今日(4日)は旧暦の大晦日なんですって
明日は元旦
写真は、先週末の東海道新幹線より。
こんなところ↓に行ってきました
彩浜&良浜
元気いっぱい
ただいまの体重は9kg
永明さん
桃浜
桜浜
結たん
ああ、みんな可愛いっ(実はここ来たの11か月ぶりの2度目)
広々した、すばらしい環境ですよね~~~
これ、意外に美味だった
★おまけ(上野の森より)★
ちょうど1年前の今日のシャンシャン&シンシン
やっぱり今と比べるとシャンさんちっこい(この頃の体重は17kg)
しかしそうか、シャンを初めて見てから今日で1年なのだなあ。まさか1年たってもこんなにパンダ熱が冷めないとはねえ。
今の体重40kgのまん丸シャンも可愛くて大好き
上野は入園料が安いのも助かる(上野600円、白浜4500円)
6月10日は昼も夜も演奏会デーで、この日の詳細はこちらに書いたとおりなので旅行記は割愛。
museampleinにて。
小さな自然を愛したゴッホを意識して撮ってみた
11日。
ついに今回の旅も終わり
早朝の誰もいないmuseamplein。
きっとまた来ますね!
Bye Bye アムステルダム!
バスも時間どおり来て、空港に着いて~
さて10:25発のワルシャワ行きのカウンターは、1Aね。
テクテクテクテク
って、やたら遠いんですけど・・・・・・・・・・・・・・
スキポール空港の広さハンパない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ようやく到着~。
ってカウンター開いてないし
同じ出発時間帯の他の航空会社はみんな開いてるのに!
と怒っていても仕方がないので、再びテクテクテクテク賑やかエリアに戻ります
とりあえず朝ごはんを食べよう
サーモンとクリームチーズのサンド。€8.95。
店員の女の子が「どこから来たの?」と聞くので「日本」と答えると、「私、来週バケーションで大阪と福岡に行くの!日本は初めてだからとっても楽しみ!」と。
初めての日本が大阪と福岡とは。最近はそういうコースが流行りなのだろうか。
スキポールはワルシャワと違って時間を潰すには苦労しない空港で、お土産もここで全部揃っちゃう。
欠点をあげるなら、あまりにも広すぎることか。
専門店だけじゃなく、大手のスーパーが入っているのもポイント高し
ばらまき土産やチーズなど、買い残しのお土産はここで購入しました。
おお、寿司のレベルが高い
海外の例によってサーモンばかりだが、すごい美味しそう。朝ご飯はパンじゃなくてこれにすればよかったかな。
さて、そろそろ時間になったので、カウンターに行くか。
と、ふと掲示板を見ると、予定の便が”Delayed 13:00”とな・・・
ポーランド航空が遅延やキャンセルの常習犯であることは噂で知っていたのでさほど驚きはしなかったが、ワルシャワでの乗り継ぎ時間は2時間50分なので、まあ、アウトだよねえ。。
今まで乗り継ぎでこういう事態になったことがなかったので、てっきりワルシャワで一泊して翌日の便に乗ることになるのかと思い込み、「今夜はショパンのコンサートとか行っちゃおうかな~」とスーツケースからガイドブックと着替えをいそいそと取り出すワタクシ。
そしてLOTのカウンターに行き、
私:東京への乗り継ぎ便には間に合いませんよね?
兄ちゃん:そうですね、無理ですね。
私:じゃあやっぱりワルシャワで一泊・・・
兄ちゃん:いや、まず%※▲#へ行っていただいて、
私:?
兄ちゃん:ここを真っ直ぐ行って〇番のポールの近くにAvian Partnerというカウンターがあるので、そこでrebookしてください。(紙に”Avian Partner“と書いてくれて、€6.25のバウチャーを渡される)
私:はぁ(なんだワルシャワで一泊できないのか。考えてみたら当然だけど、ちょっと残念)
行くと、すでに5~6人の列が。
そしてここからが長かった。。。。。。。。。。
私の番が来るまでになんと1時間20分!これじゃあ代替便も離陸しちゃうわよ!
当然ながら列はあっという間に20人、30人と増えてゆく。
しかしここで、お国柄の違いを痛感することになったワタクシ。
列の中の誰一人としてイライラしていない。どころか、みんな笑っている。
「LOTはいつもこうだねー」「まったくだねー」と。
だいぶ列が増えた頃にやってきた若い兄ちゃんが「もしやこれはLOTの列かい?」と聞き、列の人達が「そうだよ!」と答えると、「オー!」と頭を抱える姿に皆が大笑い。
あの列の中でおそらく一番イライラしていたであろうワタクシも、思わず口が綻んでしまう。
そういえばすっかり忘れていたけど、ロンドンでもそうだったなぁ。いきなりバスが行き先を変更して「申し訳ないが皆さんここで降りてください」とドライバーに言われても、いきなり「駅をクローズすることになったから皆さん駅から出てください」と言われても、「オ~」とか苦笑しながら粛々と従っていたロンドナーズ。
何が正しいとか正しくないとかはないけれど、すぐにイライラする自分をちょっぴり反省したワタクシでありました。どうせ状況が同じなら、怒るより笑っていた方がいいよね。もちろん遅延もキャンセルもクローズもないのが一番だけど、遅延もキャンセルもクローズもあってもその完璧じゃなさに居心地のよさを感じることもあるのだと教えてもらったのもロンドンでの1年だった、ということを久しぶりに思い出させてもらったのでありました。
そしてようやく私の番がまわってきて。
これだけ待ったのだから、希望は言わせていただくわ。
私:東京への直行便がいいのですが。
カウンターのおばちゃま:OK、調べみるわね。(カチャカチャカチャカチャ)14:40発のKLMでどうかしら?
私:(やった~♪)それでお願いします!
カウンターのおばちゃま:じゃあパスポートをもらえる?(カチャカチャカチャカチャ)はい、これで完了よ。(とパスポートを返され)、次の方どうぞ~。
ん?紙の一枚ももらえないとは予想外であった。「14:40発のKLM」と確かに聞いたけど、どうせ紙に書かれてあるだろうし~と少しいい加減に聞いていたのである。
とりあえずこのパスポートで予約はされているはずだから、そのままKLMの自動チェックイン機へ。心配だったので優しそうなお姉さんがヘルプしている列に並び、無事チェックイン。通路側を希望したら一席だけ残っていて、「この席でいい?」と言われたので「いいです!(早くその席押さえて!!!)」と勢い込んで答えたら笑われてしまった。
お次は預け入れ荷物の手続きを~・・・・って預け入れ手続きもセルフですと最近の空港ってこうなの
ええと・・・(超不安)。まずパスポートをディスプレイにかざして、表示に従って台の上にスーツケースを置いて、重さを量って、ディスプレイに表示された内容でOKならOKと押して、ピ~っと発行されたタグをスーツケースに貼り付けて、ガシャンとシャッターを下ろすと、ス~っとベルトコンベアで運ばれてゆくワタクシの荷物・・・。大丈夫かな・・・。ちゃんと成田まで行ってくれますように・・・。
まだ時間はあるけど、保安検査&出国審査を済ませてしまおう。
出国審査の兄ちゃん:(パスポートをパラパラめくりながら)どこから来ましたか?
私:え、日本です(出国審査で質問されるとは思っていなかった)
兄ちゃん:でも、んーと・・・(パスポートをパラパラ)
私:あ、ここに来る前の都市なら、ワルシャワです。
兄ちゃん:(兄ちゃんもスタンプを見つけたらしく)うん、確かにワルシャワだねー。これから大阪に行くの?
私:(は?)いや、東京に。
兄ちゃん:OK。アリガトー
私:(大阪と答えたら「マイドー」とでも言ってくれたのだろうか・・・。と思ったら、同時刻発のKLMの関空行きがあったのでした)
出国審査後もお店がいっぱい。
チーズはさすがに安かった。
自分用にお土産で買ったのはどれも美味しかったけど、ヤギのチーズがクセはあるけど美味でした
オランダの空港らしくチューリップ屋さんも
ワルシャワの空港にもあった誰でも弾いていいピアノ。
ワルシャワはスタインウェイだったけど、こっちはなんだったんだろう。
この空港には、美術館もあるんですよ。
この空港の広さがわかる、ある意味親切な表示。
辿り着くまで徒歩24分というゲートも。時間に余裕をもって動かないと大変なことになりますね。。
しかしターミナルは一つしかないので、わかりやすいといえばわかりやすい、、、のかな?
Schiphol Airport Clock
出発ロビーの時計
こういう遊び心、好きだなあ
結果的に直行便に乗れたのでラッキーだったけど、バウチャーは意地でも使ってやる!と購入したドライフルーツ&ナッツ。
よもやKLMで帰ることになろうとは。
成田到着予定時刻は、当初予約していたワルシャワ発のLOTとほぼ同じ。
エールフランスとのコードシェア便でした。
可愛らしいパッケージ。
KLMも決して評判のいい航空会社ではないけれど、LOTに慣れていた身にはパラダイスに感じられてしまった
機内食も美味しかったわ(LOTも問題なかったけどね)。
初めて海外に行ったのは20数年前だけど、その頃に比べると機内食って格段に美味しくなりましたよね。
隣の席のドイツ人のご夫婦。今まで高くて日本には行けなかったけど、格安ツアーを見つけたそうで、箱根とか色々まわる予定とのこと(典型的な日本ツアーだねぇ)。
「アジアは素晴らしい!あなた達は我々西洋人と違い、真に美しいものが何かを知っている!」
そ、そうですかね・・・?ありがとうございます。
「前回は上海に行ったが素晴らしかった!私はテコンドーを習っていて・・・」云々
中国と韓国と日本はだいぶカラーが違いますどね まああちらの人にとっては同じよね。
最初の夜はどこに泊まるのか?と聞いたら「東京」と。ふぅん。最寄駅は?「京急ラインの…」ふむふむ。「黄金町」
・・・って東京じゃないやん。横浜やん。「え、横浜はパートオブ東京じゃないのかい??」まああちらの人にとっては同じようなものかもね。
成田に着いたら、ちょうど一週間前の今日乗ったポーランド航空の便が離陸するところでした
次はどこに行こうかなー♪
レンブラントの家を見学し終えた時点で、16時過ぎ。
夏至が近いアムステルダムでは、まだ半日が過ぎたばかり。
再びトラムに乗って~
ベギン会修道院(ベギンホフ)へ。
何も調べないで来たけど17時半閉門だったようで、間に合ってよかった。
薄暗い通路を抜けると、
そこはまさに都会のオアシス
ま、実際はこうなんですけどね笑
それでも外界が騒々しいだけに、ここの静かな空気は心が落ち着きます
以前行ったブルージュのそれと比べて、建築もどこかオランダらしいような(詳しくないけど)。
ブルージュと同じく、小さなギフトショップもありますよ
カード不可で現金のみ。いいねえ。落ち着くわぁ。
もっとも現金の手持ちは殆どなかったので、小さな天使の置物を買いました。最初は無表情にレジに座っていた女性、私が天使のスノードームで遊んでいたらニコッと話しかけてきてくださいました
紫陽花が綺麗
聖書の場面の絵
のんびりした時間が流れています
が、一歩外に出ると、
完全な俗世界笑
そしてここから歩いてすぐの~
ハーリングのストールへ
ニシン以外もなかなか美味しそうですが、私はやっぱりニシン!海洋国家オランダのソウルフード
!
ニシンの塩漬けのみだと€3.50(これは翌日食べたときの写真。好きすぎて再訪した)
サンドイッチにすると€4.50
決して安いとはいえないけれど、これマジ美味しいのすんごい美味しいの
ニシンの生臭さや脂こさがなくて
東京で売ってくれたら絶対に通いまくるのに!!!
両方美味しかったけど、私はサンドイッチバージョンの方が好きでした
アムステルダムにはニシンサンドを売る店がいくつもあるので、次回行くことがあったら他の店も試してみたいです。
ああこのためだけにまたアムステルダム行きたい(まじで)
周りの環境はゴミッゴミですけどねー
このベンチでたまたま隣で休憩していた日本人のご夫婦。私と同じ日にルフトハンザでアムステルダムに着く予定だったそうですが、到着地が悪天候という理由でデュッセルドルフで一泊待機することになり、先ほどアムステルダムに着いたとのこと。
確かに私が着いたときも雨が降っていたけれど、そこまでの悪天候ではなかったような。というかそれでも飛んでくれたポーランド航空に今回ばかりは大感謝 そのおかげで唯一のハイティンク×RCOのマーラーを聴くことができたのだもの・・・
そして、そんなゴミッゴミなシンゲル運河沿いにあるのが、観光地としても有名なシンゲルの花市場
有名なので一応足を踏み入れてはみたけれど
んー、一度行けば十分かなあ。。。チューリップの季節だともう少し華やかなのかもですが
でももしまたアムステルダムに来ることがあるなら、10年前と同じく観光客の少ない寒い時期に来たいです。
さて、ただいま18時近く。
トラムに乗って、宿の近くまで戻りましょう
戻ってきました。やっぱり人が少ないと落ち着く。
ぶらぶらしていたら突然現れたカジノ。Holland Casino Amsterdam
調べたら、オランダはカジノも有名なのだそうで。
大麻、性、カジノ。このオープンな猥雑さがこの国の一種の魅力といえるのかも。いや、どうだろう笑
大麻にもセックスショップにもカジノにも用のない私は(10年前は夜の飾り窓地帯を興味本位で探検したりもしたが)、日の傾き始めたフォンデルパークへ
といっても街中のヒマ人がみんな公園に集まってくるのが夏のヨーロッパ。
加えてアムステルダムは人間と同じくらいの数の自転車がびゅんびゅん飛び交っているので、さほどのんびりした空気でもないのですが
それでも、みなさん適当な場所を見つけてはゴロゴロしたり、
それぞれが思い思いに時間を過ごしてる感じで、
街の中心部に比べたらのんびりしたもん。
22時過ぎに宿の外でパチリ
今日も充実した一日でした~。
アムステルダム滞在もあと一日
そうそう、オランダにもパンダがいるんですって!
昨年4月につがいが中国からやってきたそうで、オランダは8億円をかけてパンダ御殿(その名もパンダシア)を建て、彼らの初上陸を迎えたそうです。
宿の兄ちゃん曰く「でもお金を払って中国からレンタルしていて、オランダのものではないんだよ」と。こういう話題はどこでも同じなんですね^^;
旅行記つづき。
本日は唯一演奏会のないフリーの日。
9時入場のゴッホ美術館のチケットを買ってあるので、それまでに朝食を済ませねば。
朝食は7時からと勘違いして降りて行ったら食堂は真っ暗で、廊下でボケー・・・としていたらやがてオーナー父が起きてきて7時半からと教えてくれたのでありました(最初にもらった紙にちゃんと書いてあった)
スタッフのお兄ちゃん、この日の朝にカプチーノをお願いしたら、翌朝も「あなたはカプチーノだね」とカプチーノをいれてくれ、いや今日はブラックがいいんだけど・・・と思ったがせっかく覚えてくれてたので有難くいただきました。
オーナー父が一人一人に焼いてくれるパンケーキはとっても美味
アムステルダム滞在中でここの朝食が一番美味しかったかも あと屋台のニシンサンド
宿から徒歩数分のゴッホ美術館
この円形の建物は特別展などに使われる別館(黒川紀章の設計)で、本館とは内部で繋がっています。
このとき行われていた特別展は「Van Gogh & Japan」で、昨年東京に来ていたものと同じもの。私は東京では行かなかったので、今回見られてよかったです。オーディオガイドの説明もわかりやすかった。しかしこの特別展を見て改めて思いましたが、ゴッホって本当にもっっっのすごく日本という国に美しい夢を見ていたのですねぇ
特別展はとても空いていたけれど、常設展の方は10年前よりも混んでいたなぁ。前回は晩年の絵に心動かされた私でしたが、今回は小さな自然や素朴な人々の暮らしに向けられたゴッホの眼差しが心に残りました
しかし作品数は膨大で非常に充実した内容ではあるけれど、入館料€23って・・・オランダの物価はほんと高い
浮世絵仕様なロビー
ミュージアムカフェの、なんちゃらベリージュース ケーキや軽食もありました。
そういえば、ポーランド航空で飲んだブラックカラントジュースも美味しかったなぁ
さて、トラムに乗って、次の目的地へ移動しましょう
トラムのチケットは運転手から買えるけど、現金不可で、カード払いのみ。世の中から現金が消える日は私が思っている以上に近いのかもしれない。
宿でもらった市街マップにはトラムの停留所名が全部は書かれていなくて、自分の降りたい停留所はどうすればわかるのかと宿の兄ちゃんに聞いたら、ドットの数を数えていればOKと。なるほど。実際それで問題なかったです。
それは問題なかったのだが~。
アムステルダムのトラムの降り方って、降車ボタンを押してチケットをピッとかざすだけではドアが開かないんですね 更にドア横のOPENボタンを押さなければならない。今回最初に乗ったとき(10年前にも乗ってるが)それがわからずボーっとドアが開くのを待っていたら、トラムが発車してしまった
。近くの男性が急いで押してくれたけど、時遅し
周りの観光客が口々に降り方を教えてくれました。それ以降は私も同じ状況に陥っている人に教えてあげたのであった。困ったときの観光客ネットワーク
せっかくなのでこのまま終点の中央駅まで行くことに。
車窓から見えた、アムステルダム市立劇場
その横のライツェ広場
久しぶりのアムステルダム中央駅。東京駅のモデルになった駅です。
前回はブリュッセルから鉄道でこの駅に着いたのだった。
駅前の眺め。
写真左の建物には観光案内所やカフェが入っています。
ここから再びトラムに乗車。慣れるとやっぱりトラムは便利。
と言ったそばから間違った番号のトラムに乗ってしまい、レンブラント広場で慌てて下車。
今回の旅行、どうもいつも以上にうっかりが多い 一人旅って多少間違えても誰にも迷惑をかけないので、ついテキトーに行動しがちになってしまう。
写真は、広場のレンブラント像と3D夜警団。
そして正しいトラムに再び乗車。
そうそう、ここで降りねば。
オランダ国立オペラ&バレエ。
といっても目的地はここではなく。
えーと・・・
お、なんかディズニーシーのような眺め (TDSはヴェネチアだけど)
水のある街の風景っていいですよね。
えーと・・・
んーと・・・
地図によるとこの辺りのはずなんだけど・・・(っとにゴミゴミしてるなぁ)
だめだ、ギブアップ。
そしてお約束の・・・
そこの地元の人らしきおばさま達~~~ヘルプミ~~~
とても親切に教えていただき(オランダ人ってみんな流暢に英語を話しますよね)、到着~~~。てか地球の歩き方の地図、わかりにくすぎだわ
この赤と緑の窓の可愛らしい建物は、レンブラントが住んでいたおうち🏠です。隣の新館(彼のエッチングなどを展示)とは内部で繋がっています。ミュージアムへはこの新館の入口から入ります。
10年前に来たかったけど時間がなくて泣く泣く諦めた場所だったので、今回来られてよかった。
1606年築。こういう建物が何気なく残っているのがヨーロッパの街のいいところですよね。
裕福な家のサスキアと結婚し画家としても絶頂期にあったレンブラントは、1639年にこの家を13,000ギルダーで購入し、経済的に困窮し売り払うことになる1656年まで住んでいました。『夜警』が描かれたのもこの時期。
建物内部は最新の研究に基づき当時のインテリアが再現されています。こういう展示は楽しくて大好き いろいろ可愛い
この部屋は台所で、奥のベッドは召使のためのもの。ベッドの長さが異様に短いのは、当時の人は小柄なうえ少し上体を起こす姿勢で寝ていたからとのこと(by 日本語オーディオガイド)。
フェルメールの『牛乳を注ぐ女』の絵のような台所
寝室兼応接室。
沢山の絵が飾られています。
玄関ホール的な部屋
のんびりと外の景色を眺めている警備員さん笑
可愛い小窓
小窓の奥はこんな感じの小部屋で、事務室として使っていた部屋のようです。
この白い部分は大理石のように見えるけど、木製。だまし絵ですね。
玄関ホールの隣の待合室。
この暖炉も、大理石ではなく木製です(下の柱部分は確か本物の大理石だったような記憶)。
このドア枠も。
ね?
フェルメールの絵にも大理石を模したヴァージナルなどが描かれていますが、当時こういうインテリアが流行っていたのだろうか。大理石よりは安価だけど、これはこれで結構手がかかってる気がする。レンブラントなどは自分で彩色するのが絶対に一番いい仕上がりになりますね
ロープがないと上がれない急な階段。
豪邸のはずだけど、あまり豪邸ぽくはない雰囲気のおうち。
以前行ったアントワープのルーベンスの家はThe豪邸という風だったので、だいぶ雰囲気が違います。どちらも工房を兼ねたおうち。
破産時(正確には破産ではないそうですが)の競売リストをもとに再現したという、レンブラントの蒐集の数々。昆虫標本や貝殻など実に多様。これらのための出費が、破産の大きな原因の一つといわれています。
レンブラントのアトリエ。
光が最も多く射し込む部屋だからだそうです。
その部屋でクロスワードパズルに夢中の警備員笑
弟子たちのアトリエ。
ふつーに撮った写真もオランダ絵画ぽくなる
日本画では光と影の表現に重きが置かれず(代わりに線描に重きが置かれた)、西洋画ではそれらに重きが置かれた理由が、今回実感としてわかった気がします。伝統的な日本家屋って、障子から全体的に柔らかな陽光が入るじゃないですか。だから光は当たり前にそこにあって、光と影の境が曖昧で、その存在が強く意識されることはないように思う。一方で窓の小さな西洋家屋は光と影のコントラストが強烈で、画家がこれを意識しない方が不自然なのではないかしら。
そしてこの光と闇の境界の感覚の違いは、絵画だけでなく、東洋と西洋の精神的な文化にも影響しているように思われたり。うーん、面白いなぁ。
最後にレンブラントのエッチングなどを見て、見学終了。
レンブラントやフェルメールの絵画の世界に入ったような気分になれるこのミュージアム。この時代の絵が好きな方にはオススメですよ
この時点で16時過ぎ。
日の長い夏のアムステルダムのお散歩はもう少しつづきます。
※追記:レンブラントの家については、こちらのブログ様がとても詳細に書かれています(勝手にリンク失礼します)。
すっかり季節は秋になってしまいましたが、夏の旅行記の続きを。
4時過ぎに起床。ねむい。。。
飛行機は7:20発でシェンゲン内の移動だけど、やっぱり2時間前には行っておいた方がいいよね。
短い間ですがお世話になりました~
ホテルから空港までは徒歩10秒なので、5時過ぎには空港に到着。
ポーランド航空のカウンターには既に行列が。
保安検査もちっとも列が進まないし、2時間前で全然早すぎではなかった。
一国の空の玄関口とは思えぬ非常にコンパクトなワルシャワ・ショパン国際空港。エンターテインメントな楽しみは皆無だけど、利用しやすいサイズの空港でした。
保安検査後の売店で、Tシャツやらwawelの袋詰めチョコレートやら買い残しのお土産を購入し、ズロチを使い切る。帰りにまたワルシャワを経由するので、チョコレートが美味しかったらそのときに買い足そう♪と思っていたのに・・・・・よもやこの空港に再び戻ることはないとはこのときは露知らず。
30分ほどの遅延で、離陸。アムステルダムまでは2時間15分のフライトです
機内で配られたのは、ポーランドの国民的お菓子プリンスポロ。チョコレートのウエハースだけど、これが美味しい♪ポーランドはチョコレートが本当に美味しくて、プラムが丸ごとチョココーティングされたものや、砕いたナッツが練り込まれたものや、どれも絶品でした。帰りに買い足したかったのになぁ・・・。
ポーランド航空の機内は相変わらずで、キャビンアテンダントの制服がぼろぼろに破れていたり(でも笑顔が可愛らしい女の子だった^^)、プレミアムエコノミーとの仕切りのカーテンが壊れてたり、前の座席の背もたれのバッグに飴のようなのがベッタリついてたり。スキポール空港に着いて、煌びやかに整然と物が溢れかえっている様子がひどく新鮮で、西側だ!と感じてしまった
。でもポーランドという国の素朴さも好きですけどね
というわけで写真は一気にアムステルダムに。
空港では強い雨だったけど、バスで市内に向かう間にやんでくれました。
写真は、宿の裏手の道。アムステルダムの滞在目的はコンセルトヘボウなので、宿もミュージアムクォーターにとりました。
家族経営の小さなホテル。tripadvisorの評価が高かったのでここにしたのだけど、とてもいい宿だった。宿泊費が異常に高いアムステルダムの中では良心的だし、部屋も清潔で、朝食も美味しく、なによりスタッフが素晴らしかった。日本からのメールの質問にすぐに丁寧な返事をくれて、オーナー親子も他のスタッフもとても感じがよく。またアムステルダムに行くことがあったら泊まりたいです。唯一の欠点はエアコンがないことか(クラクフのホテルもなかった)。
建物は1902年築。ちょうど漱石がロンドンにいた頃ですねー。ちなみにコンセルトヘボウは1886年築。
今夜はコンセルトヘボウでのコンサートで、この旅のメインなので、それまではムリをせず近くをお散歩しましょう
ゴッホミュージアムのチケットはオンラインでのみ購入可で、日中の分は殆どソールドアウト。
10年前は、ここもアンネもその場でふらっとチケットを買えたものだったがなあ。
コンセルトヘボウ。ちょうどこの時期に開催されていたHolland Festivalのカラフルな幟がオランダらしくて可愛い
しかし・・・アムステルダムってこんなに人が多くてゴミゴミとした街だったけ?
このミュージアムクォーターはまだマシだけど、翌日行った運河の中心地域は汚いと言ってもいいレベルであった。10年前も特に整然とした街ではなかったけど(SEXショップが普通にあったり)、もう少し空気が落ち着いていた気がするのだけどなぁ。この雑然具合、ロンドンよりもひどいのではなかろうか。夏のせいかしら。
I amsterdamのオブジェクトと国立美術館。
ゴッホミュージアムは明日行く予定なので、今日はこちらに入場しましょう。
これらのお部屋、
みんなドールハウスなんですよ~
ね?
夜になるとアリエッティが出てきそうですよね!
ここは図書室も素敵なんです
写真を撮り忘れたので、この写真のみネットから拝借。
つきあたりはオランダの至宝、レンブラントの『夜警』
この絵は10年前にも見てるけど、そのときこの建物は工事中だったので、この場所で見るのは初めて。
閉館近い時間に行ったので割と混むことなく見られましたが、それでもやっぱり美術館の一番人気。
レンブラントの部屋
レンブラント作品の充実度はさすがアムステルダム。
展示数が多いため、夜警以外は人も少なくゆったり見られます。レンブラント好きには至福
レンブラントは夜警よりも他の絵の方が私は好きだな。
レンブラント部屋その2
閉館間際の美術館のこの静けさが好き。
レンブラントがめっちゃこっちを見ている・・・
しかし写真に撮ると実際の絵の美しさや魅力が全く伝わらず残念
日中は大人気なフェルメールコーナーも(それでもこの程度の混み具合ですが)、
閉館時間が近づくとこのとおり、ゆったり見放題。
この美術館には計4点のフェルメールがあって、中央の絵は来月日本にくる『牛乳を注ぐ女』と『恋文』。
この絵はラピスラズリの青色が鮮やかで美しいので未見の方はぜひ~。
「お前さんも一杯どうだい?」
「楽しそうだけど、私は外界に戻らないといけない時間なんで」
「そうかい?残念だねえ。またな~」
最後はフランス・ハルスの陽気なおっちゃんに見送られて、ご機嫌にさよなら~~~
閉館と同時に外に出て~
一旦宿に帰ります。
広場から一本奥に入っただけでこの静けさ。落ち着く。
そしてまた夜警と牛乳を注ぐ女に迎えられるという笑
軽く食事をとって、夜はコンセルトヘボウへGo~
演奏会のことは、既にこちらに書いたとおり。
コンサートが終わり、22時過ぎのミュージアム広場。
まだまだ明るいし人もいるけど、奇声をあげる若者たちがいたり、決して治安が超いい!とは言い難い雰囲気な夜のアムステルダム。
オランダは大麻と売春が合法な国ですしね。
宿のオーナーは「この辺は夜でも全然安全」と言ってましたけど。
一本奥に入ると人も少ないし、コンサートがなかったらやっぱり22時過ぎに女一人で歩くのはあんまりよろしくないように感じたのでありました。
つづく。
すっかりサボっていた旅行記の続きを。
というわけで、再びEIPにてクラクフからワルシャワへ移動
この列車は2014年に開通したばかりの国内最速列車のはずなのだが・・・A4の紙がテープで貼られた行き先表示(そして光に透けて超見ずらい)。ポーランドだわぁ。
帰りは2等席だったので二人並びの列でしたが、隣の席のポーランド人らしき女性は感じがよく、快適な列車旅でした。一部のサービス業の人達の極端な不愛想さとのギャップが激しいポーランド人
1日ぶりのワルシャワ
昨日の朝もここにいたのに、随分昔のような気分。
今夜は空港近くのホテルに泊まるので観光後に再び中央駅に戻る計画なのだけど、、、それまでスーツケースをどうしましょう?
ロッカーは壊れて取り出せなくなったという恐怖の話を聞いたことがあるから有人の預け場所がよいのだけれど。
と、ホームを降りてすぐに(Left Luggage Area)マークを発見。”10zł(約300円)/ 24hours”とな。お願いしま~す♪
この時点で14時半。
旧市街の主だった観光場所は一昨日にまわったので、今日はワジェンキ公園のショパン像を見に行きましょう
ガイドブックによると中央駅から公園までは徒歩30分くらいらしい。午前中にクラクフで散々歩いてだいぶ足が疲れてるけど、トラムやバスの降車場所を今から調べるのも面倒だ。歩けないこともないから歩こう。と思ったのが全ての誤りでございました・・・(自分の方向音痴ぶりを半日後にはすっかり忘れているワタクシ・・・)。
いや、普通に地図どおりに歩いていれば何も問題なかったのです。ワルシャワはそんなに入り組んだ街ではないので。駅近くのお店でお土産を買ったりしながらトテトテトテトテ。「こっちの方が近道ぽい~」とヨーロッパでは要注意な行動を懲りずにやってしまったワタクシが悪いの・・・。
すでに自分の歩いている場所が何処かわからなくなりながら辿り着いた場所がこちら。
なにやら像があるけれど・・・これはショパンさんじゃない・・・。
”Ignacy Jan Paderewski 1860-1941”。知らない人だわ。一応写真を撮っておこう
(まさかこの方の作曲した音楽をひと月半後に東京で聴くことになろうとは、ましてやツィメさんのアイドル様だったとは、このときは露知らず。)
でも銅像のタイプも似ているし、きっとここはワジェンキ公園の中だよね。と決め込み、てくてく
あら、綺麗な池
でも・・・地球の歩き方の地図によるとワジェンキ公園の通り近くにはこんな池はないように見えるのだけど・・・。
めっちゃ猛暑で、なんだか頭がクラクラしてきたわ。。
でもそれっぽい銅像があちこちにあるし、やっぱりここはワジェンキ公園の一部だと思うの(←この楽天的な思い込みが災いの元であることを全く学ばない人間)
なんか木々が生い茂ってきたけど・・・
白い花がきれ~。
・・・・・・・・・・やっぱり何か違う気がする。徒歩30分って書いてあったのに、もう30分くらい歩いてるし
そこのベンチでおしゃべりしている二人のおじさまぁ~~~~ヘルプミ~~~~!
私:(ガイドブックのショパン像の写真を見せ)この像のある場所に行きたいのですが。
おじさま達:(ポーランド語と英語が混ざった言葉で)これは・・・全然違う場所だよ。
私:!?
おじさま達:ここは違う公園なんだ。
私:違う公園!?・・・どうすればその公園に行けますか?
おじさま達:まず今来た道を戻って・・・
私:戻るんですか!!?(あんなに歩いたのに!!)
おじさま達:(気の毒そうな可笑しそうな顔で苦笑しつつ)そこの道を戻って左手に歩道橋があるから、それを渡りなさい。でも、その像はここからすごく遠いよ。
私:ありがとうございます~・・・。 ※この公園はワジェンキ公園の北の「ウヤドフスキ公園」だったと帰国後に知りました。
おじさま達が教えてくださったとおりに歩道橋を渡ると、なにやら綺麗な施設のような建物が
帰国後、それがワジェンキ公園内のUjazdów Castleであったと判明。道に迷ってお城にぶちあたるとは、ヨーロッパ恐るべし。
建物はワルシャワ蜂起の際に損壊し、1974年に再建されたものだそうです。このときは写真を撮る余裕などなかったので、上の写真はgoogle streetより。
その後二人の女性に道を聞いて(皆さんとても親切に教えてくれました)、ようやく、ようやく辿り着いた~~~~~。
ようやく出会えたショパンさん。
でもなんだか疲れすぎてちょっと感動が薄いわ。。。あなたのせいでは全くないのだけど。
これは、第二次大戦でワルシャワを占拠したドイツ軍が、最初に破壊した像だそうです。1940年5月31日のこと。現在の像は、オリジナルの鋳型を元に1958年に復元されたもの。
周囲の薔薇は満開
この薄黄色の薔薇は“ショパン”という品種だそうです。
この時点で16時過ぎ。
まだまだ真昼の明るさだけど、予定よりだいぶ時間が遅くなってしまった。そろそろ中央駅に戻らねば。
このとき、ある恐ろしい疑問が頭に浮かんだのであります。
(そういえばあの手荷物預かり所って、何時まで開いてるんだろう・・・?)
よく考えてみたら24hoursってopen 24hoursという意味じゃないよね 。窓口が何時まで開いてるのか確認し忘れた
。明日は早朝の便でアムステルダムに発たなきゃだから、今日受け取り損ねたら完全にアウト!さすがに16時クローズはないと思うけど、17時だと怪しいのではなかろうか。早く帰らないとマズイ!
で、、、ここでまたもや「こっちの方が近道そう~」という道を進んでしまったワタクシ。せっかく我が先人達が「急がば回れ」という名言を残してくれているのに。
なにやら高速道路のようなものにつき当たった時点で、これはおかしい、と。辺りを歩いている人も観光客ぽい人が一人もおらず、地元ぽい人ばかり・・・。
そこの地元の人ぽいおじさま、ヘルプミ~~~~!
私:(ガイドブックを見せ)ワルシャワ中央駅に行きたいんですが、ここはこの地図のどの辺りですか?
おじさま:(真剣に地図を見てくれながら)うーん・・・、うーん・・・。たぶんこの辺だけど・・・。この地図のどこかはちょっとわからないけど、中央駅に行くにはバスに乗った方がいいよ。
私:歩いて行きたいんです。(今から間違ったバスに乗る可能性があるくらいなら歩く!)
おじさま:遠いよ。
私:でも歩いて行くとしたら、どう行けばいいですか?
おじさま:あの橋を渡って、、、。僕は英語があまり得意じゃなくて・・・。下手な英語でごめんね・・・。
私:とんでもないです!!!(確認不足で方向音痴な私が悪いのに、一生懸命教えようとしてくださってるだけでありがたいです~)
おじさま:あの橋を渡って、右に真っ直ぐいけば中央駅の方へ行けるよ
おじさまに教えていただいたとおりに歩いて・・・みたはいいけれど・・・・・本当に遠い
元気なときなら大した距離じゃないが、朝から歩きっぱなしの私にはあまりに遠い・・・。加えて灼熱地獄のようなこの気温。
あの文化科学宮殿、あんなにデカいくせに全然姿が見えないし、なんて役に立たない建物なの~~~と心の中でヤツアタリしながら歩いて行くと、やがて観光客風の人が増えてきて・・・、おお!あのノッポの建物は駅前のノボテルホテル
・・・・・・・ようやく帰ってこられた~。おじさまありがとう~~~~~
と感動に浸ってる時間も惜しく、手荷物預かり所へ。
無事スーツケースを受け取って~、空港行きの列車の時間と乗り場を確認し~、売店で切符を買って~。はあ、これでもう大丈夫。足はもうクタクタ。高かったけど空港直結のホテルにしておいて本当によかった。。。。もう今夜は何も考えたくない。。。
ホームの向かいに停車していたコンパートメント型の車両。
実際に見るとコンパートメントって想像していた以上に閉塞的というか、息苦しそうに見えたなあ
電車に乗って、切符を刻印機でガチャン。空港到着直前に検札が来たので、ちゃんとやっておいてよかった。ポーランドは検札が頻繁にあると聞いていたけど、本当ですね。
出発ロビーの真ん前のホテルにチェックイン。
今回の旅行で一番お値段の高いホテルです フロントの男の子が研修中で、先輩の女性に教えてもらいながら緊張してる様子で受付をしてくれたのが初々しかった
部屋からの眺めは、空港と滑走路
ここをハブ空港にしているポーランド航空の飛行機がいました。
空港の夜景ってなんかいいですよね
しかし今日は疲れたぁ・・・・。明日は朝早いから、さっさとシャワーを浴びて早めに寝ないと。
・・・って、なんか室温がものすごく寒いんですけど・・・。外はあんなに暑いのに!部屋のリモコンいくら押しても温度設定変わらないし
。そういえばこのホテルのクチコミに空調は22度設定で中央管理してると書いてあったわ。フロントに電話してエアコンを切ってもらって
、ようやくひと心地
。それ以外は、色々あった3日の後では妙に懐かしく感じるアメリカンタイプの快適なホテルでありました(早朝便じゃなかったら泊まりませんけどね)。
おやすみなさ~い
つづく。
クラクフは本日も快晴
昼前にはワルシャワへ発たなきゃなので、朝食を早めにとって、お散歩に
まずは昨日とは違う道を通って旧市街へ。
朝早い街は人が少なくて気持ちい~
準備中のストール
ここを抜ければ市場広場。神父さん?が歩いていました。
まだ人の少ない広場。
でも本日の目的はここではなく、
グロツカ通りを南へ。
こんな脇道を横目にテクテクテクテク
十二聖人が並ぶ聖ペテロ聖パウロ教会を左手に見たりしながら
テクテクテクテク
右手にヴァヴェル城を眺め
さらにしばらく南下して、左に曲がると、
その一帯は、カジミエシュ地区。旧ユダヤ人街です。
上の写真は、この地区の中心にある新広場。この辺りには蚤の市が出たり、ザピエカンカ(30cmくらいある細長いピザトースト的なもの)を売る店があったりするのだが~、朝早いのでどこも開いていません。
もっともホテルで朝食をたらふく食べてきてお腹はいっぱいなので、付近の店のおじさん達が開店の準備をしていたり、観光客の殆どいないこういう雰囲気もいいものです。
地区内にいくつもあるシナゴーグ(ユダヤ教の会堂)を眺めたりしながら、目的もなく街をお散歩
この辺りは映画『シンドラーのリスト』のゲットーの場面の撮影が行われたところでもあります(ただし実際にゲットーがあった場所は、ここから更に南へ下ってヴィスワ川を越えたところにあるポドグージェ地区)。
このカジミエシュ地区には今は殆どユダヤ人は住んでいないとのことですが、私が訪れたときは擦れ違うこともありました。なぜわかったかというと、ロンドンでもよく見かけたあのユダヤ教徒の正装をしていたから。
あてもなくテクテクテクテク
日本人にとっては珍しいユダヤ教徒のお墓を眺めたりしながら
あてもなくテクテク・・・
で。
ココハ・・・イッタイ・・・ドコ・・・・・・?
完全に道に迷ったワタクシ
とりあえずトラムのあるStarowiślna通りまでは出たはいいけれど、一体自分が街のどの辺りにいるのかまったく見当がつかない(地球の歩き方のカジミエシュ地区の地図おおざっぱすぎ;;)。人もあまり歩いてないし・・・。 以前ヘルシンキで広域地図の外まで歩いてしまった経験のある私は、早めに軌道修正しないとマズイことはわかっている。しかも2時間後にはワルシャワ行きの列車に乗らなければならないのである
えっと、とりあえずあと見ておきたいものは、ヴィスワ川くらいか。川へ行ければ、今いる位置もわかるはず。
そこの白髪のおじさまぁ~~~!ヘルプミ~~~~!
私「あの、川はこの道のどちらの方向ですか?」
おじさま「▲#〇%▽&? ◎*%△」
私「(ポーランド語全然わかんない;;)あの・・・川は・・・」
おじさま「えーと、んーと、とりあえず僕が今来た方向がold townだよ」(old townは英語で言ってくれた)
私「ありがとうございます!」
ということは、こっちが川の方角のはずだけど、川や橋らしきものはここからは見えない・・・。今の私には道に迷っている時間はないの~。おじさん、ごめん!疑ってるわけじゃないけれど、確認のためにもう一人!
そこでタバコ吸って休憩してる観光バスの運転手の兄ちゃん~~~!ヘルプミ~~~!
私「あの、川はこの道のどちらの方向ですか?」
兄ちゃん(流暢な英語)「川・・・?」
ここでようやく自分の質問がわかりにくいことに気付くワタクシ。考えてみたら川って線のように流れてるんだから、右も左もないんじゃね・・・?
兄ちゃん「君が行きたい場所はどこなの?」
私「えーと・・・(とりあえず私が今いる場所を地球の歩き方の地図で教えてもらいたいけど、この地図は小さすぎる)」
兄ちゃん「シンドラーの工場?」
私「そう!シンドラーの工場!(工場の場所を教えてもらえれば今いる場所がわかる
)」
兄ちゃん「それはね、この道をまっすぐ行って、橋を渡って、すぐ左に曲がればいいんだよ。もっと景色のいい道も知ってるけど、その行き方が一番わかりやすいから」
私「ふむふむ」
兄ちゃん「でもあの映画に興味があるなら、絶対にゲットーにも行くべきだよ。ガード下をくぐればすぐだから。ユダヤ人達は今いるここから家財道具を持って橋を渡って移住させられたんだ」
私「ああ、その橋はドキュメンタリーフィルムで観たことがある」
兄ちゃん「そうその橋だよ。ゲットーには絶対に行くべきだ」
私「了解。ありがとう」
シンドラーの工場を見学する時間は全くないけれど(映画もだいぶ昔に一度観たきりだし)、とりあえず川の向こう岸までは行ってみよう
ポフスタンツフ・シロンスキフ橋(Most Powstańców Śląskich)から見たヴィスワ川。
はぁ・・・ようやく自分の位置を把握できたよぉ。ありがとう、おじいさん、兄ちゃん
ところでこの川沿いの妙に歴史を感じさせる黒ずんだ石壁は、当時からのものかしら。とりあえずパチリ
橋を渡ると、そこはポドグージェ地区。その右手一帯は第二次大戦中にナチスドイツによりユダヤ人ゲットーが作られた場所です。
お、あの先に見えるのは旅行前にネットで見た広場ではないかしら。
ゲットー英雄広場。
ゲットーのユダヤ人達はこの広場に集められ、列車で強制収容所へと移送されました。この椅子のオブジェクトは、ユダヤ人の子供達がカジミエシュ地区からゲットーに移住させられた際に学校で使用していた椅子を運んできたことに由来するもの。
椅子を運ぶ子供達の姿は、当時の記録フィルムにも映っています。
広場の一角にあるこの建物は、イーグル薬局(現クラクフ歴史博物館分館)。
この場所で薬局を営業していたポーランド人の薬剤師タデウシュ・パンキェヴィチは、この地区がゲットーとなった後も、強制移住させられたユダヤ人達のために営業を続け、彼らへの援助を惜しみませんでした。強制収容所へ移送されるユダヤ人達に無料で薬を提供したり、密かに匿ったりしたそうです(ポーランド政府観光局のサイトより)。
1941年から1943年まで、ここにゲットーがあった。
この地区には他にゲットーの壁跡や教会などがありますが、私はここでタイムアウト。列車に乗り遅れたら大変ですからね。
さあ、旧市街へ戻りましょう。
川沿いを東にテクテク歩いて行くと、やがてこんな橋が見えてきます。
Most Marszałka Józefa Piłsudskiego(1933年築)。クラクフ市内のヴィスワ川にかかる橋のうち、建築当時の姿を残す最古の橋です。
第二次大戦末期に撤退するドイツ軍により爆破されポドグージェ地区側の一部が損壊しましたが、1948年に修復され再び架けられました。
カジミエシュ地区側から見た橋。
記録フィルムより。家財道具とともにゲットーへ移住させられるユダヤ人達。
1945年1月18日の写真。ドイツ軍により爆破された橋が写っています。手前にいるのはソ連兵でしょうか。
川沿いの石壁は、やはり現在と同じもののようです。
ポドグージェ地区にはゲットー当時の建物は殆ど残っていないとブログなどで読んでいたので、こんな風に当時の風景が何気なく残っていたのはすこし意外でした。
教会も石壁も橋も川も変わらずここにあって。
ほんの70数年前にここで起きていたことが信じられないほど平和で穏やかな風景。
そう、まだほんの70数年前の出来事なんですよね。この場所にゲットーがあったのも、強制収容所で大量虐殺が行われたのも、広島や長崎に原爆が落とされたのも。
再びカジミエシュ地区を北上して、地元の布屋さんでメイドインポーランドのクロスを買ったり、土産物屋でショパンのトートバッグを買ったりしながら、旧市街へ戻ります
旧市街は観光客がいっぱい。
さくさくホテルへ戻って(聖マリア教会の中に入れなかったのはちょっと残念)、さくさくチェックアウトして~
再びショッピングセンター内で迷いに迷って~
無事ホームに到着。
早め早め行動の重要性を噛みしめる。まあ私が方向音痴すぎるだけなんですが。
11:51発のEIP。今回は正しい便名が表示されてた^^;
バイバイ、クラクフ!また来る日まで(来ることはあるかな?)
帰りは二等車。
座席は綺麗でまったく問題ないのだが、機内持ち込みサイズのスーツケースを載せられる高さの棚が車両の半分にしかない
ということにさえ気付かず、荷物が入らない・・・どうしたらいいのぉ~~~と泣きそうになって通路で呆然としていたら、数列前の席に座っていたポーランド人のおばちゃんが「あなた!こっちよ!こっちに載せなさい!」とポーランド語で叫んでくれた。おばちゃんが女神様に見えたよぉ~~~~。ありがとぉ~おばちゃん
私、これからは英語の通じなそうな来日観光客にも臆せず日本語で声をかけて助けてあげることにする!!
昨日買ったオブヴァジャネックを車内で食べたけど、パサパサしていて特に美味しいものではないなぁ。コーヒーと一緒に食べたかったのに、二等車はコーヒーやジュースじゃなくてミネラルウォーターが配られるだけなのね(ガス入りかノンガスかは選べた)。写真のお茶は成田空港で買ってからずっと開けていなかったもの。
なんだか眠くなってきたけど・・・、眠るわけにはいかないのである
。ワルシャワ中央駅は終点じゃないので、寝過ごしたら大変だもの。
つづく。
アウシュヴィッツ=ビルケナウ博物館のあるオシフィエンチムまでは約1時間半のバス旅。バス代は、片道14zł(約390円)。ライコニック社の大型バスは座席も広く快適で、ポーランドの物価はほんっと安い
バス停で親しくなった日本人の方と楽しく話しながらだったので、あっという間に着いてしまいました。
見学は、事前にメールで予約してあったアウシュヴィッツ唯一の公認日本人ガイドである中谷さんにご案内いただきました。ガイド料は一人60zł(約1800円)。この日の参加者は20人くらいだったでしょうか。
※博物館の公式日本語パンフレットはこちら
ガイドツアーの集合場所でもあったエントランス。
地下にトイレ(2zł)があり、軽食や関連書籍などもここで購入できます。
強制収容所内の写真撮影は、「ここで起きた歴史を人々に伝える」という目的に限り、一部の場所を除き認められています。ただしここは墓場でもあるとの考えから、非常識な撮影(自撮りなど)はご遠慮ください、とのこと。
各見学場所の詳細はネットの海に溢れかえっていますので、私は自分が感じたことを少しだけ。
まず旅行前に読んだいくつかのブログでこの施設の観光客の多さについて触れられていましたが、実際に行ってみると、人数制限がなされた各国語ツアーがそれぞれ纏まってコースを周るため、テーマパークのようにどこもかしこも人だらけという状態では全くありません。それでも「せっかく行くなら当時の空気をよりリアルに感じたい。そのためにはできるだけ人の少ない季節、時間帯に行きたい」と思う人もいるかもしれません。私自身、普通の観光地であれば人が少ないに越したことはありませんし、正直行く前はそういう気持ちもなきにしもあらずでした。
ですが実際にこの場所を訪れてみると、不思議とそういう気持ちは全く起こらなかったんです。
中谷さんもシリアの問題などについて仰っていましたが、私達の世界では紛争や悲劇が今なお続いていて、日本でも問題は山積みで、そのような世界においてこの博物館が担う役割は何か、私達がこの博物館を訪れる理由は何か。それを考えるとき、「過去にここに収容されていた人達の心情をリアルに想像し、涙を流すこと」はそれほど重要なことだとは思えない、というよりもそこで終わってはいけないのだという気持ちの方をより強く感じたのです。
そういう意味ではむしろ、あれから長い年月がたち、こういう明るい空の下で多くの人がこの場所を訪れているこの状況はいいことであるように感じられました。
大切なのはここを訪れて涙を流すことではなく、過去にここで起きた事実について同じ空気を吸いながら学び、なぜそのようなことが起きてしまったのか、悲劇を繰り返さないためには何が大切なのか、依然として様々な問題を抱えているこの世界で自分にできることは何か、見学者それぞれが自分の頭で考えるきっかけとなることが今の時代におけるこの博物館の存在意義ではないか、と私には感じられました。
それは、綺麗に整備されている広島の原爆公園や知覧の特攻平和記念館を訪れたときの感覚と似ています。きっと起こった事実があまりに重く凄惨で、「可哀想だ」と泣くだけで終わりにさせてはくれないのです。そういう何かがこれらの場所にはあるように思います。
中谷さんが仰っていたことをもう一つ。「海外の人達と話をしているときに自分が日本の近現代史について十分な知識がないと感じたとしても、そのことに引け目を感じる必要はないんです。なぜなら私達は学校で教えてもらっていないのだから」と。そして、杉原千畝さん、緒方貞子さんといった世界の舞台で立派に活躍をされてきた(されている)日本人の方達の名前をあげておられました。
そしてここを訪れるときに忘れてはならないことをもう一つ。当時日本はドイツの同盟国であったということ。
中と外を隔てる二重の有刺鉄線。当時は高圧電流が流されていました。
朝礼のときにマキシミリアノ・コルベ神父が立っていたとされる場所には、コルベ神父の囚人番号の書かれたプレートがあります。その向かい側には、集団絞首台があります。コルベ神父はこのとき47歳。自分だったらどうだろう、と考えないではいられません。コルベ神父達が入れられた餓死牢も見学しました(光の少ない地下のため写真撮影は禁止)。その近くには立ち牢や窒息牢もありました。
ところでコルベ神父がポーランド人のカトリック司祭であることからも明らかなように、ナチスドイツがこれらのいわゆる絶滅収容所で絶滅させしようとしていた対象はユダヤ人だけでなく、ロマ・シンティ(ジプシー)、政治犯、ソ連兵捕虜、同性愛者、聖職者、身体障害者、精神障害者などがいて、その出身国は多岐にわたっています。
「”死の壁”での銃殺刑を言い渡された男達は、ここで衣服を剥がされた。またここで処刑が行われることもあった」(説明書きより)。
同様の目的のための女性用の部屋も、すぐ近くにありました。
銃殺刑が行われた、”死の壁”(これはガス室や焼却炉や鞄と同じく復元であると何かで読んだ記憶があります)。
上に高く掲げられている青と白の旗は、囚人服を表わしたもの。壁左下に赤と白のミニ薔薇と一緒に手向けられているのは、ドイツとポーランドの国旗です。中谷さんが「ああ、ドイツとポーランドの国旗が一緒に置かれていますね」と仰って、気がつきました。
今回のツアーでは、私達のグループの前にユダヤ人のグループ(イスラエルの人達?)が見学している状態になるときがあり、中谷さんは「こういう状態で見学ができるのは皆さんにとっていいことなんです」と。「ユダヤ人といっても、髪も目の色も様々であることがよくおわかりいただけるでしょう」と。「ユダヤ教を信仰する人、そういう人を親に持つ人がユダヤ人なのであり、ユダヤ人種というものはそもそも存在しないんです。なのに基準を設けて存在しないものを存在するとしたのが、ヒトラーでした」と。
またあるときは、ドイツ人の団体が前にいたこともありました。「彼らがどういう心境でここにいるのか、想像してみてください」と中谷さんは仰っていました。こういう状況でコースをまわることができるのも、ツアー見学のよさだと思います。
ただ、他のグループが近くに多くいるときは説明を受けるイヤホンの音が途切れたり混線したりしてよく聴こえないことが多くあったので、あれは改善されるといいですね。
ガス室のすぐ隣の部屋が焼却炉になっていました。
次は、バスで移動して、アウシュヴィッツ第二強制収容所ビルケナウへ。
ビルケナウ入口の監視塔。
有名な鉄道の引き込み線が、中央を貫いています。
入口を入ってすぐに3本に分かれている線路は、より多くの収容者を効率的に処理するためだとか。
突き当りの林のあたりが、線路の終点。クレマトリウム(ガス室兼焼却炉)があった場所です。そこまで歩きます。
監視塔とクレマトリウムの真ん中あたりに、ユダヤ人の移送に使用された貨車が展示されていました。もとは家畜移送用のもので、窓などはありません(祖父がシベリアへ抑留された際に満州から乗せられた貨車も、おそらくこういう貨車だったのでしょう)。
この場所でSSの医師による「選別」が次々と行われ、一説では75%がこの場でガス室送りとなったそうです。主に老人、女性、子供など、労働力とみなされなかった人達です。
林の中に残るクレマトリウムの残骸。収容所解放前夜にドイツ軍により破壊されたためこのような形になっていますが、地下室や煙突の面影などは見てとれます。収容棟やガス室を作らされたのも、殺戮や遺体処理の作業に携わされたのも、収容者達だったそうです。その理由は「ドイツ人に苦痛を感じさせないため」とのこと。
写真左は、木造の収容棟跡。現在は煉瓦の煙突のみが残っています。
アンネ・フランクが収容されていたのもこのあたり。
一つの段を何人もで使用したそうです。
トイレ。用を足す時間まで決められていたとのこと。
収容所の内と外
第一収容所に戻ってツアーが解散し、再びバスに1時間半乗りクラクフに戻ると、20時を過ぎていました。
アウシュヴィッツでお知り合いになった女性と、一日お疲れさまの乾杯
ポーランドのビール、美味しい(銘柄は地球の歩き方にも載っていたものだけど、いま手元にない)
ジュレック、ディルが効いていてすんごい美味
キノコソースのロールキャベツは、ボリュームたっぷりで絶品
ピエロギは、まあふつうでした(ピエロギ自体がああいうものなのかも)。
これにマッシュルームスープも頼んで、一人60ズロチ(約1800円)。安いわ~。
ああ、食事の美味しい国って素敵
もっともこちらはミシュランのお店だったそうで、特に美味しいお店だったのかも。
一緒に食事をさせていただいた女性は60代の方で、ポーランドを27日かけて一人旅されているそうで、お話が楽しくて、時間が過ぎるのがあっという間でした。と、そこに同じくアウシュヴィッツでご一緒だったご夫婦もお店に入って来られ、こちらはポーランドとブルガリアとギリシャを一か月かけてまわられているそうです。世界ではこうして沢山の日本人が旅しているんだねえ。
時刻も22時を過ぎたので、お互いの連絡先を交換して、お開きに。
ホテルへの帰り道にあった騎馬像。青と白の旗は、クラクフの旗。
泊まったホテルとトラム
ホテル脇の道。
さすがにこの時間になると人も少ないですね(ていうか誰もいない)。
駅前広場では若者達がスケボー的なものをしていました。
このホテルは廊下も可愛らしいのです
いっぱい歩いて疲れたけど、充実した一日でした。
日本を発ってからすごく沢山のことがあった気がするけど、まだ2日。日本にいると変わりなく過ごしてしまう時間も、過ごし方によってこんなに違うんですね。
明日はワルシャワへ帰らなきゃなので、荷物をまとめて、シャワーを浴びて、お休みなさい
本日も快晴
今日は、朝からクラクフへ移動します。
5時半に起きるつもりが、目覚ましの設定を間違えて4時半に起きてしまう 長い一日になりそう・・・。
フロントにて。
私:モーニン
兄ちゃん:モーニン(笑顔がないけど怒ってるわけでもなさそうな無表情)
私:チェックアウトプリーズ(カードキーをデスクの上に置く)
兄ちゃん:(カードキーには目もくれず無言で手元のPCをカチャカチャ)
私:・・・・・・。
兄ちゃん:(延々カチャカチャ。カードキーはデスクの上に置かれたまま)
私:(あまりの長い時間に痺れを切らし)ルーム309だけど。
兄ちゃん:ちょっと待って、朝はコンピュータの立ち上がりが遅いんだ(微かな笑顔らしき口元)
私:ああ、そう(それならそう言えばいいのに^^;)
兄ちゃん:(カチャカチャカチャカチャ)日本円で払う?
私:(再びの長い時間に意識が飛びかけていて)はい。・・・じゃなかった、ポーランドズロチで!
兄ちゃん:(返事なく、無言で手元のPCをカチャカチャ)
私:(ちゃんと間違いなくやってくれてるのかしら・・・と不安になったが、その後金額の確認やら何やら問題なく手続きは済み)駅へはこっちに行けばいいの?
兄ちゃん:そう、そっちで大丈夫!(いきなりの満面の笑顔)
私:ありがとう。(ポーランド人ってわかりにくい)
昨日迷いに迷ったワルシャワ中央駅も、地上から行けばすんなり。
さて私がPKP(ポーランド鉄道)のサイトから予約した列車は、6:45発のEIP1301便でした。
プラットフォームは何番かしら~とDeparturesの電光掲示板を確認すると、そこには「6:45 EIP1300 Kraków Główny」の文字が。
海外個人旅行は確認しすぎてしすぎることはなし。 InformationへGo~
私:(ネット予約のチケットを見せて)私が予約したのはEIP1301便で、あそこの掲示板にはEIP1300とあるんだけど。
若い兄ちゃん: ああ、その数字はdon’t care! (←便名を気にするなと!?)
私:じゃあ、プラットフォームは3番でいいのね?
若い兄ちゃん:(無言で手元のファイルをパラパラ)
私:・・・・・。(これは私のプラットフォームを調べてくれてるのかしら・・・。それとも、もうこの会話は終わりにされてるのかしら・・・)
若い兄ちゃん:(だいぶたってから)そう、プラットフォームは3番
私:(調べてくれてたのね)ありがとう。
こんなやりとりが、ポーランド旅行中はしょっちゅうでした。無表情だから怒ってるのかと思うと、全然怒っていなかったり。黙ってるから何もしてくれていないのかと思うと、実はちゃんとしてくれてたり。慣れるまで少し時間がかかったけど、なんか独特で面白かったです。もちろん無表情で本当に不機嫌なパターンもあり(舌打ちされたりする)。海外一人旅はメンタル的にタフになれます。
列車は、定刻より10分ほど遅れて到着。
車内では、ショパンのノクターンがお出迎え。
さあ、クラクフへ向けてしゅっぱ~つ
行きの列車は、奮発して一等席です
が、ここでまたもやハプニング。
私が席に座っていると、同年代のポーランド人?女性が「ここはあなたの席?」と。
お互いのチケットを確認すると、レファレンスナンバーと購入日(彼女の方が前)以外は全く同じ。彼女曰く、友人に買ってもらったチケットとのこと。それから二人で車内を歩いて、車掌室へ(車掌って英語で"conductor"なんですねー)。
私達と同年代の男性の車掌さんは二枚のチケットをスキャンで確認し、無表情で「君(=私)のはOK。君(=彼女)のはダメ」と。彼女は「なぜこんなことが起きてるのか?」と抗議。それからは私の理解不能な言語(たぶんポーランド語)で早口の強い口調で話し始める二人。ハラハラしながら聞いていると、突然二人とも笑顔になったりして、本当にこの国の人達の反応ってわかりにくい。そんな二人のやり取りをぼー・・・と突っ立って見ていたら、ふと車掌さんが英語で「君は席に戻っていいよ。君のチケットは何も問題ないから」と。女性も「あなたのチケットは正しいチケットだから、席に戻って大丈夫よ」と。
でもすぐに二人の会話が終了したので、彼女と一緒に元の号車に戻りながら「一体何が原因だったの?」と聞くと、「原因はまだわからないけど、彼らが解決しているから大丈夫」と。
そしてさっきの席に戻ると・・・、知らない男性が座っているではないですか 彼女も私も苦笑するしかない。
「あの、そこは私の席なんですが」と英語で話しかけると、後方の席の奥様にイラついたように「そんなこと言われたって俺の席には他の人が座ってるんだから!」と日本語で仰る。おお、日本人の方ですか。事情を聞いてみると、このご夫婦も別の座席でダブルブッキングにあったみたい(そして私の席が空いていたから座っていた)。「それぞれのチケットを車掌さんに確認してもらうといいですよ。私も今そうしました」と教えてさしあげたが、確認にいくご様子はなく、怒り心頭で「こんなインチキチケットは初めてだ!!」と奥さまに怒鳴っていらっしゃる。ここで怒っていても仕方がないでしょうに
というわけで、ようやく私は本来の座席へ。旅って色々あるねえ。。。
窓の外の景色はずっとこんな感じの緑の平野。
樹木の種類は日本と似ています。
軽食のメニュー。
行きの列車を一等席にした理由は、出発が朝早くホテルで朝食を食べられなかったから。一等席ではジュースとコーヒーとエナジードリンクと軽食がサーブされるんです。二等席は飲み物が一回だけ。値段は、今回のような直前購入の最も割高なレートで一等席が229zł(約7,300円)、二等席が135zł(約4,300円)。そして一等の片側は、隣に人がいない快適な一人席。ワルシャワークラクフ間の乗車時間は2時間20分。さて、この差額を高いとみるか安いとみるか。
まずはコーヒーが運ばれて~(ちゃんと陶器のカップよ)
そして、軽食~
3種類のメニューから私が選択したのは、"Mini-Brioches with Chicken and Sun-dried Tomatoes"。
なにこれ、ちっさ!軽食ってこれだけと正直思ったが、味はとっても美味しかった
ので満足。
でもポーランドの物価を考えると、やっぱりこの差額は高いかなー。食堂車もあるし、駅でサンドイッチを買って乗ってもいいわけだし。
で、帰りに二等車(全く問題なし)に乗って出た私の結論は、ポーランドへしょっちゅう行くわけじゃないのなら、鉄道の旅が好きな人(←私)は一度は一等に乗るべし 食事や飲み物が列車の中で陶器の器でサーブされる体験ができるのは今時貴重ですし、「世界の車窓から」みたいで旅情が刺激されます。あと早割が適用される場合は絶対にお得だと思う。
そうそう、食事の前に検札がきたんです。
前方から一席一席検札しながら歩いてくるのは、さっきの車掌さん。
私のところにくると、私の顔をチラリと見て、
「ダブルブッキングだったね」
とイタズラっぽくニヤリ。
このノリ、海外だな~~と思わず笑ってしまいました。日本ならダブルブッキング騒動を謝ってくれるのが殆どだと思うんです。たとえ鉄道会社に非がなくとも。
そしてさっきは私に一度も笑顔を見せなかったのに、このニヤリ。ポーランドだわ~。
まあ嫌いじゃないです、こういうの笑。
クラクフのホテルは今回の旅の中で一番安いところだったのだけれど、かなり良かった
建物は1884年築。この街の歴史を思うと感慨深いものがあります。
スタッフも感じがよく、聞かなくても旧市街への行き方を説明してくれたり、朝9時に着いたのに私の部屋を先に掃除して(10分待てる?と確認され)チェックインさせてくれました。
ツインの部屋は広くて清潔だし、
扉を開けると、プライベートの中庭まで付いてるし
ヨーロピアンな雰囲気たっぷりで、中央駅の目の前で、旧市街へもすぐで、朝食付きで295zł(約9,000円)。高くないと思う~。フロントのポワロみたいなおじさんも親切で楽しかった
さてアウシュヴィッツへのバス(12:30発)まではまだ3時間くらいあるので、早速旧市街へ~。ではなく、まずはバスターミナルの場所の確認へ。
右のクラシカルな建物は旧クラクフ中央駅で、正面のモダンな建物が現在のクラクフ中央駅、兼ショッピングセンター。
地球の歩き方によると、MDAバスターミナルはこの裏手にあるはず。
ショッピングセンターに入って、、、さて、、、。のマークの標識は見つけたけど、これに従っていいのだろうか。長距離バスじゃなくローカルバスの案内だったりしないだろうか。
警備員の女性(上の写真の女性)に「バスターミナルにはどう行けばいいか」と質問すると、
「標識のマークを見ればわかるでしょ」
みたいなことをポーランド語で言われる。無表情で(しかし今思うと、実は怒っていなかったのかもしれない)。
でもありがとう、その答えで十分♪マークに従って歩いて行くと、、、
と、遠い・・・・・・・・・・・・・・。
ほんっとポーランドってワンブロックがめちゃくちゃ長い
本当にこの道で合っているのかと不安になリ始めた頃、ようやく出口へ。
あった~~~~~バスターミナル!
エントランスの壁。
昔のこの辺りの写真でしょうか。
時刻表で乗り場を確認すると、、、オシフィエンチム(Oświęcim)行きのバスの表示が3種類に分かれてるんだけど、、、何が違うのぉ~~~?
圧倒的に多い乗り場はG7のようだけど、この中に12:30発は一つしかなくて、それはG4ってあるから、G4でいいのか?
でも「ちょっとの時刻の違いはdon't care!」なんてこともあるかも・・・(ワルシャワのトラウマ)。
InformationへGo~
私:(ネット購入したポーランド語おんりーのチケットを見せて)このバスの乗り場はG4で合ってますか?
若いお姉ちゃん:(無表情でPCでカタカタ確認してから)ええ合ってるわ、G4よ!
確認完了~~~~
あとは出発時間まで心置きなく観光しましょう
ワルシャワのバルバカンは先述のとおり第二次大戦後の復元ですが、こちらは15世紀からのオリジナル。
ここをぬけると旧市街です。
フロリアンスカ門
お土産のボレスワヴィエツ陶器を買ったりしながら、中央広場へ
中央広場。観光客がいっぱい笑。
クラクフは17世紀にワルシャワに遷都するまでポーランドの首都だった街で、ワルシャワとは異なり第二次大戦の戦火を免れたため、中世からの街並みがそのまま残されています。クラクフ歴史地区は、世界遺産第一号の12件のうちの一つ。
広場の中心にある、織物会館。
建築は素敵だけどTheお土産なものばかりで、買いたいものは何もなし
写真奥のグロツカ通りをまっすぐ進むと、やがてヴァヴェル城が右手に見え、更に進むとカジミエシュ地区(ユダヤ人街)となり、更に進んでヴィスワ川を渡るとポドグージェ地区(かつてユダヤ人ゲットーが作られた地区)に出ます。今日のところはバスの時間があるので、この地点で折り返し。
街のあちこちで売られているクラクフ名物「オブヴァジャネック」の屋台。柔らかい方のプレッツェルのような食感&味のパン。水分が少なく、モッチリではなくパサパサ系です。私も記念に一つ買い、翌日の列車の中で食べました。
ちょうどいい時間になったので、一旦ホテルに戻ってお土産を置き、バスターミナルへ向かいましょう。
というわけで旅行記を。
6月上旬にポーランドとアムステルダムに行ってきました。
今回の旅の一番の目的は、アムステルダムでハイティンク×コンセルトヘボウ管弦楽団によるマーラー9番を聴くこと
なので、まず購入したのはコンサートのチケットでした。コンセルトヘボウのチケットはキャンセルは不可だけど、1年以内なら他のコンサートに振り替えが可能なんです。だから最悪今回行けなかったとしても、一年以内に行けば無駄にはならなかったので。
仕事とハイティンクの状況がぎりぎりまで読めなかったため、ホテルはキャンセル可なものにし、航空券を購入したのは出発2週間前を切っていました。
その時点でKLMのアムステルダム直行便よりもポーランド航空のワルシャワ経由便の方が値段が安かったため、それならば前から興味のあったポーランドにも行ってしまおうと殆ど衝動買い。
でもそれからが大変だった。ポーランドに関しては下調べゼロだったので、「ワルシャワへ行くなら、クラクフへも行きたい。クラクフへ行くなら、オシフィエンチム(アウシュヴィッツ)へも行きたい。でも鉄道やバスのチケットはどう買うのか
?」状態。サイトによってはポーランド語しかないし
(今回の旅行はgoogle翻訳様様でございました)。日中は仕事をしているので、調べられる時間は夜しかない
。てかポーランドのガイドブックって地球の歩き方くらいしか売ってないし
。ポーランドってこんなに情報が少ない国だったの
と航空券を買ってから慌てる始末。
そんなこんなで前夜までバタバタしつつも、なんとか準備を済ませ、しゅっぱ~つ
成田10:15発→ワルシャワ14:25着。飛行時間11時間10分。
機内でも引き続きポーランドの情報収集をしていたため、11時間はあっという間でした。
巷で酷評されていたLOTの機内食は、全然問題なかった。特別美味しくもなかったけども。今回2万円を足すとプレミアムエコノミーを選択できたのですが、演奏会代にお金を使っちゃったので節約
そして今更ながらBoeing787の電子カーテンにおおっ!と感動する田舎者のワタクシ。一方で、ボッロボロに破れた前シートの背のネット。機体はドリームライナー、内装は旧共産圏な、昭和生まれの私にはちょっと懐かしい空気も感じるLOTでした。
予定より40分ほど早く、ワルシャワに到着。
入国審査は空いていて、質問はゼロ。
それから中央駅へ行くまでは順調だったものの、中央駅の地下街で散々迷い(地上に出れば全く迷わないことを後から知る)、親切なポーランドの人達に助けられ、なんとかホテルへ。疲れた
ポーランド語のみしか話せない高齢の人達と英語のみしか話せない私と、なぜか通じる会話。“Dziękuję(ジェンクェン)”は今回唯一私が話したポーランド語で、「ありがとう」の意味。発音は、飛行機で隣の席だったポーランド人の女性に教えてもらいました。旅行中、何度この言葉を使ったか。みんな笑顔で返してくれました
他に旅行中に覚えたポーランド語は、Bilet(切符)、Lotnisko(空港)、Peron(プラットフォーム)、Tor(トラック)、Wagon(号車)、Kantor(両替)、Kartą(カード。発音はカルトン)、Tak(イエス)・・・くらいかしら・・・。
ポーランドってサービス業の人達にはThe旧共産圏な対応の人も少なからずいて凹まされることもあったけど(もちろん優しい人も沢山いた)、道端で出会った人達はみんなとっても温かで親切だったなあ
以下は、ワルシャワの街。
第二次大戦後にスターリンから贈られた、ワルシャワ市民にとっては全く嬉しくなかったという(当然)、Theソ連様式な文化科学宮殿。
写真だと分からないかもしれませんが、すんごく大きいんです。私が泊まったホテルはこの隣でしたが、ワンブロックが長くて長くて・・・・・・・・・ の割に意外と遠くからは見えないので、道に迷ったときのランドマークとしても使えないとゆう・・・
ショパンコンクールの会場としても使われるワルシャワ・フィルハーモニー
ショパンの心臓が納められている聖十字架教会(心臓は写真左の柱の中)
ワルシャワ大学正門
大学構内にある、ショパンが学んだワルシャワ高等学校(カジミェジョフスキ宮殿)。
13歳のときに4年生に編入したそうです。
その向かいにある、ショパン一家が住んでいたポレクトルスキ館(カジミェジョフスキ宮殿別館)
実は横長。
学生だったショパンが日曜ミサのオルガニストをつとめたヴィジトキ教会。
そして、そのミサで独唱していた初恋の相手コンスタンツィアに会っていた場所。
ショパンが8歳のときに初めてピアノ演奏会を開いたラジヴィウ宮殿(現在の大統領官邸)
私が行ったときは警察や軍の人達がいて物々しい雰囲気でした。
大統領官邸に隣接する芝生に立つ、アダム・ミツキエヴィッチ像。
ポーランドの国民的ロマン派詩人/政治活動家で、ショパンの一連のバラードは彼の詩から着想を得たと伝えられているそうです。
この季節のポーランドはどこへ行っても薔薇が満開でした。
「From Poland With Love」という街中のopen-air exhibision。
"The exhibition FROM POLAND WITH LOVE tells the moving story of Poles’ gratitude for the help of the United States in regaining Poland’s independence in 1918. The exhibition FROM POLAND WITH LOVE consists of four large-scale installations at Krakowskie Przedmiescie and an electronic presentation, containing a complete Declaration of Admiration and Friendship for the United States at the Historical Meeting House."とのこと。
王宮広場へ
聖アンナ教会の塔の上。
ちなみにここ、テレビドラマ『白い巨塔』で唐沢さんと黒木さんがロケをした場所だったりします(第11話)
眼下に見えているのは、ヴィスワ川。
ポーランドを南北に縦断し、やがてバルト海へと注ぐ大河です。
洗礼者ヨハネ大聖堂
旧市街広場へ
この旧市街広場の建物も、先ほどの王宮広場の建物も、実は全て第二次世界大戦後に建てられたもの。
ワルシャワの街はナチス・ドイツ軍により徹底的に破壊し尽くされたからです。
戦後、ポーランドの人々は「レンガのひび割れひとつに至るまで」忠実に復元し、元の街並みを取り戻しました。
そんな人々の不屈の熱意が高く評価され、ワルシャワ歴史地区は世界遺産に登録されています。
第二次世界大戦の後、廃墟と化した旧市街は社会主義に基づくソビエト流の町に作り替える計画によって消滅の危機にさらされたが、「意図と目的をもって破壊された街並みは意図と目的をもって復興させなければならない」という信念と「失われたものの復興は未来への責任である」という理念の下、再びポーランド人自身によって厳密に再建された。もともとの建物に使用された煉瓦はできるだけ再利用された。破片はふるいにかけられ、再利用できる要素はもともとあった場所に再度挿入された。
(wikipediaより)
バルバカン
ポーランド科学アカデミーとコペルニクスの像
ショパン博物館
ショパン博物館の正面右手の通りにある、ショパン音楽大学の壁。ショパンの楽譜が描かれています。
なんだかショパン関係の場所ばかり回ってるように見えるかもしれませんが、ワルシャワという街はふつうに歩いているだけで右も左もショパンゆかりの場所ばかりなのです。ポーランド航空でも、高速鉄道でもショパンの音楽で迎えられますし、空港名もワルシャワ・ショパン国際空港