昨日って夏至だったんですねぇ。いま、yahoo newsで知りました。
「夏至」って言葉、なんか好きです。
10代の頃に好きだった長野まゆみさんの小説の影響かなあ。
6月とは思えない真夏日だったせいか、昨日は仕事から帰ったらぐったりと疲れていて(といっても仕事もだらだらモードでしたが)、夕飯だけ食べて、ばたんきゅー。次に起きたら午前3時過ぎでした・・・。それからお風呂にはいって、すっかり目が覚めてしまい、友達にメールの返事を打ったり、いろいろとしているうちに、こんな時間(4時半)に・・・。まあ今日は仕事が休みなので別によいのですが。
いま窓の外を見たら、すっかり夜が明けていました。
こんなに夜明けが早いとは!と驚きましたが、今夏至って書いたばかりじゃないの、私ヾ(- -;)
なんか変な夢を見ました。
大学時代の友人達(今も友達ですが)がお見合いパーティーらしきものをしている隣の部屋で、私が一人だけ参加せず物思いに沈んでいると(なぜか傍らにはロンドン時代の知り合いがいた)、天使みたいなちんまくて綺麗なのがいっぱいふわふわやってきて、杖で鼻先に祝福のようなものを与えてくれるのです。でも、隣の部屋で前向きにがんばっている友人たちこそそれを与えられるべきなのに、なんで一人参加もせずえらそうに見ているだけの自分にくれるんだろう、おかしいなあ、と思っているところで目が覚めました。
こうして書くのも恥ずかしいファンシーな夢ですが、妙にいろんな意味がつまってるような気もして、しばらくぼぅと考え込んでしまいました。
自業自得ですが色々と沈みがちだった最近の私を神様が慰めてくれると同時に、ちゃんと反省すべきところは反省して前向きに頑張りなさいって喝を入れてくれたのかな、と思いました。
とりあえずできるところからと、メールをもらっているにもかかわらず怠惰で返事をしていなかった友達にメールを打ったりしてみました(もちろん明け方なので携帯ではなくPCメールの方ですよ)。
私は昔から人の輪に入るのが非常に苦手なのですが(他人からはそう見られないけれど、そうなのです)、結局人は一人で生きているわけではなく、また一人では生きられない以上、自分の住みやすい環境は、周りの人たちとの関係の中で、自分自身で努力して作っていくしかないんですよね。
周りとの関係を閉ざしてしまったり、関係を築く努力をしなかったり、そのどちらを止めてしまっても、自分の生きやすい環境というものは得られない。
逃げたくなることも面倒くさくなることもしょっちゅうだけど、やっぱり生きている以上は、すこしでも心地よく、楽しく生きたいと思うのです。
そんなことをとりとめもなく思ってるうちに、もう5時。
外はちょっと曇っていますが、今日もそんなに悪い天気ではなさそうです。
今日も一日、がんばりましょー。
人間は皆一度ずつ死ぬるのであるという事は、人間皆知って居るわけであるが、それを強く感ずる人とそれ程感じない人とがあるようだ。或人はまだ年も若いのに頻りに死という事を気にして、今夜これから眠ったらばあしたの朝は此儘死んでいるのではあるまいかなどと心配して夜も眠らないのがある。そうかと思うと、死という事に就て全く平気な人もある。君も一度は死ぬるのだよ、などとおどかしても耳にも聞こえない振りでいる。要するに健康な人は死などという事を考える必要も無く、又暇も無いので、唯夢中になって稼ぐとか遊ぶとかしているのであろう。
余の如き長病人は死という事を考えだす様な機会にも度々出会い、又そういう事を考えるに適当した暇があるので、それ等の為に死という事は丁寧反覆に研究せられておる。併し死を感ずるには二様の感じ様がある。一は主観的の感じで、一は客観的の感じである。そんな言葉ではよくわかるまいが、死を主観的に感ずるというのは、自分が今死ぬる様に感じるので、甚だ恐ろしい感じである。動気が躍って精神が不安を感じて非常に煩悶するのである。……主観的の方は恐ろしい、苦しい、悲しい、瞬時も堪えられぬような厭な感じであるが、客観的の方はそれよりもよほど冷淡に自己の死という事を見るので、多少は悲しい果敢(はか)ない感もあるが、或時は寧ろ滑稽に落ちて独りほほえむような事もある。
(正岡子規 『死後』)
病床の子規が書いた死と埋葬についての随筆。
深刻なことを深刻に書かず、ユーモアあふれる子規の文章。
だからこそ、壮絶な哀しさが胸に迫る。
この随筆が書かれたのは、明治34年の2月。
そして翌明治35年9月19日、子規は長年の病床生活の末に、34歳で亡くなりました。
(自分が子規が亡くなった歳と同じ歳になっていたことに、今気づきました…)
はるか昔、司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』で子規に興味を持って以来、同じく司馬さんによる『世に棲む日日』の吉田松陰とともに、私の思い浮かべる子規は、いつも秋の空のイメージです。
目に痛いほど青く、すがすがしく、そしてどこか儚い。
とても短い随筆なので、ご興味のある方はぜひ読んでみてください(上のリンクから青空文庫にとべます)。
※web拍手を設置してみました。早速拍手をくださいました皆さま、ありがとうございます!書きたいときに書きたいことを書いている自己満足なブログですが、とても嬉しく励みになります^^
「損をしたと言っては笑い、得をしたと言っては嘲ける、おれの仲間を蔑み、おれの商売の裏をかく……――それもなんのためだ?ユダヤ人だからさ……ユダヤ人は目なしだとでも言うのですかい?手がないとでも?臓腑なし、五体なし、感覚、感情、情熱なし、なんにもないとでも言うのですかい?同じものを食ってはいないと言うのかね、同じ刃物では傷がつかない、同じ病気にはかからない、同じ薬では癒らない、同じ寒さ暑さを感じない、なにもかもクリスト教徒とは違うとでも言うのかな?針でさしてみるかい、われわれの体からは血が出ませんかな?くすぐられても笑わない、毒を飲まされても死なない、だから、ひどいめに会わされても、仕かえしはするな、そうおっしゃるんですかい?」
(シェイクスピア 『ヴェニスの商人』 福田恒存訳)
喜劇、、、かぁ、、、。
訳者の福田さんや阿刀田高さん、その他ほとんどの専門家の方々がこれをはっきり喜劇としている以上、やっぱりこれはシェイクスピアの時代には喜劇以外の何物でもなかったのでしょう。
じゃあその作品を、現代の私が喜劇として楽しめるかというと。
ムリ。
時代によって価値観が異なることも、それを承知のうえで読む(観る)べきだということもよぉ~っくわかっているけれど。
深く考えずに、恋あり、スリル溢れるどんでん返しあり、シャイロックに勝った男達も結局は女達の掌に転がされていた、という軽いお話として楽しむのが一番なのだろうけれど。
そう割り切ってこの作品で笑うことは、私にはムリです。頭ではわかっていても、感情が。。。
重すぎるのよ、上のようなシャイロックの台詞が。。。
特にシャイロックが最も憎んでいたキリスト教への改宗を強いられるシーンなど、胸が苦しくなってしまいます。
そうなるともう、純粋に”喜劇”としては楽しめない。
今の時代にこの作品の台詞を一切変えずに上演するなら、私が心おきなく観劇できるのは、やっぱり劇団四季やアル・パチーノの映画のような演出(シャイロックを笑い飛ばす喜劇としてではなく、ユダヤ人の悲劇とする演出)のほうになってしまいます。たとえシェイクスピアが意図したものとは違っていても。
というわけで、今日、劇団四季の『ヴェニスの商人』を観てきました。
シャイロック役を演じているのは平幹二朗さんなのですが、素晴らしかったです!舞台上でのすごい存在感。なによりシェイクスピアのあの持って回ったような長い台詞が、平さんの口を通して語られるとすっと心に入ってくる。すんなりと理解できる。これってすごいことですよ。演技がとても迫力はあるのに、極めて自然だからだと思います。役者ってこういう人のことをいうのだなあ、としみじみと思いました。映画のアル・パチーノもとっても素晴らしかったけれど、同じくらいに(もしかしたらそれ以上に)素晴らしかった。途中の箱えらびのシーンなど正直眠りそうになりましたが、平さんが登場した途端に目がぱっちりでした。
最後に、原作より(上と同じく福田さん訳です)。
グラシャーノーとアントーニオの会話。
「元気がないな、アントーニオー、きみは世の中のことをあまり気にしすぎるのだ。世間というやつは、くよくよすればするほど、ままにならぬものなのさ。本当だよ、きみはすっかり変ってしまったな」
「この世はこの世、ただそれだけのものと見ているよ、グラシャーノー――つまり舞台だ、誰も彼もそこでは一役演じなければならない、で、ぼくの役は泣き男というわけさ」
「では、ぼくは道化役とゆこう。陽気に笑いさざめきながら老いさらぼうて皺をつけ、酒びだしで肝臓をほてらせるがいい。そのほうが苦しい溜息ついて、その一息ごとに心臓を凍らせるより、よほどましだ」
もひとつ本作最強キャラであるポーシャ登場時の台詞。
「本当、私の小さな体には、この大きな世界が重たすぎるのだよ」