精神科医の香山さんの本は何冊か読んだのですが、これは有名人の方が赤裸々に病名を挙げて発症された時の事や、服用されているお薬の事などを語られているので、すごく身近に感じられました。
私の内では、アーティストさんという存在は、標準とか日常とか理とかの破壊者でないと創造は出来ないだろうという解釈があるのですが、そうい方が精神の暗影と平安を両立しつつ在ろうとすると、嫌でも壊れたり歪んだりするのですよね。
そんな中の、YMOの高橋幸宏さんとの対談の中の一節が、ずどんと腹に響きました。
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香山 つつがなく平凡に一生終えるから健康かというと、またそうでもないんですよ。
高橋 そう。この現代で、まともにいられるほうが普通じゃないですよ。
香山 そうですよ。ほんとうにそれはむずかしい。普通に高校を出て、大学を出て、普通に結婚して仕事をするという、これほどむずかしいことはないですよ。そういう人は「私は普通の人間でつまらない人間ですよ」と言うけれども、そんなことは絶対にないです。
高橋 ちょっと異常ですよね(笑)。
香山 どこかが逆に遮断されちゃっていて、何かを見ないようにしたり、どこかの回路が破壊されていたりしているのかも、とさえ思う。
高橋 どこかがバイパスしてるんですよね。
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香山さんの言っている事は、ばっちり私に当てはまるのですよ。
「見ざる、言わざる、聞かざる」を日常でごく当然のようにしている代償は、何時どんなカタチでやって来るんだろうと思う事があります。自分が常識だと思っている事が、全然他の人にとっては違ったりすると、こうやって書いている言葉も、感じている事も、もう異常なのかしら?と思うんですよ。でも生きて来た体験があるから、まいっかと思ってやり過ごすんですが、これってクリエイティブな人には、我慢できない事なのかも(笑)
ちょっとね「我慢」ってどこまですれば良いんだろう?と最近考えるんですよ。
身体の具合悪いとかは、もう我慢しない事にしましたけど、精神的な面では、どこまで辛抱したら良いんでしょうね?「今の若い人は辛抱が足らない」と言う言葉は、言い古された感がありますけど、じゃあオカシクなるまで辛抱すれば足りるんでしょうかね?身体や心の不調を抱えている方には、腹立たしいと思われるでしょうけれども、なんだかよく判らないんです。
私の内では、アーティストさんという存在は、標準とか日常とか理とかの破壊者でないと創造は出来ないだろうという解釈があるのですが、そうい方が精神の暗影と平安を両立しつつ在ろうとすると、嫌でも壊れたり歪んだりするのですよね。
そんな中の、YMOの高橋幸宏さんとの対談の中の一節が、ずどんと腹に響きました。
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香山 つつがなく平凡に一生終えるから健康かというと、またそうでもないんですよ。
高橋 そう。この現代で、まともにいられるほうが普通じゃないですよ。
香山 そうですよ。ほんとうにそれはむずかしい。普通に高校を出て、大学を出て、普通に結婚して仕事をするという、これほどむずかしいことはないですよ。そういう人は「私は普通の人間でつまらない人間ですよ」と言うけれども、そんなことは絶対にないです。
高橋 ちょっと異常ですよね(笑)。
香山 どこかが逆に遮断されちゃっていて、何かを見ないようにしたり、どこかの回路が破壊されていたりしているのかも、とさえ思う。
高橋 どこかがバイパスしてるんですよね。
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香山さんの言っている事は、ばっちり私に当てはまるのですよ。
「見ざる、言わざる、聞かざる」を日常でごく当然のようにしている代償は、何時どんなカタチでやって来るんだろうと思う事があります。自分が常識だと思っている事が、全然他の人にとっては違ったりすると、こうやって書いている言葉も、感じている事も、もう異常なのかしら?と思うんですよ。でも生きて来た体験があるから、まいっかと思ってやり過ごすんですが、これってクリエイティブな人には、我慢できない事なのかも(笑)
ちょっとね「我慢」ってどこまですれば良いんだろう?と最近考えるんですよ。
身体の具合悪いとかは、もう我慢しない事にしましたけど、精神的な面では、どこまで辛抱したら良いんでしょうね?「今の若い人は辛抱が足らない」と言う言葉は、言い古された感がありますけど、じゃあオカシクなるまで辛抱すれば足りるんでしょうかね?身体や心の不調を抱えている方には、腹立たしいと思われるでしょうけれども、なんだかよく判らないんです。