What A Wonderful World

毎日の暮らしの中で、心惹かれたことを語ります。

予期せぬ出来事で、亡き父を思い出しました。

2020年02月21日 13時29分42秒 | 日常

 フードライターの白央篤司さんの文章が好きで、ツイッターやブログをよく読みます。その更新されたばかりのブログを読んだら、自分が体感した事にとても近い事が書かれていました。

☆「白央篤司の独酌ときどき自炊日記 Ⅱ / インドカレー、猫たち、『ボクらの時代』のこと」

http://hakuoatsushi.hatenablog.com/entry/2020/02/20/000000 )より引用

家の食事を担っていたひとが亡くなり、冷蔵庫の在りように不在を感じるというリアリティ、なんだか痛切に感じられてならず。私の知人は妻を亡くされて、味噌を入れていたタッパーを開けたときに泣けてならなかったと教えてくれました。

「この筋はあいつが最後に味噌汁をつくったときに出来たものなんだ、と思ったらね」、と。そのときの彼、最後の味噌汁の香りや味がよみがえったんでしょう。

もう味わえないのだ、という思いと共に。

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ふと故人の生きた形跡を感じた時に、それまでとは違う哀しみを感じるんだろうなという一文に、共感しました。

昨年末ごろ、実家の母に鮮血の不正出血が続き、すぐに長年かかりつけのお医者さんに相談して、市内の大きな病院(偶然にも父が亡くなった病院でした)に紹介して貰い、診察を受けたら加齢によるもので、悪性のものではないと言われてほっとして、家に帰るために個人タクシーに乗ったんですね。

今はカーナビを利用しているタクシーがほとんどだと思うんですが、その車には付いていなくて、しかも実家の地名を告げたら、

私 「〇〇〇(新名)までお願いします」

運転手さん 「〇〇×(旧名)のこと?」

と言われて、あぁずっと昔から地元で仕事をしている人なんだなと思っていました。(私が生まれた頃に地名の呼び名が変わったので)

そうしたら、その運転手さんが通った道が、亡くなった父が通っていた道でした。カーナビでは選ばれないだろう、信号を避けて通る、細くて狭い裏通りの道。

新しく建てられた家やマンションで、すっかり風景は変わりましたが、私が父の運転する車に乗せて貰っていた子どもだった頃から、ずっと通っていた道でした。横に座って居る老いた母の背中を撫でながら、父はきっと母を心配して一緒に居てくれるんだろうなぁという思いに、胸が一杯になりました。

まったく予期せぬ出来事から、父と過ごした何気ない当たり前だった時間を思い出して、それまで感じた事のなかった寂しさや哀しさがずっしりと胸にの残りました。

 


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