風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

ハイビジョン特集 「天空のアクロバット ~ブルーインパルスの男たち~」

2012-02-21 19:37:38 | テレビ



So high up in the air
With feathers bright and fair
No wealth nor power can make
My heart filled with such joy

Want to spread my wings and fly
Away into the sky
How I dream to be so free
No more sadness no more pain
No more anger no more hate
How I dream to have those wings and fly into the sky

("Wings to Fly")

前々から観よう観ようと思いつつ先延ばしになっていたハイビジョン特集「天空のアクロバット ~ブルーインパルスの男たち~」(2010年1月放送)を、NHKオンデマンドでようやく観ることができました。
昨年息子さんが自衛官を目指してる職場のパートさんと世間話をしていたときに入間航空祭をオススメされまして。いつか一度は見たいと思っていたブルーインパルスをいい機会だから見に行ってみようと気軽に行ってみたところ、言葉を失いました。人混みにも言葉を失いましたが^^; 、そのカッコよさに。
人生で見たカッコいいものベスト3が書き換えられた瞬間でございました。
あのパフォーマンス。芸術としか言いようがありません。エンジン音もカッコいい!
カッコいいものは無条件にカッコいいのだと痛感。
そして大空を飛ぶ鳥みたいで、本当に気持ちよさそうだった。
でも見ている方は気持ちいいけれど、パイロットたちはとても真剣に操縦しているのでしょうね。
またあんなに完璧に飛んでいた彼らも、最初からそれができていたわけではなく、大変な訓練を乗り越えて出来るようになったのだとこの番組を見てわかりました。

このハイビジョン特集、素晴らしかったです。
隊長の山口氏がブルーインパルスを去るときに言った「楽しいと思ったことは一度もありません。遊びじゃないからです。寂しいという気持ちはまったくありません。もう十分やってきました」という言葉が印象的でした。
そしてブルーインパルスの隊長は代々言葉を残していく慣例があるのですが、彼の残した言葉は、『心』。
自衛隊やブルーインパルスのようなものからは最も遠い言葉のようですが、命の危険を常に伴う極限の世界で仕事をしている彼らにとって、実はそれは何よりも大切なものなのかもしれないな、と思いました。
きっと彼らだけでなく、いつ何が起こるかわからないこの時代に生きる私たちにとっても。
この番組が放送されたのは震災前ですが、今見ると、泣きそうになります。
ブルーインパルスの本拠地が松島であることを思い合わせると、なおさら。
ラストのスーザン・ボイルの歌声も涙が出るほど美しくて、本当によくできたドキュメンタリーでした。

なので、この番組自体は大変すばらしかったのですが、最後に自衛隊の広報さんに一言だけ言わせていただきたい。
最近の自衛隊の宣伝方法、少々やりすぎじゃありませんか・・?
電車の中のテレビで見かける、自ら“クールな自衛隊”を売りにしているCMにちょっと疑問を感じます。
世間が彼らをカッコいいと騒ぎ立てる分には度を越さなければノープロブレムですが、“カッコいいからみんな自衛隊に入ろう!”的に若者を集めるやり方は、どうも違うんじゃないかとおもいます。
とはいえ若者がみんな自衛隊に入るのを嫌がるようになってしまったら、そのときは徴兵システムにせざるを得ないのでしょうし、難しいですね。。。


★★★
こんなのもどうぞ↓
トップガンの曲、めちゃくちゃ合いますねー。
パイロットの皆さんも、自然体でいい雰囲気。仕草も言葉使いもハキハキしていて綺麗で、こういう人達って見ていて気持ちいい。
山口隊長はやっぱり素敵な方ですね。
そしてキムタク。ファンではないけど、ちょっと尊敬。。すごいなぁ、この平常心。
私も乗ってみたいけど、絶対にムリだわ。
普通の飛行機でさえ全くダメだし・・・(飛行機恐怖症の旅行好きという困り者)

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

原作イメージから観る、4つの〝Music of the Night"

2012-02-12 17:30:13 | ミュージカル

これまで幾つかの怪人ミュージカルを観てきましたが、今回原作を読んで、「どのキャストが一番原作のイメージに近いだろうか?」と考えてみました。
結果。
私が観た中では、Ramin&Ginaが一番イメージに近いように思います。
Raminの声は純粋に美しい声というよりは少し粘着質なストーカー的な声をしているので原作のイメージにぴったりですし、演技も怪人にしては少々激しすぎるのかなと思っていましたが、原作の怪人も十分激しかった(笑)。
一方クリスの方は、Sierraはラストの演技が少々怪人に入れ込みすぎているように感じますし(私の解釈ではあくまでクリスが愛しているのはラウルなので…)、外見も私のイメージとはちょっと違うのです。Sofiaは可愛らしいけれど、無邪気で少し甘ったれたところがイメージと違う。原作のクリスは気が強くてしっかり者なので。映画版は、うーん、悪くないんだけどやっぱり何かが違う…。その点、Ginaは気の強さ&優しさ&可愛らしさのバランスが一番良いように思います。Raminとも似合っていたし、声も問題なし。
ラウルは、……あれ?……いない………。ハドリーはカッコよすぎて、熱すぎるし。Ramin&GinaのときにラウルだったSimon Baileyは外見がまったくラウルじゃないし。先日観たKillan Donellyもやはり熱すぎる。あえてあげるなら、映画版のラウルかなぁ…?うん、彼が一番イメージに近いです。ロン毛は微妙ですが…。
あ、以上はもちろん「原作のイメージという観点から観た場合」であって、役者自身に対する批評ではありませんのでアシカラズ、、、。特にSierraは大好きなので、、、。

というわけで、前回のPoint of No Returnに続き、またもややってみたいと思います。4人の怪人比べ。
今回は私がPONRに劣らず大好きな、Music of the Nightでございます。
この曲のときはクリスはまだファントムの素顔を見る前なので比較的恐怖心は少なく、割と積極的&挑発的です。原作でもファントムに対して「こんな、お墓の中みたいなところで、女の人に好きになってもらおうとしても、なかなかうまくいかないものよ」と言ったりしています。しかし次第にファントムの歌声にうっとりと陶酔し、身を任せるようになる様子が色っぽい場面。

(1)まずは、私が原作のイメージに一番近い気がした、Ramin KarimlooとGina Beckのカップル。
Title Songからお楽しみください(はじめは真っ暗ですが、すぐに映像が現れます)。
Ramin怪人はちょっと短気そうなところとか、感情が表に出てしまっているところとか、原作のイメージどおりです。
が――。
気絶したクリスをお姫様抱っこするタイミング、早すぎでしょ、Ramin!
まるで気絶することがわかっていたみたいに見えるよー。
PONRの「Noooooo!!」にしても、この手の演技がRaminは苦手…?



(2)お次は、Earl CapenterとRachel Barrelのカップル。
音が小さいので、少し音量を上げてお聴きくださいませ。
Earlも恐る恐るクリスに対峙している様子が、原作のイメージに近くていいです。
ただ、紳士的すぎて、ファントムの変質的な要素が少し足りない気もしますが。
もっとも、どんなときでも(たとえ殺人を犯すときであっても)あくまで“紳士的な”ファントムというのが私の理想なので、やっぱり好きですね、Earl怪人。
あと花嫁人形を見せるときに「さあ見たまえ!」ととっておきの自慢の宝物を見せるように嬉々としているところが、可愛い。普通はこんなものを見せられたら女の子は引くのよ、エリック!でも、それが全くわかってない。案の定クリスに気絶されちゃって、戸惑う怪人。イイ!この演技は先日観たときもやっていたかなぁ。ごめんなさい、ちょっと覚えてないです。
鏡の掛け布を床へ落とす動作も美しくていいですね。Earlはこういう些細な仕草が本当に綺麗。先日観たときも、Final lairで椅子の上の人形を床へ投げつける感じがなんとも良くて、見とれたものです。
それにしてもEarlはどんなクリスが相手でも不思議と合いますね。紳士的だからかな。



(3)Scott DaviesとMeredith Braunのカップルです。
Scottは癇癪持ちの子供みたいなところは原作に近くて良いと思うのですが、やっぱりどうも俺様的なカリスマ性が足りないのよね……。
ちなみにこれは彼の演技力に問題があるわけではなく、彼はそもそも怪人にカリスマ性を持たせようとはしていないのです。つまり、私とは怪人の解釈が違うんですよね。
また彼はJOJと同じく、外見がどうも私のイメージと違う……。
って今気付きましたが、このScott怪人は「Close your eyes, let your spirit start to soar~♪」のとき、クリスの傍にいないんですね(驚)!
何から何まで独創的なScott怪人。好みはともかくとして、本当に一見の価値はアリですよ。オリジナリティ満載です。



(4)John Owen JonesとGina Beckのカップル。
上3人と違ってJOJ怪人は実物を観たことがありませんが、前回に引き続き入れておきます。
さすが、ものすごく歌がうまいですね!
ただですね、、、やっぱりどうっしても私にはJOJがファントムには見えないのですよ………。体格が………。
また彼はEarlとは反対に、どのクリスが相手でもしっくりとこないのは何故だろう……(youtubeで観た限りですが)。
このGinaとはまだ合っているように思いますが、それでも彼女はRaminとの方がより似合って見えたし、Sierraも同様。SofiaもEarlやScottとの方が合っていました。
なんでかなぁ、と考えてみたところ――。
JOJ怪人は他の怪人に比べ、クリスに死ぬほど恋焦がれているように見えないのが理由ではないか、と。
ついに彼女を自分の隠れ家へ連れてきてしまった気持ちの高ぶり、しかし愛する女性にどう接すればいいのかがわからない戸惑い、内側から滲み出てしまう「クリス、好き好き好き好き好き…」な感情、生きるも死ぬもクリスの言動ひとつで決まってしまうような危うさが、JOJからはあまり感じられないような…。
って、世に圧倒的な人気を誇るJOJを相手になんてエラそうなことを、私ったら…っ(←Scottなら言ってもいいのか)。

 

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ガストン・ルルー 『オペラ座の怪人』

2012-02-12 04:02:29 | 




そうなんだ! 彼女の涙が私のうえに注がれていたんだ! 聞いてくれ、ダロガ、そのとき私がどうしたか聞いてくれ……私は、彼女の涙を一滴も無駄にしたくなかったので、仮面をかなぐりすてた……それでも彼女は逃げ出さなかった!……彼女は死んでしまわなかった! 彼女は生きていた、泣いていた……私のうえに涙を注いで……私といっしょに……私たちはいっしょに泣いたんだ!……ああ、天にまします神よ! あなたは私にこの世の幸福をすべて与えてくださった!……

(ガストン・ルルー 『オペラ座の怪人』角川文庫)

先日実家の本棚を整理していたら、なぜか奥から『オペラ座の怪人』の文庫本が出てきてかなり吃驚しました。
買った記憶がまったくなかったので。でも、よーくよーく思い出してみると、三年前にロンドンでミュージカルを観て感動して帰国後、ブックオフでこれを手に取ったような記憶が……。結局転職活動やら何やらで心身ともに余裕がなく、そのうちに買ったことすら忘れてしまっていたわけですが。
というわけで、さっそく読んでみたところ――。
すっごく良かったんですよ、これが…!
原作がこんなに良かったとは、まったく期待していなかっただけに嬉しい衝撃でした。
だって三文小説だとかB級小説だとか言われていたので、てっきりもっと安っぽい内容かと思っていたんですよ。
でも要は「純文学ではない」というだけで、すばらしい大衆小説である点はコナン・ドイルのホームズ・シリーズと同じ。
“作者”がいかにも自分の体験を語っているかのようなノンフィクション風な手法(注まで挿入している徹底ぶり)も、ワトソンのそれを彷彿とさせます。
それもそのはず、ルルーはミステリー作家なのですから。
つまり『オペラ座の怪人』は意外なことに、サービス精神いっぱいの、笑って泣けるミステリー風娯楽小説だったのでした(支配人室での安全ピンの下りなど、声を出して笑ってしまった)。ALWのミュージカルは原作のそういう魅力を実によく表現したものだと、改めて感心しました。

でもストーリーに関しては、私は原作の方が好きです。
原作では、クリスティーヌの怪人に対する優しさをより強く感じることができました(逆の意見も多いようですが)。
原作のクリスティーヌの心の動きは以下のとおり。
顔を知らない“音楽の天使”に惹かれる→怪人の素顔を知り恐怖を抱く(ラウルから「君の彼に対する感情は何だ」と聞かれ、”恐怖心”であると答えている)→同時に、怪人の絶望の深さを知り強く哀れみを感じ、彼との約束を守って度々地下の部屋へと自ら通う→一方で、ラウルと愛を誓ったことで怪人の怒りを買い、恐ろしいことが起きると怯えたクリスは、ラウルと逃げることを決意する。しかし自分を信頼し愛してくれている怪人を裏切ることに戸惑いを感じ、最後にもう一度だけ舞台に立ち、怪人に自分の歌を聴かせてあげたいと思う→歌を歌いあげたクリスは再び地下へと攫われる。そのまま地下で怪人と共に一生を過ごすことに絶望したクリスは自殺をしようとするが、怪人に阻止される。そして目の前で殺害されそうになっているラウルを助けるために怪人の妻になることに同意する。人質としてラウルを地下に閉じ込めた後、部屋に戻った怪人をクリスは静かに待っていた。彼が(生まれて初めての)キスをしても、クリスは逃げなかった。涙を流して神に感謝する怪人とともに、クリスも涙を流す→怪人はラウルを連れてきてクリスに“君たちの結婚祝い”だと指輪を渡し、二人に去るように言う。そして自分が死んだときにはその指輪と一緒に埋葬してほしいとクリスに約束させる(この指輪は以前怪人がクリスにあげたもので、クリスはラウルとオペラ座の屋上で会っていたときに落としてしまった。それを怪人が拾った)。その言葉を聞いたクリスは、怪人の額に自らキスをする→感動で涙を流す怪人を後にし、二人は去る。

クリスティーヌが抱く“恐怖心”は、角川訳では“嫌悪感”となっていましたが、この日本語ではどうにもクリスの性格が冷たすぎるように感じたので英訳を読んでみたところ〝horror”と書かれてありました(その後仏語原文を調べてみたら、やはり"Horreur"という単語が使われていました)。つまり、身の毛がよだつような恐ろしさ。というわけで、“恐怖心”がより近い和訳ではないかと判断しました。ちなみに他の文庫版でも「恐怖心」と訳してあるそうです。以下、アポロの竪琴の章から英訳を抜粋。

"Before answering that," said Raoul, at last, speaking very slowly, "I should like to know with what feeling he inspires you, since you do not hate him."

"With horror!" she said. "That is the terrible thing about it.
He fills me with horror and I do not hate him. How can I hate him, Raoul? Think of Erik at my feet, in the house on
the lake, underground. He accuses himself, he curses himself, he implores my forgiveness!...He confesses his cheat.
He loves me! He lays at my feet an immense and tragic love.
... He has carried me off for love!...He has imprisoned me with him, underground, for love!...But he respects me: he crawls, he moans, he weeps!...And, when I stood up, Raoul, and told him that I could only despise him if he did not, then and there, give me my liberty...he offered it...he offered to show me the mysterious road...Only...only he rose too...and I was made to remember that, though he was not an angel, nor a ghost, nor a genius, he remained the voice...for he sang. And I listened ... and stayed!...That night, we did not exchange another word.
He sang me to sleep.


そもそも私は原作にしろミュージカルにしろ映画にしろ、クリスが恋愛的な意味で愛しているのは最初から最後までラウルであり(想いの強さはともかくとして)、怪人に対する感情は哀れみや母性的なものに近いと思っています。
だからこそ、ミュージカルのラストでクリスティーヌが怪人に指輪を返しても、納得できるのです。
25周年公演のレビューでしばしば「最後、クリスは“ラウルではなく”怪人に気持ちを残していったのだ」というものを見かけますが、その解釈は行き過ぎだと思うのですよ。だって、ラウルに対するよりも強い愛を怪人に感じていたのだとしたら、どうして彼女は怪人をあの場に一人残して去ったのでしょう?殺害も辞さないと沢山の警官が迫っていることをクリスはわかっているのに、なぜ置き去りにできたのか?仮に怪人が捕まることはないだろうと考えたのだとしても、この先ずっと彼が孤独な拷問のような人生を生きることがわかりきっているのに、彼を置いて去った理由。
それは、彼女が恋愛対象としてラウルを愛していたから、ラウルとの未来を選んだから、ではないのでしょうか。
また、「クリスが怪人とは(芸術の)魂のレベルで結ばれていた」というのはこの物語の根本なのでその通りなのですが、とはいえ、その感情と恋愛感情は限りなく似てはいても、やはり非なるものだと思うのです。

さて、ストーリーはミュージカルよりも原作の方が好きというところに話を戻しますが、指輪の役割についても、原作の方が断然いいです。
指輪が怪人→クリスティーヌ→怪人→クリスティーヌ→そして最後に怪人の元へと戻る原作の流れは、とても感動的。ミュージカルの方はラウルがクリスへ贈る指輪も登場するので解釈がややこしくなってしまっていますし(そもそも2つの指輪は同じものなのか否か?とか)、ミュージカルを観た誰もが一度は思う「わざわざ傷ついている怪人に追い打ちをかけるように指輪を返さなくても…」というモヤモヤも、原作ではもちろんありません。
また、ミュージカルや映画ではクリスは怪人を「彼」としか呼んでいないのに対し、原作で彼女が「エリック」と呼ぶとき、恐怖はもちろんあるのですが、同時にそこにはなんともいえない優しさを感じます。

また原作は、怪人の設定も良い。
たしかにミュージカルよりも怪奇性や残忍性は強いですが、そこには十分な理由がある。
彼の生い立ちを知る〈ペルシャ人〉は、次のように言っています。
「彼は、世にも稀な醜さゆえに忌み嫌われ、人間の世界から疎外されてしまった。そのために彼は往々にして、そういう扱いを受けた以上、自分は人類にたいしてなんの義務も負っていないと考えているような行動をとることがあった」
現代の私達からみると“容姿の醜さ”という欠点(とあえて書きますが)はそれほど大きなものだろうかと思ってしまいますが、これは見世物小屋が当たり前に存在していた時代の物語です。現代の価値観と同様に考えるべきでないのは、言うまでもありません。
そして父親からも母親からも愛されず、見世物小屋の見世物として育った彼が、何の抵抗もなく殺人を犯す人間となっても、どれだけ彼を責められるでしょう。
真に彼の異常性を責めることができる人がいるとしたら、それは彼とまったく同等の悲惨な境遇を経験した人だけではないかと私は思います。
ペルシャ王の宮殿で、拷問の仕掛けを嬉々として作ったエリック。しかし彼は一度として“人間としての幸せ”を感じたことはなかったでしょう。
愛を与えられたことのない彼は、愛を知らなかった。常識を教えられたことのない彼は、常識を知らなかった。しかしだからこそ、激しくそれに焦がれた。
オペラ座の地下深くには全く不似合な「いじらしいほど所帯じみていてやぼったく、のどかで、常識的なインテリア」の部屋に住む怪人(それらの家具は、彼の母親の形見)。そんな“普通の”家具に囲まれた、“普通の”暮らしこそ、エリックが最も焦がれたものだった。

このような悲惨なストーリーの中で、彼を「化け物」と呼びながらもすべての事情を知り、彼の性格を理解し、彼に「悪事を働くな」と“常識”を教える〈ペルシャ人〉ダロガの存在に、私達は救われる。エリックもまた命の恩人であるからという理由だけでなく、そんなダロガに何かを感じていたからこそ、最後に彼を頼ったのでしょう。
もっとも、ALWがミュージカルで〈ペルシャ人〉の存在をカットしたのは、正しい判断だと思います。2時間程度のミュージカルでは話が煩雑になりますし、このペルシャ人の役割はクリスティーヌに重ねられる部分も多いですから。

なお原作は「視点が定まっておらず、どの登場人物にも感情移入がしにくい」という批判もあるようですが、純文学ではなくミステリー&娯楽小説として読むと、そういう部分が却ってうまく作用していることに気付くはずです。物語の最初のバレリーナ達の噂話では怪人は幽霊のような不気味なぼやけた存在で、続くラウル視点ではクリスティーヌを誑かす悪役に見え、やがてクリスティーヌの台詞からどうやら単なる悪者ではないらしいと気付き始め、ペルシャ人の手記に至ると怪人の複雑な過去や人間性が明らかになり、手に汗握るスリリングなクライマックスの後に怪人自身の口から語られる感動的な結末へ。見事なエンターテインメント性だと思います。
もっともこの物語は“作者”がペルシャ人から聞いた話や、クリスがラウルへあてた手紙、その他の調査結果から導き出されたオペラ座怪奇事件の真相、という設定になっていますが、「“作者”はどうしてそこまで知りえたのか?」という部分は多々あります。しかしそういった矛盾は物語の核心には関係のない些細な欠点であり(ホームズだってそういう都合のいい点だらけだし)、この物語は“作者”がさまざまな調査をしても足りなかった部分は自身の空想で補完し、そして到達した「彼なりの怪奇事件の一つの真相」を描いた物語、と読めばいいのではないかと思います。

そして今ふと気づきましたけど、ミュージカルでは「ドン・ファンの勝利」のスコアが、上演されているんですよね。原作を読んだ今では、良かったねぇ怪人^^、と思ってしまいます。だって20年もかけて作り上げたんだもの。


★★★
角川文庫p232でラウルから「もしエリックが美男子だったら、君は僕を好きになっているだろうか?」と聞かれたクリスが、「犯した罪を隠すように、わたしが心の奥底にしまっていることを訊きだして、いったいどうしようと言うの?」と答えているのですが(←結構ヒドイ)、この台詞がなぜか英語版には全くありません……。版権切れでネットに上がっている英訳は、こうです↓。

"You are frightened ... but do you love me? If Erik were good-looking, would you love me, Christine?"
She rose in her turn, put her two trembling arms round the young man's neck and said:
"Oh, my betrothed of a day, if I did not love you, I would not give you my lips!
Take them, for the first time and the last."

クリスの答えが丸々一文完全にスキップされている…!
どのサイトの英訳を見てもそうです。
いったい何が起きているのか…(混乱)
他の文庫本ではどうなっているのでしょうか…。今度図書館で借りてみよう…。原文の仏語の方も調べてみます…。

(追記)
ということで仏語版を調べてみたところ、ちゃんとありました、「犯した罪を~」にあたる原文↓。
Malheureux ! pourquoi tenter le destin ?...Pourquoi me demander des choses que je cache au fondde ma conscience comme on cache le péché ?
なぜ英語版にだけないのでしょうね…?
英語版の翻訳者が「この文章は宜しくないからカットしよう」と勝手に削除しちゃったのかしら…(笑)

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする