませられません。なるだけ、心広く深刻にならないよう、おじいさんには接していければと思っていますが・・・いつも最悪を想定しておかなければと思っています。
耳が遠くなり足が少し不自由になりましたが、ひどいボケもなく、年にしては良いほうではないかと思います。
しかしここ数年でめっきり衰えてきました。
この衰えると言う感じ、すずさんならお分かりになると思います。
だんだんそういった領域に入っていく父を見るのはつらいけれど、現実に向き合わなければならないですね。
いきなり認知症になる人なんて居ないと思います。もしくは、何かきっかけがあるはず。
そのきっかけが震災なんて悲しいです。
すずさんだけでなく、ご家族皆がおじいさまの状況を把握しているのは心強い限りです。
二人とも、少しずつ弱ってきてはいますが、どこが悪いということはなく元気といえる状態です。
でも、久々に帰省してみると…身体もこともですが、なんていうか精神の柔軟性みたいなものが減少してきているという印象があります。
生活の変化への適応って、体力も精神力も両方が必要なんでしょうね。ちょっとした変化でも大変なのに震災で激変したのですから、お年を召した方には、さぞ辛いことと思われます。
徐々に生活が平常にもどっていけば、いくらか落ちつくのでは…と思いますが、それがなかなかなんですよね。公的支援もあてにできないし、本当に大変なことだとお察しします。
本当に、明日は我が身だわ。
どうか、すずさんが無理なさらないように。
はい、年齢に相応しく(?)だんだんと衰えてきているのには、対応してきていたんですが、急激な変化だったので驚きました。普段の生活であったなら、違う対応もできたんでしょうが、なにせこんなありさまのなかでしたから、ガッカリしたというか消耗しました。
先月末が、うちのおばあさんの三回忌だったんですが、正直、おばあさんが生きていたら、もっとしんどい状況だったろうと思います。最期の頃は、寝たきりで自力では体を起こす事もできず、オシッコを管で取っていましたし、食事もおかゆをごく僅かしか食べれない状態でした。なので、そういうお年寄りを抱えて、避難所におられる皆さんのことを思うと、お気の毒でたまりません。
こういう状況になったので尚更ですが、支えあえる家族が居る事のありがたさに、感謝しています。トミー。様、介護する者の心身共の健康が、介護される者の健康です。どうぞ、大手をふるって(笑)ご自愛なさってください。
おはようございます。
「この歳になって、こんな目に遭うなんて」と言う、おじいさんが気の毒で、どんな問題行動をやらかそうとも、受け入れないとなぁと思います。震災のショックを、跳ね返す気持ちも体力も、お年寄りには無いんですよね。なので、うちのように家族が居る人はましで、お独り身の方は、本当にお気の毒です。優先的に行政のケアや援助を受けられてはいますが、どんなにか心細いだろうと思います。
もしもの時に備えて、お父様たちの安否確認の方法や、避難場所、お薬や貴重品などの持ち出す物の確認など、出来ることがあったら、どんどん備えられて下さい。