わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: なぜ最近の老人はキレやすいのか?より引用
そもそも、そうしたルールをいつ身に着けるのだろうか?もちろん子どもの頃だ。ふつう、ものごころついたときから、社会に出るまでのあいだに「しつけ」られるものだ。年齢で言うならば、10-20歳にかけてだろう。言い換えると、この年齢でルールや常識が身についていないと、後の一生で社会的制裁という形で教育されることになる。
さて、1986年ごろに「暴れる老人」だった60-70代が、社会常識を身につけるべき10-20代だった頃は、何があっただろうか?
そう、戦争だ。1926-1946年ごろは、世界不況から太平洋戦争、終戦の混乱期だ。この時代にまともな「しつけ」を親に求めることは、香山リカから「最近の子はよくしつけられている」というコメントを引き出すことと同じぐらいの期待値だ。この世代が「現役」だった時代に、各年代の犯罪率を押し上げ、いわゆる高齢者世代に突入して一花咲かせたと見るのが自然だろう(1975年から若年犯罪率が一貫して減少していることにも注目)。20年ぐらい昔の「荒れる老人たち」の理由は、これで説明できる。
次に、1997年から現在にいたる老人犯罪の激増化を見てみよう。彼らの少年時代を遡ると――終戦から高度経済成長の入口(1955)あたりに「しつけ」られた人びとが暴れているのだ。あの当時は暮らしていくのに精一杯でそれどころではなかったという「仮説」が立てられる。
この仮説を検証するならば、老人犯罪者にインタビューしてみるといい、「わたしたちが若い頃は、なんにも楽しみがなかった、一所懸命働いた、結局見返りはこれっぽっち、やってらんねぇ」という恨み節が聞こえてくるに。そして、「親からはろくに面倒を見てもらってなかった」というカメラ映えする言質が取れるだろう(ホントの因果は逆なんだけどね)。
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年寄りと同居している身には、ほかにも激しく頷くばかりのお話が上記以外にもたくさんあるのですが、特に納得がいった部分を引用させて頂きました。
身近に暮らしていると、年寄りは「待てない」そして、ものすごく強い「不平等感」を持っている事に、うんざりさせられます。あなた、一体何様?と思う事がしばしばあります。「お年寄りは、長い時間を生きていて経験を積み、善い人になるもの」と、浅はかな思い込みを若い頃はしていました。でも、今は「子供→大人→子供」に戻るんだと思っています。
私の両親、義両親を含め、戦争という未曾有の狂気の中で、それこそ神仏への信仰や価値観を大変動させられて生きてきた苦労には、敬意を持っています。そして、それが特殊な経験としか思えない、いまの平和に感謝します。でも、だからって何でもかんでも代償を払わなければならない、そうは思いません。もっと「今を生きている」と認識して欲しいというのが、切実な願いです。お年寄りの皆さんの、過去を無下にする気はないけれども、考えている以上に、まだまだ生きる時間は長いはずです。
明日ボケるかもしれない、いま具合が悪くなるかもしれない。備えが無くて心細い、頼る親兄弟も居ない。話す相手も居ない、する事も無い。考え出したら、どんどん恐くなって、焦って、どんな事になっても良いから、自分のやりたいようにしよう。そう、どうせもうすぐ死ぬから。そんな風に考えているのが、手に取るように判る行動や話し振りのお年寄りを見ていると、紹介されている筒井さんの小説のように生きて欲しいと思うんです。
■ 「銀齢の果て」(筒井康隆、新潮社、2006)
老人人口を調節し若者の負担を軽減する大義名分のもと、日本政府は「シルバー・バトルロワイヤル」を実行する。要するに70歳以上の老人に殺し合いをさせようというもの。対象地区に選ばれたところは、のどかな町内から過酷な戦場と化す
『結局は「自分たち若い者には優しくしてくれ。そのためにはあんたたち老人が死んでくれ」ってことなんだ。なあ。おれたちゃもっと強い世代だった筈だろ。もっと若いやつに嫌われて、恐れられてりゃあ、こんなことにはならなかったんだとおれは思うがね。』