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毎日の暮らしの中で、心惹かれたことを語ります。

「90歳の老人が語る45の人生の教訓」

2009年06月24日 12時58分23秒 | 日常
 家のデッドスペースって凄いですよね。

今日は、仏壇の後ろにある戸袋を発掘していたんですが、まぁ大小の箱がでてくるわでてくるわ・・・(眩暈)うちのおばあさんの買い物好きは食器にまで及んでいたようで、六畳間にめいっぱい箱や皿が並びました。

自分の葬式用の食器を専用BOXに3箱も用意していたおばあさんですが、それらは戸袋に押し込まれていて、いっさい使われなかったで~す(大笑)

この際なので、普段使いの古くなった食器やタッパーなんかも、まとめて整理してたら、朝から飲まず喰わずでお昼になってしまいました、腰がい~た~い~。

燃えない(「萌えない」って変換された!汗)ゴミと、リサイクルショップに売れそうなモノに分けたので、ダメもとでショップに連絡して、家に見に来てもらおうと思ってます。だって、この量運んで全部ダメとか言われたら、凹んで帰り道で事故りそうだもん。


 さて、死んでからも誰からも褒められない、うちのおばあさんですが(苦笑)それとは逆に、皆さんからとても惜しまれている、おじさんの当たり日に伺った際に、胸が痛くなるお話を娘さん夫婦からお聞きしました。

おじさんは、戦時は志願して出征し、シベリアに抑留されてご苦労なさった方でした。手足の指が何本か凍傷で欠けているのを見るたびに、どんなにお辛かったろうと思っていました。

ところが戦後すぐの頃は、ロシアのアカ(スパイ)じゃないかと疑われたり、志願した事を逆に悪く言われたりして、お仕事に就く事がなかなか出来なかったそうなんです。娘さんご夫婦にも、ほとんど戦争当時の事をお話されなかったそうですが、亡くなる前ごろに、病気の痛みと投薬の苦しさ(抗がん剤を使っていたんです)から、うなされる事がたびたびあって、後から聞くと「暗い穴に連れ込まれそうになった」「人が追いかけて来たから逃げた」と話していらっしゃったそうです。

おじさんは、何度も病気と闘って打ち勝った人でしたが、出征し、奥さんに先立たれ、幼い娘を男手ひとつで育て、農家として米を作り、土建屋として家やアパートを作り、その90年近い生涯にどれだけのご苦労があった事だろうと思い、ただただ遺影に頭を下げて来ました。

その、おじさんと同じく長い人生を過ごされた方の含蓄ある45の言葉が、リンク先で読めます。短い言葉のひとつひとつに込められた想いと、じっくり向き合ってみて下さい。私は、これをときどき読み返して、自己反省しようと決めました(苦笑)

らばQ:心にズドン…90歳の老人が語る45の人生の教訓

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