北沢かえるの働けば自由になる日記 - 存在の証明を証明しようと努力#p3#p3#p3
>記事から引用
「頭のいい子にするには、早寝早起き、朝ごはん」ってのが、トレンドらしいですよ。だから、夜8時には寝かせるんですと、そのためには6時に夕飯!? その前にお風呂に入れてって、いつ作るじゃい、飯は。いつ迎えにいくんじゃい、息子は。
ありえねぇ~。
家庭の育児力が落ちているのは、たぶん、事実で。それがなぜか、父母にまかせるだけでは限界があります。誰かの手助けが必要です、もっと、社会で問題を共有しましょう。とならないのはなぜだ?
なぜか、今は、家庭でしっかり生活習慣を身につけさせましょう、我慢を覚えさせましょうって、親への負担ばかりを増やそうとする動きが目立つ。しかも、この手のキャンペーンの汚いのは、金や時間を必要としないで、親の努力次第でどうにかなるから、やるべきだ。やらない奴は親失格、DQN認定。ってストーリーが見え隠れするこった。
そりゃあ、美しい家庭について理想を語られるのは結構ですが、現実化できないものを押し付けて、プレッシャーかけるなよと。都知事とか総理のおともだち一派は、こういうのが好きだよな~。時間きっちり、規則きっちりやっていれば、いい子は育つってさぁ……確かにそういう面もあるんだが、えっと、無理です。普通の根性じゃ。共働きは時間的に氏にますw。
こんなキャンペーンをやる前に、実際子どもを育てている奴がどういう状況か、調べたのかなぁ。
本気で、子どもたちに生活習慣を身に付けさせたいなら、店はすべて夜7時で閉店。会社は6時以降残業を禁ず。テレビも夜9時を過ぎたら、放映終了。これがいちばん効くよw。お父さんもお母さんもいっしょに早寝早起きすればいい!
んていうか、日本中で、保育環境とか、行政支援がいちばん恵まれているんじゃねえかって品川区で子育てしていても、虚しくなる。なんていうか、虚しくなる。どうしてわかんねぇのかなって。
子どもは、会議室で育っているんじゃないんですよ!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>「琥珀色の戯言」様 http://d.hatena.ne.jp/fujipon/
記事から引用
うちは医者同士で結婚して、いまでもお互いの職場が遠いので週末婚状態なわけなのですけど、「子ども」ができたとして、育てていけるのだろうか?と考えると、本当に暗澹たる未来予想図しか浮かんでこないのです。少なくとも、2人でこのまま臨床医として入院患者さんを持ったり、当直をしていったりするのはムリなのではないかなあ、と思います。いや、僕自身も、「当直しなければならない、救急車の対応をしなければならない生活」そのものに、かなり疲弊しているのも確かなんですけど。
少なくとも、われわれ2人の力だけでは、バリバリの臨床医という仕事と子育てを両立していくのは難しいのはよくわかります。でも、僕は自分をもうちょっとレベルアップさせたいと考えていますし、妻も自分の仕事にプライドを持っていることを知っています。僕の両親はもう他界しているので、妻の実家にお願いするという手もあるのでしょうが、それでも、お互いの今の仕事そのものが「寝るために家に帰る」というレベルであるため、あまり依存しすぎるわけにもいかないでしょうし。
人生というのは、何かを選択しなければならないこと、なのかもしれません。「自分で面倒みられないようなら子どもなんて作るな」というのも正論でしょう。僕はそんなに子ども好きでも子どもが欲しくてしょうがないわけでもないけれども、「子どもがいない将来」を想像すると、なんだかとても怖くなるのです
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
”「子どもを育てる」っていうのは、なんて大変なことなんだろう、と。”
これに尽きると思います。
職業も住宅環境も年収も家族構成も、あらゆる事が千差万別であっても「子供を生み育てる」苦労に違いはありません。
私は家人と結婚した時に、本当に漠然と「子供は二人くらい生もう」と思っていたくらいで、まったく経済状況や家族内の意識の違いなど、考えもしていませんでした。出産後、産休を取ってた間に仕事を頼んでいた人が、まったく仕事をしておらず、あまつさえ連絡の取れない状況になっていた為に、予定より早く復帰をした時も、特に深く考えもせずに、同居している義父母に育児を頼んでいました。
それが二人目を妊娠中に入院する事になった際に「ざわざわする感覚」を味わってしまってからは、私の中で子育ては仕事と両立は出来ないモノになりました。他の方は判りませんよ?ですが、私のように不器用な者には、自分が望む子育てをしたいという思いが、仕事を続けたいという思いよりも、遥かに強かったのです。この時、衣食住に困らない収入が家人にあったのが、私には幸運でした。そうでなければ、どこかで精神のバランスが取れなくなったと思います。
「ざわざわする感覚」を上手く伝えられれば良いのですが、難しいです(笑)
一つは、息子が見舞いに来た時に、ぶくぶくと厚着をさせられていた事。もう一つは、家に帰ったら真っ黒に汚れた布巾で口を拭いていた事。あと一つは、始終間食をする癖が付いていて虫歯がうじゃうじゃあった事。
「たかがそれだけ?」と思われて当然ですが、その時の私には耐えられませんでした。今なら、もうゆるゆるしてますから(笑)そんなに思いつめなかったと思いますが、なにせまだ二十代でしたし(笑)母親業のスキルなんてさっぱりでしたから、息子がどうなってしまうんだろうと、怖かったんですね。息子に申し訳ないという気持ちもあったと思います。
世の中には、仕事もこなし育児も家事も器用にこなして、立派に生きておいでのお母さんが大勢おられます。ですが、私のように不器用なお母さんも大勢おられるはずです。「決まり」も「カタチ」も無いのが子育てだと私は思うのですが、そんな中で「何が自分の一等なんだろう?」「自分の望む生き方はなんだろう?」という自問をした時に、自分やパートナーや子供へのエネルギーの配分といったものが決まるんじゃないでしょうか?それが「子供を生む&子供を生まない」「仕事を続ける&仕事を辞める」事の判断基準の一つかなと思います。
私が自分が母親になったと確信した瞬間は、実は出産後の事でした。
病室で息子と二人きりになった夜、息子が泣いて紙オムツを交換しなければならない時でした。自分の身体が貧血でふらふらで具合が悪くても、もう誰も自分に変わって息子の世話をする者など居ないんだ、と強烈に思いました。初めて「自分以上に大事な存在」が私に出来た瞬間でした。
世のお母さんたちが、みんなこうじゃないですよ(笑)でも、人それぞれきっと「親になった=自分以上に大事な存在が出来た」意識を感じた時が、一つ階段を登った時じゃないかと思います。
「子育ては自分育て」と良く言われますが、うっかり学生時代を過ぎてしまうと、成長期が過ぎたように思い込んでしまいますが、実は私たちは延々と成長期に居るんですね。だから、いくらでも悩んだり、間違えたり、やり直したりして良いと思います。ただし、学生時代と違って、かけがえの無い命への重い責任が付属する問題です。自分の存在をかけて、自問自答を繰り返していくしか、結果として仕様がない問題ですね。
>記事から引用
「頭のいい子にするには、早寝早起き、朝ごはん」ってのが、トレンドらしいですよ。だから、夜8時には寝かせるんですと、そのためには6時に夕飯!? その前にお風呂に入れてって、いつ作るじゃい、飯は。いつ迎えにいくんじゃい、息子は。
ありえねぇ~。
家庭の育児力が落ちているのは、たぶん、事実で。それがなぜか、父母にまかせるだけでは限界があります。誰かの手助けが必要です、もっと、社会で問題を共有しましょう。とならないのはなぜだ?
なぜか、今は、家庭でしっかり生活習慣を身につけさせましょう、我慢を覚えさせましょうって、親への負担ばかりを増やそうとする動きが目立つ。しかも、この手のキャンペーンの汚いのは、金や時間を必要としないで、親の努力次第でどうにかなるから、やるべきだ。やらない奴は親失格、DQN認定。ってストーリーが見え隠れするこった。
そりゃあ、美しい家庭について理想を語られるのは結構ですが、現実化できないものを押し付けて、プレッシャーかけるなよと。都知事とか総理のおともだち一派は、こういうのが好きだよな~。時間きっちり、規則きっちりやっていれば、いい子は育つってさぁ……確かにそういう面もあるんだが、えっと、無理です。普通の根性じゃ。共働きは時間的に氏にますw。
こんなキャンペーンをやる前に、実際子どもを育てている奴がどういう状況か、調べたのかなぁ。
本気で、子どもたちに生活習慣を身に付けさせたいなら、店はすべて夜7時で閉店。会社は6時以降残業を禁ず。テレビも夜9時を過ぎたら、放映終了。これがいちばん効くよw。お父さんもお母さんもいっしょに早寝早起きすればいい!
んていうか、日本中で、保育環境とか、行政支援がいちばん恵まれているんじゃねえかって品川区で子育てしていても、虚しくなる。なんていうか、虚しくなる。どうしてわかんねぇのかなって。
子どもは、会議室で育っているんじゃないんですよ!
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>「琥珀色の戯言」様 http://d.hatena.ne.jp/fujipon/
記事から引用
うちは医者同士で結婚して、いまでもお互いの職場が遠いので週末婚状態なわけなのですけど、「子ども」ができたとして、育てていけるのだろうか?と考えると、本当に暗澹たる未来予想図しか浮かんでこないのです。少なくとも、2人でこのまま臨床医として入院患者さんを持ったり、当直をしていったりするのはムリなのではないかなあ、と思います。いや、僕自身も、「当直しなければならない、救急車の対応をしなければならない生活」そのものに、かなり疲弊しているのも確かなんですけど。
少なくとも、われわれ2人の力だけでは、バリバリの臨床医という仕事と子育てを両立していくのは難しいのはよくわかります。でも、僕は自分をもうちょっとレベルアップさせたいと考えていますし、妻も自分の仕事にプライドを持っていることを知っています。僕の両親はもう他界しているので、妻の実家にお願いするという手もあるのでしょうが、それでも、お互いの今の仕事そのものが「寝るために家に帰る」というレベルであるため、あまり依存しすぎるわけにもいかないでしょうし。
人生というのは、何かを選択しなければならないこと、なのかもしれません。「自分で面倒みられないようなら子どもなんて作るな」というのも正論でしょう。僕はそんなに子ども好きでも子どもが欲しくてしょうがないわけでもないけれども、「子どもがいない将来」を想像すると、なんだかとても怖くなるのです
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”「子どもを育てる」っていうのは、なんて大変なことなんだろう、と。”
これに尽きると思います。
職業も住宅環境も年収も家族構成も、あらゆる事が千差万別であっても「子供を生み育てる」苦労に違いはありません。
私は家人と結婚した時に、本当に漠然と「子供は二人くらい生もう」と思っていたくらいで、まったく経済状況や家族内の意識の違いなど、考えもしていませんでした。出産後、産休を取ってた間に仕事を頼んでいた人が、まったく仕事をしておらず、あまつさえ連絡の取れない状況になっていた為に、予定より早く復帰をした時も、特に深く考えもせずに、同居している義父母に育児を頼んでいました。
それが二人目を妊娠中に入院する事になった際に「ざわざわする感覚」を味わってしまってからは、私の中で子育ては仕事と両立は出来ないモノになりました。他の方は判りませんよ?ですが、私のように不器用な者には、自分が望む子育てをしたいという思いが、仕事を続けたいという思いよりも、遥かに強かったのです。この時、衣食住に困らない収入が家人にあったのが、私には幸運でした。そうでなければ、どこかで精神のバランスが取れなくなったと思います。
「ざわざわする感覚」を上手く伝えられれば良いのですが、難しいです(笑)
一つは、息子が見舞いに来た時に、ぶくぶくと厚着をさせられていた事。もう一つは、家に帰ったら真っ黒に汚れた布巾で口を拭いていた事。あと一つは、始終間食をする癖が付いていて虫歯がうじゃうじゃあった事。
「たかがそれだけ?」と思われて当然ですが、その時の私には耐えられませんでした。今なら、もうゆるゆるしてますから(笑)そんなに思いつめなかったと思いますが、なにせまだ二十代でしたし(笑)母親業のスキルなんてさっぱりでしたから、息子がどうなってしまうんだろうと、怖かったんですね。息子に申し訳ないという気持ちもあったと思います。
世の中には、仕事もこなし育児も家事も器用にこなして、立派に生きておいでのお母さんが大勢おられます。ですが、私のように不器用なお母さんも大勢おられるはずです。「決まり」も「カタチ」も無いのが子育てだと私は思うのですが、そんな中で「何が自分の一等なんだろう?」「自分の望む生き方はなんだろう?」という自問をした時に、自分やパートナーや子供へのエネルギーの配分といったものが決まるんじゃないでしょうか?それが「子供を生む&子供を生まない」「仕事を続ける&仕事を辞める」事の判断基準の一つかなと思います。
私が自分が母親になったと確信した瞬間は、実は出産後の事でした。
病室で息子と二人きりになった夜、息子が泣いて紙オムツを交換しなければならない時でした。自分の身体が貧血でふらふらで具合が悪くても、もう誰も自分に変わって息子の世話をする者など居ないんだ、と強烈に思いました。初めて「自分以上に大事な存在」が私に出来た瞬間でした。
世のお母さんたちが、みんなこうじゃないですよ(笑)でも、人それぞれきっと「親になった=自分以上に大事な存在が出来た」意識を感じた時が、一つ階段を登った時じゃないかと思います。
「子育ては自分育て」と良く言われますが、うっかり学生時代を過ぎてしまうと、成長期が過ぎたように思い込んでしまいますが、実は私たちは延々と成長期に居るんですね。だから、いくらでも悩んだり、間違えたり、やり直したりして良いと思います。ただし、学生時代と違って、かけがえの無い命への重い責任が付属する問題です。自分の存在をかけて、自問自答を繰り返していくしか、結果として仕様がない問題ですね。